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この間、私のブログのある読者さんと二年ぶりに会って食事をした。その際の四方山話では、WBCのこと、政治社会などの時事問題、環境汚染、食べ物、世代感覚の懸隔、教育など、多岐多様にわたる話をしたが、実に面白かった。その中でも、日本メディア論は現代社会の問題、つまり洗脳公器としてのメディア論について、互いに断トツの問題意識を共有していたことは収穫だった。
今ここではメディア論を展開するつもりはないが、日本を悪い方向に導いている既得権益護持派の権力中枢と、「メディアの傀儡的報道姿勢」の問題は、そうとう高い重要度を持っている。私が日本のメディア報道の異常さに気が付いたのは、2005年9月の「郵政民営化は是か非か」を問いかける衆院解散総選挙の時と、2006年9月に、植草さんが遭遇した京急事件の報道だった。
郵政選挙の時は、関岡英之氏の『拒否できない日本』を読んでいたので、メディアが小泉元首相の郵政民営化を、暴力的なまでに肯定的に報道していた意味は即座に把握できた。民営化の是非論を問いかけている選挙だから、有権者には投票前に、民営化の賛否両論を十分に考える報道をするのがメディアの役目である。ところが、みなさんもご記憶に残っていると思うが、あの9月11日選挙の一ヶ月くらい前は、テレビ新聞を含めて、メディアはこの問題について、両論併記どころか、賛成論ばかりで反対意見をほとんど報道しなかったと記憶している。
この間、テレビや新聞には外資系保険会社のCMが、繰り返し大々的に流されていたことは記憶に新しい。前島密が郵便事業を開始してから134年にいたる巨大な国営事業を民営化するかどうかという重要な選択を、選挙で国民に託す形になった。こういう重大な国政に関わる大改革を、メディアは反対論や意見をほとんど封殺する形になっていた。特に郵貯と簡保の莫大な郵政資金の流出防衛に関する事柄は、国民に提起されなかった。小泉氏は「郵政民営化こそ構造改革の本丸」とか、「官でやっていることを何で民ができないのか?」などと、訳の分からないことを四六時中唱え、郵政民営化万歳の空気を醸成した。
関岡氏が知らせた「年次改革要望書」が、悪質な対日内政干渉であることを知る少数者には、メディアが官邸主導でバイアス報道していることに、腸(はらわた)が煮えくり返っていた。この時分のメディア報道はほとんど北朝鮮と変わらないすさまじい偏向ぶりだった。ここから約一年後の9月、植草さんは京急事件に遭遇し、理不尽にも132日も官憲に監禁されてしまった。事件翌日のメディアの初期報道は、まさに猖獗(しょうけつ)をきわめていたと言っていいだろう。メディアは検察・警察のリーク報道だけをもとに、これでもかと植草さんの性癖犯行説を垂れ流した。
まさに書きたい放題であった。私が妙だなと引っかかったのは、この土石流のような報道洪水が権力筋による既定路線じゃないのかという直感だった。京急事件がただの冤罪ならば、メディアはここまで常軌を逸した騒乱報道はしないだろう。彼らは官憲のリーク情報を土台にして、事実無根のことを好き勝手に付け足して書き、植草さんの名誉を地に墜としていた。あらゆるメディアはまるで申し合わせたように、京急事件のことが、あたかも動かぬ既遂事実のように報道し、一様に事実無根の病的性癖説を定着させようとしていた。
ここには、植草さん側の弁明はほとんど流されることはなかった。この異常さ、この強烈な偏向報道を見るにつけ、これは裏に何かあると感じた。この時、私は2004年の品川駅手鏡事件の報道に関することはあんまり覚えていなかったが、すぐに郵政選挙時の報道と酷似していることに気が付いた。つまり、郵政民営化では賛否両論があり、京急事件では犯罪と冤罪の相反する二つがある。どちらの案件も最初から一方的な決めつけ報道に終始していた。もちろん、選挙報道と事件報道は異なる報道ジャンルだが、それでも一方的な印象操作報道には奇妙に似たものを感じていた。似ているはずである。同一勢力の意志で行われた報道だったからである。
つまり、郵政解散総選挙では外資系保険会社のCMが乱立する中で、「郵政民営化=善」の決めつけ報道を行っていたことと、京急事件報道では植草さんの病的性癖説の大々的な流布をやったことは、権力の走狗と化したメディアが、最初から国民を誘導する目的で流したことがわかる。どちらも国策報道と考えて間違いない。これにまんまと騙された国民は、小泉政権の国策転換がどのような意志に基づいて行われたのか、まったく理解を欠いていた。国民はメディアが権力や国際金融資本の傀儡的代弁者を担っている事実を認識しないと、いつまでも騙され続けることになる。
