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3月号
中央公論
「空気の研究」
岩見 安倍晋三元首相が、「空気が読めないKY首相」と言われて以来、政界でもKYであ
るかどうかが頻繁に問われる傾向にありますね。しかし、そもそも巷でいわれる「空気」
とは何であるのか。山本七平氏が『「空気」の研究』を書いたのは 1977 年、元号なら昭和
52 年です。日本の高度経済成長期には霞が関で仕事し、政界にも長いお二人に、日本国の
「空気」について、今日はじっくりお聞きしてみたい。
藤井さんは昭和 7 年生まれで、僕は 10 年生まれ。加藤さんは 14 年ですよね。山本氏が
なぜあの時期に「空気」なんてことを突然言い出したのか。詳しくは知らないのだけれど、
大正生まれの人や藤井さんのような昭和一桁生まれの人々は戦争体験が我々世代よりも強
くて、「毅然としろ」とかそういったことが意味あることとされていて、だから、当時は「空
気」なんてものは、あえて意識されていなかったのかなと。
その後、僕や加藤さんのような昭和二桁世代になると、あまり「毅然として」なんてい
うのは好まれなくなってきて、よくいえば柔軟、悪く言えばいい加減な雰囲気になり始め
た。
戦後は「保守主義」「民主主義」「合理主義」「個人主義」など、あらゆる思想が持ち込ま
れたけれど、いずれも日本化していったせいなのかキレが悪くなってどの思想もあまり社
会を決定するのに役立たない。むしろ、この社会を決める絶対的な権威は「空気」なので
はないか。この空気とはなんだ……として山本氏はあえてこの時期に説き起こしたのかな
という印象を持ちました。
藤井 『「空気」の研究』は、戦艦大和の出撃を挙行させたのは空気であると喝破していま
すよね。戦時中を知っているわたしなどは、「空気」といわれて真っ先に思うのは戦争です
よ。絶対圧政的な権威によって、「日本人はひとつにならなければならない」という「空気」
は確かに存在しました。そして、偏狭なナショナリズムが生まれ、結果、日本は敗戦に追
い込まれた。二度とあってはならない空気だったと思います。
加藤 わたしもまず、戦争を思い起こしますね。
昭和 12 年に日中戦争が始まるわけですが、当時、関東軍の参謀たちは、「ここでさらな
る戦線拡大方針を打ち出すべきか」「慎重路線をとるべきか」と議論しました。その議論の
中で一人が、「そんな議論をしていてもしかたがない。東京の空気はもう拡大の方向に向か
っている」といった趣旨の発言をして拡大の道を歩むことになるんです。歴史を繙くとそ
うあるのです。
藤井 今の話は当時、参謀本部にいた石原莞爾が戦線拡大に反対するけれど、まるで聞き
入れられなかったことをいっているんですよね。
空気には、いい空気と悪い空気があって、最悪の空気が戦争を作り出す空気でしょう。
石原氏の史実も悪い空気の代表例といっていい。
岩見 お二人は戦前から今にいたるまで、日本にはみんなで吸っていた同質な「空気」が
あったと思われますか。
加藤 そう思います。よくいわれる「空気」というものは、ある支配的なコンセンサスが
できあがっているという意味なんだと私は考えています。そして、日本は古来、「空気の国」
であると思っています。
農耕民族であったことも関係があるのではないでしょうか。欧州のような狩猟社会は、
一人ひとりがうまく野生動物をしとめなくてはならない競争社会です。対する日本は農耕
社会ですから、やはり突飛な言動は慎みます。山から水を引くときも、それを支流に流す
決定にしても、「もうそろそろだよね」「そうだよね」「もういいんじゃないの」とみんなで
コンセンサスを作り、物事を決めてきた社会だと思います。
ですから、日本で言われる空気というものは、大方の常識的な判断のことであり、それ
はたぶん、多くは合理的な決定につなげてもきたのだと思います。ただ、その空気が間違
った方向に流れると恐ろしいことになるのだと考えています。
