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● トイレのない公園
先日、幕張新都心を千葉市街方面に向かって自転車で走り、生理的欲求を催してトイレを探したときのことだ。
見渡す限り立派に整備された市街、コンクリート・アスファルト・人口植樹の公園・並木道、ハウジングセンターの展示家屋を並べたような家々、どれも、すべて同じだ。金太郎飴のような景色が延々と続く。
点在する人たちも、すべて同じ格好をしている。人の臭いの少ない無機的な光景は、まるでコンピュータで管理された巨大牧場を見ているようだった。
計画された現代都市とは、このようなものかと、人工的な秩序など、ほとんど見あたらない自然ばかりの山里、庭先に熊やカモシカの跋扈する田舎に住む筆者には呆然とするばかりの景観だった。けばけばしいネオンも看板もなく、淫靡な風俗街もなく、アメ横のような、人いきれで泡立つような賑々しい商店街もない。パチンコ屋もラブホテルもない。
美しく整備された公園もたくさん設置されている。しかし、驚いたのは、どの公園にもトイレがないことだ。水飲み場もない。あったとしてもハンドルが抜かれ水は出ない。それにゴミ箱もない、飲料水自販機もない。
欲求は募るばかり、やむをえず並木道の木陰で用を足す羽目になったが、長々と放水している最中に近隣を通過する住民の不快そうな表情が心に突き刺さった。
「どうして、ここいらの公園にはトイレやゴミ箱、水がないのか?」
と地元に住む知人に聞いてみた。すると、トイレや飲料水のある公園にはホームレスが居着くことが多いし、トイレが性犯罪の温床ということで不審者追放のため撤去したらしい。ゴミ箱はテロ対策だそうだ。自販機がないのは、景観条例で街頭に置けないようになったらしい。あっても空缶ボックスは置かないのだそうだ。
「子供たちなんか、公園で催したとき、喉が渇いたときなんか、どうすんだい?」
これは、いちいち家に帰って用を足すということのようだ。しかし、それでは我慢しきれずに漏らす可能性も増えるだろうと余計な心配をせずにはいられない。
筆者らの子供時代は、どこにもトイレなどなかったが、至る所トイレであって、そこら中で立ち小便をする光景が当たり前だったし、中高年女性だって、道ばたでしゃがんで用を足す光景も珍しくなかった。さすがに若い娘の用足しを見た記憶はないが。
いずれにせよ、見かけは美しく立派な公園だが、催していちいち帰宅しなければならないのでは利用者も少ないわけだ。確かに、どの公園も閑散としていた。喉が渇いても、水も飲めず、飲料も買えず、買ったとしてもゴミを捨てられないから持ち帰らなければならない。なんと不便な街なのだろう。
何かの用事で、この町を訪れた人たちは、「公園に行けばトイレがある」なんて常識をアテにしていたら大変なことになりそうだ。なにせ、コンビニや喫茶店も非常に少なく、延々と住宅街が広がるのだから、右往左往することになりかねない。
この街は、訪問者に優しくない街だけでない、居住者にだって優しくない。買い物に出てもトイレが簡単に見つからないし、公園で長時間遊ぶこともできない。
たぶん、漏らしてしまう人も多いのだろう。となると、昔、変態エロ小説作家を目指していた筆者としては、この街では、きっと「お漏らし趣味者の会」あたりが成立して、オシメをつけて喜ぶマニアが激増するにちがいないと睨んでいる。
変態趣味なんてのは、要するに、普段、ありのままの真実の自分を表に出せない人が、ウソばかりついている心の重荷を変態趣味で吐き出し、バランスをとるために成立するものなのだ。
だから、SMに夢中になる人たちは、社会的地位の高い人が多い。マゾヒズムに夢中になる女性は、有名企業の女性管理職や医師・弁護士・教師などが実に多いのだ。以前、殺人事件の被害者になった娼婦も、普段は東京電力の課長だったなんてことがあった。
