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これからの経済政策と経済思想 - 加藤紘一オフィシャルサイト
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投稿者 児童小説 日時 2009 年 4 月 17 日 09:13:23: nh40l4DMIETCQ
 

加藤紘一オフィシャルサイト

これからの経済政策と経済思想
新自由主義以降の新しい経済運営と政治の復権について

経済物価調査会 講演
場 所:自由民主党本部
講演日:2009年4月1日

「これからの経済政策と経済思想」というレベルの高いテーマにしては、今日は4月1日、きわめてエイプリルフール的な講師が参りまして失礼いたします。
ただ、私が呼ばれましたのは、10年前の金融危機のとき「自社さ」3党政権の政策調整会議議長を1年間、その後党幹事長を3年間やっておりましたので、その時の経験を話せということだと思っています。当時、政権に社会党も入っていましたので、いろんなことがどんどんできました。1996年の総選挙のときは、消費税を3%から5%に上げるといって自民党は勝利しました。自負して言えば、先進国の大きな選挙で、大きな税目のアップで戦って勝った唯一のケースではないかと思います。これも「自社さ」の枠組みの中で、いろんな議論とプロセスを尽くしてできたことです。

2001年に小泉さんが総理になって一年後、私は議員を辞めておりました。一年半バッジを外していました。その間、友人であるジェラルド・カーティス教授の誘いを受け、コロンビア大学で授業を受け持っていました。カーティスさんのアシスタント程度の軽い気持ちで受けたのですが、最終的には100人ほどの学生を相手に英語でたどたどと授業をするはめになりました。つらい作業でした。

その授業の中で、学生たちが興味をもったことのひとつに、「小泉改革」がありました。例えばある日の授業で、イギリスから来ていた学生が私に「小泉改革とサッチャー改革との違いは何か」と質問に来ました。
私は、「小泉改革には、キース・ジョセフがいない」と答えました。
キース・ジョセフ、この名前に学生は納得し、カーティスさんも「そう、ジョセフなんだよね」と言っていました。
キース・ジョセフというのは、保守党の星といわれた、サッチャーと同期の国会議員です。当時1970年代、保守党は野党でしたが、間違いなくこの男が保守党の党首になりそしてイギリスを背負うだろうと言われていた人物です。ところが、あることでマスコミの餌食になって以来弱気になり、彼は党首と首相をサッチャーさんに任せて、自分は理論家としてサッチャーイズムを裏から支えました。
実は、サッチャーは「女性でも国のリーダーシップを取れるようになるべきだ」とは考えていたけれども、自分がやれるところは大蔵大臣が精一杯かなと内々思っていたようです。しかし、キース・ジョセフの禅譲でチャンスが生まれ、党首になったのがサッチャーイズムの始まりと言われています。
 当時イギリスは、労働組合も国営企業もわがままし放題というイギリス病の時代でした。キース・ジョセフは、小さな経済問題研究所にいたフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマン等と徹底して議論しました。二人とも、後に大成してノーベル賞を受賞しますが、この頃はまだ新進の学者です。彼らは議論を重ね、ケインジアン(ケインズ学派)の政策はやたらと非能率な政府部門をつくる、国営企業を温存するし、労働組合、特に公務員・公企体労組をはびこらせるだけだ、という結論に至りました。当時としては、まだ大変マイナーな主張でしたけれども、彼らはそれを理論化し、キース・ジョセフが全国の保守党組織に「イギリス病の処方は、マーケットの中で全て決めていくマネタリストの道しかない」と熱心に説いて回ったのです。その熱心さは、マッドモンク(狂信的な修道僧)と言われるくらいでした。
1979年サッチャーが総理になると、その政策がだんだんと適用されていくのですが、当初は全く人気がありませんでした。彼女もふらふらして、もう終わりかなと思ったときにフォークランド紛争が起き、そこで一歩も引かない態度で派兵し勝利したため、彼女はそちらの方で人気が出たのです。そうしたら政治は面白いもので、じゃあ彼女の言っている経済思想もいいのかもしれないとなったわけです。こうして、後に特定の経済思想と特定の政治家の名前が合体する、近代における最初の政治家となりました。

このサッチャーイズムがその後レーガンに行き、日本で中曽根さんのところに伝わり───小泉さんに伝わったとみていいのかどうか……少なくとも、竹中さんはそのような流れでマネタリストとして───いずれにしても大きな流れになったわけです。
1970年代から80年代、イギリスは鉄道から鉄鋼から石油から航空から、全部公営企業体でやっていましたから、それらを民営化するのは正しい選択だし、よくおやりになったと思います。ある時、労働組合と全面対決して彼女が勝ちを収めて後、この流れが全世界の政治の主流となりました。わが国でも、一番きれいな形で現れたのは、中曽根さんの国鉄民営化でしょう。
当時、国鉄労組というのは春闘の花でした。自民党の官房副長官だった海部俊樹さんと国労書記長の富塚三夫さんのテレビ論争なんていうのは花でした。それにあこがれて我々もああいうのやってみたいなぁなんて思っていたものです。それほど、国鉄労組っていうのは、この国の政治とか経済を牛耳ってたとこがあったんです。それが今日のように民営化して、東京駅通るとき、「やぁ先生、ご苦労様です」なんていわれると「このサービスの良さ、考えられない」なんて思うほど・・・素晴らしい変化を遂げたのだと思います(笑)。
前置きが長くなりました。冒頭の小泉改革とサッチャー改革の比較についてですが、
まず国民の政府に対する過大な期待というものをできるだけ少なくしていくという点では同じだと思います。すなわち、プラバタイゼーション(privatization・民営化)とうのは正しい道です。前に言ったように、国鉄民営化や電電公社、専売公社民営化は正しい。郵政民営化について言えば、国が何も生命保険や損害保険を経営する必要はないし、170兆円も保有する銀行業務をやる必要もないと思います。ただ、郵便事業は国でやらねば成り立たないし、山村僻地での年金などの決済機能は保障されるべきです。全体的に言えば、小泉改革では、まぁ民営化が大体終わったようなときに残り物をやり、しかも過度にやってしまったみたいなところがあるんじゃないかと思います。

そのやり過ぎの一つが、道路公団の改革劇。面白いケースでした。キース・ジョセフがいたらあれをどう評価したでしょう。多分「何やってるかわからない」と言ったと思います。道路公団というのは、もともと民営団体なんです。道路っていうのは、採算でやるものではないのです。でも戦後できるだけ早く道路をつくりたかったときに政府にお金がないものだから、料金を取って採算が合うところは、具体的には東京 ━ 名古屋間の建設を、世界銀行からお金を借りて通行料を取って返済することにしました。会社方式です。見事に成功しました。次に名神をやって成功。その後あちらこちらで作り始めたら、「道路っていうのは公団が作るもんだ」とみんなだんだん思い込んだ。国会議員もそう思い込んで、建設省の下請け企業たる道路公団に陳情に行くようになったんですね。私も必死に行きました。先輩議員も行きました。そうしたら道路公団がちょっと勘違いして「道路局よりうちが中心だ」と、全部引き受けるようになって。しかし、採算が合わないところも引き受けることになる。そういう所は料金プール制にして儲かった所のお金を回して作ることになりました。まあ、東京・大阪近辺で儲けた金で、日本海沿岸の方の高速道路を作る。こういう制度だから、私たちも「いい制度だな」と思って一生懸命陳情してました。しかし、道路局は冷静で、「あなたたち、出来ないことは止めなさい」と公団に言うようになる。「とりあえず援助として金利が3%になるような利子補給をしてあげるからね。北海道なんかそうしないと作れないでしょ」っていうことで、北海道には3%道路っていうのを作りました。でも、まだ道路公団は自分たちが全部やるという気持ちを捨てなかった。組織防衛本能とはそんなものですね。
道路公団改革劇の2〜3年前、建設省はさすがに「止めなさい」と、「こっちによこしなさい」といったら抵抗して大喧嘩になったらしい。こんな風に公団民営化の騒ぎになりました。小泉さんは、東名の海老名インターチェンジにガソリンスタンドが一カ所しかないとか、あそこのハンバーグはうまくないとか蕎麦屋も競争させたほうがいいという、その観点からやったのでしょうけれども、メディアのほうは、「道路だって競争原理を働かせるべきだ」というような大きな勘違いをして「民営化した方がいい」と。もともと民営化されてるものをそういったものですから、道路局の方はさっとそこをいただいて、「とにかく民間でできないものは私のところに返してよこしなさい」といって、「新直轄方式」というものを作りました。そうして採算合わない我々(東北)のような所は「採算は合わない地域です。でも道路が必要です」といったら、「わかりました。道路局も頑張ります」っていうような感じで、今、公団時代より予算がついてます。キース・ジョセフは天国で「何やってんの?」みたいなことを言ってるんじゃないかと思います。

