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週のビッグニュースは、映画「おくりびと」が第81回米アカデミー賞の外国語映画賞をとったことだろう。「おくりびと」にオスカー。実は、昨年10月の直言でこの映画について書いた時、これは絶対に賞をとると確信した。2007年に同賞に輝いたドイツ映画「善き人のためのソナタ」のことから書きはじめたのは、そんな予感があったからである。「ソナタ」も鳥肌がたつほどの傑作だが、「おくりびと」も、映画で涙腺を弛緩させたことのない私を大変な状況に追い込んだ作品として、記憶に残る。「故人となる個人の尊厳」をじっくり考えさせる傑作である。「死」という普遍的テーマを、ユーモアと「日本の美」とともに描いたところも、成功の秘訣だろう。ともかく、めでたい。世界38カ国で上映されるということで、「国辱」的政治家たちにより傷つけられたこの国のイメージを少しでも回復してくれると信じたい。 さて先週、もう一つのビッグニュースが飛び込んできた。目下、長沼ナイキ基地訴訟の福島重雄札幌地裁元裁判長(現在、弁護士)と共著を出す準備をしているが、その原稿執筆も最終段階となった先週24日夜、書斎の電話が鳴った。朝日新聞(大阪本社)社会部の記者からだった。岡山地方裁判所で自衛隊イラク派遣差止訴訟の原告敗訴判決が出たが、理由のなかで平和的生存権が認められたということで、コメントを依頼された。ちょうど、昨年4 月17日に名古屋高裁で出た自衛隊イラク派遣違憲判決のところを執筆しているところだったので、そのままの頭で岡山地裁判決を読み始めた。
まず、「平和的生存権が法規範性を有する」ことについては「既にほぼ異論をみないところ」と指摘して、「現時点においては、この平和的生存権が裁判所による司法審査において、裁判所により直接適用される裁判規範といえるか否か、すなわち、裁判規範性を有するか否かについてだけが争いになっている」と述べ、いきなり平和的生存権の裁判規範性について判断を加えていく。判決は、平和的生存権は文言どおり憲法上の「権利」であり、その上で憲法前文が法令審査権行使の基準となり、裁判規範性を有することも否定できないとして、「平和的生存権は、日本国憲法の基本的人権であり、裁判所が法令審査権を行使するに当たり、本文と同様に依るべき裁判規範性を有する」としている。裁判所が平和的生存権を裁判規範として、あたりまえのように認定したのは画期的といってよい。 判決はまた、被告(国)側から挙げられていた平和的生存権を否定する論拠を一つひとつ崩していく。 被告の主張には、憲法前文は抽象的・理念的性格が強く(法規範性の否定)それを根拠に訴訟を起こせない(裁判規範性の否定)、という従来の論法が使われていた。最高裁は1989年6 月20日の百里基地訴訟上告審判決で、平和的生存権は「理念ないし目的としての抽象的概念」であり、「具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえない」と判示した。被告(国)はこの上告審判決を引用して、平和的生存権に消極的評価を加えていた。だが岡山地裁は、百里上告審判決は私法上の行為の効力の判断基準にならないといっただけで、平和的生存権の存在やその法規範性、裁判規範性を否定したわけではないとして、平和的生存権否定の根拠に、この上告審判決を用いる方向をはっきりと遮断した。これは重要である。 次に判決は、被告(国)が平和的生存権概念そのものが抽象的で不明瞭で具体的権利性を欠くと主張する点をこう批判する。そもそも憲法上の基本的人権規定というものは抽象的なものであり、人権は歴史的に生成し発展するものだから、「その生成、承認の当初に当たり、権利内容や法律効果等がすみずみまで明晰かつ判明であることを期待することはできない」から、被告の主張をもって平和的生存権否定の根拠とはならない、と。