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http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/1-7aa8.html
政権交代の虚像をあぶり出した西松献金事件(1)
「この時期になぜ」ではなく、「この時期だからこそ」
今回、東京地検が小沢一郎氏周辺への強制捜査に踏み切った西松建設の政治献金事件をめぐる識者やブロガーの意見を読んで強い違和感を覚えたので、私も西松献金問題について自分の意見を書くことにした。
かなりの識者やブロガーに共通するのは、政権交代が現実のものとなりかけたこの時期に、次期首相の下馬評が高い小沢氏を狙い打ちしたかのような強制捜査は解せない、というものである。「捜査は自民党には及ばない」という漆間官房副長官のオフレコ会見での発言がこうした観測に輪をかけた。
これについて先回りしていうと、「この時期になぜ」ではなく、「この時期だからこそ」というのが私の意見である。これに立ち入る前に、小沢氏本人の主張をまとめておこう。
@問題にされた献金は現行の政治資金規正法で適法とされている政治団体からの寄付金であり、なんらやましいものではない。かりに、西松建設からの寄付金であれば政党支部で受領したまでのことである(注:現行の政治治資金規正法では政治家個人やその資金管理団体への企業献金は禁止されているが、政党本部や支部への献金は適法とされている)。
A献金元の政治団体がどういう団体であるかは秘書に任せており個別に把握していない。重要なことは献金の出所を詮索することではなく、政治資金の出入りを公開することである。それが政治家にとっての潔白証明になる。
Bかりに政治資金収支報告に不備があったとしても、従来は訂正報告で済まされてきた。それが今回はなぜいきなり強制捜査なのか、国家権力の濫用としか思えない。
大谷昭宏氏の自己撞着の<ガチンコ勝負>論
今回の西松建設献金事件については、ブログ上でも議論が活況を呈している。その中で、大谷昭宏氏は<政治と司法のガチンコ勝負――怒れる小沢か正念場の検察か>というタイトルで日刊スポーツ・大阪エリア版の平成21年3月9日号に発表した論説を自身のWEBコラムに転載している。その中で大谷氏は次のように述べている。
「小沢さんは記者会見で辞任をきっぱり否定したが、民主党内でも小沢降ろしの声が高まっている。だが、私は小沢さんがこの捜査を国策捜査と非難するのであれば、絶対に辞任すべきではないと思っている。言うまでもなく、国民の8割が不支持を表明している麻生内閣、選挙をやれば、民主党に政権を持って行かれるのは目に見えている。焦った政権政党は検察、警察をはじめ、あらゆる公安、情報機関を駆使して、民主党のスキャンダル探しをしているという声が聞こえる。小沢さんが国策捜査と非難するのも、この点を指してのことだろう。
まして秘書が逮捕された容疑は政治資金規正法違反。今回の虚偽記載をはじめ、記載漏れや誤記載はすべての国会議員の収支報告書を精査して行けば数十件はあるだろうといわれている容疑だ。こんな捜査が罷り通ったら、気に入らない党の代表は追い落して国民の意志と関わりなく、検察が政治を支配することになる。だから国策捜査と決めつけるなら、小沢さんは代表を辞任するべきではない。とりあえず代表を降りて裁判で戦うといった手法は検察の筋書き通りということになる。」
では、検察はどうすればよいのか。大谷氏は、「道はただ一つ、虚偽記載した献金の悪質性を証明するしかない」と述べ、かりにこの献金が胆沢ダムなど公共工事受注に便宜を図ってもらった見返りの金であり、斡旋収賄罪にあたるとなれば小沢氏に代表続行の目はない、と結んでいる。
虚偽記載した献金の悪質性の立証がポイントになると考える点では誰しも異論はないだろう。事実、ここ数日の報道によると、西松建設以外の大手ゼネコン各社も小沢氏の公設第1秘書で小沢氏の資金管理団体・陸山会の会計責任者である大久保隆則氏から献金やパーティ券購入の依頼を受け下請業者を使ってこれに応じていたという(『毎日新聞』2009年3月14日、夕刊)。また、西松建設ととともに小沢氏側に迂回献金した疑いが持たれている大手ゼネコン3社が2003〜08年にかけて、胆沢ダムの主な工事を受注していたことも判明し、東京地検特捜部は大久保秘書らがこの時の受注に便宜を図った事実がないかどうか、関係者から事情を聴取しているといわれている(『朝日新聞』2009年3月14日)。
