★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK62 > 652.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://www.amakiblog.com/archives/2009/05/06/#001385
2009年05月06日
「地域包括支援センター」という言葉をしっていますか? ほか
◇「地域包括支援センター」という言葉を知っていますか?
4月26日の東京新聞に、「地域包括センター 低い知名度」という見出しの記事があった。ついこの前までの私であれば、この記事を見過ごしていたに違いない。記事の存在さえも気づかなかったことだろう。
ところが、この記事が出るわずか二日ほど前、私は知人を通してある介護保険のボランテアの方と話す機会があった。そしてその時はじめて、私はこの「地域包括センター」という言葉を耳にしていたのだ。
「地域包括支援センター」などという抽象的な言葉のどこにも、介護や医療をあらわす響きはない。しかし、これこそが、小泉・竹中改革による弱者切捨て医療改革の落し子なのである。
私の記憶に残るボランテアの方の悲憤慷慨は、およそ次のようなものだった。
・・・後期高齢者医療制度ばかりが問題にされているが、同時に行なわれた改正介護法もひどい。要介護者の負担を増やす一方で、国側の責任の所在が不明になってしまった。相談窓口として「地域包括支援センター」という組織ができたが、これがまったく知られていない。何を聞いても埒が明かない。いままでは市町村の担当部局に行って直接に文句が言うことができたが、これからはすべて「地域包括支援センター」に相談してくれ、となった。ところがそのセンターの所在がよくわからない。要介護者はどんどん切り捨てられている・・・
このボランテアの方の言葉の記憶があったので、4月26日の東京新聞の記事が私の目にとまったのだ。その記事はこう書いている。
・・・お年寄りの医療や介護の総合的な窓口となる「地域包括支援センター」が、認知症の疑いがある高齢者の6割とその家族4割にまったく知られていない実態が、東京都の調査でわかった。センターは認知症の予防と早期発見の役割が期待されているが、十分に活用されていない現状が浮かぶ・・・
この国ではとんでもない事が行なわれつつあるような気がする。要介護や認知症の老人は国が手厚く面倒を見るのが当たり前ではないのか。ところが、正常に頭や体が動かなくなった老人たちが、自分で地域包括支援センターに働きかけて、国の助けを求めなければ面倒を見てもらえないのだ。しかも助けを求めても十分な支援が得られないのだ。国民の知らないところでどんどんと行政が悪くなっていく。
完
◇国際政治の中の中国、台湾、日本の関係を考える
4月30日の産経新聞は、湯浅博氏のコラム「くにのあとさき」で、NHKが最近放映した「シリーズ・JAPANデビュー」の第一回、「アジアの一等国」という番組を批判している。インタビューに応じた知日派台湾人が日本の台湾統治を批判した、それが中国共産党の圧力に屈したNHKの偏向番組である、というのだ。
実はこのNHK番組は、同様の理由でタカ派保守の間ではいたるところで激しく批判されている。なぜ彼らはこのNHK番組をそれほど強く批判するのか。
その背景には、「反共の台湾、親日の台湾までもが日本の植民地政策を批判するのか」、という危機感があるからだ。
さらにいえば、中国と台湾の関係改善が進めば、台湾有事が遠のき、日米同盟の意味がますます希薄化していくという深刻な問題がある。
この考えを象徴する考えが、月刊「宝島」6月号に見られる。「桜井よしこが語る台湾と日本の危機」がそれである。そこで桜井よしこ氏は要旨次のように語っている。
「 北朝鮮ミサイル問題に目が奪われている日本だが、日本にとって本当の危機は中台関係の急激な変化(融和)にこそある。
世界中見渡しても、台湾ほど親日国家は他に類を見ない。その台湾と日本との良好な関係が損なわれるようなことがあってはならない。中国を喜ばせるだけだ。
台湾と中国が統合されれば、日本の船舶の多くが通過する台湾海峡が中国の内海となり中国は大きな外交カードを持つ事になる。
台湾は日本と同様の価値観を持つ自由と民主主義の国であり、その台湾が、そのような価値観をまったく認めない共産主義の中国に席巻されることは看過できない。
なによりも、中台が一体となれば東南アジアの多くが中国の影響下に入り、その結果日本は孤立する。日本に残される選択肢は、中国の言いなりになるか、対峙するしかなくなる・・・」
