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"砂川事件と伊達判決の現在的意義"(ちきゅう座)
http://www.asyura2.com/09/senkyo59/msg/291.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 2 月 22 日 15:42:14: twUjz/PjYItws
 

http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=540

<09.02.22>"砂川事件と伊達判決の現在的意義"<土屋源太郎>


<つちやげんたろう:伊達判決を破棄するため日米が共同謀議を行った情報公開を請求する会>

1957年3月30日砂川事件の一審判決で安保条約は違憲であり、被告全員無罪とした伊達判決が出されました。跳躍上告により1957年12月16日最高裁は安保条約は合憲とし差し戻しを決定しました。
2008年4月ジャーナリストの新原昭治氏がアメリカ公文書図書館にて伊達判決が出された直後からアメリカ大使マッカーサーが日本の藤山外相や田中最高裁長官と密談を繰り返し早期にこの伊達判決を破棄させるべき行動をした事実が明らかになりました。当時安保条約改定作業が進行中であり60年安条約改定までに、この判決を潰すことが必要だったと云うことでした。
このような行為があったことは絶対許されることではなく司法の中立を犯し外国からの介入を日米政府が協力して行ったことには怒りを覚えます。
伊達判決が出されて今年で50年を迎えます。日本の裁判史上唯一の安保条約違憲判決は現在も生き続けていると確信しています。
被告全員はアメリカ大使と外務大臣、最高裁長官との会見会合の全内容を公開することを外務省、最高裁に請求することにしました。
これについてそれぞれの意見などを出し合って話し合う集会を計画いたしましたので是非ご参加ください。

日時 2009年3月3日 (火) 18:00~20:00
場所 文京区春日2−9−5
文京区立アデカミー茗台 (茗台中学校併設)
tel.03-3817-8306
(地下鉄―丸ノ内線茗荷谷駅より徒歩10分
バス都02系―小石川四丁目より徒歩3分)

情報開示請求について    弁護士 三宅 弘氏
開示請求を進めるに当たって    塩川 喜信氏
経過報告元被告         土屋 源太郎氏


地図
http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1995


〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment470:090222〕


■関連記事「森田実の言わねばならぬ」
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04251.HTML

2008.5.4(その1)

森田実の言わねばならぬ【298】

平和・自立・調和の日本をつくるために[293]
〈マスコミ時評E〉4月30日付毎日新聞朝刊1面左上の記事【1959年砂川裁判/米大使最高裁長官と密談/1審「日米安保違憲」破棄判決前に】についてのコメント

「日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていた…」(我部〈がべ〉政明・琉球大学教授〈国際政治学〉/4月30日付毎日新聞朝刊より引用)


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 4月30日付毎日新聞1面記事のリード部分を引用する。
《米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判決を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。》

 社会面にも関連記事があり、そのなかで被告の1人だった土屋源太郎さん(73)の「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」との批判談話が掲載されている。土屋源太郎さんは私の50年来の友人である。
 つづいて毎日記事はこう記している(社会面)。
《裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判決はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。》

 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する運動は、1955年の第一次、1956年の第二次、1957年の第三次の3段階があった。
 1955年の第一次闘争の主体は砂川町の農民とこれを支持する労働組合(総評と三多摩労協)、社会党、共産党だった。このときは警察機動隊に徹底的に叩かれた。この体験から、砂川基地反対同盟と支援者の思想的リーダーだった清水幾太郎学習院大学教授と高野實前総評事務局長は砂川町の青木市五郎行動隊長とともに、1956年当時全学連の平和部長だった私(森田実)に対して「全学連として砂川闘争に加わるよう」求めた。私は協力することを約束し1956年から砂川闘争に参加した。
 最大のヤマ場は1956年10月13日の「流血の砂川事件」だった。このとき、砂川町の農民と労組、全学連、社会党、共産党、その他全国から馳せ参じてきた支援者でつくるデモ隊が機動隊の攻撃に耐え抜き、測量完全実施を阻止した。これによって砂川町における米軍基地拡張は事実上阻止された。反体制運動のほとんど唯一の勝利だった。
 第三次が1957年夏、デモ隊が米軍基地に入った事件である。この事件に米軍側は相当あわてたようだ。米軍兵士が銃を持って出てきたので、当時デモの指揮をとっていた私はデモ隊に基地外に出るよう指令した。このときは何事もなかったが、しばらくして数名が逮捕され、家宅捜索を受けた。基地内に入っていたとき、米軍と日本の警察が写真を撮っていて、写真に撮られた学生と組合員が逮捕されたのだった。(あとで聞いたことだが)不思議なことに基地内でデモ隊を指揮していた私は写真に写っていなかったようで、逮捕はされなかった。
 このとき逮捕された学生の1人が、当時、明治大学自治会の委員長で都学連委員長(だったと記憶している)土屋源太郎さんだった。

