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【痴呆力w】「靖国にイヤサカあれ!」と叫びながら「両陛下のイヤサカエを祈念」と宣う阿呆太郎のヒ・ミ・ツ(笑)
、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
/ ̄ ̄\ }仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
/ \ lミ{ ニ == 二 lミ|
|:::::: | {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::::::::: | {t! ィ・= r・=, !3l < 靖国にイヤサカあれ!
.|:::::::::::::: | `!、 , イ_ _ヘ l‐' \ 両陛下にはイヤサカエを
|:::::::::::::: } Y {.┬=、__` j ハ ̄"''─-、\ 祈念しますけどね。
ヽ:::::::::::::: } ,. -‐ へ、`ニ´ .イ / / ,, -‐‐ヽ \________
ヽ:::::::::: ノ /、 |l`ー‐´ / / -‐ {
/:::::::::: く / l l |/__|// /  ̄ /
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弥栄に「穢(え」)」を付けるって
どういう言語センスしてんの?
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http://www.sanspo.com/shakai/news/090411/sha0904110504005-n1.htm
(1/2ページ)
(産経新聞)社会
麻生首相、両陛下の前で漢字読み間違え
2009.4.11 05:03
麻生太郎首相(68)は10日、皇居・宮殿で開かれた天皇、皇后両陛下のご結婚50年の「祝賀行事」に参列、三権の長らを代表して述べたお祝いの言葉の中で、繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と言い間違えてしまった。最近は自身でも注意を払っていたのか、「KY」(漢字読めない)で話題になることもなかったが、緊張の席で思わずすべった!?
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http://www.sanspo.com/shakai/news/090411/sha0904110504005-n2.htm
(2/2ページ)
麻生首相は衆参両院議長や大臣ら50人とともに宮殿「松の間」に並び、両陛下の前に一歩進み出て、紙は持たずに祝辞を述べた。
その中で、ご結婚50年を「誠におめでたく存じます」とした上で「両陛下のますますのご健勝と皇室の“いやさかえ”を心から祈念し、国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」。“いやさかえ”とは漢字で「弥栄」。正しくは「いやさか」と読む。
これに対し、陛下は「祝意を表されたことを感謝いたします」と応じられた。
宮殿では10日午前、宮内庁長官や侍従長ら宮内庁幹部、皇宮警察幹部らが相次いでお祝いのあいさつ。続いて三権の長らが祝賀、麻生首相が代表してお祝いの言葉を述べる段取りだった。
1月31日、スイス東部のダボスで行われた世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、「決然(けつぜん)」→「けんぜん」、「見地(けんち)」→「かんか」、「基盤(きばん)」→「きはん」と読む3連発。“KY世界デビュー”を果たしたが、これを最後に2月、3月は「KY」(漢字読めない)で話題になることもなかった。
この間、タレントのテリー伊藤さん(59)とNHK番組で対談(3月15日)。テリーさんから「なぜ原稿にふりがなを振らないのですか!?」と突っ込まれ、「原稿をあまり見ていないからというのが(原因として)大きい。原稿に目を落とすようにしないといかんという反省はあります」などと答えていた。
今回、麻生首相の手に原稿はなかった。両陛下の「祝賀行事」という緊張による言い間違いか、それとも「いやさかえ」と信じ切っていたか。とにもかくにも「KY伝説」にまた新たな1ページが加わった。
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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090411ddm005010046000c.html
(毎日新聞)政治
麻生首相:皇室の「いやさかえ」 両陛下の前で…
(毎日新聞 2009年4月11日 東京朝刊)
麻生太郎首相は10日、祝賀行事や記者会見で言い間違える場面が相次いだ。