もう一つは政府系金融機関の話です。私は、これらを民営化するにあたり、政策金融の役割が世の中にあるはずだと思っていました。「政府系金融を全部なくして、いいのかな、いいのかな……」と思いつつ、私もだいたい中途半端な人間なもので、「世の中そうなるのか、仕方がないな」と思っておりました。しかし、今回の金融危機になって、政策投資銀行の活用が必要になっています。
英国病退治からガンガンガンとやってきたのは正しかったし、わが国もやってきた。しかし、経済運営には、政治の復権、政治の分野ということがあるわけですから、どういった機関は残すべきかというのは、今をいいチャンスとして捉えてしっかり議論すべきだと思います。

次にサッチャー改革の中で、もう一つの問題は、マネタリズムという主義主張のことです。これは、学者さんや柳沢さんのように経済理論の専門家の人に議論していただきたいとつくづく思います。ただ、お金の流し方で経済発展や資源有効活用、インフレ阻止・価格安定がうまくいくんだというのは、確かにうまくいけばいいのだろうが、この30年間、世界の経済政策は、お金の流れがつまったり過大になったが故に大騒動になったことばっかりだった。たとえば南米の経済危機や、13〜4年前の東南アジアの金融危機もそうです。わが国の金融危機もそうでしょう。そして、今度はそれの最終決算みたいな大事故が起きているのだと思います。初期の金融危機はわかりやすいものでした。たとえばタイ及び東南アジアの場合は、外国から来たいろいろなファンドが短期の金を入れて急に引き上げてしまったので、マンション業者がお手上げになってしまったという、わかりやすい話です。わが国の金融危機も、どこどこのマンション業者がけしからんとかなんとか、お金が流れて行った先が見えた。金が流れていった先、赤字になった先が具体的な社長の名前とか企業の形でわかったものだった。ところが最近のはそこがわからなくなった。ここがポイントなんじゃないかと思います。
世界の金融資産が、GNPという実態を離れて過大に増加していることがそれを証明しています。30年前、サッチャーさんたちが改革を始めたとき、全世界のGNPとそのときの金融資産というのは1対1だったんだそうです。今、全世界のGNPは約50兆ドル前後ですが、全世界の金融資産は160〜170兆ドルぐらいです。つまり、当時1対1だったものが、3.5倍ぐらいになっている。人間が働いて何がしかの貯金を貯めていくと、30年経って、1年間の働き分ぐらいは財産として残ったというのは何となく健全な感じがしますね。ところが、3年分も4年分も貯まるものでしょうか。日本みたいにやたらと経済発展の調子がよく貯金ばかりする癖のあるところは3倍になっているのはわかります。500兆円のGNPに対して、家計部門の貯蓄が1500兆円くらいになっているわけです。現在、世界GNPの10%くらいは日本、30%くらいはアメリカが占めています。このアメリカは借金ばかりしているし、政府が減税というと還付がまだこないうちにその分だけ使ってしまうような過剰消費の国なわけですが、そのアメリカが3割を占めるような世界GNP。その3.5倍もの額に金融資産がなっている。何故なんだという疑問がどうしても抜け切れません。データをお配りします。
(※添付資料『世界の金融資産の推移』ご参照)

