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【日経BP:伊藤乾の「常識の源流探訪」】なぜ日本はテポドンで右往左往するのか?――技術に定見を欠く人材育成がもたらしたもの
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トップ > 政治・社会 > 伊東 乾の「常識の源流探訪」
2009年4月6日(月)
なぜ日本はテポドンで右往左往するのか?
技術に定見を欠く人材育成がもたらしたもの
伊東 乾 【プロフィール】
テポドン 国立産業技術史博物館 レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館
軍事技術 フロネーシス 日米安保 社会的責任
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アメリカの報道をきっかけに、北朝鮮の「テポドン」関連の話題が騒がしいことになってきました。私の結論は「本質を見抜く目をもって落ち着いて事態の推移を眺める」という以上でも以下でもないのですが、騒ぎの表層、米軍や韓国軍の落ち着いた対応と、(支持率がすでにまともな体をなしていない)麻生太郎政権の対応など、表面的な「空騒ぎ」の底流で、より本質的に深刻な「技術に関する定見の喪失」が進んでいると、改めて痛感しています。
元来は今週から辻井喬さんとの対論の掲載を予定していたのですが、今回は「テポドン」をきっかけとして、この問題を考えてみたいと思います。
●「喪失」を象徴する事件
3月13日のことです。研究室のF君からのメールで、私は「国立産業技術史博物館」計画頓挫に関して発生している事態を知りました。
大阪府吹田市の万博記念公園内に建設構想があった「国立産業技術史博物館」のために、大阪府などが作った協議会が蒐集した歴史的な産業資料2万数千点が、一度も公開されないまま廃棄処分されることが決まったというのです。F君は音響に関する科学技術史の専門家で、憤懣やる方ない、といった調子で情報を教えてくれました。
読売新聞の報道によると「国立産業技術史博物館」の構想はバブル期に暖められたものとのことです。しかしバブル崩壊後に計画は頓挫、同博物館に展示するべく集められた、膨大な「産業資料」は、日の目を見ることなく万博公園内の旧万博パビリオン「鉄鋼館」の中に保存されていました。ところがその「鉄鋼館」が万博資料館「EXPO'70パビリオン」として改修されることとなり、資料の保管場所がなくなったというのです。
財政難に苦しむ大阪府では、新たにかかる保管費用を賄うことができないと判断、大阪府、大阪市、大阪商工会議所、日本産業技術史学会で作る「国立産業技術史博物館」誘致促進協議会が3月6日に会合を開いて資料の「廃棄処分」を決定しました。また、1986年に設立されながら97年以後休眠状態にあった同協議会も3月末で解散が決まりました。
さてしかし、ここに集められていた「産業資料」とは、いったいどんなものなのでしょう?
●江戸時代以来の貴重な産業資料
集められていた資料2万数千点というのは、関西電力や東京農工大学など約30の企業や大学、個人が「産業技術史博物館のために」と寄贈した貴重な資料ばかりだといいます。
かつて実際に使われていた日本最初の発電所のタービン、江戸時代の鋳物工場で使われていた木製人力クレーン、あるいは大阪砲兵工廠で使用されていた日本の軍需製造機械など、一度失ってしまったら、二度と戻らない重要なものを、わざわざ保存するべく集め、20年近く塩漬けにした末に、何を作るのか知りませんが新規の「パビリオン」への改修などを理由にして(そこで回転する予算と、関連する業者などもあるわけですが)、わざわざ集めた貴重なものを、丸ごと「産業廃棄物」にしてしまうという。
はっきり書きますが、日本で新たに作る「パビリオン」だのナンだのというので、ろくなものをほとんど見ません。とくに「科学博物館」の類は、私も関わったことがありますので率直に書きますが「浅い」「中身がない」「薄っぺらい」悲惨の極みのようなものが大半です。公営のものは、科学を修めていない専従者が「子供にも喜ばれるように面白おかしく」企画を考え、官費を狙って業者が入り込んで、本質の薄い水増しバラエティー番組みたいな代物になっているケースばかり目にします。
新たな万博資料館がどのようなものかは知りませんが、数百年に及ぶ産業の歴史と計りあえるものとは思いません。