皇居・宮殿松の間での天皇、皇后両陛下の結婚50年の祝賀に閣僚ら約50人と出席した首相は、参列者の代表として両陛下の前で、紙を見ずに繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と述べ、「皇室の“いやさかえ”を心から祈念し、国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」などと語った。
午後5時からの首相官邸での記者会見では、「社会保障」を「社会保険」、09年度の「国債発行額」を「国債発行残高」、「公共事業の占める比率は2兆4000億」を「2兆5000億」と言い間違え、官邸報道室が訂正を発表した。
毎日新聞 2009年4月11日 東京朝刊
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http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090410AT1G1001T10042009.html
(日経新聞 09年4月10日)社会
「いやさか」を「いやさかえ」 首相、祝賀行事で言い間違え
麻生太郎首相は10日、結婚50年を迎えられた天皇、皇后両陛下の祝賀行事に出席した際、繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と言い間違えた。麻生首相はこの日午前、宮殿「松の間」での祝賀に閣僚ら約50人と出席。紙は持たず参列者代表として「皇室の“いやさかえ”を心から祈念し、国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」などとあいさつした。(23:54)
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●以上の記事のように、阿呆太郎は天皇皇后両陛下に面と向かって
「“イヤサカエ”をココロからキネンし」と宣ったわけだが、その一方で、
以下のように、靖国神社に対しては、ちゃんとルビまでつけて
「弥栄(いやさか)あれ」と言っている。
「弥栄」という言葉は、「ますます」という意味を表す接頭語の「弥(いや)」に
「栄(さか)ゆ」(古語ではヤ行下二段活用)などの語基で、「さく(咲)」・「さか
る(盛)」・「さかす(栄)」などと同じ語素である「さか」が結合した複合語で、
「ますます栄える」さまを表す形容動詞(ナリ活用の古語)である。
だから、どんなに強弁しても、「いやさかえ」という物言い(=言葉遣い)は
不適切であり、正確にいえば“間違い”だと言わざるを得ない。
参考までに『国語大辞典』(新装版、小学館、1988年)では「いや」と「さか」を
次のように説明している。
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いや【弥】
〔副〕(接頭語「い」が、物事のたくさん重なる意の副詞「や」に付いたもの)
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さか【栄】
〔語素〕栄える意をあらわす。「さか枝(え)」「さか映(は)え」「豊さか」など。
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いやさか【弥栄】
T (形動)いよいよ栄えること。ますます栄えるさま。
U 〔感動〕繁栄を祈って叫ぶことば。万歳。
いやさか‐おんど【弥栄音頭】 富山県の民謡。「はあいやさかさ」とはやすところからの名称。
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言葉は“生き物”であるから、時代や地域いって、さまざまな変異型(ヴァリエイション)
が生まれることは、否定しようがない。
だが、言葉は、さまざまに形を変えていく“生き物”であると同時に、言語や文化
の規範としての側面もある。
「弥栄」は、皇室の繁栄を祈念するなどの特殊な場面でしか使われない言葉である。
これを無理に現代風に“変態”させて使うは、無理があるし、伝統的な文化が培って
きた言葉の美しさを破壊することになるだろう。
たとえば現代では、「朝日(あさひ)る」とか「火病(ふぁびょ)る」のように、「名詞+ル」で
新たな動詞を作るという、醜悪で安直な風潮が蔓延しているが、「弥栄(いやさか)る」
などというコトバが現れたら醜悪であろう。
阿呆太郎は、天皇皇后両陛下に面と向かって「いやさかえ」などと醜悪なる
変態コトバを用いたくせに、どうして3年前の夏には「靖国に弥栄(いやさか)あれ」
と書いていたのだろう?
今上天皇とその妻に対しては変態コトバであしらっても構わない、という
一種の差別的な判断からだったのか?
靖国神社には正しい言葉をつかい、天皇皇后両陛下にはイイカゲンな
変態コトバをつかっても、かまわないと考えたのだろうか?