不可解なのは、大谷氏が献金の悪質性の立証がポイントになると言いながら、東京地検がその立証に着手したことを、政権交代の可能性に焦った政府与党が検察などあらゆる公権力を駆使して民主党のスキャンダル探しをしているかの見方があながち、根拠のないものではないかのように述べていることである。立証が必要というなら、それに着手する捜査を「国策捜査」と非難するのは筋違いも甚だしい。それどころか、小沢氏側が献金を見返りに公共工事に「口利き」をした可能性を疑わせる事実が献金元の関係者の証言で浮かび上がっているにもかかわらず、捜査を見合わせるとすれば、それこそ、不公正な捜査の「不作為」である。肝心の献金の原資について、個別のことは秘書に任せており把握していないとうやむやの逃げを打って、「国策捜査」というフレーズで自らに降りかかった疑惑を進んで明かそうとしない小沢氏の姿勢を擁護する理由は全くない。
政権交代の意味を問いかける事件
<せっかく政権交代が目前に迫ったこの時期になぜ?>といぶかる意見が多い。しかし、私に言わせると、政権交代が現実味を帯びた時期だからこそ、現政権から小沢氏が率いる政権への移行の意味を考えることが重要である。
なぜなら、今回の事件は、自らに振りかかった政治とカネをめぐる疑惑に空疎な説明しかせず、質問が肝心の献金の出所に及ぶと、<秘書に任せている>、<公開さえすれば、資金の出所は問わない>と居直る政治家に政権を担う資質があるのかどうかを問いかけているからである。「国策捜査」と付和雷同する前に、今回の事件で露見したような資質の政治家が首班に指名されるであろう政府・与党に政権が移行したとして、それが国民にとってどういう意味があるのかを胸に手を当てて考えてみてはどうか――問われているのは有権者の理性なのである。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/2-f742.html
政権交代の虚像をあぶり出した西松献金事件(2)
魚住昭氏の逆立ちした検察良識論
『毎日新聞』の2009年3月12日夕刊の4面<特集ワイド>欄で「西松事件の読み方」と題する大きな特集が組まれ、元東京地検特捜部検事の郷原伸郎氏、ジャーナリストの魚住昭氏、元毎日新聞司法記者の山本祐司氏の談話が掲載された。一つの問題について多様な意見を伝えるという点で読みごたえのある紙面とは思ったが、郷原氏、魚住昭両氏の見解には、先の記事で取り上げた大谷昭宏氏の場合と同様の強い異議を感じた。
まず、魚住氏は、東京地検が政権や自民党の指示に従うことはあり得ないとして、今回の事件を「国策捜査」と非難する主張を退けている。ところが、そうはいいながら、魚住氏は「検察上層部に『今回の摘発で小沢氏が首相になる芽は消える』との計算がなかったとは言い切れません」とも述べ、「以前の検察ならば、政治介入に対する自制心が働いたはずです。現場のはやる気持ちを、上層部が待ったをかけた。『政治資金規正法なんかでバッジ(国会議員)を取れるか』という良識もあった」と述べている(『毎日新聞』2009年3月12日、夕刊)。
こうした言い方は、今回の問題を政治資金報告書の書き方の問題として片付けようとする小沢氏側の言い分と軌を一にしている。驚いたことに、郷原氏も次のように述べている。
「今回の容疑は4年間で寄付総額が2100万円。しかもすべて報告書に記載されており、寄付の名義を偽っただけ。<過去の類似の事件と比較して>金額の規模や悪質性の面で軽微であることは否定できません。」
念のため断ると、魚住氏の記事にせよ、郷原氏の記事にせよ、本人の原稿ではなく、ご両人が取材に応じて話した内容を記者が文章化したものと思われる。以下、私が問題視する箇所がご両人の見解を正確に伝えていないのなら、事の重要性から訂正を申し出られる必要があると思う。以下では、記事がご両人の見解を正しく伝えているものと前提して私の感想を述べたい。