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貴重な産業史の1次資料を、定見がなく、モノの価値を知らない指導層が、短期的な損得勘定でドブに捨てる。「モノづくり」で20世紀の繁栄を作った日本が、21世紀は緩やかにその役割を終え、これから衰亡してゆくことを象徴するような、なんとも心寒いニュースです。
●国は一貫して無策
続報を追いながら、日本もまだ捨てたものではないかもしれない、と思ったのは、外部有志からの心ある申し出です。
事態を知った市民がインターネット上で暴挙を告発、保存を広く呼びかける動きが起こりました。それに押されながら、兵庫県尼崎市がかつて同市にあった発電所部品を引き取って公開を検討、大阪大学も一部を引き受けることになったとのことです。場所が大阪だけに阪大なのかもしれませんが、国の博物館や東京大学をはじめとする他の大学組織からの、適切な手を打とうという声はついぞ聞かれませんでした。
大半の資料は結局粗大なゴミとして処分されることが決定、3月23日から運び出しが始まってしまったそうです。
文化庁は「資料の価値が十分に周知されていなかったため引き取り手が現れなかったようだ。廃棄処分は極めて残念」とコメントしているそうですが、本当に残念なら何とかしろ、と言うべきで、少しでも担当閣僚などが人物なら、緊急避難などの「天の声」など発していることでしょう。そういう見識のある人間は今いないということがよく分かりました。
しかしさて、この廃棄はどのような「経済的理由」によって決定されたのでしょうか?
●「年間1000万円」で歴史を棄てる
大阪商工会議所は、今までは万博記念機構の厚意で無償保管してもらっていたが「倉庫を借りれば年額1000万以上かかり、保管を続けることはできない」とコメントしていました。率直にその金額にあきれざるを得ませんでした。
先月に掲載した吉村作治さんとの「対論」では、諸般考慮の末、編集部が一部の数字を記さなかったのですが、吉村さんの努力でエジプトのピラミッド発掘のために稼ぎ出した金額は、総額100億円を超えています。
もちろん個人がテレビ出演などで稼げる金額には限界がありますので、関連事業、発掘品の展示その他の運用で、大切に事業継続してきたものです。
個人の発意で年当たり億単位の金額を負担して「歴史」の保存貢献、基礎研究をしている吉村さんがいる傍らで、年間1000万円の倉庫代を「大阪商工会議所」が払えないというのは、それぞれ台所事情というものもあるでしょう。
しかし、国立博物館構想が頓挫し、時間をかけて収集してきた、あるいは元の所有者が思いをもって寄付したものなどを「管理費がかかるから棄てます」と言う時、文化庁を筆頭に国の然るべき機関が他人事のように「残念」と言っておしまい、というお粗末に、ある末期症状を見ざるを得ません。
保管料として考えても個人企業主が頑張ってどうにかなる規模の数字ですし、そもそも保管だけなら、もっと廉価な方法が可能なはずです。「廃棄」にした後で誰かが取得して営利に利用、といったことがあれば、それは別種の問題になるでしょう。
何事によらず、どこかの遺跡で見た「歴史の価値を知らぬものは遠からず滅びる」というフレーズを思い出しました。
●祖父がアメリカで経験した軍事開発
先人の残した「本物」に触れることの大切さについて、ちょっと私事にわたりますが、記してみたいと思います。
実は私の祖父は日本最初期の自動車エンジニアでした。1908年に米ミシガン大学を卒業し、第1次世界大戦中は米ゼネラル・モーターズ(GM)でアメリカ黎明期自動車産業の設計者として軍用自動車などを設計しました。祖父・藤田香苗はまた川崎重工業との2重社籍で(ありがたいことに川崎重工は社史に記してくださっています)、自ら開発した技術や自分の図面を日本国内に提供。新会社「ふそう」の「初期国産車エンジン」としてこれが利用されたようです(後年、三菱ふそうの大型車エンジンがリコールされたことがありますが、彼にも一定の責任があるかと思います。残念ながら祖父は65年に82歳でこの世を去りましたので、引責はできませんでした)。
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祖父の遺品を見て驚かされるのは、その仕事の膨大な分量と、とりわけノートの文字が美しいことです。