このように判決は、従来からの一部学説や最高裁百里判決などの平和的生存権否定の根拠をことごとく否定していく。そして、次のように結論する。 「平和的生存権については、法規範性、裁判規範性を有する国民の基本的人権として承認すべきであり、…平和的生存権は、すべての基本的人権の基底的権利であり、憲法9 条はその制度規定、憲法第3 章の各条項はその個別人権規定とみることができ、規範的、機能的には、徴兵拒絶権、良心的兵役拒絶権、軍需労働拒絶権等の自由権的基本権として存在し、また、これが具体的に侵害された場合等においては、不法行為法における被侵害法益として適格性があり、損害賠償請求ができることも認められるべきである」。 判決はこのように、平和的生存権の性格と内容についてより踏み込んだ認定の仕方をしている。権利内容の例示もしており、自由権として、徴兵拒絶権、良心的兵役拒絶権、軍需労働拒絶権の三つを挙げている。この点はきわめて注目される。 ただ判決は、原告の主張をこの一般的枠組にあてはめた結果、その主張はすべて不適法として退けている。「本件派遣は、原告らに向けられたものではないし、 これによって原告らが直接にイラク戦争への参戦を迫られ、現実にその生命、身体の安全等が侵害される危険にさらされたわけでもないのであって、原告らの主 張する上記精神的苦痛は、具体的権利としての平和的生存権によって保護されるべきものであるというにはあまりに現実的な根拠に乏しい」として、原告の主張 は「未だ平和的生存権により保護されるべき被侵害法益性を有しない」と結論した。 なお、本件派遣の違憲性、違法性については、「仮にこれが原告らの主張とおりに違憲、違法であったとしても、原告らの法益を侵害し、損害賠償を要することはないことになるから、裁判所による法令審査権行使における必要性の原則に照らし、この点については判断しないことにする」とした。 この結論に怒った原告からは、「岡山地裁の裁判官は憲法判断から逃げた。怒りを感じる」といった反応が出てきた(『朝日新聞』(大阪本社)2 月25日付)。だが、昨年4 月の名古屋高裁もまた、原告の訴えはすべて退けている点を想起すべきである。判決理由のなかで原告の主張がどこまで認容されたかという点で見るならば、少なくとも平和的生存権論に関しては重要な成果をかちとったといえるだろう。本判決の意義として、次の3 点を指摘したい。 第1 に、平和的生存権の裁判規範性をより強固なものにしたことである。平和的生存権は、それを根拠にして訴訟を起こすことができる憲法上の権利であることは、長沼一審判決、名古屋高裁判決に続いて、今回3 件目の判決が出たということでより強められた。他の2 判決に比べて、本判決が、「既にほぼ異論をみないところとなっており」という形で、平和的生存権を当然のものとして扱っている点も注目される。 第2 に、平和的生存権否定論の論拠を徹底して論破したことである。本判決により、もはや百里最高裁判決を挙げるだけで平和的生存権を否定することはできなくなった。平和的生存権の今後の発展にとり、百里最高裁判決の「呪縛」を解く、実に重要な試みといえる。本判決において、被告(国)の平和的生存権否定論は退けられたわけであり、この点に限れば、原告の実質的な勝訴ではないか。 第3 に、平和的生存権の権利内容充実の方向が示唆されたことである。昨年の名古屋高裁判決は、平和的生存権を「複合的権利」として構成し、とりわけその自由権的側面において、9 条違反の行為に加担・協力を強制されたときは、裁判所に違憲行為の差し止めや損害賠償請求ができるとして、平和的生存権を具体的権利として認定した。これもきわめて重要なことだった。今回の岡山地裁判決は、さらに権利の具体的例示を行っている点は、名古屋高裁判決を一歩進めたものといえよう。ただ、列挙されている三つの権利の内容は必ずしも明確ではない。徴兵拒絶権と良心的兵役拒絶権とは別のものなのか。おそらく前者は、徴兵制一般からの自由ということで、憲法18条(意に反する苦役)と連動し、後者は「汝殺すなかれ」の宗教的な信念に基づくもので、19条と絡む可能性もある。