1980年、サッチャーが政権についたころです。世界の金融資産は12兆ドル、世界GNPが11兆ドル。ですから倍率にして1.1。それが2.0倍になり、2.3倍になり2000年には2.9倍。2007年は、かなりピークまでいって3.6倍。2009年はラフな推計ですが2.6倍に落ちたと。つまりサブプライムローン問題の間に50兆ドルに及ぶ金額がなくなっている、つまり資産価値が落ちた。問題は、それが信用不安になると金融資産の146兆ドルって一体何なんだということです。みんな考え始めるとわからなくなってしまいます。でも人間というのは、一回自分の財産の中にこれだけの金があったと思うと、それから縮んでいくというのは耐えられないことです。世界の金融資産はこれからもっと減っていくんじゃないかと思います。せめて2.0倍とか1.7〜1.8倍までは下がっていくプロセスを世界で経験するのではないでしょうか。
やはりどう考えても、わけのわからない金融資産というものがあります。この先は私の素人的な直感なのですが、AIGのCredit Default Swap(CDS)、あれが一番危ないと思います。事業会社に金融機関がかなり無理して信用創造して貸したものを、万が一回収できないリスクが発生したらうちが保険でみてあげるよ、と。
どんなに理論的に説明しても、危ないリスクヘッジの仕組みだと思います。アメリカの金融危機というのはまだ静まっていないし、世界の金融構造にこういう部分があるのだから、まだまだこの先はわからない。
というわけで、この委員会におけるご検討と、政策決定に大変大きな期待を寄せております。よろしくお願いします。

さて、では国際金融の不健全さにみんなが気づいていたかということです。私は、いろいろなエコノミストに過去10年お話をうかがう中で、ある方のおっしゃることがかなり正確にポイントを押さえておられるものですからずっとご指導いただいておるのですけれども、その方の見かたから言うと、こういう金融危機は来るはずだと思っていました。そんな時、去年の5月頃でしたが、もと米国連銀理事のローレンス・リンゼーさんに会いました。彼は、ハーバードでサマーズ(ローレンス・サマーズ、クリントン政権で財務長官)と1、2を争っていた優秀な人です。サマーズはああやって出世して、リンゼイも連銀の理事になって、若手のバリバリでサマーズと張り合うくらい嘱望されておったのですが、ブッシュ政権のカール・ローブ(次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問)と折り合いが悪くなってぶっ飛ばされちゃったんですね。でも、今も知的で健康で、ゴンゴンやってます。その彼と一緒に食事をする機会があって、私から「グリーンスパンという人は、サブプライムなどの金融危機をわかってなかったのだろうか」とお聞きしました。そばに今日も出席なさっている我が党の同僚議員がいましたけれども……。
そう聞きましたら彼は、こう言いました。
「サブプライムローンは、実は自分が理事のとき、もう一人の仲間の理事と発案したのです。そのときは景気対策だった。プライム金利で家を建てるような人は、建て終えていて、住宅需要が少なくなっていたので、これではいけないと思って、その下のレベルの借り手を考えると、ダウンペイメント(頭金)の30%というのがネックだった。そこで、頭金なしのローンを自分が提案して制度化したら大変伸びた。自分が連銀の理事を辞めるときまでは、住宅ローン全体の6%だったものが、その後政治家がどんどんシェアを増やしてしまったのだ。政治が悪い」
みたいなことを言ってました。私は、「グリーンスパンの話はどうなったのかな?」って思ったんですけど(笑)。
そこからの教訓は、やっぱりアメリカでも間違うことがあるし、ウォール街の人達も間違うということ。