20世紀初頭、ミシガン大学には「工学部工学科」しかなく、祖父を含め学生は「土木工学」から「電子工学」まで、広く深い膨大なカリキュラムを、すぐに現場で使えるレベルに鍛えられていました。技術が未熟だったから可能なこと、とも言えますが、学生が包括的な視点を持つパワフルなエンジニアに育ったのも間違いありません。
「水力発電所プラント」の詳細な設計図面の引き直しなど、今日の工学部では考えられないハードな演習仮題が残っています。1906年の「電子工学」実験ノートには、当時最先端だったはずの3極真空管の電流電圧特性も測られており、当時からスイッチングや増幅など、後年のエレクトロニクスを予見させる萌芽技術が、教程の中にまで組み込まれていることが分かります。こういう実物に触れることは、どんなお説教より、あるいは新たに作った安手のまがい物に触れるより、真摯な学習者に強いインパクトを与えます。私も最初に見た時は衝撃を受けました。
最も驚嘆したのは「数値計算」です。我々なら計算用紙に書いて捨ててしまうような数字の計算の詳細が、烏口できれいに清書されていたのです。左利きで文字の汚い、というより字を乱雑に書く子供だった私は、高校生時分、初めてこれらを見て、かなり大きな衝撃を受けました。
●本物教育の強さ:芸術も科学も同様
ちなみに、ちょっと脱線しますと、祖父はまたミシガン大学マンドリンオーケストラのコンサートマスターを務めていました。洋楽全般に堪能でしたが、渡米以前は神戸で、日本初の(教会音楽以外の)合唱団を後輩2人を率いて組織しました。合唱団は「関西学院グリークラブ」と命名したものの、最初は寄宿舎のベッドの下にこっそりもぐりこんで、消灯後、舎監に見つからないように「アー」などとやっていたのだそうです。
2級下の後輩、山田君は後に東京経由でベルリンで音楽を学び、日本の洋楽の基礎に大きく貢献しました。「赤とんぼ」などの童謡で知られる作曲家・指揮者の山田耕筰氏です。祖父はエンジニアになって以後も山田氏の活動に、主に経済的な面から、音楽の内容を完全に理解しながら様々な援助を行いました。敗戦後、祖父が引退すると、今度は息子に当たる伯父たちが引き継ぎ「何よりまず人材育成から」ということで、三井グループがバックアップして新しい音楽学校を作りました。「自由学園」のこどもピアノグループなどを母体に「桐朋学園女子高校付属特設音楽課程」が設立され、その1期生に指揮者の小澤征爾さんなどが居られます。
祖父の晩年は完全に不遇でした。彼の本当の希望は、近しい三井グループと日本に独自の自動車産業を創設することでしたが、国策から三井は車を扱わないことになり、祖父は戦時中は石川島播磨で、作ったこともない航空原動機の設計を宛てがわれました。
アメリカでも軍事エンジニアとして働いた経験のある祖父は「俺のようなカーエンジニアに飛行機のエンジンを作らせようという、そのレベルの判断段階で、この戦争は勝つわけがない」と公言して、問題になったようです。
実際、戦局の推移は祖父の言う通りに進み、日本は敗戦を迎えました。
数えで62歳になっていた祖父はすべてがバカバカしくなり、エンジニア自体を引退して娘の看病に当たることにしました。末の娘が米軍の焼夷弾の直撃を食らって全身3割が炭化し、肉だるまみたいになってしまっていたのです。これが私の母です。
こんな経緯で、親類縁者に音楽にも学術にもうるさい存在があり、物心ついた時には、いずれの道でも生半可なことはできない状況だったことが、私自身の現在にも繋がっています。
こうしたすべて、早い時期に身近な「本物」に触れ、そこで衝撃を受けて「ちゃんとしなきゃダメだ」と感じたことが決定的だったと思います。現在私は日本国内のみならず、アフリカなど途上国の高校生なども対象にして、基礎科学と芸術双方の「本物に触れる授業」を行っています。
実験などの「演示」から、実際に子供たち自身が手足を動かす「測定」「解析」、さらには演奏まで「本物に触れる教育」の強さに確信を持っています。「国立産業技術史博物館」資料の破棄を決めた組織と個人は、そうした本物の価値を知らない、偽者のディシジョン・メーカーと言わざるを得ません。
●ミラノ、ダ・ヴィンチ博物館
「本物の産業技術」というと、どうしても思い出す施設があります。イタリア、ミラノの北の玄関、カドルナ駅から5分ほど歩いたところにある「レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館」です。
すぐそばには、彼の「最後の晩餐」が描かれているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があり、まさにダ・ヴィンチゆかりの場所に立っているのです。