おそらく、そうじゃなかろう。 いくら麻生太郎が阿呆でも、そうした差別的思惑は
なかったと思いたい。
もっとも蓋然性が高い推測は、阿呆太郎が、そもそも「弥栄」の正しい読み方を
知らなかった、というものであろう。
つまり、3年前の「靖国に弥栄(いやさか)あれ」は、ゴーストライターが創作したか
原稿整理で稚拙な表現を書き直したのだと推測できる。 だから、ご丁寧にも
「靖国に弥栄(いやさか)あれ」などと、丸カッコで読み仮名まで付いていたのだ。
これは阿呆太郎が自分で書いた文章ではないことの傍証であろうと推察される。
阿呆太郎は、今のいままで「弥栄」の読み方を知らずにきた。 その状態で、
天皇夫婦の金婚式を迎え、その式典で、「いやさかえ」と宣って、自分の無知を
さらけ出したのであろう。
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麻生太郎オフィシャルウェブサイト
http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html
2006年8月8日
靖国に弥栄(いやさか)あれ
麻 生 太 郎
【靖国神社についての私見です。なお、新聞投稿もこの文章も、外務省や、外務大臣としての立場とはなんの関係もありません】
1. 常に根と幹を忘れずに
靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。わたしに言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。
わたしは靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬよう心がけて参りました。
それでは靖国問題で発言しようとするとき、忘れてならない根と幹とは、何でしょうか。
大事な順番に、箇条書きにしてみます。
(1) 靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になった りすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳(おごそ)かで静かな、安らぎの杜(もり)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。
いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。
靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならないと考えます。論議が紛糾したり、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはなりません。
(2) 靖国神社にとって、「代替施設」はあり得ません。
このことは、靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。
記憶には、誇るべきものがある半面、胸を張れないものもあることでしょう。しかし死者にまつわるものであるからには、総じて辛い、哀しいものです。それらすべて、一切合財を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国に見出してきました。これは引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりできないものです。つまり靖国には、代替施設はつくれません。
高浜虚子の有名な句に「去年今年 貫く棒の 如きもの」があります。この句に言う「棒の 如きもの」が、靖国にはあるのだと思っています。これを無くしたり、むげにしていると、ちょうど記憶を喪失した人が自分とは何者か分からなくなってしまうのと同じように、日本という国が、自分を見失い、碇を無くした船さながら、漂流してしまうと思います。
(3) 上の(1)と(2)の土台にあるのは、国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない、という普遍的な原則です。「普遍的な」というのは、これが国と国民の約束事として、世界中どこででも認められていることだからです。
国家とは、国民を戦場へ連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在でした。だとすれば、国家の命に応じてかけがえのない命を捧げた人を、当の国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であり、自明の理です。戦後のわれわれには、この当たり前の理屈がピンと来なくなっているかもしれません。何度でも強調しないといけないゆえんです。
(4) 「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことでしょう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれません。しかし確かなこととして、明治以来の日本人には、上の(3)で言った国家との約束事を、天皇陛下との約束として理解し、戦場で死に就いてきた経緯があります。
ですからわたしは、靖国に天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じているのです。
2. いま、何をすべきか
この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。わたしの立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、なんとか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、わたしとしてくみすることのできないものです。
3. 現状の問題点
ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。
(1) 政教分離原則との関係
靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家であるわたしがこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなどは、宗教法人に対する介入として厳に慎むべきことです。
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われねばならないと考えます。