その後、去年7月にわが国の政府関係者に「いずれアメリカ発の金融危機がくるだろうから研究してますか?」と聞いたら、「何のことですか?」って言われたので、私は相当ショックでした。危ないなと思いました。
ところが9月7日に、日中友好協会の会長として北京を訪問した際、胡錦濤主席と一時間ほど会談する機会がありました。会談の前々日、旧友の武大偉外務次官に会って六者会談の話を聞き、「ところで、明後日お宅の親方に会ったとき、アメリカ発の金融危機が起きた場合の対応について討議したい。若干専門的な話になるので、ブリーフィングペーパーを上げておいてくれないかなぁ」と言ったら、驚くなかれ武大偉はこう言いましたね。
「加藤さん、ブリーフィングペーパーを私が上げるなんて僭越です。うちの胡錦濤は、今時間があれば全ての時間を充てて、中央銀行頭取や経済学者を次から次に呼びその対応を研究しています。我々外務省がペーパーをあげるなんて恥ずかしくて出来ない。思う存分話し合って」と。
いざ、胡錦濤氏との会談が始まり、私は、「そういう危機が来たとき、アメリカを助けられるのは、3つの国・地域しかない。一つはアラブ産油国。ここが2兆ドルの外貨を持つ。次がお宅の1兆8000億ドル。その次、日本が約9000億ドルくらい。合計この5兆ドルくらいがアメリカを支援する能力ある国・地域なんだけれども。そして、サポートするとなると、国内政治的には非常に苦しく危ないところがあるけれども、せざるを得ないのではないかと思うが、どうですか」と聞いたのです。
すると、胡主席は、何のペーパーも見ずにじいっと私を見て話し始めました。私は、少々中国語がわかるものですから、彼が言いよどんでいるのか、いないのか、わかるのですが、考えつくしたような言葉で「そのとき我々は、アメリカ、日本、その他の国々と強調して世界金融危機封じ込めと、世界マクロ経済の発展のために協力します。その用意をしています」と言いました(その他の地域といったのは、アラブ産油国と言いたくなかったのでしょうね)。
会談後、私はその通りに同行記者にブリーフィングしたのですが、日経以外はこのことの重大さを理解しなかったようで書いていませんでした(笑)。
このとき、相当な迫力で胡錦濤氏は答えて、会談終えてから控え室で「この議論を加藤さんとできて本当に嬉しかった」と言って、議論したこと自体に満足していたと聞きました。
ですから、中国の危機感は相当強烈なものがあったのでしょう。さりとてアメリカドルで持っている外貨リザーブを急に変えることはできないでしょうし、しょせんドルが基軸通貨である以上難しい話なわけです。ですから、そう思いつつよく見ると少しずつ抵抗したり、少しずつシェアを変えたりしているようです。

最後に、申し上げたいのは、本当に金融で全て経済をコントロールするというマネタリスト的な発想というものが、どこまで通用するかという問題です。これはよっぽどの監視機構に調整機能を持たせないと世界経済の将来の安定的な発展のためには問題を残す、という視点は、今後強く持たなければいけないと思います。
また、世界で一番優秀だと思われてきたジューイッシュ(ユダヤ)の人々でさえ、今回のような世界金融危機を起こす。間違いを起こすということです。そう思っておりましたら、オバマさんが就任後始めての記者会見で、議会の民主・共和に呼びかけて言いました。
「今度の経済再生法案を是非通してほしい。これが通らないと、10年前の日本みたいになりますよ。日本は危機に当たって、何もできず、何も決定できず、何も行動しなかった。その後失われた10年を彼らは経験したのです。そうなりたくなければ法案を通してくれ」と。
失礼な話だと思いましたよ。冗談じゃないです。我々は、遅かったかもしれないけれど、まず第一に外国に迷惑をかけませんでした。
あの時、民主党が新しい政党としてあり、菅直人氏が党首でした。で、自民と対決のし始めですから、なかなかうまくいかなかったのですが、その時に、国対委員長の古賀さんと、官房長官の野中さんが私に「加藤前幹事長、どうにもならん対立になったので、菅直人さんと交渉してください」って言うから、「私は、もうポジションを外れたからできない。ポジションを外れて2カ月経ったらもう浦島太郎だ」と言って何度も断ったのですが、ついには「こんにちはの一言でいいから」電話しろって言うんですね。それで、「こんにちは」って電話したら、菅氏がですね、「加藤さん、一体何やってるんです。こんなことで日本発の国際金融危機ということになったら、国の面子がつぶれますよ」と。
それから約1時間、電話でずーっと話しました。そして、お互いに政策新人類を出し合って、国会の場で協議しようということになって、我がほうからは塩崎、根本、安倍の諸氏、向こうから五十嵐、枝野諸氏が出てきて、その上に重鎮がコントロールしながら、現場では委員会でそれら若手が議論しあって、二つの法案を通して、なんとか乗り越えたわけです。日本はそこまでやったんです。
小沢一郎さんが後に、菅氏のやったことについて「あの時自民党の足を引っ張っておけば、政権交代と菅政権が出来たのに」と言ってだいぶ非難していたようですが、菅氏は「あの時、ああするしかなかったんだ。加藤さんだけはわかってくれますね」というから、「いや、わかるどころか感謝する」というと、「私はそれだけでいいんです」といってました。相当な覚悟を持ってわれわれと協調したと思います。