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「ダ・ヴィンチ博物館」という名前から、私たちは、彼の作品やルネサンス文化に関するミュージアムという印象を持たないでしょうか? 私はそんなものだろうと思いながら、かつてここを訪れ、完全に期待を裏切られました。包括的な観点から準備された、素晴らしい「産業技術史博物館」だったのです。
広大な敷地内には発電機のタービンから蒸気機関車まで、かつて実際に利用されてきた、まさに「本物のテクノロジー」が、子供たちが手に触れ、操作できる形で展示されていたのです。
しかも目を見張るべきなのは、それが完璧に「伝統」に立脚して「現在」そして「未来」まで繋がっていることが、実感できることなのです。「ダ・ヴィンチ」は決して「他所の偉人」ではなく「この地で活躍した先達の1人」であると、小さな子供にも問わず語りに伝わります。
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ダ・ヴィンチの設計した装置は、空想的なヘリコプター的飛行装置(左)から実用的なクレーン(右)まで様々
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博物館の一角には、ダ・ヴィンチの遺したメモに基づいて複製された、やや空想的な飛行装置から水車小屋の粉つき装置、現在でも使えそうな荷物の積み下ろしクレーンなどの模型が展示されています。またダ・ヴィンチ自身、多数の兵器を設計、製作しています。
しかしダ・ヴィンチ博物館はダ・ヴィンチ本人の仕事を展示するにとどまりません。ルネサンスから時代は下って18世紀、19世紀、そして20世紀から21世紀の今日にかけての技術までが、一貫した「地元の技術史」の流れの中で理解できるように並べられているのです。
●「主語」のある技術
例えば、今皆さんがインターネットでこの記事を読んでいる、そのコンピューターのキーボードは、なぜ「キーボード」と呼ばれるのでしょうか? 19世紀半ばに作成された、世界最初期の「電報装置」の「鍵盤」は、まるでピアノの鍵盤のような形をしています。
しかし、よく見ると、ピアノやオルガンのような白鍵・黒鍵の並びにはなっていません。19世紀イタリアで一時期実際に使われていたものなのです。言語を打つうえでは打鍵速度に限界があり、その他様々な理由で、現在のイギリス流QWERTY配列(キーボードの上から2段目を左から見るとQWERTYUIOPとなっているものが多いと思います)のタイプライターが世界シェアを席巻してゆくわけです。
しかし、かつて本当に、こんな「キーボード」の時代があった、ということは、本物を目にすれば一目瞭然ですし、見なければ絶対にピンとこないものだと思います。
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ミラノのダ・ヴィンチ博物館で見た「イタリアの鍵盤型キーボード」(左)。極く初期の電報用に作られたもの。右はQWERTYキー配列のタイプライター。タイプライターのオリベッティもイタリアの生んだ企業
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ダヴィンチ博物館で非常に強く印象づけられたのは「技術に主語がある」ことでした。「私たちの技術は・・・」「私たちの先達がゼロから作った方法は・・・」「イタリアの技術は・・・」という、オリジナルの末裔としての自覚と誇りに満ちた説明の数々。決して右翼ではない私ですが、大変に健康な「ナショナリズム」の発揚をそこに見るように思いました。サッカーの応援などと同様、こういうところに国の名がつくのは、とても良いことのように思います。
「19世紀後半以後のイギリスやドイツの電気技術は確かに素晴らしい。しかしボルタ電池もガルバーニの検流計も、ルネサンス以来のイタリアの科学的伝統がなければ、決して発明されることはなかったのです」
このような矜持を、国営博物館が次世代を担う若い人たちに提供する場としての「国費」の利用は、科学技術という社会の無形共有財を維持発展させてゆく社会的責任(SR=Social Responsibility)の最たるものと思います。
