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[机上の妄想]ドナウ・ベントにある“南欧の飛び地(センテンドレ)”に見る「グローバリズム」の光と影
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090412
【画像0】センテンドレの「中央広場」と「紋章(守護のヤギ/Goat of arms)」(前の画像はhttp://www.continentaltravel.hu/UserFiles/Image/old_pics/Szentendre%202_1.jpgより、後の画像はhttp://en.wikipedia.org/wiki/Szentendreより)
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【プロローグ】Csárdás(Czardas) - Monti [feat. Vengerov and Patkoló]
[http://www.youtube.com/watch?v=qeNKiilwpdk:movie]
【画像1】センテンドレの「俯瞰イメージ」とロケーション(前の画像はWikipediaより、後の画像は加藤雅彦『ドナウ河紀行』(岩波新書)p104より転載)
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【画像2】旧ユーゴスラビア(クロアチア・セルビア・モンテネグロ・コソヴォほか)の地域フレーム(加藤雅彦『ドナウ河紀行』(岩波新書)p138より転載)
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(ユーラシア中央〜バルカンにおける侵略的グローバリズム(民族移動・抗争・混交)の歴史/概観)
今、世界を覆っている暗鬱な空気の原因となっているものが<米国発グローバル市場原理主義=新自由主義思想による独善的な改革ドグマ>の影の部分であることは論を待ちません。この<新自由主義思想による改革ドグマ>の侵略的・搾取的本性を直視するならば、それは、あたかも中世〜近世にかけて中東欧〜西欧に対し大いなる脅威と恐怖を与え続けたオスマン・トルコ帝国の<侵略的&陵辱的グローバリズム>のプレッシャーに重なるものを連想させます。
5世紀頃にアジアの遊牧民フン族(Hun/北匈奴と同一とする説が強い)がヨーロッパへ進入すると、現在のポーランドからウクライナ辺りに分布していたスラブ族も移動を開始します。彼らの中で北東・南東へ向かったのが東スラブ系のロシア人・白ロシア人・ウクライナ人で、南方へ向かったのがユーゴスラビアに拡がるスラブ系の人々、西へ向かったのが西スラブ系のポーランド人・チェコ人・スロバキア人です。
このようにしてスラブ人がドナウの流域の南北に広く分布することになった訳ですが、9世紀になると、その中央部(ハンガリー/その中心部がドナウ・ベント周辺)へ東方遊牧民系のマジャール人(フィン・ウゴル語族/5〜6千年前のウラル山脈地方に発し北欧から東欧に広がるウラル語族に属し、ハンガリー語・フィンランド語・エストニア語などを含む)が侵入してきます。
9世紀末、首長アールパード(Arpad,/位896-907/アールパード朝初代の君主)に率いられたハンガリー人の七部族は、同盟を結んでいたモラヴィア(チェコの南東部にほぼ重なる地域)を滅ぼしカルパチア盆地を占領しました。つまり、初代のアールパード朝ハンガリー王国は、ドナウ流域に拡がるスラブ民族の中央部へ恰も東からクサビを打ち込むような形で成立したのです(出展:ハンガリー歴史アルバム(メルハヴィア社、ブタペスト))。
一方、ドナウ下流域(ルーマニアを中心とするトラキア地方)には古代ギリシア時代から今のルーマニア人の祖先となるダキア人(インド・ヨーロッパ語系)が住んでおり独自の文化を花咲かせてきました。ローマ皇帝トラヤヌス(Marcus Ulpius Nerva Trajanus/位:98-117)の時代のローマの属州ダキアとなった経緯からローマ人とダキア人の混交が進み、東欧では珍しいロマンス系言語のルーマニア語が公用とされています(ラテン系文化の孤島とされる所以)。しかし、その一方でハンガリーおよびドイツとの交流にも深い歴史があります。
このような事情から、1989年の中東欧解放後も中欧南部からバルカン半島にかけての地域(旧ユーゴスラビア地域/参照、【画像2】)で民族紛争の種が絶えないことは周知のとおりです。そもそもユーゴスラビアとは「南スラブ人の国」の意味で、それは第一次世界大戦後に生まれた新しい国家でした。その南スラブ人は、数世紀にわたり、ハプスブルクとオスマントルコの両帝国によって南北に分断・支配されてきましたが、第一次世界大戦後に米ウイルソン大統領が提唱した「民族自決の原則」によって、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、ポーランド、バルト三国などが独立した訳です。