 この砂川事件の第一審では国側が負けた。東京地裁の伊達裁判長は日米安保条約(第一次)は憲法違反であるとして被告を無罪とした。これが歴史的によく知られる「伊達判決」である。
 この伊達判決は国側にとっては衝撃的なものだった。この伊達判決をつぶすために、第二審を省いて最高裁への跳躍上告が行われ、最高裁は逆転判決を下した。この当時から、日米関係の裏側で何かが動いているとの見方があった。いまは明らかになったことだが、このときに行われたのが田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー米駐日大使との秘密会談であった。ひどいことが行われていたのである。
 この秘密会談が49年の歳月を経て明るみに出たのである。当時の首相は岸信介だった。岸は翌1960年に日米安保改定条約に調印し、強行採決によって批准した。これによって日本は恒久的な従米国家にされてしまった。
 毎日新聞記事は冒頭で、「(この文書は)国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した」と書いている。この文書発見の意義は大きい。当時から日本の司法は米国政府の影響下におかれていたのだ。
 この文書を発見された新原昭治さんに深く敬意を表したい。
 私はこれから「真実の戦後史」を書かなければならないと決意している。日本は独立国ではなく従米国家であるという真実を明らかにし、国民の皆さんに知らせることによって、日本の真の独立国への脱皮をはからなければならないと思う。 

■関連記事「ちきゅう座」
http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=548

<09.01.29>砂川裁判に関する情報公開請求について<塩川喜信>


<しおかわよしのぶ:「ちきゅう座」編集長>

1957年6月、岸信介首相は渡米してアイゼンハウワー大統領と会談、「日米共同宣言」を発表、後に60年安保改訂につながる日米安保条約の改定についての協議を開始した。
これと並行して砂川町では米軍立川基地拡張のため強制測量が強行され、これに反対する労働者学生と衝突、いわゆる第3次砂川闘争の中で、大勢の労働者・学生が逮捕された。
以下に掲載するのは、このとき逮捕・起訴された土屋源太郎氏からの寄稿である。
60年安保闘争の前年、1959年3月に出された「伊達判決」において、「日米安保条約は違憲であるから被告全員無罪」との判決が下され、安保改訂に向けた重大な障害になると考えた当時のマッカーサー駐日大使が、最高裁長官田中耕太郎氏を初め、外務省など日本政府に働きかけ、僅か8ヶ月あまりの審理によって、「安保合憲」の判決を出した。
昨年4月、アメリカ公文書館において、マッカーサー大使と田中最高裁長官、外務大臣、法務大臣との会談を示す公文書が発見され、いくつかのメディアで報道されている。土屋氏の居住地である静岡新聞の報道によると、「日米関係史の専門家が新原昭治さん(77)が今年(2008年、引用者注)に米国公文書館で発見した米機密文書によると、一審判決直後にマッカーサー駐日大使が藤山愛一郎外相と会談し、最高裁に跳躍上告するよう働きかけた。田中耕太郎最高裁長官とも密談、長官は『本件には優先権が与えられている』と話したとされる」(2008年12月5日付静岡新聞)」。
これに対して土屋氏を初め当時の被告達は、情報公開請求という手段で、実情を明らかにしようとしている。
なお同新聞の記事によると、当時上告審で被告弁護団の事務局長を務めた内藤功弁護士は、「情報公開の請求は、私はもっともなことだと思う。それに対して最高裁がどういう反応をするか。この問題に対する、今の最高裁の態度を判定する上で非常に注目される。また最高裁が過去の経験に学んで、日本の司法を特に外国の圧力干渉からどのように守ろうとしているのか、その姿勢を見る上でも重要だと思う。」と語っている。
情報公開請求への支援を求める土屋氏の訴えは以下の通り。                           (塩川喜信)                          