なるほど。このような考えに立つ限りは、台湾の国民が日本の植民地政策を批判しはじめる事は悪夢に違いない。
しかし、残念ながらこの桜井よしこ氏の考えに象徴される日本のタカ派保守の考え方は、中国や台湾、そして米国や国際社会の考えを捨象した一方的な考えだ。国際政治の流れに逆行する考えだ。
馬英九台湾政権の中国接近とこれを歓迎する中国、米国の中国重視政策など、大きな歴史的流れは、もはや誰の目にも明らかである。
おりしも4月30日の各紙は、WHO総会に台湾が参加することを中国が認めたと報じている。台湾の国連機関への参加は71年の台湾の国連脱退以来初めてであるという。
産経新聞の論説を書いた湯浅博氏はこう書いている。
「(NHK)制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない・・・」
この言葉は、そっくりそのままNHK番組を批判する湯浅博氏の論説にも当てはまる。NHKの番組でインタビューに応じた親日台湾人は「日本統治の善しあしは半分半分なんです。NHKには両方言った」と述べているのだ。
タカ派右翼の外交論に望みたい。国際政治の大きな流れを直視すべきだ。みずからに都合のいいところだけを抽出したり、国際政治を無理に捻じ曲げたりしてはいけない。国際政治の流れを見極めた上で日本外交をどう効果的に展開していくか、それが国益にかなう外交である。
完
◇議員世襲制のウラに隠された犯罪
国会議員の世襲問題が急に政治のテーマの一つに浮上してきた。これを法律で禁止するなどという事は困難だ。世襲議員とはどこまでを指すのかとか、これを禁止するのは憲法で保障されている「職業選択の自由」に反するのではないか、とか、いろいろと口実が出てきて意見はまとまらない。
しかし、もし、国民の大半がこれに反対しているのであれば、民主党は自らのマニフェストに世襲議員を公認しないと発表して、自民党との対比を国民の前に断固示すべきだ。 世襲議員は圧倒的に自民党議員に多い。だから自民党は不利だ。民主党はこの問題を政権交代の争点の一つに大きく取り上げるべきだ。
なぜ世襲議員は問題なのか。それは親の地盤を引き継いだ世襲議員が、能力もないのに地盤、看板、カバンの力で当選できる。それは不公平だけでなく、政治家の質を落すという事である。政権を途中で放り投げた首相や漢字も読めない首相、それにヘロヘロ記者会見で世界に醜態をさらした財務大臣などはいずれも見事に世襲議員であった。
しかし、議員世襲制の弊害はそれだけではない。政治家は稼業だ、と言われるほど、政治家を利用した親子代々のうまみがあるのだ。そこを暴露して、一般国民の怒りに火をつけるのだ。 その一例として、「政治資金管理団体による相続税支払い逃れ」という問題がある。この事を、ジャーナリストの上杉隆が、週刊SPA! 5・5−12号で見事についている。堀江貴文の連載インタビュー「今さら言うのはなんですが」の中で、次のようなやり取りを見つけた。
鳩山邦夫の秘書を経験している上杉は、鳩山邦夫の孫が一郎という名前で自分のおじいさんの鳩山一郎と同じ名前にしている事を明かした上で、「・・・選挙用に分かりやすい名前です。河野一郎も麻生太郎も似たようなもの・・・山村新治郎なんて、名前を世襲しまくって、山村さんで11代目でしたから・・・」などと、世襲政治家が名前まで選挙に利用する有利さ指摘している。
注目すべきはその後につづく次の発言だ。
上杉 「・・・でも、世襲政治家の一番の問題は、政治資金管理団体の継承です。団体にお金を入れて、寄付というかたちで子供に引き継がせて、相続税がかからないようにしている。それに僕は怒っているの。世襲政治家の多くは、相続税を逃れるために、政治資金管理団体をつくっているとしか思えない者ばかりなんです・・・」
堀江 「それ、赤の他人へも寄付ができるんですか?」
上杉 「はい。世襲政治家の中には、政治資金管理団体を金庫として使って、死んだら子供に寄付する。寄付行為は相続税ゼロです。立候補するなら誰でも団体をつくれますし、最初ならいくらでも入れることもできる。そのお金は運用もできてしまう・・・安倍、福田、小渕家などは実際にやっていますから」
堀江 「・・・政治資金管理団体をつくれば相続税や贈与税がかからない。それって、メチャクチャおかしくないですか!」
ホリエモンまでもがおかしいと驚いているのだ。
いやおかしいでは済まされない。これは巧妙な脱税だろう。脱税は犯罪だろう。歴代の自民党首相が脱税をしていたという事だ。それを国税庁も検察庁も見過ごしてきたということだ。
