その3 転換期の今、私たちは何を目指すのか?>>>>その1へ >>その2へ 世界の金融バブルがはじけた今、その余波は急速に日本社会を覆い、不安が広がっています。 増え続ける「貧困」問題など、社会が衰亡期にあるとみる人もいますが、 だからこそ新しいシステムへの転換期だと考えることもできるのではないでしょうか? 混迷する日本社会。セーフティネットはどこへ?
編集部 アメリカと日本の状況がよく似ているというお話を、(その2)で伺いましたが、年末年始の「派遣村」の一連の報道によって、日本にも「貧困」がこんなに身近にあるということが、かなり認知されました。堤 そうですね。湯浅さん達のした事はとても大きな意味をもっていたと思います。あのあとで地方でも失業支援が拡大したし、在日外国人のための派遣村も出てきましたね。来月、湯浅誠さんとの対談本『正社員が没落する』(角川新書)を出すんですが、その中でもこの派遣村の話が沢山出ました。あれを、特殊な状況の可哀そうな人たちとして報道するのではなく、本質的な問題提起に掘り下げて差し出すのはメディアの使命だと思います。生活保護をセーフティネットだと考えるとおかしくなるんですよ。生活保護を受けなければいけない人を出さないことが、政治の役目だから。餓死者を出さない為には、生活保護予算を引き上げたり水際作戦で受給者を減らすより、生活保護の手前で教育や医療、暮らしのエリアにセーフティネットを張る事が必要です。 アメリカで餓死しないための最後の行き場は生活保護か軍か刑務所ですが、対談の中で湯浅さんは、「もやい」にも「派遣村」にも自衛隊から勧誘が来ていると言っていました。本年度の法務省の「犯罪白書」のテーマは高齢者犯罪でしたね。餓死したくない高齢者は刑務所、若者には軍、という状況が出来つつあります。 森永 去年、渋谷駅で高齢の女性がナイフで人を通り魔的に刺しましたね。その女性は、「万引き程度では刑務所に入れられない。殺人未遂といった重大な犯罪を起こさないと留置所に入ることができないから、刺したんだ」そう答えたそうです。もう、こんなばかげた社会はないですよね。日本も刑務所が、セーフティーネットになってしまっているというのは、アメリカと一緒ですね。 派遣村については・・・私も、先日「もやい」には、寄付をしました。お金を出すだけしかできませんでしたが、その後、ずっと考えていたことがあります。湯浅誠さんは、本当にすごくまじめに一生懸命やっているのですが、彼がやっていることは、果たしてNPOがやるべきことなのかどうか? ということです。どう考えても、彼らがやっていることは、国がやるべきことなんですよ。そうじゃないと、何のために国があるのか、わからない。でも、国はやらないんですね。 編集部 国がやらないから、「もやい」がやっているとも言えますね。 森永 今回だって、大みそかに派遣村が日比谷にできて、厚生労働省が講堂を開放すると決めたのは、1月2日の夜です。それまで、ずっと放置していたわけです。そして、厚労省の講堂から次の引き受け先も、全部東京都が用意し、そこへ移動するバスも東京都が用意した。ここでも国は何もしなかったわけですよ。こんなばかな国はあるのかなと思います。 それにしても麻生さんがもう少し知恵がある人だったら、派遣村に飛んで行ってテレビカメラがまわっているところで、国の対応策を話し迅速に実行しますと言ったでしょうね。そうすれば国民も少しは安心したし、支持率もここまで落ちなかったかもしれない。 だって、今までずっとまじめに、車や電気製品をつくっていた人が突然ホームレスになってしまったんですよ。何も悪いことをしていないのに、路上生活になるなんて、そういうことが実際にこの日本で起こっているということに対して、国民はみんな不安で仕方がない。でも、首相も大臣も行きませんでしたね。いったい彼らは何を考えているのか、さっぱりわかりませんよ。 編集部 切られても、すぐに次の仕事が見つかるわけでもなく、家も同時に失うシステムになっている今の派遣、特に製造業の派遣は、本当に深刻です。 アメリカでも動きだした組合と市民活動