ただ、両者を自覚的に区別して挙げたどうかは不明である。また、軍需労働拒絶権は、私企業(軍需産業)での特定態様の労働(戦争協力のための輸送、兵器の生産等)を拒否することで、意に反する苦役からの自由だけでなく、軍需労働拒絶により解雇されない権利まで含むのだろうか。例示された権利にはなお課題を残すものの、権利内容を具体化しようとする姿勢は評価に値しよう。 名古屋高裁判決は、イラクにおける航空自衛隊の空輸活動が、武力行使を禁止した憲法9 条1 項、イラク特措法2 条2 項、3 項に違反するかという角度からアプローチして結論を出してから、差止めの根拠としての平和的生存権の認定に入った。 これに対して岡山地裁判決は、イラク派遣の憲法適合性の認定からではなく、まず平和的生存権の認定から入った。原告の請求が、平和的生存権に基づき、本件派遣が違憲であることの確認を求め、かつ派遣の差止め、原告に慰謝料を求めるという形をとったとして、前提問題として、先行して平和的生存権の認定を行ったわけである。その結果、この判決では、自衛隊のイラクでの活動の憲法適合性の認定は、詳細に行われていない。「本件派遣の違憲性、違法性については、仮にこれが原告らの主張するとおりに違憲、違法であったとしても、原告の法益を侵害し、損害賠償を要することはないことになるから、裁判所による法令審査権行使における必要性の原則に照らし、この点については判断しない」とかわしている。 派遣の憲法適合性に関する上記の結論を出すためだけだったら、平和的生存権について、あそこまで詳細に認定する必要はなかったという意見もあり得よう。あえていえば、判決は、平和的生存権の重要性を強調する一方で、原告らの訴えの仕方に課題を投げかけたと言えなくもない。 判決についての評価は、原告の間で割れているという。原告の気持ちもよく理解できるが、この判決については、平和的生存権についての被告(国)の主張を徹底的に否定し、その裁判規範性を強化して今後につないだことを、成果として評価すべきではないか。本稿執筆時点で原告が控訴するかどうかは不明だが、名古屋高裁判決と同様の扱いとなることを期待したい。 なお、岡山判決へのメディアの注目度は低い。新聞の扱いにも温度差が見られる。『朝日新聞』(大阪本社)2 月25日付には、私のコメントも文中で使われた。「水島朝穂・早稲田大学法学学術院教授(憲法)は『平和的生存権の裁判規範性を積極的に承認するとともに、具体的権利内容を例示して、損害賠償請求や差し止めの根拠になるとしたのは高く評価できる。原告側に今後の訴訟のヒントを与えた』と語った」と。だが、東京本社版では、このコメントを含めて、判決の詳しい紹介はすべて削除されていた。 さて、何度も書いてきたように、イラク戦争は国際法違反の戦争である。「復興支援」であれ何であれ、自衛隊をそれに派遣することは違憲である。この数年間の直言で、「イラクに派遣される自衛官に」や「君、殺されたまうことなかれ」なども出した。岡山地裁判決のいう、平和的生存権の具体的内容の適用場面を想定すれば、自衛隊員の海外派遣任務の拒否や、軍需産業の労働者がロジスティック(兵站)支援の一部に組み込まれて出向させられることを拒否することがある。その場合、いかなる法的構成により、平和的生存権の具体化をはかるかが問われていくだろう。 昨年4 月の名古屋高裁判決に対して、「そんなの関係ねぇ」と言い放った空幕長のことは記憶に新しい。この年に「論文」問題を起こして、幕僚長の職を解かれたが、その後この人物は増長し、メディア露出度を高めている。次週は、この問題について既発表の原稿をUPする。
付記:福島重雄・大出良知・水島朝穂編著『長沼・自衛隊違憲判決』(日本評論社 A5版 予価2835円)は4 月中旬に刊行されます。 |
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