自分たちの小さな安全を守るために、不審者を追い出し、寄せ付けないためにトイレを撤去し、水道も撤去し、自販機もゴミ箱も撤去する街。見せかけは清潔でキレイだが、住民の誰も、きっと自宅から外に出たくないだろう。出かけてもトイレを探して右往左往し、喉が渇いても水も飲めないのだから。
不審者と一緒に、生活の自由と利便性も追放してしまったわけだ。
翻ってみれば、こうした滑稽な規制というのは、現代日本の矛盾を象徴しているように思える。
満員電車に乗れば、電車の揺れで女性に触れようでもするなら、被疑者とされて逮捕され、どんなに説明しても痴漢と決めつけられて数十日の拘留、あげく1年以上の実刑判決となり、会社は解雇、社会から追放されてホームレス人生が待っている。
こうなると、電車通勤も命がけのサバイバルになりそうだ。会社で部下のOLにお茶を頼んだり、エッチなことを言ってからかっただけでセクハラ・パワハラと認定されて、いかんなる弁解も認められず追放される。
こうなれば、見猿・言わ猿・聞か猿で、何事もなく波風を立てずに身をかがめて生きてゆくしかない。安心してホンネでいられる場所など、どこにもないのだ。
日本は本当に凄い国になった。むきだしの太ももを広げて美しく着飾って歩いている女子高生やOLをニヤニヤして見つめただけで、痴漢・変態と認定され、喜んで記念に写真でも撮ろうものなら痴漢どころか、盗撮罪で実刑判決を食らうことになる。
それでは、男のエロ視線に酔って大胆な衣類を着たり、肌を露わにする女性は? といえば何のおとがめもないわけだが、こんな愚劣な倫理を強要する社会であるなら、やがて肌を露わにする女性も犯罪者という方向に向かわざるをえないだろう。
男にとっては女性を見ることは楽しいものだ。エッチに喜びを感じるように設計されているからだ。だが、それを犯罪として糾弾し、制裁する社会がやってきたのだ。
これでは、まるでイスラム諸国における旧約聖書原理主義が日本に持ち込まれたに等しいのである。
旧約聖書原理主義とは、一度、旧約聖書を読んでみることを勧めるが、男女の自然な感情を刑罰で抑圧し、苛酷な倫理を強要するものだ。
例えば、未婚で男性とセックスしたり、強姦されて処女を失ったり、あるいは人妻が不倫したりしたことがばれるとどうなるか? 女性には死刑が科せられる。それも投石で殺害するように定めている。これは、今でもイスラム諸国の多くで実際に毎日、実施されている。興味のある人は、http://www.liveleak.com/でそうした動画を探せば、残酷な処刑殺害動画が山ほど出てくる。
これは要するに、人々の自然な感情を刑罰の恐怖で抑圧し、人に真実を言わせない雰囲気を作り、見せかけだけのキレイゴト、ウソの倫理を社会常識として民衆に強要することで、権力がタテマエだけで民衆を統制しやすくするためのシステムなのである。
日本も、こうしてホンネの言えない社会、タテマエだけで人を刑罰や規制でコントロールしようとする社会になったわけだ。
こうした社会を準備した人物を筆者は知っている。その名を正力松太郎という。
彼は戦後、CIAのスパイであり日本の保守政権の黒幕であり、松川・三鷹事件などあらゆる謀略事件を通じて、国民を刑罰の恐怖で統制する社会を目指してきた最高指導者であった。
そして彼の意志は、後に、中曽根康弘によって引き継がれ、今では、大林宏(最高検長官) 漆間巌(元警察庁長官、官房副長官)らによって引き継がれている。
彼等こそ、公園からトイレを撤去し、若者たちの女性への関心を犯罪に変えて、死刑の恐怖で国民を統制し、ホンネで生きる国民を刑罰で追放している人物なのである。
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm(2009 3月12日)
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