編集部 「貧困」にまつわる現状については、日本とアメリカが非常に似ているということを、ずっとお伺いしてきました。ここで、明るい話も少し聞いておきたいのですが・・・何かないでしょうか(笑)堤 そうですね。私は今「貧困大国アメリカII」に着手しているのですが、アメリカではますます状況が悪化する一方で、価値観の転換をする人が増えてきています。自動車大手3社のビッグ3*が破綻して公的資金注入をするかどうかで議論になった時、その条件として全米自動車労組(UAW)は労働者コストを米国トヨタと同じレベルに下げろと言われて拒否したんですね。UAWの特別待遇(ジョブス・バンク)*は、高コストと言われ、既得権益を手放さないとして組合がとても叩かれました。でも実はそこには従業員の医療費や福祉、退職手当などが含まれていて、組合はそれを守ろうとしていたんです。 米国トヨタは従業員にそう言った保証をしていない分コストが低い。それを見て他の業界の組合員が「この国を立て直すひとつのカギはやっぱり組合再生だ」と言い始めています。 UAWのスタッフにインタビューをした時も「倒産したくなければ従業員を犠牲にしろと言われた時、この国の経済を支えてきたのが労働者だと気づき、逆に闘志が湧いたんだ」と言っていました。たとえ今回それをあきらめなければならなくなったとしても、それを守ってきた事を誇りにし、必ずもう一度取り戻してみせると。アメリカは日本と違って産業別組合なので個々の会社の御用組合のようになりにくいという強みがあります。韓国もそうですね。日本にとっていいモデルになるとおもいます。 その他でも口をつぐんだために戦争開始に一役買ってしまったことを悔やむジャーナリスト達は今、メディア民主化のために連帯し始めているし、教師たちは州を相手に違憲訴訟を起こしている。今まで刷り込まれてきた価値観や走り続けてきた方向を見直すことで、未来をつくりなおそうと動き出す人々のうねりが生まれ始めていますよ。日本が後を追っている分野ですね。 *ビック3:ゼネラルモーター、フォードモーター、クライスラーの米三大自動車メーカー。 *ジョブズバンク:ビック3とUAWの労働協約で導入された、レイオフ(一時解雇)期間中も組合員に賃金の85%を保障するという制度。組合員の乱用の象徴とされ、自動車業界関係者以外からは“デトロイトのお手盛り待遇”と揶揄されるように。2008年12月に廃止。 編集部 日本でも最近、新しい形のユニオンの活動が注目されています。 堤 経済が破綻したからと生活保護を厚くしても駄目、誇りを持って働けるという所まで引き上げるには組合の存在が不可欠です。ここでは紹介しきれませんが、新しいスタイルの連帯が次々に市民の間に生まれ始めていて、それを州が後押ししています。 オバマさんがイスラエル支持を表明しても、市民単位では、イスラエル製品の大規模なボイコットが始まっています。チェンジは期待するものではなく起こすものだと気づいたアメリカ市民が本当の意味でアメリカを再生させるでしょうね。 編集部 そうですね。労働組合については、今年の最初にジャーナリストの鎌田慧さんにインタビューを行なったのですが、その際、「日本社会や労働の現場はすごい悲惨な状態だけど、希望は新しいスタイルの組合だよ」とおっしゃってました。 労働者抜きで決まる財政会議
森永 私もそう思うんですけれども、例えば日本では、“組合外し”というのを政府がどんどん進めてきたんですよ。例えば、政府税制調査会に連合(日本労働組合総連合会会長)の高木剛会長は特別委員としてでしか入っていないんです。ちゃんとした委員じゃないんですね。だけど、税制を決めるのに労働者の代表が入らないって考えられないんですよ。 小泉内閣のときにさんざん使った経済財政諮問会議のメンバーには、そもそも財界と学者と日銀と政府の人しかいなくて、働く人とか消費者の代表は1人もいないんです。そんな会議で、経済や財政にまつわる全政策を決めるというふうに変えちゃったんです。おかしいでしょう? 国民の大部分は働いている人なんですよ。だけど、財界と政府と日銀、あと有識者。学者は、2人入っていますが、いわゆる御用学者なんですね。こんなばかな政策の決め方は、あり得ないと思うんですけど、全然それをマスコミも国民も批判しないんですよね。 堤 メンバーの中にいる連合の高木氏は何と? 森永 高木さんは税調会議の中では、「おかしい」と声を上げているんです。でも、他のメンバーは無視するんですって。この無視っていうのは、いじめの中でも最も悪質ないじめなんです。例えば今だったら、「消費税を引き上げて法人税を下げる」という話をしているのですが、労働者の代表である高木さんが、「それはおかしいぞ」と言うんだけど、無視してどんどん議論は進むんです。 編集部 小泉さんのときにそういうふうになったんですか? 森永 最近特にひどくなってきました。 堤 そういう現状をメディアは伝えていますか? 森永 伝えてないですね。 根強く中枢に残る新自由主義