これらの中でもユーゴスラビアは特別の事情を抱えています。バルカン半島におけるこの地域は、歴史的に見ると、南北と東西で対立する政治権力は素より、多様で異質な宗教と文化が次から次へと押し寄せた回廊のような地域です。つまり、カトリックと正教諸派、ヨーロッパ・ビザンツ・トルコ文化、そしてスラブ・ゲルマン・ハンガリー民族・・・という具合です。そして、今もその激しい対立の根を残すのが「北部のスロヴェニア人・クロアチア人」(カトリック)と「南部のセルビア人」(セルビア正教)の対立(ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦/参照 → http://www.geocities.jp/paz_del_mundo/bosniah1.htm)です。これに、コソヴォ自治州におけるセルビア人(セルビア正教)とアルバニア人(半数以上がムスリム/正教会・カトリックの信者も存在)の対立(コソヴォ紛争/参照 → http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20070204A/)が影を落とします。
かつて、1914年6月28日、ボスニアの都サラエヴォを訪問中のオーストリア(ハプスブルク)皇太子夫妻が、セルビアの「大セルビア主義」を掲げる民族組織に加担した一青年によって暗殺された「サラエヴォ事件」(汎スラブ主義vs汎ゲルマン主義)によって第一世界大戦が開始(ドイツの支持下でオーストリアがセルビアに宣戦布告)したことは周知のとおりです。結局、同盟国側(中欧同盟/ドイツ、オーストリア・ハンガリー二重帝国、ブルガリア、トルコ)の敗戦によって大戦は終結し、その流れの中でセルビア人主導のユーゴスラビアが誕生しました。しかし、既に見たとおり、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦、コソヴォ紛争など旧ユーゴスラビア内での民族対立の火種は消えておらず、今もバルカン半島が「欧州の火薬庫」である意味は変わっていないようです。
(中・東欧におけるグローバル市場主義の影と光/動揺しながらも新たな方向性へ収斂しつつある金融・経済)
4月2日、ロンドン金融サミットが「大規模な政策協調」を打ち出したため一応は深刻な危機感が弱まったような空気が流れていますが、近年において急速な経済成長を遂げてきた中・東欧諸国が、米発金融危機の直撃を受けて苦境に嵌ったと報じられたのは、つい半月ほど前のことです。特にEU拡大の流れに沿って巨額の資金を貸し込んだ西欧諸国の危機感は極限に近づいていました。実は、この西欧諸国による「対中・東欧等への巨額貸し込み問題」は、「米国発のCDS(Credit Default Swap)問題」(参照、下記▼)とともに世界経済を根底から揺るがしかねない<金融時限爆弾>に喩えられてきた深刻な問題です。
▼「CDS金融時限爆弾」と「米SEC&経団連の腐敗」が予兆する「市民・理性ルネサンス」への期待、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090102
<参考データ>西欧が中・東欧等へ貸し込んだ主な債務額 [( )内は対GDP比、出典:2009.3.31朝日新聞]
チェコ1859億ドル(106%)、ハンガリー1450億ドル(105%)、セルビア241億ドル(61%)、ブルガリア397億ドル(100%)、ルーマニア1188億ドル(725)、ウクライナ534億ドル(38%)、ラトビア406億ドル(149%)、ロシア2147億ドル(17%)・・・合計8222億ドル、約82兆円(minimum)
このため、ハンガリーにおける独自通貨(フォリント)安の発生(外貨建て住宅ローンの破綻などアイスランドに似た問題が発生)、ラトビアでの不動産バブル崩壊など極めて深刻な国民生活への悪影響が目立ち始めています。一方、資金の貸し手である西欧諸国の中でも、特に大きく貸し込んできたスウェーデン、ドイツ、オーストリア、フランスの金融機関に不良債権化を懸念する動揺が走りました。その合間を縫ってロシアが影響力を画策し始めたとの情報も流布しました。しかし、当然ながら、この問題の背景には拡大EUによる「東方の経済統合戦略」があります。そこで、問題の背景を少し広く見ておきます。
2004年5月〜2007年1月に加盟したEU10(ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ブルガリア、ルーマニア)の名目GDP総額は、未だオランダ一国ほどですが、一方、人口規模からすればEU10はドイツを上回る1億人超であり、市場としての潜在力はとても大きく、それ故にこそ、多くの欧米企業がこの地域へ進出してきたという経緯があります。それに加え、中・東欧には非常に複雑な地理的・文化的・グローバル交流史的な背景があるため金融・経済だけの分析では歯が立たぬので歴史的・文化史的・人類学的・宗教的・地政学的な考察が必須となります。
<参考データ>オランダ等のGDP関連データ(出典:JETRO)
オランダのGDP(名目)=総額6703億49万ドル、国民一人当GDP=41046ドル(以上、2006年) 人口=1632万人(2004年)
OECD加盟国の一人当たりGDP順位(出典:http://blog.livedoor.jp/kasutori/archives/50221639.html)・・・( )内は2000年度の額と順位 *はユーロ導入国[資料(政府2006年度調査報告より)、http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h18-kaku/percapita.pdf]
1.ルクセンブルグ 88,840(46,225 1位)*
2.ノルウェー 71,857(37,472 2位)
3.アイスランド 53,446(30,859 6位)
4.アイルランド 51,421(30,859 9位)*
5.スイス 51,306(34,667 4位)
6.デンマーク 50,791(29,989 7位)
7.アメリカ 43,801(34,571 5位)
8.スウェーデン 42,264(27,277 8位)
9.オランダ 41,020(24,185 12位)*
10.フィンランド 39,796(23,544 14位)*
11.イギリス 39,573(24,639 10位)
12.オーストリア 39,064(24,195 11位)*
13.カナダ 38,978(23,621 13位)
14.オーストラリア 37,710(20,737 18位)
15.ベルギー 37,674(22,637 16位)*
16.フランス 35,572(21,859 17位)*
17.ドイツ 35,368(23,120 15位)*
18.日本 34,252(36,790 3位)
19.イタリア 34,252(19,271 19位)*
20.スペイン 27,925(14,422 20位)*
例えば、EU対ロシアの関係は一筋縄でゆかぬ問題の典型です。EUの多国籍企業は既にロシアへ進出しており、その意味でユーロ経済圏はロシアまで到達しています。一方、ロシアは産油国であるためドルと結びついています。このためロシアの自国通貨ルーブルは、ドルとユーロの「通貨バスケット制」(ドル65%、ユーロ35%)を採っており、ユーロとドルの双方からの影響を無視できない状態です。また、資源国ロシアの経済は、石油とガスの輸出がルーブル高を誘発する構造となっているため、一方では、そのことがロシアの製造業を苦しめることになります。
従って、現実的には、強い競争力を持つ西欧先進諸国の製造業あるいは流通業がロシアへ進出することでロシア国民の経済基盤を押し上げることが期待されており、このような意味でのEUとロシアの地政学的・地理的優位性に基づく結びつきに対する米国の警戒感には相当なものがあります。また、当然ながら、ロシアの豊富な資源はEUにとり不可欠な存在であるので、「ロシアの資源」と「EUの非資源部門」(製造業・流通業など)の相互補完性は非常に高いものであることが理解できます。
ところで、EUとロシアの間には中・東欧を挟んだデリケートな綱引き関係があります。例えば、市民革命で共産党政権を倒して市場経済を導入したチェコ、ハンガリー、ポーランド三カ国は、初めから反ロシア・親EUでありヨーロッパへの回帰を旗印にしてきた経緯があります。しかし、チェコはクラウス政権が長く外資に対する閉鎖政策を採ったため、市場経済が本格化したのは1998年にクラウス政権が退陣してからです(参照 →http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761556878_6/content.html)。
一方、スロバキア(首都=ブラチスラヴァ)は、チェコスロバキア当時の「ビロード革命」(参照 → http://www.revo.uh-oh.jp/revo/b.html)で民主化したはずですが、産業構造が軍需等の重工業に偏重していたため、親ロシア路線を採り、市場経済が本格化したのは1997年以降です。また、1993年にスロバキアがチェコから分裂したことにも、この問題点が関係しています。無論、分裂の背景はそれだけではなく、そこには同じ西スラブ人に属しながらも根強く存在してきた、歴史的なチェコ人(文化・産業の先進地域チェコ)とスロバキア人(農業中心の後発地域スロバキア)の対立感情が影を落としています。
なお、チェコ、ハンガリー、ポーランドの三国は、中・東欧の中で最も早く議会制民主主義が根付いたうえに、ドイツとオーストリアに接していることもあってEU諸国等からの「海外直接投資」(FDI/Foreign Direct Investment)が最も早かった地域(開始1995年〜)ですが、一方で、これら三国はナショナリズムと独立・自尊意識が強く(政治的には中道右派左派が拮抗)、通貨ユーロへの参加へも独自の考え方を貫いており、また財政赤字の問題も抱えることから、今のところ通貨ユーロには未参加となっています(チェコ=コルナ、ハンガリー=フォリント、ポーランド=ズウォティ)。なお、スロバキアは本年1月から通貨ユーロを導入しています。
EU15(先進EU諸国/フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イギリス、デンマーク、アイルランド、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、フィンランド、スウェーデン、オーストリア)とEU10(新規EU加盟諸国/ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ブルガリア、ルーマニア)の時間当たりの賃金格差を見ると、<EU10平均=EU15平均の1/4>というデータ(2004年)があります(出典:財務省委嘱/中・東欧諸国に関する研究会レポート/H19年3月/国際通貨研究所)。また、今回の中欧旅行でハンガリーの地元ガイドから得た『オーストリアで月収20万稼げる能力の人が同じ仕事をハンガリーでやっても月収6万にしかならないという格差』だという情報もあります。
いずれにせよ、このような状況を概観するだけでも「EUの東方統合戦略」がグローバル市場経済とFDI(海外直接投資)を介して中・東欧諸国へプラスとマイナスの両面から大きな影響を与えつつあることが分かります。また、当然ながらマイナス面で早急に克服すべきは(無論、これは中・東欧だけの問題ではありませんが・・・)、特に新自由主義政策(ネオリベ政策)へ傾斜しがちなグローバル市場経済がもたらす「格差拡大の問題」です。ただ、「グローバル市場経済の影(弊害、マイナス面)」と一口で言い切ることは、やや乱暴に過ぎるかも知れません。それは、グローバル市場経済とは言っても、米国流の戦略(これからオバマ政権がどのように舵を切り、チェンジできるかは未知数!)とEU戦略には次のような点で明らかに理念と手法の違いがあるからです。
・・・米国よりEU型グローバル市場経済の方が優位と見るべき観点・・・
●歴史・文化・宗教・地政学的つながりから、欧州に比べ中・東欧における米国の存在感は薄い
●中・東欧など発展途上国が求める、きめ細やかな基本生産財(後述のミーディアム・ハイテク分野)あるいは生活必需品の生産で米国企業には比較優位が見当たらない
●米国が得意な「先端的IT部門」だけで中・東欧およびバルカン諸国の国民経済建設の支援は不可能
●EU諸国には中・東欧諸国の重化学工業化を促進してきた実績がある・・・特に、ミーディアム・ハイテク分野(medium high-tech=生活環境支援型の製造業・流通業・金融業分野)で・・・
●EUの東方拡大がもたらす果実の方がEU10の政治・社会的不満を凌駕している
●歴史的・伝統的社会を地盤とするEU諸国(EU15→EU10)には「巨大な所得格差」や「人権保護・福祉制度の崩壊」は許さぬという強い意志が存在する
●拡大EUの基本には、米国が捨ててきた「グローバリゼーションと地域主義(リージョナリズム)」の均衡を重視する視点が存在する
●同じく、EUには「新しい経済社会モデル」(=ロバート・B・.ライシュのコトバで言えば暴走する資本主義(参照、下記◆)とは異なる資本主義モデル)を提起するという動機が潜んでいる
◆国民主権を侵す「資本の暴走」を「政治のチェンジ(変革)」に擬装する連立与党らの犯罪、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080726
なお、下記の穀物自給率データ(OECD)に見られるとおり、第二次世界大戦後の社会主義下の計画経済によって重工業化が進められたとはいえ、ハンガリー・チェコなど中・東欧諸国は概して農業国としてのベースを維持しており(ポーランド農業は就業人口の大きさに対する生産性の低さが問題となっているが・・・)、特にチェコでは農業生産性の向上が目立つようです。無論、その背後にはEU財政支出の40%を占める共通農業政策(Common Agricultural Policy=CAP)によるCAP補助金(農業収入、食品の安全と質、環境的に持続可能な生産の保証を名文とする農家への直接支払)の存在があります(参照 → http://www.deljpn.ec.europa.eu/union/showpage_jp_union.afs.agriculture.php)。
<参考データ>OECDによる穀物自給率
日本22.4%、韓国25.3%、ポルトガル27.75%、スイス50.5%、ノルウェー64.8%、イタリア77.6%、米国125.0%、スロバキア140.6%、ドイツ147.8%、ハンガリー153.7%、チェコ198.6%、フランス329.0%[出典:韓国農村経済研究院が2009.4.6に発表した報告者「OECD加盟諸国の穀物自給率」、http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98420&servcode=300§code=300]
一概に、このような農業事情によるとは言い切れませんが、「購買力平価基準で換算したGDP」(バスケット方式で選択した共通必需品を尺度にして調整したGDP)で比較すると、EU25におけるEU10(ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ブルガリア、ルーマニア)のGDPシェア(EU10の占有率)が「名目GDP比=5.9%」から「購買力平価基準で換算したGDP比=11%」へ大きく変化することが観測されており、これは「EU戦略の成果」の一つなのかも知れません(出典:財務省委嘱/中・東欧諸国に関する研究会レポート/H19年3月/国際通貨研究所)。
しかしながら、このような「マクロ解析データ」と「ハンガリー・チェコの路上観察での印象=あの豪奢な大宮殿と余りにも対照的で、却って“その異形ゆえ、ある種の威厳と凄み”すら感じさせる<負け組みなどの軽薄なコトバでは表現不可能な本物の乞食>がやたらと目立ったこと」の整合性が容易には取れないことも事実です。おそらく、この二つ(平均的・仰視的・線遠近法的視点と触知的視点/参照、下記★)の大いなる矛盾の並存・共存こそが中・東欧諸国とバルカンの社会的現実(リアリズム)なのかも知れません。いずれにせよ、EU10の中・東欧およびバルカンに属する国々は、「拡大EUの理念への信頼」と「その新しい経済社会モデル」の提起の方向性にこそ明日への希望を繋ぎ止めつつあるのかも知れません。
★「触知型崇高美」への無理解で「擬装右翼の暴政」に凌辱される日本国民の不幸、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080813
そして、このように見てくると、政権政党が21世紀の確たる国家理念を描くこともできないままに「西松建設=民主党・小沢問題=腐敗しきってカビまで生えた政治権力中枢と官憲とメディアの癒着=政権の下僕と化した官憲の強権発動とマスゴミのメディア・イベント(=“バカは何人寄ってもバカ”という竹中平蔵式“バカな過半の国民(大衆)の活用法”を信奉する“記者クラブ制度”に甘んじつつ“権力寄りの情報操作機関化(=下請 or 日雇派遣業務化)”したマスコミの大衆操作/参照、下記▼)による<偽装民主主義・大衆お笑い劇場>のザワついた空気が充満しつつある日本の現実はまさに危機的と言うべきでしょう。
▼『竹中平蔵式リアリズム』(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略)の作り方、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106
そこで興行されているのは“何事につけ、それは他人(ひと)事だヨ〜ン!”をテーマとし、“飽くなき自腹肥やしを最終目的とするお笑い三文オペラ”です。その周辺を厚化粧のオドロオドロしいテレビ芸者たちが踊り狂っています。しだいに、NHKニュースのアナウンサー、キャスターらの話法は、キム・ジョンイルを天空高く持ち上げる<北朝鮮の絶叫型テレビ放送>に酷似し始めています。
ひたすら内向きな「北朝鮮ファシズム体制」ソックリに伏魔殿化した劣悪な政治環境の中で、それは、日本の民主主義をますます劣化させる一方です。今や、暴走したグローバル市場原理主義(=小泉劇場以降の国民主権を冒涜した対米隷従ネオリベ政策)がもたらす深刻な“経済&意識格差社会”の現実を何ら為す術(すべ)もなく無責任に放擲したままの麻生マンガ政権下で、“何も真実が見えず、何も当然のことが考えられぬ”まで呆けた大衆は、“下劣な欲得尽くの娯楽ワイドショーやゴマ摺りニュースショー”を与えられながら、続々と登場する「芸能タレント政治家」へ拍手喝采を送りつつ、その日暮らしを強いられています。
このような日本の現実は、先進民主主義国家の一員を標榜するには、余りにも恥ずべき「ギャグ・マンガ」の一コマのよう思えてきます。ひょっとすると、これは「ヒトラーの建築家」とされたアルベルト・シュペーア(Berthold K.H. Albert Speer/1905-1981)の『廃墟価値の理論(Ruinenwerttheorie)』(←ヤラセ or 偽装世界遺産の理論?)を信奉する“麻生政権の黒子役の演出家”が数千年先の未来においてマンガ美学的に優れた「廃墟国家・日本」を創るため密かに取り組む『究極の世界遺産=麻生式お笑いマンガ国創りの陰謀』ではなかろうか、とすら思われてきます。
なお、更にここでは中・東欧諸国の「教育(理念)改革」(欧州では、中・東欧諸国のEU加盟、単一通貨ユーロの導入など、その発展と経済圏の拡大に伴い起業家やビジネスマンあるいは国民一般の主権者意識のレベル向上を図ることの意義を再認識して教育へ注力しつつある)と「新たな社会保障問題への対応」の動向(米国ネオリベ型・401K方式の綻び問題の波及)などについても概観すべきかも知れませんが、それは機会を見て稿を改めることにします。
<関連参考情報>
・・・これまでの記述と関連するため[2009-04-01付toxandoriaの日記/ドナウ・ベントからの連想/「偽装捜査 or 捜査ミス」で歪曲され退行する日本の民主主義、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090401]へのコメント&レスを以下に転載しておきます。・・・
もえおじ
『ハンガリーの金融危機が深刻な中で、Magyar Suzuki は、現地で貴重な産業となっているのでしょう。
ハンガリーTVの映像だと思いますが、http://www.youtube.com/watch?v=NxFJpYK7KeY& feature=related&fmt=18 を見つけました。 日本でも Splash のCMが流れていましたが、背景の街はエステルゴムではなくて、イタリアのトリエステだそうです。』(2009/04/07 18:14)
toxandoria
『“もえおじ”さま、Magyar Suzuki=CMの面白い映像をありがとうございます。
昨年末のことですが、ハンガリーは大不況による減産対応のため全従業員(エステルゴム工場)の20%相当の約1,200人を一時解雇とするとの情報がありま した。一方、チェコの『トヨタ・プジョー・シトロエン・オートモビル・チェコ』(トヨタ自動車とプジョー・シトロエンの合併会社)は、ちょうど同じ頃に 「累計生産台数100万台を達成した」という景気の良い発表を出していたようです。
今回、さっとチェコ・ハンガリー両国を駆け抜けただけ の印象で語ることは危険かも知れませんが、どうも庶民レベルの需要に照準を当てたMagyar Suzukiの戦略の方が現地の人々からは好感を持たれているような気がしました。目視観察による単純な印象ですが、チェコ・ハンガリー両国ともに、道路 を走り回る自動車の7〜9割は、かなり老朽化し薄汚れた中古車であったような気がします。特に、ハンガリーは、その割合が9割以上と見て間違いがなさそう です。
それに、無論、チェコとハンガリーの経済格差(2007年・国民一人当GDP額/チェコ16,956.4ドル、ハンガリー 13,745ドル・・・JETROデータ)などの諸条件も考慮すべきでしょうが・・・。因みに、OECD・30カ国の中で18位までランク落ちしたとされ る「日本の国民一人当たりGDP額」(2006年)は、34,252ドルで、これはチェコ(2007年)の2.02倍、ハンガリー(同)の2.49倍で す。
ハンガリーの現地ガイド(ブタペスト大学で日本語をマスター、その後大阪外大へ留学して修士論文・学位を取得/ブタペスト大学で日本 語の講師をやっているが、それだけでは食えないのでガイド業を兼ねる女性)がオーストリア(西欧)とハンガリーの“経済格差の具体的実感法”を教えてくれ ました。・・・それによると・・・『オーストリアで月収20万稼げる能力の人が同じ仕事をハンガリーでやっても月収6万にしかならない』という格差だと言 えるそうです。
これは、前に引用した国民一人当GDP額の比較(チェコはハンガリーのca1.24倍)では見えない“実感=庶民レベルの 現実”だと思います。それは、御多聞に漏れず、ネオリベ(新自由主義)政策とグローバリズムは、チェコとハンガリー両国でも<大変な格差問題>を引き起こ しており、その目に余る酷さは日本を遥かに越えているように見えたからです(例えば、オーストリアと違って、これら両国では“凄みがある本物の乞食”(この表現は?ですが・・・)がとても多かった)。』(2009/04/07 22:25)