安保条約を違憲とした伊達判決を破棄するための日米の謀議

砂川事件元被告 土屋源太郎

砂川闘争と裁判の経過
立川米軍基地は戦前陸軍飛行場だったものを戦後米軍が接収し使用したものである。

1950年  
朝鮮戦争の時には爆撃機出動の基地となる
1951年  
マッカーサー日本の再軍備の必要性を説き、自衛隊の前身警察予備隊発足
対日講和条約調印、同時に日米安全保障条約調印、米軍基地の受け入れ本格化
1954年 
ビキニ水爆実験、原水爆禁止運動開始
冷戦の中で米軍の軍事力の強化、極東の要日本の米軍基地の拡充
米軍機のジェット機化、大型化に伴い基地の拡張が必要となる。
日米間で土地収用協定進む。
1955年  
立川基地拡張のため、調達庁砂川宮崎町長に土地収用を申し入れ。
町として反対決議、「砂川基地拡張反対同盟」を結成して反対闘争へ。
第一次砂川闘争。
測量のため、警官400人動員して強行。農民・労働者800人が阻止の行動。一部杭打ちが行われる。「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
というスローガンの下に闘いは進められた。
1956年
第2次砂川闘争。
滑走路拡張のための強制測量に機動隊・警察官3000人動員。
反対同盟を支援するため、総評・全学連・社会党・共産党など21団体の砂川闘争支援連絡会議が、全国から現地に結集、6000〜7000人。
スクラムを組み、座り込んで戦う隊列に、機動隊はこん棒を振りかざし、暴力的にこの人達を排除した。この激突により、反対派は1000人からの負傷者を出す。
そして、一部杭打ちを残し、調達庁引き上げ。その後政府は中止声明。
基地闘争の数少ない歴史的勝利。
1957年7月8日
第3次砂川闘争。
基地内にある民有地を強制収容するため、測量を行う。機動隊装甲車を先頭に警察官と併せて2000人。
基地の柵内側に、長さ1000mのぐるぐる巻きの鉄条網で立ち入りを防ぐと共に、米軍は更に機関銃を載せた軍用ジープ2〜3台で反対派を威嚇した。
反対する我々は、シュプレヒコールを叫びつつ、柵を倒して基地内に入る。
基地そのものを認めない、安保条約反対、戦争反対、平和を守れの意思表示として、基地内に入った。
1957年9月22日
7月の闘争で基地内に入ったとして、安保条約に基づく刑事特別法2条違反、
暴力行為等処罰に関する法律の適用により、労働者・学生23名逮捕、そしてわたしはじめ7名(学生3名、労働者4名)が起訴。
海野晋吉弁護士を団長として30数名の弁護団が結成され、被告と共に法廷闘争を戦う。
1959年3月30日
東京地裁伊達秋雄裁判長による第1審判決。
日米安全保障条約に基づく米軍の日本駐留は日本国憲法9条の戦力不保持の規定に違反し存在を許されないものであり、それにより刑事特別法は無効であるので全員無罪とする。米軍駐留は違憲とした伊達判決。
1959年4月3日
検察は第2審の高裁をとばして、最高裁に跳躍上告。
1959年12月16日
最高裁判決。駐留米軍は違憲ではない、1審判決を破棄し、差し戻す。
最高裁長官田中耕太郎が裁判長。
1960年1月19日
新安保条約、日米で締結。
60年安保闘争。
6月 
新安保条約、国会で自然成立。
1961年3月27日
砂川やり直し裁判地裁判決、最高裁の判断を尊重し、米軍の駐留は合憲であり、被告全員有罪。罰金2000円。
2008年4月
ジャーナリスト新原昭治氏が、アメリカの公文書図書館にて、伊達判決を早期に破棄させるため、当時の駐日アメリカ大使マッカーサーが、日本の外務大臣、法務大臣、最高裁長官と密談を重ねた公文書14通を発見した。
1959〜60年にかけ、日米間で新安保条約締結の作業が進行中であり、伊達判決は大きな障害となるので、日米政府は狼狽し、その対策の密談謀議を行ったものである。
1審判決破棄のため、直ちに最高裁に跳躍上告すること、最高裁は最優先の案件として、年内目途に破棄の判決を出すことが合意されている。
司法の中立を犯し、外国からの介入を許し、伊達判決早期破棄のために行った日米政府の行為を許すことはできない。

以上の事実は、50年前のことではなく、現在も続けられているアメリカ主導による国民を無視した日米間の密約謀議の実態です。
憲法9条を守るためにも、伊達判決の持つ意義を受け止めてゆきたいと思っています。
わたしは公文書の内容を検討し、謀議の真相を明らかにするため、外務省・最高裁判所に当時の日米間の交渉内容の情報開示を請求することにしました。
わたしだけでなく、当時の被告全員も請求を行います。
情報開示の申請は誰でもできます。
そこで多くに皆さんにこの運動に参加し、請求人になっていただくよう呼びかけます。

砂川事件元被告
土屋源太郎
静岡市葵区瀬名3−11−8

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye515:090129〕


 

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