小沢事件だけをことさらに騒ぎ立てる事の滑稽さと作為性がわかるというものだ。
民主党は世襲議員廃止を迫るべきだ。その際には、この問題を持ち出して追及すべきだ。税務署から厳しく取り立てられている国民の怒りに火をつけるべきだ。増税を迫られる国民の怒りを、自民党世襲政治家、首相に向かわせるべきだ。
完
◇密約でつくられた戦後の日米外交
きょう5月5日の各紙を読んでみて、私が圧倒されたのは毎日新聞の日米密約史に関する特集記事であった。「日本が望んだ『密約』」、「対米依存外交の原点」、という見出しの見開き三ページにわたるその記事は、沖縄密約をすっぱ抜いた西山太吉記者を輩出した毎日新聞ならではの渾身の記事である。
戦後の日米外交史に少しでも関心のある者にとっては永久保存版の価値がある。
私が特に注目したのは、その特集記事が伝える外務省先輩幹部たちの証言である。いずれも私が駆け出しの外務官僚の頃に接した、「仰ぎ見る」先輩幹部たちである。その幹部たちが、ここまで国民をあざむく外交をしていたのである。
牛場信彦外務次官 「・・・米国の核の傘にいる国々は、中国の脅威を日増しに感じており・・・なんらかの対応を米国がとることを期待している」
ジョンソン駐日大使「日本にとって・・・米国が抑止力を維持するためにどんな行動が必要か」
牛場 「繰り返し、適当な時期に確約することだ」
ジョンソン 「言葉でか」
牛場 「こちらは、あなた方の言葉を信じる」
これは1967年8月22、23日に行なわれた安全保障協議委員会でのやりとりであるという。西南女学院大学の菅英輝教授が米国立公文書館から議事録を発見したという。
毎日新聞はこう解説している。
「・・・米側はいかなる議題であれ議論に応じる態度だった・・・日本に覚悟があれば核戦略を論じるつもりだった。(だが)日本側は・・・米国を信じることによる安心だけを求めた。核の傘とは具体的に何を意味するのか詰めるより、内容はすべて米国にまかせきりにして、言葉による保証だけを重視する日本の姿は、この後も日米安保関係の基本形となった。そのいびつな関係が、日米関係を『密約』だらけにする構造的温床となった・・・」
大河原良雄外務省アメリカ局長 「米空母ミッドウェーについて核兵器の問題 はどうなのか」
シュースミス駐日米公使 「母港化をお願いしている。(事前協議に関 する日本の了解を十分承知しているから)従来の了解になんら反することはしない」
これは1972年10月に東京・外務省で始まったミッドウェーの横須賀母港化(73年10月合意)に関する日米事務レベル協議の一コマである。
毎日新聞の解説はこうだ。
・・・核持込の密約の対象はあくまでも「寄港」であり、「配備」まで認めていない。「母港化」は単なる「寄港」とは言えず、密約でさえも認められない灰色部分だった。それをシュースミス公使は母港化も「寄港密約」の従来の了解で扱うと言った。大河原大使はこれに反論しなかった。その瞬間母港化という日本への核兵器「配備」が事実上決まった・・・(筆者註:米国海軍に母港を提供しているのは世界で日本だけである。)
極めつけは沖縄返還(1972年)の際の次のやりとりである。毎日新聞の記事はこう書いている。後に明らかになる若泉敬京都産業大学教授の密使外交を裏付けるエピソードである。
・・・沖縄返還が正式に合意された1969年11月の日米首脳会談の初日。冒頭ニクソン大統領と二人だけの会談を終え、愛知揆一外相らの待機する控え室に戻ってきた佐藤栄作首相は喜色満面で「B案で話がついた」と言った。
外相も外務省の随員も首相が何を言っているのか理解できなかった。佐藤首相がポケットから紙を取り出した。「核抜き返還」に関する日米首脳の共同声明案文だった。外務省条約課長としてその場にいた中島敏次郎氏は「愛知外相は『これはなんだ』となった。自分だけが知らなかったと思ったようだが、外務省も知らなかった・・・」と証言する・・・
外務省は米国が核抜きでは返還に応じないとの見通しを持っていた・・・愛知外相は「米国はベトナム戦争をやっているので『核抜き』での返還には展望が開けない」と指摘。「核付き」返還協定の試案作成を指示したという・・・。
どうだ。密約どころか外交そのものが秘密外交であったのだ。
しかもこの沖縄密約外交のウラには、あまり知られていないもう一つの事実があることを毎日新聞の記事は教えてくれている。
米国で公開された公文書によると、米国の国家安全保障会議は1969年5月の時点で、すでに沖縄の核兵器について、「緊急時の貯蔵と通過の権利を条件に核兵器の撤去を考慮する」という政策文書を決定していたという。しかも沖縄からの核撤去は中国との関係改善を視野に入れた米国の中国に対するメッセージだったという。
