★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK59 > 890.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 地検幹部の創価学会汚染(創価学会員の存在)を洗ったほうが早いような気がするお粗末さ… 投稿者 外野 日時 2009 年 3 月 08 日 11:26:22)
検察官にも信仰の自由があり内心の自由のほか職務と無関係な宗教活動をすことは公正・中立を疑われるようなものでなき限り許されることであろう。しかし、所属する宗教団体の捜査に関連して、公正・中立を疑われるような職務遂行は許されるはずがない。
創価学会信者の検察官の公正・中立を疑われるような職務遂行の一つに1995年に東村山市で起きた、朝木明代市会議員の死亡事件がある。創価の脱会者の支援活動など創価学会に批判的な活動を続けていた朝木明代議員は、1995年9月1日夜10時、東村山駅そばのビルの上層階から転落して死亡した。死の直前まで本人がいた現場近くの事務所には、翌日の講演のレジュメを打ち込んだワープロが電源をつけっぱなしになっていた、明代議員の事務所の鍵が平成7年9月2日タ方になってから転落したマンションの2階踊り場付近で発見された、靴が発見されなかったなど不自然な状況が重なっていたことから殺人の疑いが濃厚であり、被害者である朝木議員の親族や支援者達は創価学会による組織犯行を強く疑っていた。
検察と警察の捜査当局は、最初から「他殺ではなく,自殺の可能性が濃厚」との線を打ち出し、最終的には「自殺」と断定して捜査を終結した。ところが、事件を担当した検察官は創価学会の信者の信田昌男氏であり、上司の地検八王子支部の支部長吉村弘氏も創価学会の信者であった。二人の検事は、被害者側から殺人の実行組織だと指摘されている創価学会のメンバーだったのである。事件処理の公正さを考えるなら、被害者側から犯行を疑われている創価学会の検事が捜査に当たることは忌避されるべきであるが、吉村弘氏の場合は自らも捜査に関与した他、あえて創価学会信者である信田昌男に事件を担当させたとのである。一般人が創価学会や公明党と刑事事件となるようなトラブルが生ずれば、相手側の身内の検事が現れて事件を都合のいいように処理されてしまうかも知れないと考えたら恐ろしい限りである。
被疑団体の構成員が事件の捜査を担当したという外形的事実のほかに捜査内容にも不審な点がある。司法解剖を行いながら、その結果を証拠として作成する「司法解剖鑑定書」をすぐに作成しなかった。約4年後に「司法解剖鑑定書」が作成されたが、これには、朝木明代議員の左右上腕内側部に皮膚変色(アザ)が認められる、つまり、自殺を否定し、両腕をつかまれて強引に屋上に運ばれて突き落とされて殺されたことを示す事実が書かれていた。創価学会信者の検事は、司法解剖を行いながら「司法解剖鑑定書」をすぐに作成せずに「自殺」として捜査を終結させたのである。
2005年5月13日最高裁は、判決理由の中で次のように述べている東京地裁の認定を支持、朝木議員遺族と矢野議員の勝訴判決が確定している。
「司法解剖の結果、朝木明代議員の左右上腕内側部に皮膚変色(アザ)が認められたこと、明代議員の事務所の鍵が平成7年9月2日タ方になってから本件マンションの2階踊り場付近で発見されたこと、議員の靴がいまだに発見されていないこと、明代議員が同年8月において本件窃盗被疑事件が冤罪であると主張して徹底的に決意を表明していたことが認められ、これらの事実に照らせば、なお明代議員が自殺したことを裏付ける事情(警察発表)をもって、自殺を推認するに足らず、他に明代議員が自殺したと認めるに足りる証拠はない」
「自殺」として捜査を終結した検察官の事件処理は最高裁で否定されているのである。このことについて信田昌男検察官と吉村弘検察官、あるいは検事総長などの検察庁の幹部はどのように説明するのだろうか。
信田昌男検察官が創価学会信者とした根拠として1981年11月16日 『聖教新聞』につぎのような一文を投稿している事実を紹介する。
「 法学部54年度卒業 信田 昌男
社会正義を生涯かけて実現できる職業にとの考えが、創立者(※池田大作)との出会いを通して深まり、司法界へ雄飛しようと決意した。懸命に法律に取り組みつつ、つかの間ではあっても新緑やら紅葉やら「文学の池」の四季折々の散策や、私に常に心新たな勉学の日々を送らせてくれた。
卒業後の1年半は、夜警のアルバイトをしながらの受験勉強であった。つらい事もあったが、同期メンバーの、ともに社会に貢献できる人材との連帯意識に固く結ばれた友情に支えられて、今回の合格をかちとることができたと、皆に感謝している。 」
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK59掲示板
フォローアップ: