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次回衆院選で共産党が最も危惧していることは、民主党の躍進で共産党が埋没することである。
野党民主が躍進すれば、共産党が落ちこぼれて行く。過去の参院選の結果をみれば一目瞭然である。
共産党の議席は04年参院選:15議席→4議席、07年参院選:5議席→3議席、現有(4+3)7議席がそれを証明している。共産党の当面の目の敵は自民党にあらず、民主党であることは明白である。
戦後60数年初めて、本格的な政権交代が実現するかしないかの瀬戸際で、共産党はそれを阻止するべく民主の足をひっぱっている。
共産党が、献金問題で小沢代表を非難している。だが共産党に献金問題で小沢代表を非難する資格があるのだろうか。
総務省発表の「政治資金関連資料」によれば、H19年の政党別収入の、共産党の収入は政党助成金無しで264億8500万円、民主はその半分以下の131億4800万円、政党支部の収支は更に大きな開きがある、共産党支部312億4300万円に対して民主党支部は113億9900万円である。
各党の衆参合計の持ち議席数で、各党の収入を割ると、つまり1議席あたりの金額に直すと、共産党はなんと16億5500万円、民主は共産党の28分の一、上位6党のなかでも最低の5900万円である。資金面でみるかぎり、民主と共産党の格差は歴然としている。
共産党は断トツのブルジョアジー政党である。志井委員長が民主党の小沢代表秘書問題を企業献金疑惑として批判するのは、あたかもブルジョアジー(金持ち)がプロレタリアート(貧乏人)に向かって「君たちは、汚い金をもらっている」と批判するかのごとく滑稽である。共産党はこれだけの収入がありながら、その力を国民のために発揮していない。
志井委員長は、企業献金(小沢秘書逮捕問題に関連して)について「見返りを求めない企業献金などあり得ず・・・」と至極当たり前のことを言っている。だが、個人献金にしても、見返りを求めずに個人が献金しているとでも思っているのだろうか、だとすれば大間違いである。政党への献金は個人と言えども、慈善事業への献金ではない。もしそう言う人がいたとすれば、それは偽善者だろう。
共産党という政党は、これまで個人献金の上に胡坐をかいてきた。
個人と言えども、政党への献金はなんらの見返りも期待していないなんてことはあり得ない。彼らも共産党がいつ日か政権をとり、期待にこたえてくれること健気(けなげ)に、望んできたはずである。共産党が単独で政権をとれなくとも、連立の一翼を担って彼らの期待の一部でも実現させる現実的な対応を模索するべきである。それさえも拒否して、野党の足を引っ張る共産党って一体何なのか。
志井委員長は「共産党は確かな野党である」と自画自賛する。だが、共産党は選挙のたびに議席を減らしている、口先の理念や理想を唱えても、最早民衆はついてこない。共産党は落ちるところまで落ちるだろう。もし共産党が支持を増やす手段があるとすれば、まず党名から「共産」という頭文字をはずして、例えば名実ともに「日本福祉党」へ脱皮し、野党協力を強力に推進することである。共産党幹部はそのことに気がついているのだろうか。
民衆は今なんらかの変化を求めている、それに応え得るのは今のところ民主党しかない。共産党に飽き足らない共産党支持者の多くも、その変化を民主に託しているのではなかろうか。今こそ、民主と協力し、自分たちの主張の一部でも実現しようとする最後のチャンスを自ら潰している。
せめてもの共産党への願いは、時期衆院選で当選の見込みも全くないにもかかわらず、候補を立てて民主の足をひっぱらないことである。時期衆院選は、自公対民主の問題ではなく、戦後60数年の汚れきった政権をひきずり落とす作業であると自覚すべきである。
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