被爆国の反核感情と沖縄に対する贖罪意識によって密約にこだわった日本。その一方で、核の貯蔵と通過の権利さえ密約で確保されれば、核撤去を対中外交カードに使おうと考えた米国。それにまったく気づかなかった日本。
これを示す毎日新聞の次のエピソードは驚がく的である。
・・・条約課長だった栗山尚一氏(のち外務次官、駐米大使)は、在米大使館に勤務していた返還実現後の74年、米国防総省の担当者から、「米国が沖縄からの核撤去をいつごろ判断したと思うか」と聞かれ、「最後までわからず心配だった」と正直に答えた。するとその担当官は、「実はだいぶ前から決めていた」と笑って言ったという。「核抜き」は米側の譲歩ではなく、事前方針どおりの妥結ラインを確保しただけだった・・・
返還交渉に外務省アメリカ局長としてかかわった吉野文六氏は、「沖縄の核抜き返還は、キッシンジャー米国務長官が中国に対して色をつけた意味がある。頭がいいやり方だったが、当時、我々はまったくそうとは意識していなかった」と振り返る・・・まもなく日本は、ニクソン米大統領の電撃訪中宣言(71年7月)に「外務省最大の悪夢」と驚く事になる・・・
これが日本の対米外交の実態なのだ。その後の日米外交が「悪夢の連続」である事はわれわれが日常茶飯事のごとく目撃しているとおりである。
完
◇麻生首相はオバマ大統領あて親書を国民に公開すべきだ
オバマ大統領が4月5日にチェコで行なった核廃絶の演説は、核廃絶を願う人たちに期待を持たせた。なにしろ、「米国は、核兵器を使った世界で唯一の核大国として行動する道義的な責任がある」とまで述べたのだ。
もちろん、地球上から核を取り除く事はオバマ大統領でも容易ではない。ゲーツ米国防長官も5月3日に放映された米CNNテレビのインタビューで、究極的核廃絶は、「たどりつくには長い道のりだ」と強調したという(5月5日毎日新聞及川正也ワシントン特派員)。
それでも、唯一の被爆国である日本国民にとって、オバマ大統領の発言に期待するのは当然だ。だからこそ、日本国民の願いを伝えるために、麻生首相はその発言を歓迎する親書をオバマ大統領に送ったのだ。
親書を出すのが遅すぎるとか、なぜ核武装論者の安倍元首相に親書を託したのか、といった批判をする私でさえも、日本国民の声をオバマ大統領に伝えてくれた事はよかったと、ナイーブに考えていた。
そんな思いを5月4日の毎日新聞が見事に打ち砕いてくれた。その毎日新聞は、「アメリカよ 新ニッポン論」の第一回目の記事の中で次のように書いていたのだ。
・・・オバマ米大統領の4月5日の核廃絶宣言の10日後、麻生太郎首相はオバマ大統領に親書を出した。 内容は非公開だが、(核廃絶)演説のさわりを引いて強い支持を伝える一方、「日本にとって日米安全保障体制下での核抑止力は重要」と米国側にクギを刺していた・・・
これには驚いた。日本国民は見事に裏切られたということだ。
麻生首相の親書の主眼は、オバマ大統領の核廃絶を歓迎することよりも、米国の核抑止力(核の傘)を減らさないでくれ、と頼み込むほうにあったということだ。
この事を証明するかのように、同じく5月4日の毎日新聞「クローズアップ2009年」は、4月6日からワシントンで開かれていたカーネギー国際平和財団主催の国際会議で、孤立した日本の姿を報じていた。
すなわち、46カ国の800人を超える政治家や核専門家が、会場で再現されたオバマ演説に盛大な拍手をし、会議は核軍縮歓迎ムードに包まれたというのに、日本だけが対米同盟を絶対視して冷戦時代の核抑止論を繰り返したという。その姿は場違いな孤立感を与えていたという。
もはや政府・外務省の独占する日本外交は恥さらしだ。日本国民を貶めるものだ。
麻生首相はオバマ親書を国民の前に公開し、オバマ大統領に何を伝えたのか説明すべきである。
日本の国会議員は、連休明けの国会質疑で、あるいは質問主意書で、オバマあて麻生親書の情報公開を、国民に代わって求めるべきだ。
もし麻生首相が、安全保障上の理由であるとか、相手国との関係もある、などという理由で公開を拒むような事があれば、間違いなく米国に核抑止を頼んでいたということだ。
核廃絶と米国の核の傘に頼る事とは、完全に矛盾する。 米国の核抑止を米国に求めるということは、核廃絶など口先だけということだ。
「麻生首相はくわせものだ」、そう言われないためにも、麻生首相はオバマあて親書を公開すべきだ。
完
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK62掲示板
フォローアップ: