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(回答先: SMAP草g逮捕:「お酒飲んでたからしょうがないとか可哀想扱いする人いるけど、その感覚が分からない」=グラビア女性が指摘 投稿者 月読 日時 2009 年 4 月 25 日 18:38:28)
カルデロン一家報道もそうでしたが、
関連記事:
マスコミの「同情」報道が最悪でしたな。
http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/830.html
まーー 日本人の特徴かもしれませんが、
報道も 報道を見た人も 毎度のコトながら 感情論によりすぎる。
草なぎとかカルデロンとか林ますみとか、そーゆー「ネタ」が出てくると、
多くの人はその対象に対して「自分が共感(同情)できるかどうか」をチェックしてる気がする。
たとえば今、書いてるこの文章だって、読詠んでいるあなたは「自分が共感できる箇所」を探しているのではないか。
そうした「共感チェック」も第一次的にはあっていいだろう。
しかし、民主主義とは「共感チェック」は性質が異なるものだ。
それがわかってない人が多い。
選挙を思い出して欲しい。
選挙で議員に投票するとき、誰に投票すればいいのか?
「自分が共感する人」だろうか?
それは少し違う!
「市民としての自分を幸せにしてくれる人」である。
市民とは何か。civil society(市民社会)という概念がある。
「市民が良くなることは市が良くなることだ。市が良くなることは県が良くなることだ。県が良くなることは日本国が良くなることだ。日本国が良くなることは世界が良くなることだ」ということだ。
選挙はそれらの領域をチェックすることだ。国政なら日本国。知事選なら、県域。市議会選挙なら、市だけが対象となる領域だ。それらが相互関係にある。
市民というと日本では左翼的なイメージがあるが、そのイメージは関係ない。ただの無理解である。(右翼も当然、市民である)
このため、選挙は「自分が共感するか否か」というよりも「市民社会を幸せにしてくれるかどうか」が重要視される。極端にいえば、自分が共感しない人でも構わないのだ。市や県を良くしてくれた結果、間接的に相互関係の宇で、自分が幸せになれるようになるのであれば。
詳しくは、ヨーロッパの地方自治か何かの本を参照されたし。
そしてこれらの、「市民としての自分が幸せになれる相互関係を作る」というのは、選挙だけじゃない。恋愛や結婚だってそうだし、国際紛争の解決方法もそうだろう。
恋愛がわかりやすい。
「相手に共感できるかできないか」でつきあうと、必ずといっていいほど、いやなところを発見してしまい、もしくは発見されてしまい、気づいたら別れてる。(笑)
そうした近代的な相互関係の常識を踏まえると、
「共感チェック」なるものは、どこまで必要かは疑わしい。
もし「共感チェック」至上主義の傾向が、若い人に限定されるものだとしたら、
年長者は、経験が多いぶん、共感ではない部分でも何かあるよね、とある程度は理解できるのだろう。
では、草なぎ事件やカルデロン事件で「共感チェック」ではない、何が必要なのか。
もはや簡単だろう。
「公正な法執行がなされてるか、どうか」である。
草なぎは良い奴か悪い奴か、とかカルデロンには共感できるとかできないとか。そんなの関係ない。
厄介なことに、法律や何らかのルールよりも感情論のほうが「上位概念」であるのが日本だ。勘弁して欲しいね。
まず、「共感チェック」はやめよう。賛成派も反対派も。無意味だ。
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