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【官僚が支配する日本民主主義人民共和国】官僚のドン売る魔「自民党には捜査は及ばない」
http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/647.html
投稿者 官からアメリカ人へ 日時 2009 年 4 月 15 日 11:11:40: Dx5sTVjBq/alo
 

検察vs政治の歴史的対立を考えれば、
小沢代表秘書逮捕は国策捜査ではなかった
上久保誠人(大学講師)

【第21回】 2009年04月14日


東京地検特捜部は小沢一郎民主党代表の公設第一秘書・大久保隆規容疑者を政治資金規正法違反(虚偽記載など)容疑で起訴した。しかし、小沢代表は「不公正な権力の行使」「(秘書の起訴を)納得できずこのまま認めれば日本の民主主義のあり方にかかわる」と、検察を批判した。

 民主党内には小沢代表の辞任を求める意見が強いものの、鳩山由紀夫幹事長が「国策捜査」との認識を示すなど、検察の捜査そのものに対しては疑問を呈している。一方、自民党は「国策捜査などあり得ない」と、民主党を強く批判した。今回は、果たして検察による「国策捜査」はあるのかを、「検察vs政党政治」の約100年間に渡る戦いという歴史的観点から考えてみたい。

平沼騏一郎による政党政治潰し
「検察VS政党政治」は、平沼赳夫衆院議員の祖父で、検察官僚であった平沼騏一郎の台頭から始まったと言われる。ちょうど100年前の1909年、製糖を官営にしようとして大日本製糖の重役が手分けして金を配った「日糖疑獄」という事件が起こった。代議士に次々と逮捕者が出たために、当時の桂太郎首相は検察に対して捜査の停止を要請した。これは、「政治による司法への介入」であったが、桂首相と交渉した当時民刑局長だった平沼は、これを逆手にとれば「司法が政治に介入できる」ことに気付いた。そして汚職事件に関連している政治家を罪に問うかどうかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとする「政治的検察」が誕生した。

 1914年、「ジーメンス事件」が起こる。ジーメンス社東京支店のタイピスト、カール・リヒテルがある秘密契約書および仕様書を盗み、ヘルマン支店長が日本海軍高官にリベートを渡しているとして金をゆすろうとしたことがドイツで発覚した。検事総長に昇格していた平沼はこれに目を付けた。平沼の指揮によって検察が政治へ介入した。そして、マスコミと帝国議会が山本権兵衛首相を泥棒呼ばわりし世論を煽った。当時、山本内閣は大行財政改革を打ち出していたが、議会の紛糾によってそれは頓挫し、遂に内閣総辞職した。しかし、事件が沈静化した後、山本首相が全くの無罪であったことがわかった。

 1925年、普通選挙法を議会で審議中の加藤高明内閣に平沼は接近した。そして普通選挙法の成立を検察が妨害しないことを条件として、加藤内閣に圧力をかけて治安維持法を成立させることを認めさせた。この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党や共産党を弾圧した。検察は政党政治を徹底的に破壊しようとしたのである。

 そして1934年、平沼は枢密院副議長として、「帝人事件」の捜査を陰で操った。中島久万吉商相、三土忠造鉄相ら政治家、大蔵官僚らを次々に逮捕し、斉藤実内閣が総辞職した。しかし、この事件は実に逮捕者約110人を出しながら、公判では最終的に、全員が無罪となった。「帝人事件」は空前のでっち上げ事件と言われる。

検察は戦後民主主義を潰した
 第二次世界大戦後、1947年4月の総選挙では社会党が第一党に躍進し、民主党と連立で片山哲内閣が発足した。保守と革新が交互で政権を担当する健全な議会制民主主義が日本に定着する可能性があった。しかし検察はこの政権を容赦なく攻撃した。

 当時、政党への政治献金は届出制となっていたが、社会党の西尾末広書記長が50万円の献金を受けながら届けなかったとして起訴された。これは本来、形式犯として起訴に値しないもので、最終的に西尾は無罪となった。

 更に、昭和電工の社長が占領軍の民政局や政官界に接待や献金の攻勢をかけた「昭電事件」という贈収賄事件が起きた。大蔵省主計局長・福田赳夫を筆頭に官僚13人、西尾を筆頭に政治家15人が逮捕起訴され、民間人を入れると計64人が裁判にかけられたという大事件となった。しかし、この事件も最終的に被告のほとんどが無罪となった。

 西尾は議会制民主主義を志向する現実主義者であったが、この2つの事件で社会党内での発言力を失った。逆に、マルクス・レーニン主義を基づいて社会主義の衛星国を目指し、米英で発達した議会制民主主義を破壊の対象と考える左派が社会党内で実権を握った。そして、社会党が政権担当能力を持つ政党に成長する機会は断たれてしまった。

検察との戦いと、
政権交代への戦いは切り離すべき
「検察VS政党政治」の歴史を振り返ると、小沢代表の公設秘書起訴は「国策捜査」ではないことがわかる。検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにする「政治的思惑」を持って行動しているのだが、検察と政治は対立関係にある。逆に言えば、検察と政治が一体となって行動する「国策」はあり得ないのだ。今回、検察は政権交代間近と見て民主党潰しに動いた。自民党がターゲットでなかったのは、「国策」だからではなく、自民党がもはや検察が相手にもしないほど衰退したということではないだろうか。

 小沢代表が検察と徹底的に戦おうとするのはなぜだろうか。それは、自民党の幹部だった時代から「ロッキード事件」「リクルート事件」「佐川急便事件」などで検察と戦ってきた長い経験から、検察が政党政治を敵視し、破壊しようとしてきたことをよく知っているからだろう。「検察から政党政治を守る」という小沢代表の使命感は理解できなくはない。しかし、それでも小沢代表は辞任すべきである。

 検察と戦うことが、自民党と戦うことと同じではないからだ。「小沢代表vs検察」の戦いと、政権交代を巡る「民主党vs自民党」の戦いは、全く別次元のものだからである。民主党はこの2つの戦いを早く切り離すべきなのである。小沢代表には辞任してもらって、「1人の政治家」として「検察vs政党政治」100年戦争の決着という使命感を持って裁判を戦ってもらえばいい。その一方で、民主党は政権交代を目指し、自民党との戦いに集中すべきであろう。そして、この政権交代の戦いは岡田克也氏など若手リーダーに世代交代して行えばいいのである。

参考文献:金子仁洋『政官攻防史』文春新書 1999年

http://diamond.jp/series/kamikubo/10021/?page=2  

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