これはフランスに行っても、ドイツに行っても同様で、パリにもミュンヘンにも素晴らしい産業技術史博物館が存在しています。日本のそれが、正直申して大きく後退して見えるのは圧倒的に「客観記述」が多く、さらにそれが良いことだとキュレーターたちが信じていることにあるように私は思っています。
「フーコーの振り子はこう振れる。これは自然法則」「蒸気機関車はこんなメカニズムで動いている」などなど、モノが主語で、それを作り出し、技術を担ってきたのが「私たち」という1人称複数であることを感じさせる、日本の公営の技術博物館を、残念ながら私は知りません。
企業の展示は自社技術を強調するのは当然ですが、国や大学が後進を育てる場で、自分たちが1人称の責任を負う文体を取っていないことと、今回の大阪のケースでの文化庁の対応とが、まさに符合していると思いました。
●日本がテポドンで右往左往する深層
欧州は陸続きですし、また特許の問題などがあるので、ことさらそうなのだと思いますが、欧州では「他のサル真似や模倣ではない、原点からオリジナルな自国の科学技術」を、子供たちにゼロから強調する「後継者の自覚と誇りを教える本物科学博物館」を見るように思います。良し悪しでなく、事実としてもう一つ言えるのは、技術が必ず「軍事技術」と関わっていることでしょう。「わが国の国軍の技術水準はかくのごとく高い」というメッセージが、明示的であれ言外であれ、注意深く上記の博物館類を見ると、そこに見て取ることができるように思います。
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「世界で最初の電報技術は19世紀初頭イタリアで生まれた。これがその実物である」と誇らしげに記された巨大電報装置の展示(左)。広大なダ・ヴィンチ博物館の敷地内には、本物の潜水艦なども展示されている(右)
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科学技術史を冷静に見るなら、あらゆる時代・地域で軍事科学がテクノロジーの最先端を切ってきたという客観的な事実があります。火薬、羅針盤、通信技術、人工衛星打ち上げ、弾道弾・・・。「各国の一番進んだ技術は軍事面に表れる」「それを冷静に観察しつつ、いかに人道的な利用を考えるか」「技術自体は無傷(intact)、問われるのはその利用法」という「戦略=倫理」あるいは確固たる「技術理念」をもって、事態の全体を落ち着いて見る胆力を、若い世代に養うことが必要と思います。
さて、大変に長々と迂回してきましたが、ここで日本がテポドン情報で右往左往する(1つの)理由、という話題にたどり着きました。なぜあれこれ騒ぐか、その1つの理由は、軍事技術の評価やその(経済効果を含む)戦略的狙いについて、報道陣まで含めて、国民の大半が落ち着いた理解をもっていないから、だと思います。
定見がないと、デマゴギーがバタバタと走り回ります。フジテレビの「サキヨミLIVE」でも同じお話をしましたが、軍事行動は膨大な予算のかかる経済行為ですから、様々な戦略的狙いがなければ行われるわけがありません。
大変厳しい経済状況にある北朝鮮としては、清水の舞台から飛び降りるようなパフォーマンスを続けざるを得ないわけでしょうが、その狙いとされるものを、日本と北朝鮮、2国間だけの問題として考えるのは、やや視野狭窄的ではないかと思います。
一番強調しておくべきなのは、今回の行動は「2008年世界経済恐慌」以降、初めての極東地域での「アクション」(あるいは「ジェスチャー」)であって、その背景として「アメリカ一国超大国状態」が終焉したあとのパワーバランス、迎撃の命中精度から兵器産業の収支見通しまで、包括的な「技術経営的観点」で落ち着いた考察がなされるべきだということに尽きると思います。
米軍の冷静な態度、韓国軍も全く落ち着いている中で、日本国内だけ空回りしているとすれば、一体それは何を意味しているのか。そこから考える必要があるでしょう。
●技術と戦略に根ざした「定見」
戦後の「吉田ドクトリン」以後、日本は「定見のないふり」「死んだふり」を続けることによって、日米安保の傘の下で高度な経済成長を遂げることができました。しかし、これと同時に、本当に定見を失い、ある種の思考が(少なくとも指導的であるべき政治家などの中で)死んでしまったことが、テポドン騒ぎなどの背景になっていると指摘せざるを得ません。
日本は戦後60年、戦略的な思考のできる人材の育成に決定的に失敗しています。寺島実郎さんとの対論でも、この共通認識が一番の基本になっています。