藤井 戦中の空気は先ほど申し上げた最悪の空気ですが、山本さんが『「空気」の研究』を
書かれた時代にもやはり濃密な空気がありましたよね。
それは、戦中の強圧的な圧制の中で生み出された空気ではなく、もっと自発的なもので
したね。昭和 35 年、時の首相、池田隼人氏が打ち出した「所得倍増計画」に日本は沸き、
成長を夢みて一体的な空気が生まれました。昭和 40 年代の中ごろ、日本のGNP(国民総
生産)は初めてドイツを上回り、昭和 46 年には、それまで 1 ドル 360 円だった固定相場制
から変動相場制に切り替わりました。そして、昭和 48 年に第 1 次石油ショックが起こり、
そこからが分岐点に入ると思われますが、わたしは少なくともここまでは日本国内には、
ある種の一体感、等質の空気があったと思っています。池田勇人、佐藤栄作、最後に田中
角栄時代の「追いつけ、追い越せ」路線を支持する空気です。
岩見 その後は一体感が崩れたのでしょうか。
藤井 崩れ始めたと思っています。もはや、所得をあげるという目的だけでひとつになれ
る時代ではなくなった。「個人」というものが大切であるということがいわれるようになっ
た。各人でモノを考え、各々、発言して行動せよといったことが理想とされるようになっ
たわけです。
私は個人が責任を持って自身のことを考えるというのは大変に重要なことではあると思
うけれど、ただ、完全にバラバラでは困るんですよね。「国、一国で存在するにあらず。人、
一人で生きるにあらず」。これは、社会が成立するために不可欠な原則です。やはり、民主
主義はある程度の同質性がないと成り立たない。何がしかの統一的なものがないとなりま
せん。当時のまじめな政治家はみんな考えたと思うんですね。
岩見 今はバラバラになりすぎていますかね。
藤井 オイルショックが起きた昭和 48 年以降も、まあ、一緒にやっていこうよという雰囲
気は残っていたように思います。決定的にバラバラにしたのは、小泉構造改革だと思って
います。それまでは、日本には何か中流意識と一体感がそれなりに保たれていたのに、あ
の改革によって、「選ばれた人」と「排除された人」が分けられてしまった。同質性を失い、
一部の金持ちは拝金主義に走っている。これは恐ろしいことで、即刻、立て直さなければ
ならないと危機感を抱いています。
これは余談ですが、先ほどの加藤さんの「農耕民族」で思い出したんですが、東京オリ
ンピックが終わった昭和 40 年ごろ、日本は本格的な不況に陥りました。福田赳夫蔵相の時
代であり、わたしは大蔵省の役人で、通産省のあげてくる予算の査定に携わっていたので
すが、福田さんが「無担保・無保証で中小零細企業にカネを貸せ」と言い出したんです。
役人は「そんなことしたらお金は返ってきません」と大反対した。小利口な役人らしい意
見です。そのとき福田さんがおっしゃったことが忘れられない。福田さんは「日本は農耕
民族だ。仲間内と一緒にいなかったら生きていかれない。だから、絶対に取りっぱぐれる
ことはない」と言ったんですよ。そして、実際に当時貸し付けたお金の多くは返ってきた。
慧眼だったと思います。
加藤 面白いのは、福田さんのライバル筋にあたる小渕恵三さんが首相になったときにも
不況に陥り、小渕さんも同様に 30 兆円規模で無担保・無保証の融資を実施したんです。
藤井 この時代は自自連立政権で、わたしは幹事長やっておりました。わたしは小渕さん
に先ほどの福田蔵相時代の話をしています。「日本人は逃げません」と。
加藤 実際、この時代もお金はちゃんと返ってきているんですよね。
特に国民金融公庫から 200 万円、300 万円といった小額を借りた喫茶店を切り盛りするマ
マさんとか、蕎麦屋を経営するオヤジさんとか、零細の経営者がきちんと返済してきたと。
これは旧国民金融公庫の尾崎護総裁がおっしゃっていました。零細になればなるほど、小
額を借りた人ほど「公のカネは返さねばならん」という意識が強いそうです。そうでなけ
れば仲間内ではやっていけないという空気があったのですよね。