森永 実際には、小委員会という体制側の人たちだけの密室会議があって、そこで全部決めてしまいます。で、本会議にしか高木さんのような特別委員は出られないわけですよ。で、そこで異議を唱えても、時間がないからといって、「次の議案どうぞ」となるわけです。こんなばかな政策決定はあり得ないんですよ。でも、いまだにそこをひっくり返せないんですね。だから、何と言うのかな、金持ちと大企業だけが幸せになればいいという新自由主義をひっくり返すのは、そう簡単なことではないんですね。堤 私達の暮らしを左右する税金の問題が閉じられたドアの中で話され、労働者の代表はいじめまがいの扱いで口をつぐまされてる。そういう審議会自体をまず、人選や透明化も含めて検証しなおす必要がありますね。私は全ての審議会はイギリスのように公募して採用を非常に厳しくし、常に開かれた議論をさせるべきだと思っています。そうした際のメディアの役割というものを先生はどう見ていらっしゃいますか? 森永 メディアが言って、世論を作るしかないでしょうね。私はずっと、「私を(税調会議のメンバーに)入れろ」と言い続けているんです。あちこちのメディアで言い続けているんですけど・・・。 編集部 なんで入れてくれないんですかね? 森永 私が行くと、総会屋の入った株主総会になっちゃうので(笑)。私は、高木さんよりもずっと下品なので、無視されたら暴れますからね。 堤 でも見たい・・・(笑) 編集部 そうですよ! 最近、言うことが豹変している評論家の方、たくさんいますが、森永さんは一貫して主張はぶれてないし、金融資本主義の怪しさについても、ずっと指摘してらっしゃった。だけど、一時期、小泉内閣の時は、経済アナリストとしては、仕事、干されてたんですよね? アメリカ金融バブルがはじけてから、また急に森永さんの出番が増えてきたように思いますが。 森永 そうそう。これは個別名を出すとちょっと怒られちゃうかもしれないですが、この間、大手の経済新聞の記者が久しぶりに取材に来たんです。実は小泉内閣以降、その新聞の経済面には、森永を使ってはいけないという指令が、上層部から出ていたらしいんです。だから私は経済面には一切出ていません。でも久しぶりに来たんで、「どうしたの?」と聞いたら、「森永さん、時代は変わってきたんですよ」と(笑)。「実は、うちの社内でも既に半分近くの人間が、金融資本主義は間違っていたんじゃないかと思い始めている」と。それでもまだ半分か、と思いましたけど(笑)。結局、記事にはなりませんでしたが、昨年末の話です。 堤 金融資本主義、新自由主義を今まで信奉してきた識者やオピニオンリーダーの方々からはどんな反応が? 森永 「お前は頭が悪い」とか「頭がおかしい」とか言われますし、「理解できない」と言いますね。 堤 森永先生が新刊で書いていた「人間を幸せにする経済学の必要性」に、私はとても感動したんです。同じ様に経済は人間を幸せにするためのものだと言ったアマルティア・セン氏*や、あえて貧困層に無担保融資をするグラミン銀行*の創設者ユヌス博士はノーベル賞を取りましたね。新自由主義にずっと批判的だったクルーグマン氏も最近ノーベル賞を取ったけどその前は過激だとかさんざん叩かれてたし。 彼がああして評価されて、日本でも中谷巌氏や野口悠紀雄氏などかつての構造改革路線から180度転向する識者の方が出始めている、時代の方が後からついてくるみたいですね。 *アマルティア・セン:米ハーバード大学教授。経済の分配・公正と貧困・飢餓の研究の貢献により98年にノーベル経済学賞受賞。哲学や倫理学に根ざす豊かな人間観を経済学に取り入れた彼の主張は、「数字を扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければ、経済学ではない」というもの。弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。。 *グラミン銀行:バングラディッシュにある銀行で、『貧者の銀行』として知られている。1983年に創設。一般の銀行からで借りられない土地の無い貧しい農民、特に女性を対象にした、低金利の無担保融資を行なっている。2006年にノーベル平和賞を受賞。 編集部 彼らは彼らで、これこそが、幸せにするシステムだというふうに思って、市場経済主義をやってきたわけでしょう? 森永 そう。自分たちだけが幸せになれれば、社会が良くなると思ってやってきた。しかし、今回の経済危機の大きな特徴は、多分、戦後初めて勝ち組がやられたんですよ。例えば投資銀行に勤めていた人もそうだし、新聞社もそうだし、テレビ局もそうだし、トヨタもそうだし。要するに勝ち組が最初にやられることって今までなかった。だから、みんな焦っちゃったという部分はあるんです。 今、勝ち組の下にいた弱者が、ひどい目に遭っているんですよ。もともとひどい目に遭っている人たちというのは、もとがひどいから、そんなにすごいことにはなっていない。ホームレスにはなっていないんです。 今までひどい目に遭っていた純粋の独立系の中小企業は、むしろ非正社員でも仲間だから守ろうとしているんですよ。苦しい中でも。いきなり路上生活者にはしていないんですね。あの派遣村に集まった人たちも、大企業に派遣されて働いていた人が、かなりの部分を占めていたと思います。 経済学の潮流は今?
