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「小泉政権の本質をけっして言わないあくどさ!!
与謝野馨財務・金融・経済財政相が、小泉政権が執行した経済政策について「間違い」だと指摘したが、私としてはそれをそのまま看過できない。
「小泉政権の経済学は「間違い」 財務相、参院予算委で
与謝野馨財務・金融・経済財政相は10日の参院予算委員会で、小泉政権の経済政策に関して「世界が順調に成長していくという前提の経済学だった。その証拠に中小企業金融公庫や日本政策投資銀行などを民営化しようと、そういう政策金融機関は不要だ(と判断した)」と指摘した。その上で「不況が来ないことを前提とした経済学で、間違いだった」との認識を示した。
小泉構造改革については「財政出動を手控えていたため、副作用が起きたのは間違いない」と表明。「やむを得ない側面があったにしろバブル(経済)の後始末の過程は日本社会につらいことで、その間に非正規雇用が生まれた」などと述べた。
NIKKEI NET 11日 (00:42)」
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090310AT3S1001F10032009.html
与謝野大臣は、一介の市井の人とは立場が異なり、その発言には充分な責任がともなう。ましてや与謝野氏は財務大臣、金融大臣、経済財政担大臣という三つの重責をともなう省庁の統括責任者である。その人間が小泉政権が実行した「経済学」を、国民に誤解を与えかねないいい加減さで批判していることは許しがたい。日本人全体が惨憺たる生活破壊から立ち直り、全体として国民の幸福に寄与する経済が実現するためには、為政者や有識者が小泉政権の正しい総括を行う必要がある。ところが、与謝野氏の小泉政権批判はまったく批判にもなっていないばかりか、あの政権が産み落とした無意味で残酷な社会荒廃の現実を覆い隠す魂胆がある。
上記のような物言いで小泉政権の本質を誤魔化されてしまっては、この政権によって自殺した者や倒産した多くの無念な企業が浮かばれることはないだろう。それに、このようなデタラメな総括まがいを吹聴されて、納得したら、いつまた小泉・竹中構造改革路線のような悪魔の政策が猛威を奮うかわからない。
「世界が順調に成長していくという前提の経済学」だったと言うのは、外需頼み、サプライサイド一辺倒の小泉・竹中構造改革路線では、まさにそのとおりなのだが、「不況が来ないことを前提とした経済学で、間違いだった」というのは、日本の市場構造の大破壊を行った小泉政権の本質から目をそらす、まったく誤まった物言いになっている。「不況が来ないことを前提とした経済学」などという亡羊とした言い方では、成長が右肩上がりで続くと思われた高度経済成長時代をとらえる物言いと何ら変わるものではない。
つまり小泉政権の負の出力は、経済政策上の一部の過誤であり、全体としての方向性は正しかったと断言しているようなものである。これは悪質なごまかしである。小泉政権とは、従来の日本型の修正資本主義の文脈からは天と地ほどのずれがあり、あれはネオリベ革命政権と断言してもよい。米国に都合のよい傀儡国家に日本を改変するために、それまでの日本型伝統と然るべき民族共同体の知恵で築き上げた、いわゆるケインズ的な富の再配分構造を徹底破壊した悪魔の所業であった。富の公平配分システムを破壊した上、一部の富裕層と米系国際金融資本に極端な傾斜配分を行う売国的改変作業が小泉政権であった。
弱肉強食の市場原理至上主義、福祉を消滅させるという意味での小さな政府、アメリカによる内政干渉に阿諛追従(あゆついしょう)した隷属政策、国富収奪を目論む米系外国金融資本(外資)の参入手引き、インフラ破壊と膨大な郵政資金流出の郵政民営化、教育バウチャー制度の検討など、小泉政権は紛うことなき新自由主義政策であった。このネオリベ政権を踏襲した安倍政権は「美しい国へ」というスローガンを掲げながら、教育バウチャー制度(クーポン券で学校を自由に選べる制度)の導入を検討した。これはネオリベの大御所・ミルトン・フリードマンの「政府からの自由」に書かれている思想に基づいている。
保守思想と資本主義、左翼(革命)思想と共産主義は一般には整合性があると思われている。しかし、新自由主義はそのどちらにも与しない。それは伝統を完全否定するからだ。つまり、つまり、広義の意味におけるアンシャン・レジーム(革命以前の世界)の全否定が基礎になっているから新自由主義と保守(右翼も含む)にはまったく整合性がない。その意味で小泉政権には保守政権とはまるで異なる異様なものだった。
強いて言えば、あれは「ネオリベ革命政権」であり、人間の尊厳を著しく欠損する「極左急進的無政府主義」である。それは後期高齢者医療制度の設立思想を考えればよくわかることだ。人間存在への慈しみとか生命への畏敬などという人間社会の根底にまつわる要素が欠落しており、剥き出しの資本論理だけが優先される無情で荒廃した社会が形成された。小泉政権をひと言で言えば「身売り政権」である。国民の財産や労働成果を湯水のように外国資本に捧げる政策に邁進し、セーフティネットをとことん破壊し尽くした。
民営化というのは、国営の事業を効率の向上という掛け声だけで民間の市場原理に委ねれば経済効果が上がるという旗振りなのだが、その実態は北海道大学の山口二郎教授の言うごとく公共財産の私物化であり、民営化や規制緩和とは、一部の政商や外国資本が大儲けを企む発想が基になっている。そのために法的な傾斜配分システムを構築した。これによって庶民に回ってくるべき富や仕事の機会は著しく損なわれたのである。
与謝野氏の語ったことで特に悪質なのは、「小泉・竹中構造改革路線は、『財政出動』を手控えていたために副作用が起きた、『やむを得ない側面があったにしろバブル経済の後始末の過程は日本社会につらいことで、その間に非正規雇用者が生まれた』」というのは、小泉政権の悪の本質から人々の関心をそらしている。非正規雇用者が生まれたのは、根底に政府が企業雇用の利便性のみを重視したためであり、労働者の生存権がないがしろにされたからである。これも人間無視のネオリベの特徴である。
私はこのブログで感度も書いているが、小泉政権の欺瞞性は、国策としてモデル化した経済学が「新自由主義モデル」であるということを、政府関係者が公式の場でけっして国民に向かって言わなかったことにある。国民にわかりやすく、今の政策モデルは完全な新自由主義ですよと国民に説明すれば、国民は確実に反発して倒閣世論を形成することがわかりきっていたからだ。だからこそ、政府は現今の政策がアメリカに指令された新自由主義モデルであるということをひたすら押し隠した。それは現在の麻生政権でも続いている。
為政者は、小泉・竹中構造改革路線は負の遺産を多く残したという言い方はよくするが、その構造改革が米国主導の新自由主義だったと説明する者は皆無だ。産業革命直後のイギリスの資本主義経済は資本家が搾取の鬼となり、一般国民は惨憺たる労働条件と低賃金に呻吟した。剥き出し資本主義の横暴がまかり通っていた。ちょうど、アメリカが世界各地に伝播させたネオリベ政策もそれに近い非道なものだった。それでも欧米では、ある時期はマックス・ウエーバーの言うようにキリスト教倫理が資本主義の暴走を抑えていた面はあったように思う。しかし、アメリカはとっくにその抑制を失い、世界に先駆けて極左急進的無政府主義の経済感覚に突入しており、それが夜警国家化を強めて軍を強力にした。
アメリカのパワーエリートの頭にあることは、いかにして他国から金融的な富を収奪するかにある。この作戦に完全に乗ったのが小泉・竹中構造改革路線推進派である。小泉政権を総括し、見直すなら、かの政権の売国性をきっちりと見定め、国民にその実態を強く認識させることだ。今の自民党員は卑怯である。自分は小泉政権には批判的だったとは言うが、何に対して批判的だったのかということを言わない。やっぱり、国益を考え、国民の幸福原理を思うなら、米国の対日政策の実態を国民に啓蒙することが政治家の良心だと思う。
その意味で、小沢一郎氏の『第七艦隊』発言には日本再生の鍵がある。確実に見えることは、テレビや新聞が、中川秀直氏や小池百合子氏など、偽装CHANGE派を第三極として祭り上げようとしている動きだ。彼らは地獄の小泉構造改革推進派である。彼らはアメリカに盲従し、日本国の国柄(くにがら)も国益も売り飛ばす最悪の亡国の徒であることを一刻も忘れてはならない。
小泉政権が強行した千項目以上に及ぶ規制緩和を見直すべきだと思う。その相当数が国民に不利益な改竄になっていることは間違いない。」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/03/post-a752.html
この記事で神州の泉管理人さんが批判しているのは与謝野財政金融担当相ですが、この批判は鳩山総務相にも当てはまるように思います。鳩山氏は、確かに竹中元郵政民営化担当相や西川郵政株式会社社長の批判を行っていますが、その一方では「郵政民営化は基本的には正しかった。郵便事業が国営に戻る事は無い。」と断言しています。やはり鳩山氏も「小泉構造改革」を否定する事はしない、という事です。植草氏は「構造改革派」を常に「偽装CHANGE派」と呼んでおられますが、「麻生政権の改革見直し姿勢」もやはり「偽装CHANGE」と言えるのではないでしょうか。
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