藤井 そうなんです。5 年間、借金が返済されないと金融機関は税金で補填してしまってい
る。ところが 10 年くらい経過してから「あなたがたのおかげで立ち直ることができました」
ってお金返しにきた人がいたっていうんですよ。金融機関の担当者のほうが驚いちゃう。
「あなたに貸した記録がない」って。(笑)
小泉構造改革以降は日本人も狩猟民族的になっているように思いますが、小渕首相の時
代には、まだ佐藤栄作首相―福田蔵相時代の農耕民族的な一体感が残っていたと思います。
岩見 先ほど加藤さんから「日本は空気の国」という指摘もあったけれど、こんなに「空
気」が意識され、ある意味でもてはやされるのは日本に特有な現象であるという気はしま
すね。政治家なども、何かというと「空気」に言及したりもする。かなり便宜的な使い方
をされてもいて、なんだか分からないような事態にぶつかったときも、「それは空気だよ」
なんて適当に切り抜けたりする人もいる。
ご指摘の通り、農耕民族だったことがその背景にはあると思いますが、宗教観が薄いこ
とにも関係ありそうにも思います。そのあたりはどうですか。山本七平氏も、一神教の社
会では、神以外のすべてが相対化されるから「空気」は存在しえないとも指摘しています
ね。日本の社会は融通無碍でいい加減な社会だから、空気が支配力を持ちうるということ
は……。
加藤 あると思いますね。一神教の世界なら、「それはモーゼの教えに反する」とかなんと
か議論になるけれど、対する我がほうは、あっちの山にもこっちの山にも神様がいて、場
合によっては石にまで神様がいる。だから結論を出そうとすると大変だから、まあ、「そう
いう空気ですね」というふうに決着していくしかなかったのではないですかね。
藤井 日本人の民族宗教は神道だけれど、そこに仏教が入ってきた。普通、一神教同士な
ら“一騎打ち”になってどちらかが排除される。ところが日本は日本にきた仏様の分身が
神様とかなんとかって、「本地垂迹説」などと、誠にわけのわからない説で神仏同体という
ことにしてしまう。こんなことは日本だからこそできるワザです。もっとわけがわからな
い「逆本地垂迹説」なんてのもあった。まあ、要するに、なんでもかんでも飲み込んで、
一体感を醸成してしまう。なんでもまるめてしまう。そんなふうだから、空気が圧倒的な
権威を持つことになるんでしょうね。
岩見 さて、政界にみる空気の話をしたいのですが、僕は稀代の空気メーカーというと、
田中角栄氏と小泉純一郎氏を真っ先に思い浮かべるんですよ。どう思われますか。
藤井 確かに、この二人は空気メーカーですね。
まず、田中さんは高度経済成長路線に否定的だった佐藤栄作さんに対するアンチテーゼ
として登場され、国民の気持ちをがっちりと捕まえた。いえ、佐藤さんも素晴らしい仕事
をされたんですよ。言うまでもなく、沖縄返還、非核三原則などは代表的な大仕事です。
でも、あまりに長くて、その停滞ムードに国民は飽きてしまっていたんですね。そこへ、
角栄さんが大々的に国土開発を進める『日本列島改造論』を引っ提げて登場した。最近の
総理大臣と違って角栄さんの場合、『日本列島改造論』を発表する数年前から勉強して入念
に練り上げていたから、決して付け焼刃という感じがしなかった。そのうえ、政府が決定
する開発構想である「新全国総合開発計画」にはめ込んでいったから、ものすごく説得力
があったんです。それまでの沈滞を吹き飛ばしてくれる気がして、国民の気持ちを一つに
した。
岩見 政策的な判断、ギアの切り替えのうまさに加えて、角さん個人のキャラクターにも
何かしら強烈な伝播力があったんですよね。
藤井 そうですね。佐藤さんは「『栄ちゃん』って呼んでくれ」といっていたけれど、誰も
呼ばなかった。一方、誰が頼んだわけでもないのに、みんな「角さん」と言ったんですね。
どういうわけか「今太閤」ともいわれたりした。池田さん、佐藤さんまでは秀才タイプで
したからね。そこにいくと角栄さんの学歴は高等小学校卒業。それもよかった。