小泉政権の官邸主導政治は、メディアを駆使して国益毀損の郵政民営化を実現させ、日本の国内市場にハゲタカの外国資本を不用意に引き入れた。小泉・竹中構造改革路線は、すこぶる怪しい改革であり、結果的に外国資本へ利益移転する市場構造に切り替えられた。こういうことを考えていた時、竹中平蔵氏のブレーンで郵政民営化の理論的支柱をつとめた元財務官僚の高橋洋一東洋大学教授が窃盗罪で書類送検されたというニュースが入った。
植草さんもブログで書いていたが、高橋洋一氏のメディアの扱いは実に奇妙な抑制報道に終始し、ほとんどのメディアがそれを拡大報道する傾向はなかった。これはとても奇妙な話だ。植草さんが係わった事件は報道洪水のように、連日センセーショナルに拡大流布された。しかし、数十万円の時計を窃盗した高橋氏の場合は実に抑制された報道なのである。植草さんと高橋氏の社会的地位は、どちらも大学教授であるから似ている位階にある。高橋氏が最近、政府紙幣発行論で、テレビやメディアに華々しく登場していたことなどもあり、彼のネームバリューはそうとう上がっていたことはたしかだ。
高橋氏のネームバリューと、数十万円の金品の窃盗という重さを思えば、メディアはこの事件を根ほり葉ほり掘り下げて執拗に調べてもいいはずだ。ところが今回は植草さんの事件とあまりにも報道規模が異なっているのはなぜだろうか。単純に考えれば、高橋洋一氏は構造改革推進派の重鎮だった。植草さんはそれを厳しく糾弾する側の有識者。報道落差は、この両者の立場の違いと決して無縁ではないだろう。
あと私は、高橋洋一氏の今回の事件について腑に落ちないことがある。逮捕じゃなくて書類送検だったのは、逃亡の恐れがないからだという。それなら植草さんも逃亡のおそれは皆無だったはずだ。それはともかく、二つの文脈でこの事件が高橋氏の口封じであった可能性はあるかもしれない。高橋洋一氏は小泉・竹中構造改革のブレーンであり、強力に官邸主導政治を進めた中川秀直氏のブレーンでもあったことは重要だ。これが何を意味するかと言えば、高橋氏こそ、構造改革や郵政民営化(四分社化)の真相を知り尽くしている人物だということである。既得権益護持勢力は、高橋氏が経済学者の中谷巌氏のような回心を行うことを恐れているのだろうか。もしかしたら、この事件は「抜け忍」騒動なのかもしれない。
つまり構造改革利権や郵政民営化利権の闇の部分を知悉している可能性があり、売国既得権益勢力から口封じの駄目押しを受けたという文脈である。これは仮に政権交代が実現し、民主党が構造改革の闇を暴くため、司直の捜査を入れる場合、構造改革利権を得た関係者は調べられることになる。この時、改革の理論的中心人物であった高橋洋一氏を中心として、関係者は軒並み調べられることになる。だから既得権益勢力は、今の内に高橋氏に脅しをかけ、他の関係者にも口を割らないように見せしめにした可能性もある。仲間を書類送検で済ませた背景には、他の関係者に対する恫喝の意味があるかもしれない。
もう一つの文脈は、国際金融資本から、高橋氏の政府紙幣発行論に対する脅迫があるのかもしれない。政府紙幣発行は国際金融資本と真っ向からぶつかるしろものだ。財務省筋からの口封じの可能性もあるかもしれない。高橋氏は、ある講演会で、財務省が不景気でも増税する理由は、税収が多いと財務官僚はポケットマネーを作れるからだと言った。彼は財務省筋に仕掛けられた可能性もあると友人は語っていたが・・。
違和感が拭いきれないのは、5万円の財布と数十万円もする高級時計を、鍵をかけずにロッカーに入れるだろうか?という疑念がある。金持ちなら気にせずにそのような行動をとるかもしれないというのは、私のような貧乏人の浅はかな考えで、実際の金持ちは用心深い。豊島園のような世俗的な日帰り温泉に金持ちが行くだろうか?5万円の財布なんか盗まれてもヘッチャラ、ブルガリの高級腕時計(数十万円相当)なんか気を使う必要なしなどという金持ちが、火曜日の夜8時に豊島園の温泉に入るだろうか?
真相は当事者たちから聞くまではわからないが、この事件には奇妙な違和感がある。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/04/post-a11f.html
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