もえおじ
『toxandoria さま、興味深い話ありがとうございます。
ス ロヴァキアやハンガリーにとっては、EUに加盟すること自体によって、グローバリズムに巻き込まれて大変な格差問題を抱える結果となっているのでしょう。 頑張って成功すれば西欧と同じように豊かになれるけれど、そうでなければ(物価は上がり、質の悪い商品が売れなくなっているので)むしろ貧しくなる。
逆説的ですが、格差が存在するおかげでEUが成り立っているとも言えます。 『オーストリアで月収20万稼げる能力の人が同じ仕事をハンガリーでやっても月 収6万にしかならない』としても、ハンガリーから出稼ぎに行って簡単に月収20万稼げるとも思われません。 職場では、言葉の問題もあるでしょうし。
西欧では、EU東欧拡大で経済移民が押し寄せて、仕事が奪われるという懸念があったのですが、実際にはそれは起きていません。むしろ、東欧への工場移転による製造業の空洞化のほうが問題になっているようです。
ハンガリーでは、今まで外国企業を誘致する産業政策を取ってきたために、自国の企業は育っていません。 ですから、金融危機で外国からの借入金の返済を迫られると、まず手厚い社会保障費が削られることになります。』(2009/04/08 17:17)
(ドナウ・ベントにある“南欧の飛び地”センテンドレは“親和的グローバリズム”の世界遺産?)
【画像3】クロアチアの風景(2008年9月、撮影)
[f:id:toxandoria:20090412194912j:image]
センテンドレ(Szentendre/英、St. Andrew)は、ドナウ右岸の丘の上にある小さな街(ブタペストから北へ約20kmほどの距離)です。“Szentendre”(=Saint Andrews)の名は、11世紀頃に聖アンドリュウ(聖アンドレ)のため教会が建てられていたことに因むとされています。ここはローマ時代から人々が住みついた場所とされており、中世いらいセンテンドレと周辺の村々には主にブルガリア人たち(トルコ系遊牧民のブルガール人が南スラブ系の人々と同化・混血した民族/現在の国家としてのブルガリアは【画像2】を参照乞う)が住んでいました。
因みに、12世紀末に独立した「第二次ブルガリア帝国」(12世紀後半〜14世紀末)が、1393年、オスマントルコに滅ぼされると、それ以降、ブルガリア人は約500年に及び苦難の時代を経験します。やがて、16世紀以降になるとセンテンドレはハンガリー地方におけるセルビア人のコミュニティとなっていました。もともとセルビア人は南スラブ系の民族で、今は主にセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビアの中央部)を中心に分布しており(参照、【画像2】)、その血統・言語はクロアチア人とほぼ同じですが宗教は異なり、クロアチア人のローマン・カトリックに対してセルビア人の多くはセルビア正教会の信徒です。14世紀半ばにセルビア王国は黄金期を迎えますが、その後、急速に衰弱しオスマン帝国の圧制下に喘ぐこととなります。
かつて、中世のセルビア王国〜公国(12世紀末〜15世紀半ば)は14世紀半ばに最盛期を迎えますが、しだいに中欧まで触手を伸ばすオスマン・トルコに圧倒されることとなり、多くのセルビア人もバルカンから中欧の世界で辛酸をなめることになります。その後、漸く近代になってセルビア王国が成立するのは1882年(〜1918)です。センテンドレは、このような激動のセルビア人の歴史の中で、恰も離れ小島のごとく、別世界であったのかも知れません。ともかくも、一時期、この街には八つのセルビア聖教の教会と三つの同派チャペル、そして各一つのカトリック教会とプロテスタント教会が共存していたことがあるのです(現在も、七つの教会のうち四つがセルビア聖教の教会)。
18世紀になり、オスマン・トルコの重圧から解放されたセンテンドレはセルビア人の故地である南バルカンとアドリア海文化圏(ローマ・イタリアの影響を受けた文化圏)へ傾斜した交流活動が活性化するとともに、この街にはクロアチア人、スロバキア人、ドイツ人、ギリシア人などの新しい住民が流入するようになり、彼らは、古来の住民であるハンガリー人(マジャール人)と“親和しつつ生活を送る”ようになってきたのです。現在の人口は約2万人で、その殆どはセルビア人とハンガリー人などとの混血であり、純粋なセルビア人はせいぜい数百人程度しか存在しないようです。