まず、魚住氏の見解について。不可解なのは魚住氏が東京地検特捜部は「政権や自民党の指示に従うことはあり得ない」といいながら、「地検が強い姿勢で臨んだのは、小沢氏絡みだからでしょう」とあえていう意味は何なのかである。魚住氏は確たる裏付け証拠に基づいて、検察上層部に「今回の摘発で小沢氏が首相になる芽は消える」との計算がなかったとは言い切れないといったのだろうか? そうであるなら、その証拠を提出すことがぜひとも必要であった。そうした証拠も示さないままでは憶測の域を出ないと受け止められてもやむを得ない。
しかし、ここで重要なことは検察の意図を憶測することではなく、小沢氏や二階氏にまつわる疑惑の解明である。これについて、これまでの報道によれば、小沢氏や二階氏側は、資金の出所が西松建設やその他大手ゼネコンであることを十分認識していただけでなく、小沢氏側からは西松建設に献金の方法、金額の割り当てまで指示していたとされる一方、小沢氏や二階氏の側からは、こうした報道を退けるに足る反証がこれまでのところ、何も示されていない。肝心のこの点を不問にして、小沢氏や二階氏周辺を捜査するのを自制することがなぜ、「良識」なのか? 捜査するべき事案であるにもかかわらず、近く首相になる公算が高い政治家だとして捜査に手心を加えることこそ、「国策捜査」以外の何物でもない。それによって、小沢氏が首相になる芽が消えたとしても、それは関知するところではないという態度こそ、検察当局の良識というものである。
<たかが政治資金収支報告>か――郷原信郎氏の見解への批判――
郷原氏が、小沢氏側では西松ダミーからの献金も「すべて<政治資金収支>報告書に記載されており、寄付の名義を偽っただけ」と語ったのには驚きである。このようなもの言いは、今回の西松建設ほかの不正献金疑惑は政治資金の報告書の記載のあり方に過ぎないと見なすのも同然であるが、ここで問われるべきことは、小沢氏側や二階氏側は<なぜ>そうまでして名義を偽らなければならなかったのかである。
そのわけは、政治家個人やその資金管理団体への企業からの献金を禁止している現行の政治資金規正法を裏金で受領するリスクを避け、表の金という装いで「適法に」受け取れるよう、西松建設のOBが代表を務め、同社の社員が収める会費で献金の原資を捻出するダミーの政治団体を作ったのである。しかも、社員が収めた会費は後日、賞与への上乗せという形で西松建設が負担したという。なぜ、そこまでして西松建設が献金の原資を負担したのかといえば、東北地方で公共工事の発注に強い影響力を持つ小沢氏側の影響力を自社に有利に働かせるためである。とすれば、西松建設としては、献金の原資の出所が西松建設であることを小沢氏に伝わっていなければ意味はないことになるし、小沢氏側としても西松建設から受けた献金であると認識していることを献金元に知らしめることが、公共工事の発注にあたっての自分の影響力を誇示する上で必要であったという見方は十分成り立つ。
このように考えると、今回の西松建設献金事件は単なる政治資金収支報告書の記載が不備であったかどうかの問題ではなく、自己の政治的影響力を武器にして営利企業に政治資金を献金させ、そうして調達した潤沢な政治資金を力の源泉にして政治勢力を膨張させるという構図――金に物をいわせる下劣な政治――を許すのかどうかという問題に直結するのである。
この点で、「特捜検察がいわば聖域とも言える『表献金』にあえてメスを入れたのは、表面上は適法な献金であっても、実態次第では厳しい態度で臨むのだというメッセージに他なりません」という山本祐司氏の見解がまっとうな意見である。
これと比べて、今回の西松建設献金事件を<小沢氏と検察のガチンコ勝負>(大谷昭宏氏)とか、<小沢氏対特捜の最終章>(星浩「政態拝見」、『朝日新聞』2009年3月10日)などと高みの見物を決め込むもの言いは、ジャーナリストとしての資質を疑わせる批評精神を欠いた記事である。
2009年3月15日 (日)
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