金融の絡むトラブルっていうのは、国境を越えて、瞬時を待ちません。今後わが国でも、再びこういう場面に遭遇することがあるのではないかと思います。そのときにはやはり(与野党が)協調態勢できるような日本でありたい。それと、失われた10年というけれど、あの10年で我々のGNPはマイナスにはなったことはない、ということはいえるのではないかと思います。

さあ、最後に今後のことですけれども、私は次のように思います。完全に市場に任せることはできない、さりとて全て政府が決定するなどと言う馬鹿なこともできません。
するとその妥協点は何か。
まず第一に、命まで奪うような経済競争はいけません。これは一つの公理です。
第二に、人権を揺るがし傷つけるようなこともやっちゃいけない。これも公理。
第三に、最近の新しい公理ですが、環境を壊すような競争というのは、人々は許さないだろうと思います。 それから第四の公理というか、我が国にとって重要な公理になるべきだとつくづく思うのは、地域社会を根底から壊してしまう激しい競争は、日本人は受け入れないということです。
サッチャーさんは「世の中には、個人と国家しかない」と演説をぶって「社会なんていうものはない」といって当時大論争になったことがありますが、我々の国では、社会っていうのはどうあるべきかという視点は必要なものです。特に我々のように自然崇拝に基づく多神教で、みんなで「和」をもって生きていく社会、ホモジーニアスの社会では、コミュニティを壊すような政策は、しょせん長続きしないと思います。50億の年俸をとるアメリカ金融界と、メガバンクの頭取でさえ1億とらない日本。この違いは何なのだと。お金は世界どこでも動き回るはずなのに、日本に来ると1億、2億取ったらスキャンダルになる。ここはどう考えるか? グローバリゼーションというのは、それぞれの国の社会システムまで壊すことはできないのだということです。これを今度の金融危機を機会にしっかり考えてみたいものです。
例えば、お父さんお母さんのご遺体を、鳥に食べさせてそれで親孝行できて幸せだと思っているチベットの人に、山形の風土で作られた映画『おくりびと』のような社会を一緒にやれっていったって無理な話なんで。それぞれ違うんだろうと思いますね。ですから、地域社会を壊す競争というものには、ある種の限界があるのではないか、というふうに思います。例えば、佐賀の福岡資麿議員から聞いたのですが、佐賀市で、あるビッグスーパーが13年前開店し、付近の商店街をシャッター街にした。ところが売れ行きが落ちたので、同じ市内の4.6キロ離れた別の街道筋に移した。そしたら繁盛したんだけれど、以前のところはシャッター街になってそのまま。これは、競争原理、経済原理からいったらごく当たり前のことなのだけれども、佐賀の地域社会にとっては大変なことなのです。果たしてそれが許されるのかどうか。
地域社会を守って、科学技術で知的所有権を増やし、アジアに応援して、アジア内需、アジアの内需もわが国の内需みたいな幅の広さで持って経済運営をしていくのがこれからの方策ではないか。
それから、長期にわたるゼロ金利政策というのは、毎年30兆円に上る金利を家計部門から奪い、銀行へ移行し、それを通じて事業会社へ行く。また低利の金を国に貸しているシステムですから、いつまでも続いていいとは思いません。やはり2.5%くらいの金利がつくような社会ではじめて内需が振興されるのではないか、そう思っております。

どうもありがとうございました。

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