「戦略(strategy)」とは、個々の作戦(tactics)を組織立て、最終的に望ましい結果を導く、という意味で「善悪を判断する行動知」「全体知」と言い換えることができます。自軍の敗走は国にとって悪以外の何ものでもありません。そしてこの「善悪の判断」を別の形で表現したのが「倫理」という言葉です。「経営戦略」と「経営倫理」は本質的に同じものです。
今、どうして北朝鮮の軍事戦略を冷静に評価できないか、と考えるなら、そこに「軍事倫理」的に落ち着いた評価が下しにくいこちら側の状況があると私は考えます。「ならずもの国家」などのレッテル貼りは情宣向けならまだしも、国の舵取りをする者が自ら迷妄に陥るべきではありません。「あんな国はダメだ」と断じることで、無辜の国民や、たぶん間違いなく存在している、相手国側の誠実で優秀な外交官僚なども、すべて「テロリストと規定」して「作戦行動の対象」にせざるを得ない、なぞというのは、実に貧しい国策と私は思います。
相手がどの程度の手筋で来るかをしっかりと読み取る「国家戦略の判断指針」を私たちの側もきちんと持っていれば、無用なデマゴギーで揺れはしません。韓国社会がこの点で落ち着いている最大理由は、(良し悪しはさておき)男子が国民皆兵の状況にあり、兵士として基本的な戦略思考の訓練を受けていることにあります。私は来週、ソウルの延世大学に招かれて「韓国のノーベル賞獲得戦略」に関するシンポジウムで喋らされるのですが、理工系の研究者を含む男性の大半が兵役を経験していることは、韓国世論の形成に非常に大きな影響を及ぼしています。つい先日も野球→スケートで私たちは現象面は目にしているわけです。一見「熱しやすい」ように見える韓国世論がなぜテポドンで落ち着いているか、という理由には、国民全体への「軍事リテラシー」の高普及度を指摘する必要があるでしょう。
これが日本で決定的に欠けているわけです。良し悪しは一概には言えません。韓国人の親友からは「兵役のために韓国内では柔軟なイノベーション思考が育ちにくい」と聞かされたこともあります。私自身は日本に関して国民皆兵制度の再導入などは様々な観点から断固反対でもあります。
ただ現実問題として、軍備を解くのと並行して日本では国軍という「胆力ある技術経営の教育と実践の場」がなくなったという事実があり、それが一方では「産業技術史博物館」資料の破棄を決定させ、他方で軍事にまつわる様々な情報に、正確な判断を下しにくくさせている。そういう足元から再確認してゆく必要があると思います。
●スタミナある参謀とゼロから作られる技術者
私たちの祖先がどうして「国家」というものを造ったか、その理由を1つに絞ったり、ここで云々したりしても仕方ないと思いますが、国というものがないよりは、あったほうがよいから造ったとは考えることは可能でしょう。
営利の企業活動などを離れて、国民が税を供出しあい、共通善を実現するために国家ならではの役割を果たす必要があると考えます。アリストテレスはこの共通善の感覚を「フロネーシス」と呼びました。最近では一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏のような方も経営理念の観点から「フロネーシス」に言及するようになりましたが、彼もまた防衛大学校などでの軍事科学研究から、ビジネスに転向したキャリアを持っています。
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先ほどのダ・ヴィンチ博物館に並べられているものは、一言で言えばすべて「ジャンク」、過去に使用され、現在では使い物にならなくなった「粗大ゴミ」に他なりません。それを廃棄物として捨てるというのは、どんな無能な責任者にもできる普通の判断です。
蒸気機関や内燃機関が普及する以前の水力脱穀機、旧式の蒸気機関車、あるいは旧式のブラウン管白黒テレビ・・・すべて、ゴミとして捨ててしまえば、薪なり鉄くずなり「夢の島」の埋め立て素材などなりにしかならないシロモノでしょう。
テポドン・ミサイルなる「最新技術」が、どの程度の精度か、あるいはどの程度「ジャンク」なのか、技術レベルはどの辺にあるのか、といった「評価」と、その「日本国民の落ち着いた受容」が何より大切だと思います。冷静に思考する助けになるよう、ダ・ヴィンチ博物館の例を使って「まとめ」を考えてみます。
