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(回答先: 樋渡検事総長と佐久間特捜部長の実像 (ゲンダイネット ) 投稿者 新世紀人 日時 2009 年 3 月 10 日 12:31:53)
検察のプライドは異常に高い。狂気の沙汰といえる。
そのことを裏付けるものに甲山事件がある。
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http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kabutoyamakousisin-1.html
より引用開始
1974年3月、兵庫県西宮市六甲山系甲山のふもとにある知的障害の子どもたちの施設「甲山学園」(1981年に廃園)で当時12歳の男女の園児2人が行方不明となり、園内浄化槽から溺死体で発見された。
女児は事故死とされたが、兵庫県警は同年4月、中学2年生の時、NHKの「青年の主張」を見て保母を志し、短大卒業の20歳の時に甲山学園に就職した当時22歳の山田悦子さんを、当直日の出来事であったことから男児殺人容疑で逮捕した。
……略……
甲山事件は、逮捕→不起訴→釈放→再逮捕→起訴→無罪(地裁)→差し戻し(高裁)→上告棄却(最高裁)→無罪(地裁)→検察控訴→高裁棄却(無罪)という複雑な経過(無罪判決は3度だされたが、少なくとも有罪判決は1度もない)をたどったばかりでなく、事件から25年(4半世紀)、初公判からでも既に20年以上が経過する、一般事件として史上最長となった。
「長すぎる裁判は、裁判の拒否に等しい」という法格言があるように、検察側の懲役13年の求刑や殺人罪の公訴時効15年(当時)をはるかに上回る約20年以上を費やした訴訟指揮は、「判決なき牢獄生活だ』(有罪判決がないまま牢獄に入れられたようなもの)を意味する。
引用終了
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http://www.jca.apc.org/kabutoq/saib/sindex.html
より引用開始
甲山事件の裁判は刑事裁判から始まったのではない。不当な逮捕・取調べで侵害された人権の回復を求めて、山田さんとその同僚の3名が国・県に対して起こした国家賠償請求訴訟(国賠)にはじまるのである。
引用終了
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http://www.news.janjan.jp/media/0901/0901256112/1.php
JanJanより引用開始
山田さんは最初の逮捕時の報道について、次のように語った。
「新聞の記事によって全国津々浦々に報道され、自分が事件の犯人になっていることを知り、大変驚きました。それまで新聞を信じていましたが、新聞はウソを書くんだと思いました。読売新聞の記事では『暗い青春時代の女』と書かれました。複雑な家庭環境ではありましたが明るく生きていたので、記事は心に突き刺さりました。それから21年間、膨大な記事が書き続けられました」
そして「私をあまり知らない人には、犯人だという意識が刷り込まれてしまい、それを回復することは不可能なんです。無罪が確定しても市民として地に足をつけて生きられる状況ではありませんでした。私の友人たちの中には保育園を経営している人もいますが『働きに来ないか』とは言ってくれませんでした」とひとたび報道されてしまえば名誉を回復することは難しいことを訴えた。
そして、「報道が国民、市民の自由を守らないと、守ってくれるものがないのです。報道が持つ力、重要性はこの社会の中でとても大事な役割があると思っています」と報道被害者の立場ではあるが、ジャーナリズムが果たす役割への期待は捨てていないことを話した。
甲山事件で弁護人を務めた高野嘉雄弁護士は「この事件について新聞記者が山田さんが犯人だとされていることについて疑問を持たなかったことは信じ難い」と話した。「普通の市民感覚でこの事件を見た場合、殺人事件とイメージすること自体が根本的におかしいのです。記者たちに事件の事実を報道しようとする姿勢が無かったと言わざるを得ません」と、強い口調で不信感をあらわにした。事件時の状況からして園児が殺害されたことは考えにくいのに、警察発表を鵜呑みにした記者たちを批判した。
報道の現場からは朝日新聞で事件記者の経験がある新聞労連の豊秀一委員長と毎日放送報道局の小林正典記者が参加した。豊委員長は高野弁護士が記者の感覚に疑問を呈したことについて「入社して1、2年は警察担当になり、警察が唯一の情報源となります。現場に行って事件に関わった人のプロフィールや生い立ち、顔写真を入手するなどします。上司からは特ダネを書けと言われますので、そうした中で記者が事件の構図を見ることが出来ていなかったのではないでしょうか。それは甲山事件の時と今を比べても本質的に変わっていないと思います。そこを変えていかなければならない、何とかしなければならないと考えています」と説明した。
小林記者は「私の場合は最初、警察担当ではなく行政担当となりましたので、事件に対して素人の感覚で向き合えたのではないかと思います。甲山事件では特集番組を組みましたが、すでに事件について記者として入り込む余地はなかったので、私と同年代だった女性弁護士の視点から見た事件報道をしました」と事件との関わりについて話した。
女性弁護士は司法修習生時代に裁判に立ち会い、検察が出されては困る資料として園児の胃の中を撮影した写真が20年目に初めて出されたことに驚き、検事志望から弁護士に志望を変えたという。後に弁護団に加わった弁護士の視点で報道することで市民感覚に近い報道が出来たようだ。
後半は裁判員制度と報道の関係に話が及んだ。豊委員長と小林記者は新聞協会や日本民間放送連盟が裁判員制度開始にあたってまとめた取材・報道指針に基づいて各社が報道の在り方について検討していることを説明、マスコミとして裁判員に予断を与えるような報道は戒めるべきだとした。
引用終了
【コメント】
*つまり、神戸検察審査会の請求があったとはいえ、1974年に山田悦子さん達が国家賠償請求訴訟を提訴したのにプライドを傷つけられた検察が1999.に結審するまで25年もの間「恥をかかせた相手方」を苦しめ続けた。マスコミと共に。
「釈放されたんやからそのまま大人しうしてればいいもんを、賠償訴訟なんぞおこすからこうなる」
という見せしめにしか見えない。
*この中心にいるのが三井環事件で、三井と対立していた加納駿亮だった。
*裁判の経過をみると、上級審ほど、検察側に有利な判決を下している。
*付記 Googleで「甲山事件」と入れて検索すると、5件しか上がってこない。他の検索では数万件、どういうわけや?
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