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<09.05.01>『通信録』09年5月―家来香の匂う垣根と思ったのだけれど‹三上 治›
‹みかみおさむ:社会運動家・評論家›
街の路地や小道から幾分か強めの匂いが漂ってくる。可憐な花を咲かせた白い花からである。人に尋ねると家来香という。家来香と聞いて李香蘭の甘い歌声を連想したのだが、気になって調べてみると家来香とはどうも違う気もする。それはゆっくり調べたいが、世間はいつの間にか連休に入っている。連休を海外で思った人々には豚(とん)だ邪魔が入ったみたいだけれど、連休には憲法記念日という重要な日もあり、憲法のこともじっくり考えてみたいと思う。
僕は以前から憲法記念日にはいつも奇妙な感じを抱いてきた。憲法に則って政権を運営しているはずの与党や政府の人たちはこれといった記念の催しをするでもなく、極めて冷淡である。それだけでなく、与党の面々は「自主憲法制定」を掲げて現憲法(日本国憲法)の改定を主張する集会をやる始末である。これに対して「護憲」を掲げる面々は憲法擁護の集会をやっているが正直なところこれはさほど盛り上がってはいない。その意味では昨年の「9条世界会議』は例外だったのかもしれない。なんといっても幕張メッセという広い会場を満杯にし、なお外には人が溢れかえっていたのだからである。
与党や政府の面々は現憲法がアメリカの銃剣を背景にした強制で改定(大日本帝国憲法の改定として日本国憲法は成立した)されたものであり、「ねじれて」いると主張してきた。安倍晋三の祖父であった岸信介をはじめ「このねじれ」を主張し、日本の国家主権の回復のための自主憲法制定を語る面々が、アメリカのCIAから巨額の政治資金の援助を受けてきたことを考えると奇妙である。その意味でこの「ねじれ論」はさして信用しなくてもいいものである。しかし、護憲を掲げてきた運動に人々の視線が冷淡であり、そこに感じる「ねじれ」は考察にあたいすることのように思える。なぜなら、ここには日本国憲法が帝国議会という機関の中での議決で処理され、国民の意思は間接的にしか関与していないという事情があるように思えるからだ。国民の直接的な意思表示はこの過程には関与してはいない。ここからくる「国民の視線」という「ねじれ」を僕らは憲法を考える場合に意識(自覚)しておくべきではないのか。その意味で来年の5月に憲法改定の手続き法案である「国民投票法案」の凍結が解除されることはとても重要なことのように思える。国民の直接的な意思表示の契機が加わるからだ。それへの僕らの思想的、理念的な準備は自覚されているのか(?)
(2009年4月30日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment540:090501〕
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