加藤 ダイナミックな角栄さん、庶民の心を知っている角栄さん、庶民の空気も知ってい
る角栄さん。日本政治史の中で、政治家はなんでもできるという神話を作ったと思います
ね。いまでも何か難局にぶつかると、「角栄さんならこうした」ということを言う人がいま
すからね。
藤井 やはり、苦労して育ったというのが大切なんでしょうね。
加藤 「馬喰のせがれ」といわれた人が総理になったから、角さんのいうことはみんなが
聞いてしまう。話せばそれが空気になってしまう。選挙資金を自民党内の各派閥にわたっ
て支給するのは当然のこと、ときには党外にまで送っているわけですから、やはり、角さ
んへの恩返しで走る人がたくさんいた。ものすごい伝播力でした。
岩見 空気が読めて、空気をクリエイトしたんですね。一方、小泉さんはどうですか。
加藤 小泉さんは、角さんみたいに地に足のついた戦いではなくて完全な空中戦の人。角
さんとはだいぶ違うんですね。彼はテレビの使い方を研究に研究し尽くして、票を集めた
人ですから。どうやったらテレビ映りがよくて、どのタイミングで発言すれば、わっと弾
けるのか分かっていた。
象徴的なのは首相就任直後の千秋楽でしょうか。「感動したっ!」という例のアレです。
岩見 まさに空気メーカーなんだね。
藤井 貴乃花の優勝のときの賛辞ですよね。あんな人いませんよね。
加藤 そうでしょう。藤井さんじゃあ、教養が邪魔してできません(笑)。でも、この発言
でたくさんの人が注目するのを小泉さんは十分に分かっていたんですよ。
藤井 あの千秋楽、実は、わたしもいたんですけれど、観客が横綱そっちのけで小泉さん
に熱狂しているのが分かりました。ものすごい熱気でした。ちなみに麻生太郎首相の就任
後の千秋楽にも行きましたが、観客は全然、麻生さんに興味を持っていないんですよね。
ものすごい落差でした。
しかし、行った政治の内容はひどいです。国民の将来への不安を解消するという政治の
原点を忘れ、経済効率のみを重視して規制緩和を推し進めた。結果、これだけの格差を生
じさせました。この格差を野放しにすれば、社会には疎外感、閉塞感が蔓延します。小泉
構造改革が日本国民の一体感、一体的奈空気をバラバラにしてしまった。
岩見 加藤さんは小泉さんとはYKKの仲で長年のお付き合いですけれど、当時からそん
な潜在能力があったんですか。
加藤 ありましたね。思い起こすと平成 2 年 12 月 31 日、NHKの紅白歌合戦で、なんだ
かアップビートの若者の曲が続いていた。「我々の年代にはあわないなあ」と退屈に思って
博多の自宅にいた山崎拓さんに僕から電話したのがYKKのはじまりです。「我々も当選 7
回だ。大臣も 1 回ずつやった。これからはもう少し、国全体のことを考えて酒を飲む会で
もつくろうや」と持ちかけた。それで、「もう一人は誰がいいかな」と相談する中で、僕が
「小泉純一郎がよくないか」と。そしたら拓さんは「あれはエキセントリックだぞ」なん
て若干、難色を示したんですよ。でも僕は「彼のようなタイプの政治家が必ずメディアに
もてはやされる時代が来るから仲間にしようよ」といったんですよね。そしたら「まあ、
お前がそういうならいいよ」ってことで、それでできたのがYKKですね。そのころから
小泉さんは独自のメディア操縦術を持っていたんです。
岩見 それで加藤さんは政界に新しい空気をつくろうとしたんですね。
加藤 最大派閥「経世会」がすべてを牛耳る時代に、必ず飽きが来るだろうと思いました。
アンチ経世会だったんですよ。
岩見 政治力学的にはそうですね。それで、新しい政治を作ろうとした加藤さんのもくろ
みは成功したのでしょうか。
加藤 ある意味で、成功しすぎたといえるかもしれません。空気を読んで、空中戦だけで
政治をした小泉―竹中時代の 5 年半の素地を作ってしまったわけですから。
岩見 加藤さんが中心となった倒閣運動「加藤の乱」についてもお聞きしたいのですが、
あのときには風呂屋が空になったといわれたくらい日本中に熱狂して凝縮した空気ができ