このような、まるで奇跡としか思えぬほど美しい都市がドナウ・ベント地方に存在することは驚きでした。オスマントルコ(軍事大帝国)がもたらした<侵略的グローバリズム>の圧力を巧みに回避しつつ、セルビア人たちは、ある種の<親和的グローバリズム>がもたらす創造力によって、この中欧ハンガリーの奥深くに南ヨーロッパ風の“魅力的な陸上の島”をつくりました。ともかくも、この美しい小都市センテンドレの街は、どこを歩いても南欧風の空気が漂っており、その魅力は、例えば様々な宗派の教会、夥しい数のバロック建築、迷路のように入り組んだ狭い小道、そしてどこまでも続く石畳という具合です。センテンドレでバロック風建造物が多いことを除けば、今まで体験した古都の中で、このセンテンドレに似た魅力(蠱惑的な歴史の空気)を漂よわせていた都市としてはベルギーのブルージュが想いだされます(参照、下記◆)。
◆2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ・総集編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060913
【画像4】Kovacs Margit『異教徒たちのカンタータ/Cantata profana』1969 Fireclay relief 142 x 76 cm Ferenczy Museum, Szentendre(画像は、http://www.hung-art.hu/frames-e.html?/english/k/kovacs_m/index.htmlより)
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現在のセンテンドレは、ブダペストから北へ国道11号線で約 20分、郊外電車ヘーヴ(HEV)で約38分のアクセス距離にあるドナウ・ベントの代表的な観光スポットとなっており、芸術家のコロニー(1920年代〜)がある場所としても世界的に有名なこの小都市には多くの魅力的な美術館・博物館があります。例えば。そこではハンガリーを代表する女流陶芸作家コバーチ・マルギット( Kovacs Margit/1902-1977/参照 →http://www.hung-art.hu/frames-e.html?/english/k/kovacs_m/index.html) をはじめ新旧多くの芸術家の作品を鑑賞することができます。さらに春から秋にかけて沢山のイベントが、この小さな町のあちこちで催されています。
【画像5】センテンドレの風景、ア・ラ・カルト(2009.3.24、撮影)
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[f:id:toxandoria:20090412213011j:image]ほか
【画像6】エステルゴム辺りの風景(2009.3.24、撮影)
・・・日本で言えば、奈良か京都に相当するエステルゴムは、ハンガリー北部の古都でブダペストから40km(ドナウの流れに沿えば約60km)北西に位置しており、市内にはハンガリー・カトリック教会の総本山のエステルゴム大聖堂があります(エステルゴムの詳細については下記記事▲も参照乞う)。
・・・イシュトヴァーン1世(Istvan 1/969 or 975-1038/ドイツ名シュテファン1世、マジャール人の族長ゲーザ(Geza)の息子)がローマ教皇シルヴェステル2世(Sylvester 2)からエステルゴム大聖堂で戴冠され、正式にハンガリー初代の国王(聖王)となりましたが、その没後わずか数十年でハンガリー全土のキリスト教化に成功した功績を称えられヴァチカンから聖人に奉られ、聖イシュトヴァーンと呼ばれるようになります。
・・・聖イシュトヴァーンは、ハンガリーで最初の貨幣を鋳造し、ハンガリーで初の法典を編纂して公布しました。また、聖イシュトヴァーンはハンガリーを虎視眈々と狙うポーランド国王、ブルガール皇帝、ドイツ皇帝および国内の反乱勢力と戦い勝利しています。このようにして、マジャールの族長アールパードは、その後、約300年にわたりハンガリーを支配する王朝(アールパート朝)の基礎を固めました。
▲ドナウ・ベントからの連想/「偽装捜査 or 捜査ミス」で歪曲され退行する日本の民主主義、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090401
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[f:id:toxandoria:20090412220539j:image:right]ほか
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