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現在でも動くよう整備されている「水力脱穀機」「蒸気機関車」「白黒テレビ」。これらを動かし続ける「人」の能力伝承は、展示表面に見えない「ルネサンス以来の独立ミラノの誇りと自覚」に支えられている
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ミラノのダ・ヴィンチ博物館が展示している「産業技術史資料」は、大半が今でも「動き」「実際に使える」ように整えられていることに注目する必要があります。日本でも、伊勢神宮を20年ごとに「遷宮」し続けることで、2000年近くにわたって宮大工の技術伝承が可能になりました。ダ・ヴィンチ博物館の最大の資源は、実は「人材」なのです。ルネサンス以来、いつの時代のどのテクノロジーが持ち込まれても、(もちろん可能な範囲はありますが)それを修理し、稼働させられる、「ゼロから使い物になるところまで、技術を生かし続けられる」ヒューマンリソース・インテグレーションがなければ、これらのジャンクはすべて「ゴミ」でしかないものになります。ダ・ヴィンチ博物館はダ・ヴィンチの精神を人間という器に盛って保存しているのです。彼が持っていた技術力+定見を、その後の各時代の技術に対して持っている、膨大な人材力こそが、ジャンクを生かし、それを本物教育に繋げるのです。
言うまでもありませんが、イタリアはアドリア海を挟んでクロアチアやコソヴォと真向かいです。すぐ目の前でつい十数年前にも虐殺が起きていた。そんな中で、マーストリヒト条約の調印からユーロの導入まで、冷静な経済判断を下し続けるためには、軍事や戦略に関する国民的定見の水準は大変に重要になります。ダ・ヴィンチ博物館に限らず、国民の「科学技術リテラシー」「戦略リテラシー」を高く保つことは、かつてファシズム体制の熱で国を滅ぼしかけたこの国の、失敗に基づく強い定見が存在していると思います。私がイタリアでご一緒する音楽家や大学教授などは、そういう意味で皆、絶対にある水準以上の見識を持っています。食卓でしばしば軍事の冷静な話も出ます。日本ではなかなか、そういうことはありません。
同様のことを、私たち自身、テポドン・ミサイルについても、冷静に考える必要があると思うのです。またごくごく普通の爆弾(例えば埋設地雷)でも、仮に命中すれば人間の命を奪ったり、破滅的な状況をもたらしたりするという、当たり前の事実も再認識する必要もあると考えます。
「極東での安全保障」を考えるうえで、私が注目するのはむしろ米国経済です。アメリカを救うために日本が無用に高い買い物をする必要はないでしょう。とはいえ「誤射」というリスクも確かに存在していると認識する必要があります。そこで必要なのは、貸借対照表の数字の裏を読みきるだけの技術的眼力だと思うのです。言うまでもありませんが、私にその能力はありません。しかし、軽挙妄動で騒いでろくなことがないこともまた、間違いありません。
●落ち着いた「定見」の必要性
ある意味で、テポドンが騒がれる状況下、大阪の「産業技術史博物館」で起きたことは必然だったように思います。技術を生かし続けられる「ヒト」が関係機関に適切にいれば、こんなことにはならなかった。「鉄鋼館」で20余年も塩漬けにならなかっただろうし、仮にそうだったとしても、年間1000万円程度の予算で「棄てる」などという判断にはならなかったはずです。技術を持った専門家がいなかった。そしてその価値を評価して決定を下す経営責任者がいなかった。
エンジニアが居らず経営者が居なかったために、かつては誇るべきだった技術が滅び、その遺構もゴミとして棄てられてゆく。
もし日本が、もう少し、ゼロからモノをつくり、動かし、社会に価値還元できるような本質的な力を持つサイエンティストやエンジニアの育成に心を砕き、さらにそうした価値を生かせるディシジョン・メーカーを育成していれば、大阪のようなことにはなりようがなかったはずです。
これが端的に示す「あぶなっかしさ」と同じ水準で、軍事の問題に決定を下せるだろうか?というのが私の思うところです。技術に確固たる実質を持たない、お粗末な無定見で国を危うくする、というのは六十数年前の「いつか来た道」でもあります。「テポドン」については、落ち着いて事態を見据え、必要に応じて迅速に対応する、これに尽きます。文字で書けば平凡な結論ですが、問題はそれがどのような真の実力や眼力に支えられているかであって、これこそが重要だと思うのです。
(つづく)
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