(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86.8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57(1982)年当時154万人を数えました。それが平成17(2005)年には15万人と、10分の1以下になっています。
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44(1969)年に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。
4. 解決策
以上に述べたところから明らかなように、山積する問題解決のためまず必要なのは、宗教法人でない靖国になることです。ただしその前に2点、触れておかねばなりません。
(1) 「招魂社」と「神社」
靖国神社は創立当初、「招魂社」といいました。創設の推進者だった長州藩の木戸孝允は、「招魂場」と呼んだそうです。「長州藩には蛤御門の戦いの直後から藩内に殉難者のための招魂場が次々につくられ、最終的にはその数二十二に達した」(村松剛「靖国神社を宗教機関といえるか」)といいます。
このような経緯に明らかなとおり、靖国神社は、古事記や日本書紀に出てくる伝承の神々を祀る本来の神社ではありません。いま靖国神社の変遷や歴史に触れるゆとりはありませんが、設立趣旨、経緯から、靖国は神社本庁に属したことがありません。伊勢神宮以下、全国に約8万を数える神社を束ねるのが神社本庁です。靖国はこれに属しないどころか、戦前は陸海軍省が共同で管理する施設でした。また靖国の宮司も、いわゆる神官ではありません。
(2) 護国神社と靖国神社
第二に触れておかねばならないのは、上のような設立の経緯、施設の性格、またこれまで述べてきた現状の問題点を含め、護国神社には靖国神社とまったく同じものがあるということです。靖国神社が変わろうとする場合、全国に52社を数える護国神社と一体で行うことが、論理的にも実際的にも適当です。
(3) 任意解散から
それでは靖国が宗教法人でなくなるため、まず何をすべきでしょうか。これには任意解散手続き以外あり得ません。既述のとおり、宗教法人に対しては外部の人が何かを強制することなどできないからです。また任意解散手続きは、護国神社と一体である必要があります。
言うまでもなくこのプロセスは、靖国神社(と各地護国神社)の自発性のみによって進められるものです。
(4) 最終的には設置法に基づく特殊法人に
その後の移行過程には、いったん「財団法人」の形態を取るなどいくつかの方法があり得ます。ここは今後、議論を要する点ですが、最終的には設置法をつくり、それに基づく特殊法人とすることとします。
名称は、例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法人化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるため、祭式を非宗教的・伝統的なものにします。これは実質上、靖国神社が「招魂社」といった本来の姿に回帰することにほかなりません。各地の護国神社は、靖国社の支部として再出発することになります。
なお設置法には、組織目的(慰霊対象)、自主性の尊重(次項参照)、寄付行為に対する税制上の特例などを含める必要があるでしょう。
(5) 赤十字が参考に
この際参考になるのが、日本赤十字社の前例です。日赤は靖国神社と同様、戦時中に陸海軍省の共管下にありました。母子保護・伝染病予防といった平時の事業は脇に置かれ、戦時救済事業を旨としました。講和条約調印後に改めて立法措置(日赤法)をとり、元の姿に戻すとともに、「自主性の尊重」が条文(第3条)に盛り込まれた経緯があります。
(6) 財源には利用できるものあり
併せて靖国社の財源を安定させる必要があります。このため利用できるのが、例えば独立行政法人平和祈念事業特別基金のうち、国庫返納分として議論されている分です。
平和祈念事業特別基金とは、「旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない方」や、旧ソ連によって強制抑留された帰還した方などの労苦を偲ぶためなどを目的とし、「新宿住友ビル」にある「平和祈念展示資料館」の運営や、関係者の慰労を事業とするため、国が400億円を出資し昭和63(1988)年に設けたものです。資本金のうち半分に当たる200億円は、国庫に返納されることが議論されています。
これを全部、または半分程度靖国社の財産とすることで、靖国の財政を安定させることができるでしょう。また靖国を支えてきた財団法人日本遺族会は、公益法人制度の改革を受け新たにつくられるカテゴリーの「公益財団法人」として公益性を認め、こちらの基盤も安定を図ります。直接の支持母体である「靖国神社崇敬奉賛会」は、そのまま存続させればいいと思います。
(7) 慰霊対象と遊就館
それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。
注意していただきたいのは、この時点で、宗教法人としての靖国神社は既に任意解散を終えているか、その手続きの途上であるか、あるいはまた過渡期の形態として、財団法人になっているかしていることです。すなわち慰霊対象の特定、再認定に当たり、「教義」は既に唯一の判断基準ではなくなっています。
さらに靖国神社付設の「遊就館」は、その性質などにかんがみ行政府内に、その管理と運営を移すべきだと考えます。その後展示方法をどうすべきかなどの論点は、繰り返しますがこのペーパーで最初に述べた「原点」に立ち戻りつつ、考えられるべきです。
5. 最後に
ここまでを整えるのに、何年も費やすべきではありません。このペーパーで述べてきた諸般の事情から、靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた246万6000余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。
政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。
中国や韓国を含め、諸外国首脳の方々にとっても、もはや参拝を拒まなければならない理由はなくなっています。ぜひ靖国へお越しいただき、変転常なかった近代をともに偲んでもらいたいものです。
以 上
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