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2009年04月29日
護憲派は安保論議から逃げてはいけない
4月24日に、安全保障問題に関する二つのテレビ番組に呼ばれて参加してきた。一つは関西読売テレビの「やしきたかじんのそこまで言って委員会」の収録(放映は5月3日)、もう一つは「田原総一郎の朝まで生テレビ」の実況である。
いずれの番組も、少数の護憲派ゲストが、多勢のタカ派の論客によって罵声を浴びせかけられる、そういう番組である。タカ派の視聴者は溜飲を下げ、護憲派の視聴者は歯軋りさせられる、そんな番組である。
このような番組は、安全保障問題を深く考えない一般国民を改憲派に導くおそれがある。番組の意図もそこにあるに違いない。
しかし、番組を出演した護憲派の一人としてつくづく感じたのは、攻撃されているのは決して平和主義者のほうではないということである。実は追い込まれているのはタカ派なのだ。そのことをつくづく感じた。
たとえば、国を守るのに、「強い軍隊を持つべき」か、「憲法9条を堅持する」か、という単純な二者択一の議論になると、たちまちタカ派が勢いづく。「平和憲法で日本が守れるか、馬鹿なことを言うな」と罵声を浴びせる。スタジオに集まっているサクラのような観客の多くが、そういう時に限って拍手をする。
軍事力か平和憲法か。そのような対立軸で議論を始めればたちまち対立する。平行線を辿る。声の大きいものが勝つ。議論は成り立たず感情論で物事が決まる。だから私はそんな議論にまともに参加する気はない。
そのかわり、各論でタカ派の主張の矛盾を一つ一つ突いていけばいい。そうすればたちどころに彼らは行きづまる。そしてタカ派の間の喧嘩がはじまる。
なぜか。それは国際政治の現実がタカ派を追い込んでいるからである。タカ派の強硬な発言は、無知な世論を誤魔化すことが出来ても、国際政治の現実を誤魔化す事はできないのだ。
たとえば、「自主防衛力を高める事で日本の安全を守る」ことは当たり前だとタカ派は主張する。しかしこの考えはたちどころに国際政治の壁につきあたる。軍事力で国を守ろうとすれば行き着く先は核武装しかない。核武装まで行かなければ、彼らの当面の敵である「核を持った北朝鮮」に勝てないからだ。北朝鮮から脅され続ける事になるからだ。
そして日本の核武装については、田母神氏のような単純強硬派は、わが意を得たりとばかり「その通りだ」と言う。
しかし、多少なりとも国際政治の現実を知っている自称インテリ親米保守派は、「米国はそれを認めない。日本は世界の孤児になる」、と核武装を否定する。
こうして保守・タカ派の間で罵り合いが始まる。
もう一つの大きなテーマである「日米同盟の是非」については、保守・タカ派はもっと追い込まれている。
「米国が日本を守ってくれると本当に信じているのか」と聞けば、彼らは答えに窮する。誰も、内心は、米国が日本を守るなどとは思っていない。特に最近の米国の日本軽視を見れば、誰でもそう思う。
しかし、彼らは決して「米国は日本を守らない」とは言えない。それは彼らの最後の砦である「日米同盟こそ日本外交のすべてである」という考えに、ほころびが入るからだ。いったん日米同盟に疑念を持ち始めると、たちどころに日米同盟神話の崩壊につながる危険がある。それを彼らは知っている。
私はその質問を安倍元首相にぶつけてみた。「おじいさんがつくった安保条約はもはや米国によって否定されているのではないか。ソ連共産主義の脅威を前提にした日米同盟はもはや不要ではないのか」、と。
それに対する安倍元首相の答えが、今の政府・自民党の矛盾のすべてを物語っていた。
「日米同盟は日本の安全の為だけにあるのではない。世界の平和と安全についての共同責任もある。それに、集団的自衛権を行使できない日本にも責任がある。米国が戦っている時に、それに協力しない日本を米国が本気で守る気になるだろうか。守ってもらえるためにも、まず日本は集団的自衛権を使えるような国にならなくてはいけない」という。
これは嘘である。苦しい言い訳である。日本が集団的自衛権を行使しようがしまいが、米国は国益に合致しなければ、日本の為に米軍を動かす事はない。
岸元首相が結んだ安保条約は、世界の平和の実現に向けた日米共同責任などといはどこにも謳っていない。あくまでも日本の防衛のための軍事同盟である。
要するにこのような言い訳をしない限り、もはや日米安保条約を擁護できないのだ。
日米安保条約はもはやその根拠を完全に失っている。だからこそ政府・自民党は「米軍再編への協力」とか、50周年を迎える来年に想定されていると報じられている「新しい日米安保宣言」などという政府決定によって安保条約に代わる新しい政策をつくろうとしているのだ。
しかも、国会条約を結んで堂々と国民の前で審議することはしない。政府決定でこれを行なう。つまり国民の知らない間に日米安保条約を書き換えようとしているのである。
ほかにも争点はいくつかあるが、最後に北朝鮮のミサイル脅威に関する論点を一つだけ述べておく。
今度の北朝鮮のミサイル実験により、北朝鮮のミサイル脅威がことさら強調されるようになった。日本のミサイル迎撃能力を強化しなければならない、という声が政治家の中にも、メディアの中にもあがっている。
いいだろう。確かに北朝鮮のミサイル脅威は深刻だ。それでは、どこまでミサイル迎撃システムを強化すれば日本国民の生命を守れるのか。憎き北朝鮮とのミサイル戦争に勝てるのか。
中途半端な迎撃システムの強化は無意味だ。危険ですらある。北朝鮮のミサイル攻撃を打ち砕くためには膨大な予算が必要だ。
しかし、ただでさえ深刻な国民経済の中で、ミサイル防衛強化に予算を振り向けられるのか。それを国民が許すのか。
それよりもなによりも、すでに何百発もあると言われる北朝鮮のミサイルをすべて撃ち落せるのか。核弾頭を積んだミサイルが一発でも東京に落ちた時、その犠牲ははかり知れないことを本気で考えたことがあるのか。その犠牲を誰が甘んじて受けるのか。その犠牲を覚悟しろと誰が言えるのか。
保守・強硬派の議論は各論に入るとたちまち行き詰まる。だから司会者は決して各論に入ろうとしない。都合の悪い質問になると、たちどころにさえぎり、無視し、矛先をそらして終わりにする。そして最後は必ず憲法9条を唱えるだけでは無責任だ、という事にしてしまう。
これは茶番だ。勝手にそう言っていればいい。そのうちに日本は米国にとって利用価値がなくなる。見捨てられる。そんな馬鹿な事を許してはならない。
護憲派は安保論議から逃げてはならない。安保議論に強くなって、各論で保守・タカ派の矛盾を打ち負かさなければならない。
時代はそこまで進んでいる。そして国際政治の現実は、ますますタカ派に不利に動いていく。馬鹿でない限り、最後は憲法9条のありがたさに気づく事になる。
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