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「晴天とら日和」さんのところに全文転載があるので、その部分のみ転載します。
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51359085.html
●ニッケイビジネス 2009年3月25日(水)
検察は説明責任を果たしたか
24日、逮捕事実に若干のプラスアルファが付いただけで民主党小沢代表の公設第一秘書が起訴された。
昨日のこのコラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」)に書いたように、今回の事件は一般の刑事事件とは違う、政治資金規正法という民主主義の根幹にかかわる事件であり、それに対して検察がどのような罰則を適用し運用するのかは政治的に極めて重要な問題だ。したがって、検察は基本的な考え方をきちんと説明し、今回どんな考え方でこの事件を起訴したのかについて説明すべきだと主張した。
検察からは一般論的な説明のみしかなかった
ところが聞くところによると、検察からはそのような説明はまったくされなかったという。政治資金規正法は非常に重要な法律で、違反する行為というのは重大だという一般論的な説明のみしかされなかったとのことだ。今回のような事件を、こういう時期に政治的影響を生じさせてまで摘発したことについて説明責任を回避するというのは、検察としては許されない。なぜこの事件だけが悪質と言えるのか、結局まったくわからない。強制捜査に対する疑問点については「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」で書いた。
当然のことながら、寄附をするゼネコンは公共事業の受注に少しでも役に立てばということが目的だが、具体的にある工事について、政治家に動いてもらって発注者に働きかけてもらい、それで対価をもらえばあっせん収賄罪になり、口利きだけでもあっせん利得罪になる。
しかし、その当時はみながやっていたことであるのに、過去の一時点のことだけをつまみあげて悪質だというのは、検察がその気になればいくらでも処罰できるということになってしまう。これは民主主義の否定であり、検察が国会より上に位置づけられる「検主主義」であると昨日のこのコラムで述べた。しかも談合による受注のメカニズムは単純なものではない。特定の工事に関して小沢事務所に頼んだら、談合の仕切り役に声を掛けてくれそれで受注できたというようなそんな単純な世界ではない。
談合受注の構造が単純ではないことについてもすでに述べてきた。私は公正取引委員会に出向して埼玉土曜会事件に関わった時から、公共工事を巡る腐敗構造の解明には10年以上にもわたって取り組んできた。この経験から言っても、談合の解明は応援検事を集めて10日か20日でできるようなものではない。今回の断片的で説明にもならない検察のコメントを読むと、ほとんど理屈にもなっていない。なぜこのようなことになったのだろうかという思いだ。検察は少なくとも理屈に通ったことをやらなければいけないのに、まったくそうなっていない。
政治的な影響だけが生じて、あとは公判で明らかにするというのは、完全に民主主義の否定だ。まさかそんな無茶なことはしないだろうと、強制捜査が始まった時から私はずっと思ってきた。そして私なりのコメントを出してきた。それでもこういう無茶なことをやってしまったというのは、検察という組織の現状を端的に象徴しているとしか言いようがない。
なぜこんなばかなことをやってしまったのかというのが、今回の1つの疑問点である。検察の真の意図はどこにあったのだろうか。国策捜査だとか自民党つぶしなどとかの憶測を呼んだが、私はそのような高尚なものではなく、基本的ミス、誤算という可能性が強いと思う。
検察は重大な基本的ミスを犯した?
誤算というのは小沢氏側の対応の見誤りだ。秘書の事件で強制捜査に入り、小沢氏に対する批判が強まれば小沢氏は辞職するだろう。そうすれば政治力がなくなり、秘書も事実を認めて大した問題にはならないだろう。検察がこういった甘い見通しを持っていたのではないかということだ。そうだとすると、それなりの目算がなければならないが、そのことを教えてくれるのが、3月8日付の産経新聞の記事だ。ここで述べられているのは、監督責任の問題だ。
これは、陸山会代表としての小沢氏の「監督責任」に関して、「捜査関係者」として、「特捜部は監督責任についても調べを進めるもようで起訴されれば衆院議員を失職する可能性も」という内容だった。同記事には、特捜部が摘発した埼玉県知事だった故土屋義彦氏の資金管理団体の政治資金規正法違反で、土屋氏から事情聴取し、監督責任を認め知事を辞職した土屋氏を「反省の情がみられる」として起訴猶予にしたことも書かれている。 しかし、代表者の責任は「選任及び監督」に過失があった場合で、ダミーの会計責任者を選任したような場合でなければ適用できない。土屋氏の場合と同様に代表者の監督責任による立件をちらつかせて小沢氏を辞任に追い込めると判断していたとすると重大な基本的ミスだ。
同じ8日のテレビ番組や新聞のインタビューで私が、監督責任だけでは代表者の立件はできないことを指摘したところ、小沢代表聴取の報道は急速に鎮静化し、その後、「小沢氏聴取見送り」が一斉に報じられた。
強制捜査までのハードルは本来もっと高くあるべき
過去にあった談合構造のもとで小沢氏が政治資金を集めていたとしたらそれが問題であることは否定できない。しかし、このことと検察の説明責任は別の問題だ。貧すれば鈍するという言葉があるように、低レベルのことを始めてそれが許されると、その組織はそのレベルに落ちていく。私は自民党長崎県連事件では、必死の思いで苦しんでハードルを乗り越えていった。この事件とは、公共事業受注業者から上前をはねるように裏献金などの様々な献金を集め、パーティー券収入を何千万と裏に隠していたというものだ。
私は長崎でこの事件をやったとき、これでもかこれでもかと最高検や法務省から厳しく高いハードルを課せられ、それを乗り越えなければ前に進めないという状況に追い込まれていた。そういった状況をたった野球1チームほどの、検事任官2年目、3年目の“アマチュア”といっていいようなメンバーばかりのチームで乗り越えていった。しかし、その過程でスキルアップしたと思っており、大変なハードルを課されたことには感謝している。
その時、法務省から口をすっぱくして言われたのは、ここで手をつけたことが横に広がったらどうするかということだった。この事件がほかとは差別化できるということでなければだめなのだということだ。私はこう言われたことに納得し、これならいけるというような事実を我々なりにがんばって聞き出して立件し、強制捜査の対象にしていった。
今の特捜の姿勢はこの時とはあまりに違う。政治家の事件の強制捜査に着手するまでのハードルは本来もっと高くなければいけないということに立ち返り、特捜部はそれを乗り越えられるようになってもらわなければいけない。そして、そうなってもらいたいというのが、私の検察への思いだ。(談)
【プロフィール】
郷原 信郎(ごうはら・のぶお)
桐蔭横浜大学法科大学院教授
コンプライアンス研究センター長
1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から現職。「不二家問題」(信頼回復対策会議議長)、「和歌山県談合事件」(公共調達検討委員会委員長)など、官庁や企業の不祥事に関与。主な著書に『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)のほか、不二家問題から事故米不正転売問題まで食品不祥事を幅広く取り上げた『食の不祥事を考える』(季刊コーポレートコンプライアンスVol.16)など。近著には『思考停止社会〜「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)がある
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