あがった。日本全国民が、加藤さんの一挙手一投足を息を詰めて見守っていた。
加藤 そのようですね。
岩見 その日本列島にみなぎった空気を掬い取れるかどうか。加藤さんの手腕にかかって
いましたね。
加藤 そうですね。ときの森喜朗首相に国民が辟易とし、不満がマグマのように溜まって
いた。そうした空気は、わたしもものすごく強く感じていました。だから、なんらかのこ
とをしなくてはならないだろうとは思いました。このままいくと、通常の組閣が行われ、
通常の人事があって。半年後には参院選挙を控えていたんです。これでは自民党は救いが
ないであろうと。そこまでは読めていたんですよ。そこで、山崎拓さんと、じゃあ、少し
外の空気を見てみましょうと。それでドアを開けて隙間から覗いてみたら、まあ、風速 15
メートルくらいの大風になっていた。それは、我々の予想をはるかに超える暴風であり、
濃密な空気だったんです。ドアを開けたわたしも山崎拓さんも、コントロール不能で吹き
飛ばされたといったところでしょうか。それだけの暴風を受け止めるだけの準備も覚悟も
不十分だったんです。
岩見 空気を掬い取る立場の人が飛ばされたと。
加藤 そうです。
岩見 それをじっと横で見ていた小泉純一郎という政治家が空気に乗ったと。
加藤 半年後でした。見事に空気をつかむのがうまくて、そして作ってもいった。国民は
催眠術にかかったように熱狂して。でも、就任していた 5 年半を今振り返れば、あの時、
なぜ、郵便局をいじると日本が直る――なんて、国民は思ったのでしょうか。 それが、
日本の空気の怖さです。
岩見 一方で空気というものは為政者が作ろうとしても簡単に作れるものではないですよ
ね。いろいろな要素から成り立っている。その中でひとつお聞きしたいのは、テレビを中
心とした報道の問題です。「空気」という捉えにくいものがあって、一方に「テレビ・ジャ
ーナリズム」があって、「世論」がある。この三者は必ずしも一緒ではない。僕は影響力の
衰えた活字メディアの世界で生きていることもあって(笑)、この三者の関係にいつもズレ
を感じながらも不思議な思いで眺めているんですが。やはり、テレビが空気を醸成するの
でしょうか。
加藤 そりゃあそうでしょう。小泉さんに関していえば、テレビがなければ絶対にもては
やされなかった政治家でしょう。一体関係というか、共犯といったほうが適当です。また、
テレビのプロデューサーが政治家やコメンテーターを選ぶ基準というものをわたしも興味
を持ってみているのだけれど、大方は新聞、雑誌をみながら机の上で番組構成を考えるの
ではないでしょうか。
藤井 同感ですね。テレビは危機的な状況ですよ。岩見さんみたいに活字メディアの人が
まじめに社会を憂慮し、自分で調べて報道するのに比べ、テレビ番組に登場する人々には
社会の本質、政治の本質を知っているとは思えない人も少なくない。一部世論に迎合する
ような人をひっぱってくる傾向もあるように思います。もちろん、いい加減な政治家がた
くさんいて、それを批判するのはいいんですよ。でも、批判だけで、何も構築しようとし
ないテレビ番組は害悪ですらある。
世論調査についていうと、これは新聞もテレビもそうなんですが、聞き方が単純すぎる
せいか、どうも世の中の空気とはかけ離れた意見にまとまっていることも多い。例えば、
消費税に関する世論調査。多くの場合、反対意見ばかりが顕著になるようですが、果たし
て本当にそうなのか。私の肌感覚などからすると、「反対」といっても一様ではありません。
要するに、社会保障を整備するために消費税に解を求めるしかないけれど、これほど税金
をムダに使っておいて増税もないだろう――という怒りである場合もありえます。しかし、
質問も答も単純だから、深いところは分からない。だから、空気と世論調査にはズレがあ
る。鵜呑みにするのは危険だと思っています。
岩見 今調査すると、「次は民主党中心の政権を望む」という人が本当に多いんです。でも、
数字にはならないけれど、実際の空気には「本当に民主党なんかに政権運営を任せられる
んだろうか」という、ぼやーっとした不安が渦巻いている気もするんですがね。
藤井 分かります。ふわふわした人気だけを頼りにしようと例えば官僚叩きばかり展開し
ようとする人もいるのですが、それは建設的ではない。国民もよくみているから、そんな
浮ついたことでは信頼は勝ち得ないと若手にはいつもいっているんですがね。そういう変
な空気をつくろうとしたり、頼みにしないよう、わたしは“空気の是正”を図っています。
岩見 麻生スピーチを聞いていると、100 年に 1 度って何度もいうけれど、なかなかそうい
う危機的な空気の醸成はできていないね。国民はぴんと来ていない。
加藤 まあ、厳しいことを申し上げれば、空気づくりをしようとする人は一定の信頼がな
いと無理なんですね。麻生首相ももう少し支持率を上げてから主張を前面にだされるとい
いのかもしれませんね。
岩見 そんな、叶わないことをいわれてもご本人も困るでしょうが。(笑)
加藤 空気と世論調査、報道の関係でいうと、最近、地元にいると支援者から「自民党内
で麻生さんの評判は悪いけれど、自民党の先生は、なんだってあんな人を選んだんだい」
と聞かれることがあるんですね。こちらは驚いて、「だって、世論調査で一番人気があって、
選挙にも強そうだと皆さんがいうから。だから、みなさんの意見を尊重して今回は麻生さ
ん、その前は安倍さんが選ばれているんですよ」というと、「私たちはそんなつもりはなか
った」と口々にいう。「でも、新聞やテレビの世論調査はそうなっていたじゃないですか」
というと、「おかしいね」と。それで、新聞社に聞けば、「間違いなくそういう数字だった
から報道した」という。数年前からこれは何か大きな間違いがあるなと危ぶんでいるんで
す。
実は、国民は「誰が総理にふさわしいですか」という質問を、「誰が総理になると思いま
すか」と読み替えてしまっているのではないでしょうか。そして、新聞に書いてあるとお
りの人に丸をつける。政治を知らないと思われるのも嫌だから。ところが新聞社側は「こ
の人がいい」という価値判断と受け止めて報道する。このすれ違いが間違った螺旋階段を
作り上げ、天に上って、総理をつくっているんじゃないでしょうか。
岩見 一億総予想屋……ですか。
加藤 地元の支援者は言いますよ。「僕らは麻生さんのことなんてそんなに詳しく知りませ
ん」と。
岩見 一番悪いのはメディアですかね。
加藤 間違いの出発点ではあります。
藤井 わたしは一般の人も悪いと思いますよ。先ほど申し上げたとおり、自分で判断する
べき時代に入っているのに、責任を持って判断しようという努力が足りないと思います。
自分で判断する力があれば、麻生さんが秋葉原で繰り広げた浮ついたスピーチを聞いて見
識があると思うはずはありません。そう考えないで、ぐるぐる螺旋階段を作るのは、一般
の人にも反省すべき点がありますよ。
加藤 自分で考えるということに関連して申し上げると、昔は一人ひとりが自分の価値判
断でしゃべろうと思っても、いろいろなしがらみがあり、鎖が付いていたものでした。家
庭内の親父の意見なんかもそうでしょう。テレビを見ながら、息子が「この政治家いいな
あ」なんていうと、親父が「まだ、肝が据わってないわい」なんていう。息子は「親父は
古いよ」なんて言いながらも、でも、そういう意見が心のどこかに残ったりしているもの
でした。
地域社会に行くと「お前はいつも観念的なことを言って、判断が直感的でいかん。今度
の地域の祭りで焼き鳥担当の総責任者をやってみろ。人はそう簡単には動かんぞ」なんて
説教される。勤め先でも課長にがんがん叱られる。
二重にも三重にも所属があり、しがらみがあって、自分で判断しようとしても、なかな
か鎖から解き放たれる決断はできない。
藤井 おっしゃるとおり。だからこそ、その鎖を抜け出して、自分で判断しようというと
きには、非常な覚悟を持って判断するから強かった。これが民主主義の根幹だったんです
よ。
岩見 かつてはまとまりやすい社会構造があったということですね。
加藤 だから、空気もひとつになりやすかった。でも、だからこそ、それを越えようとし
たときには強烈にクリエイティブな新しい意見になりえた。その人はあるときは松下幸之
助になって、あるときは偉大な革命家になったりしたんですよね。ところが今は皆、どこ
にも所属していなくて簡単に個人になってしまいます。
藤井 恐ろしいですね。くびきあっての個性なんですよ。だから意味がある。はなから自
由で、白紙で自分で考えろったって、土台、無理な話です。
加藤 空気は使いようでは恐ろしい事態を引き起こします。先ほど申し上げた戦争が最悪
のケースです。それについては日本人は大変に反省している。ただ一方で、現代の空気と
いうものは、当時の空気よりも危なっかしい揮発性で引火性の空気のように思うんですよ。
ちょっとマッチを擦ると、ボカーンと爆発するような。ちょうど、空中 5 メートルくらい
のところに、風船が何十万個も糸も根もなく浮いているような状態をイメージしています。
こんなふうにバラバラになったとき、それでも自分でモノゴトを決められる人というの
は、ほんの一握りなのではないでしょうか。大抵は、根無し草のような有り様に不安にな
って、何かにすがりたくなる。で、あるとき何かがあると、あっという間に熱狂し、さー
っとそちらに流れていってしまう危うさを感じています。それは田中時代の空気との大き
な違いだと思います。
岩見 携帯電話やネットなど、文明の利器が子供たちの社会にも浸透し、バラける社会に
さらに拍車をかけてますね。ますます所属がなくなり、しがらみがなくなる。
加藤 だから、もう一回、せめて家庭の中に人間をつなぎとめることが重要だと思います。
政治がクチバシをはさめる領域ではないんですけれど。
今、あまりきかれない言葉になったかもしれませんが、公立の中学校、小学校に通う範
囲を定めた「学区」や「校区」を今こそ見直すべきだと思います。様々な事情を抱えた家
庭の子供が通う公立の学校に通い、その中で異質な人々とのコミュニケーションを通じて
世の中を知ることができる。親もその学区の中で家族間のタテの関係だけではなく、ヨコ、
ナナメの人間関係を再生できる。わたしは、これがとりあえず現代の唯一の救いの道かな
と。
藤井 何の権限もないのに、叱ってくれる向こう三軒両隣の怖いオヤジとか復活しないと
ね。
岩見 田中時代に比べ、現代の空気は読みにくいのでしょうか。
藤井 田中さんは高度成長がずっと続いた最後の刈り取り人。だから。高度成長に向けて
地に足をつけた国民の意見を読み取り、自分で空気を作っていった。ところがいまはこれ
だけバラバラ。ですから、かつてよりずっと読みにくくなっている。
加藤 昔は読みやすかったんですよ。あまり個人主義ではないし、派閥、家、地域、勤め
先にみんなが所属意識があって、それぞれのくびきの中から出てきたから、そういう中で
自分の意見をまとめて、仲間と意見をすり合わせて雰囲気を作っていくから、皆、どこか
しら糸がつながっていた。その上での空気でした。でも、今のように糸が切れている無数
の人たちが作り出す空気は瞬時に、気まぐれに変わる。なかなか分析不能な心の揺れで変
わってしまう。だから読みにくいんですよね。
岩見 全体的に自己中心的な社会になっていますからね。まあ、この異なる 1 億人をリー
ダーの腕力でまとめるのも難しいんですよね。このところ、KY総理が続いているといわ
れるのだけれど、多少、同情の余地はあるんですよね。
藤井 それはいえます。非常に難しい。
岩見 そういうときにこそ、国民全体が生きていく尺度のようなものをやはり誰かが作ら
ないと。政治家から出ないなら、宗教家でも研究者でもいいんです。方向だけでもほしい
ですね。まあ、そういういい空気が生まれることを祈って、終わることにしましょうか。(笑)
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