編集部 森永さんの本を読んで、経済学というのは、「世界の人々が、平和で幸せに生きるため」の思想であり、経済学者はそのためのシステムを考え、それを、どう具体的にしてきたかというのがあると思います。例えば、サッチャー・レーガン政権が取り入れた新自由主義は、新古典派と呼ばれる学派が元になったという話を、以前伺いました。30年を経て、新たなパラダイム転換の時にさしかかっていると思うのですが、何か、新しい思想というか、経済学の流れというものは、起きているのでしょうか?森永 2008年は、ポール・クルーグマン*がノーベル経済学賞を取りましたよね。彼は、最近までは“とんでも経済学者”と言われていたんです。評価は私と一緒だったんですよ(笑)。クルーグマンがノーベル賞を取ったときは、これは、私もいけるかなと思いましたが(笑)。 *ポール・クルーグマン:アメリカの経済学者、コラムニスト。専門は国際経済であり、反ブッシュとしても知られる。彼の経済学の第一の功績は、貿易理論の刷新。2008年、ノーベル経済学賞受賞。 編集部 彼は、ずっとブッシュ政策を批判してきた人ですね。そこは森永さんと同じですものね。 森永 そうです。1977年には、マイロン・ショールズ*という金融工学の開発者がノーベル賞を取るんです。それが、1998年にアマルティア・センが、取ったぐらいから、ちょっと方向は変わってきてはいたんです。でも、クルーグマンが言っていることは、失業率についての話はちょっと新自由主義に寄っている部分はあるんですけど、彼が言っていることはまともだし、他にもまともな経済学者はいっぱいいますよ。 昔から、そこは対立があって、19世紀末には、ゾンバルトとマックス・ヴェーバーが、また今から70〜80年前には、アーヴィング・フィッシャーとシュンペーターとで論争が起きているんです。要は、景気が悪くなると、需給バランスが崩れますよね。それから恐慌状態になるんですけど、その立て直しをどっちでやるかという論争なんです。 構造改革派は、供給をたたき切れと。弱いやつを全部つぶして強いやつだけを残せば、需給はバランスすると考えるんですね。そうじゃない人、マクロ経済学派の人たちは、ここに今あるものを、みんなが買えるようにしようよ、それでバランスさせましょうという考えです。そのどっちをとるかという論争は、経済学の中でも、ずっと昔からあったんです。 今から10年前の1999年の「経済白書」には、「日本経済には3つの過剰がある。設備と債務と雇用だ」と。だから、どんどんリストラしろという方針でやってきているんです。だから、派遣切りや失業者の問題は、今に始まった話じゃなくて、構造改革路線の中でずっとやってきたことなんです。で、とうとう、とんでもなくなったということです。 *マイロン・ショールズ:1973年に作られたブラック・ショールズ方程式の起草者の一人。これをもとに、デリバティブ(金融派生商品)の価格づけが決められた。 編集部 しかし、センやクルーグマンらがノーベル賞を取ったというのは、これからの流れは、マクロ経済学の方にあるということでしょうか? 森永 流れは変わってきましたね。例の中谷巌氏の本でおもしろかったのは、彼は、1970年代にアメリカに留学しているんですよ。そこでアメリカの中流家庭を見て、その生活の豊かさに驚いて、これを支えているのは、ちょうどその頃出てきた新古典派の経済学なんだと思ったんだそうです。でも、実はその中流家庭をつくったのは、1960年代までのアメリカの平等政策がつくってきた産物で、新古典派の弱肉強食経済学がつくったんじゃないということに、今気づいたと明かしています。勘違いしていたこと気づくのに、四半世紀もかかったのか!?という話なんですけれどね。 私は、多分、日本から留学した人たちに、致命的な欠陥があったんだと思うんです。それは大学の授業で、新古典派の経済学を始めるときに、教授は必ず前提を言っているはずなんです。「これは、合理的経済人という自分の幸福しか考えない、人のことを何も考えなくて自分の利益だけを最大化する人だけで社会を構成するという、極端な仮定を置いた上での経済学なんですよ」と。だから、「これは現実ではあり得ない。人間はそもそも優しい存在で、目の前で人が苦しんでいたら助けようと思うし、人が命を落としたら悲しいと思う存在なんだけど、それを経済学で取り入れるのは難しいから極論を置いている」という説明をしているはずなんです。普通はするんです。 ところがね、日本人は英語ができないんですよ。 編集部 エリートでも英語が苦手な人は多いですからね。 森永 ほとんどの留学生が、その前提部分を全部聞き飛ばしているんだと思うんですよ、私もあまり英語はできないので、その事情はすごくよくわかる。母国語じゃないから。 編集部 日本のエリートというか官僚の卵たちが、前提をすっ飛ばしたまま、その理論を鵜呑みにして帰ってきたと。 森永 そうそう。鵜のみにして、みんなアメリカにかぶれて帰ってきた。 編集部 それが構造改革推進へとつながり、今も根強く信奉者がいるわけですね。 目指す社会、世界とは?
編集部 とはいっても、アメリカの金融業界があそこまで崩壊し、市場経済主義は、みんなを幸せにしない間違ったシステムだったということが、わかったわけです。そこで今度は、本当に世界の人たちを幸せにするための、新しいグランドデザインを描くことが、大事なんだよということを、森永さんは著書やコラムの中で言っていますね。じゃあ、次の新しい経済システム、それが資本主義なのか何なのかというのは、ちょっと置いておいて、どのようなことだと考えますか?森永 あのね、これ、なかなか理解されないかもしれないんですけど、私は、これからは「1億総アーティスト化」だと思っているんです。「アート」というのは2つ意味があって、“マーシャルアーツ”(武術)と言う時に使う、“技術”という意味と、“芸術”という意味と両方あるんですけど、私はここでは、技術の上に芸術を乗せる人という意味合いで「アーティスト」と使っています。私はこれまでもずっと、「イタリアみたいになろう」と言っているんです。例えばフェラーリは、エンジンがかからないかもしれない車をつくるわけですよ。それで1億円で売るわけです。だけど、あれは何でエンジンがかからないかと言うと、技術がなくってつくれないわけじゃないです。F1でチャンピオンシップを取れるぐらいの高度な技術を持っているんです。でも、エンジンがかからないかもしれない車をつくる。フランスのルノーは、1千キロぐらい走ると必ず壊れるように初めから仕組んであるそうなんです。できの悪い子ほどかわいいというマニアがいるんです。 要するに、イタリアなどのヨーロッパは、価格競争で相手を叩きのめすまで消耗戦をやるんじゃなくて、高くても欲しい人がいるものを作って、売っているんです。だから暮らせるわけです。あくせく働いてなくても。 典型的な話をすると、アパレル産業で日本とイタリアが一番違うところは、最終検査工程だと言われています。日本は、真っ直ぐ縫えているかとか、ほつれていないかとか、針が残っていないかとか徹底的に調べるんですよ。それが日本の最終検査です。イタリアは、最終検査工程でサイズ別の男性と女性がずっと並んでいるところがあるんです。その人たちは自分のサイズの洋服が来たら着るんですよ。そして鏡を見て、「私、きれい?」と言って、着心地がよくてきれいだったらオーケーなんです。これがアートなんです。 編集部 へーっ、今も実際そうなんですか? 森永 今もそうです。だから、血で血を洗う価格競争ではなくて、みんながクリエイティブになって、強い個性の商品をちゃんとした値段で売って、それを大切に使う。ブランド物みたいな、すごい高いものをつくれという話じゃないんです。ただ、ちゃんとコストが回収できるぐらいの価格で、ああ、これ、いいよねと誰かが欲しくなるものを作る。 私、以前に、イタリアのネクタイ屋で「おやじにどなられた事件」というのがあるんです。出張でヨーロッパに行って、ローマから帰ってきたんですけど、飛行機に乗るまでの時間がなかったんです。でも、いろいろと人間関係のしがらみがあっておみやげを買って帰らないといけない。で、目に入ったネクタイ屋に飛び込んで「何でもいいから10本くれ」と言ったらおやじがキレて、もうどなりまくられたんです。最初、何で怒られてるかわからなかったんですよ。そうしたら、「おれたちは、どういう服で、どういう人に似合うか1本1本考えてデザインして作っている。これは、おれたちの作品なんだ。だからイタリア人は、1時間も2時間もかけて1本だけ買っていくのに、おまえは、何でもいいから10本くれだと」──すごい、もう本気で怒ってるんです。 でもその時思ったのは、作品をつくるみたいな仕事を、みんなが仕事にできて、そこそこ食えたら、それが一番いいじゃんと。そういう社会にしていきましょうと。 堤 日本でも昔は職人さんが和菓子でも畳でも一つ一つ丁寧に誇りを持ってつくっていましたよね。大量生産ではなくて、愛情とプライドがこもってた。 森永 それは商品であり、作品、アートなんです。 堤 本当にそうですね。 森永 今でも、地方へ行くと、そういうのって結構あるんですよ。がんこおやじがつくっている商品で、すごく欲しいものがある。 編集部 そうなると、海外の安い労働力との競争とか、なくなりますよね。 森永 そうです。 今、試されているのではリーダーより私たち
堤 職人文化を再び花開かせるためにもう一つ必要なのは、消費者の力ですね。今まで大量生産大量消費ライフスタイルを支えてきた私達が「もっと安く、もっと便利に」の幻想を思い切って捨てるんです。難しいし勇気がいるかもしれないけど、できると思う。編集部 そうですね。消費者もそこは考え直す時だと思います。堤さん、最後になりますが、これからの目指すべき社会については、どうでしょうか? 堤 ここまで壊れたら、むしろチャンスですよ。ちまちま修正するより白紙にしてグランドデザインから描き直す。例えばさっきいった「もっともっと」の価値観、これまでの刷り込みを一度捨てて、しあわせのものさしを見直すこともその一つですね。 そして「モノ」ではなく「人」に投資する事がカギになるんじゃないかと思います。去年、日本のGDPにおける教育予算率がOECDで最下位になりましたよね、新聞では小さな記事でしたけれど私はかなりショックでした。 人間に投資しない国は滅びるからです。公的教育予算が減れば少子化も加速するでしょう。間違ったものに投資し続けておかしくなった今、もう一度、教育や医療、職人さんの技術や文化に投資して国を立て直す決断をしたいですね。そのためには収めた税金がどうやって使われているかをちゃんと見なければ。予算がどう使われているか私達みんなでしっかり見て行きましょう。 それから「今後の日米関係はどうなるのか?」っていう質問を大統領選の前後にずいぶん聞かれたんです。でも「日米関係」という発想ももうやめて、多極化する世界の中で何を掲げてリーダーシップを取ってゆくのか、何を幸せとして国を創ってゆくのかを考え直すせっかくのチャンスをつかみたい。政治家だけじゃなくて私達市民もメディアも識者も全員が考えて、そこに関わっていく。結局人間の歴史を見れば、大きな改革はいつも一人の小さな声から始まっていますよね。誰がリーダーだったら将来はどうなるだろう? ではなく、いま試されてるのは私たちなんです。 どれだけ我慢できるかではなく、小さなアクションを続けていくことが、最後は国を動かす力になると心から信じられるかどうか。日本でもアメリカでも、世界中でも同じですね。私は大丈夫だと思っています。そういう時背中を押してくれる、森永先生や「マガジン9条」のような存在は頼もしいですよ。 編集部 お二人とも、どうも長い時間ありがとうございました! 対談を終えて
森永卓郎 堤さんのお話のなかで、一番印象に残ったのは、「いまアメリカ人が金持ちから庶民まで、みなオバマ新大統領に期待して、自分の生活をチェンジしてくれると信じている」という部分でした。実は私もオバマ新大統領に「平和」を強く期待していました。ただ、最近色々な人と話をしていると、決してオバマ大統領は単純な平和主義者ではないようです。やはり他人任せはいけないようです。 堤未果 「一億総アーティスト化」「金融戦国時代」など、森永先生のお話にはわかりやすく面白いたとえが盛り沢山でした。「競争の戦国時代」VS「共生の江戸時代」、さあどっちを選ぶ?など、リアルに実感しながら考えさせられるんです。学者として「経済学の目的は人間を幸せにすることだ」といい続ける森永先生のような方とお会いできて、私も頑張ろう! とパワーをもらいました。「マガジン9条」に心から感謝します。
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