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<09.02.07>『通信録』09年2月<三上 治>
<みかみおさむ:社会運動家・評論家>
やはりおかしい、見逃さずに明瞭な意思表示を
「アリの穴から堤も崩れる」とはよく聞くが、時にはよくよく考えていい言葉でもある。大したことはないだろう、いざとなれば何とかなると思い込んでいるうちに手の施しようのない事になることはあるのだ。ソマリア沖への自衛隊の派遣についての動きについてそう思う。これはまず、海上警備行動として自衛隊法に基づき自衛艦を派遣する。後に海自派遣新法を作って本格的な派遣という二段構えの対応をめざしている。そして、この新法では焦点となっていた武器使用基準は大幅に緩和されると伝えられている。
新法ではソマリア沖での活動が「警察活動」だから武器の使用基準は大幅に緩和されると報道されている。何だか変ではないか、と誰しもが思うことだろう。これには次のようなカラクリがある。自衛隊の海外での軍事活動は集団自衛権の行使として禁じられている、従って自衛隊の海外での武器使用は禁じられているか制限され、厳格な基準下にある。だから武器使用の基準は厳格だが、今回は「警察活動」だからこの禁止条項にはあたらないというのだ。何故、「軍事行動」であると武器使用の基準が厳格で、警察活動ではそれは緩和されるのか。常識的には軍事行動は戦闘行為を含むのに、「警察活動」は正当防衛や緊急避難を範囲とするから、武器の使用については逆であるはずだ。その意味では「警察活動」だから、武器の使用基準が緩和されるというのはおかしなことだ。日本国内でも「警察活動」に機関銃や大砲の使用が許されるという類いのことである。国際的な場では逆のことがまかり通るなんて変なのだ。
これは「警察活動」は口当たりのよい名目で実際は自衛隊の「戦闘活動」活をやりたいのである。自衛隊の海外での活動は「テロ対策」という名目で一時広がったが、また、狭められる趨勢にある。「反テロ戦争」や「テロ対策の軍事活動」が名目とは逆の結果しかもたらさなかった、という反省が広がりつつあるからだ。イギリスの外相のミリバンドは「対テロ戦争は誤りであつた」と反省している。フランスのドルバビン前首相も同じようなことを述べている。反省しないのは小泉前首相くらいだ。自民党や自衛隊は小泉前首相が手をつけた海外派兵の道を慣例化したいのである。名目は段々難しくなる。だから、慣例かし、恒久化したいのだ。日本の自衛隊が海外での軍事行動を抑制してきたことが評価される趨勢にあるのに。「アリの熊野参り」なんて必要がないのだ。
(2009年2月5日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment455b:090207〕
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
君は演説から展望を感じられたか
政治家の演説は時と場所というのが大事だから、新聞に掲載されたもので評価されれば味気ないものになることはやむを得ない。それを、承知の上でオバマ大統領の就任演説と麻生首相の施政方針演説を比較しながら読んでみた。就任演説は寒風の中で固唾をのんで待っていた人に向けてのものであり、麻生首相の方は国会議員を前にしてのものであるから緊張感や気負いは当然のことながら違う。それはオバマ大統領の方が群集に訴える調子を意図していたことでも分かる。本当は麻生首相もああいう演説がしたかったのだろうか。
両方の演説ともアメリカ発の金融恐慌とその全世界への波及の中という危機感は共通していた。歴史を振り返りこの危機の脱出の展望を語るという手法も同じである。オバマ大統領はアメリカの建国以来の物語を随所に散りばめ、麻生首相は明治維新や敗戦期の問題を取り上げている。僕は歴史を鏡にするのなら1929年の世界恐慌を前後するところにもっと意識を集中して欲しかったと思う。そうすれば、演説は深みを持てたのではないか。現在の危機を歴史の中で考えるというのは当然であるが、その鏡をどのあたりに設定するかは重要である。両者の演説が散漫な印象を持ったのは歴史の設定が一般的であり、その言及が枕言葉のようにしか受け取れなかったためだ。
オバマ大統領の演説に欠けていたのは金融投機経済の破綻と反テロ戦争への
反省であり、総括である。これは現在も継続していることであり、今日、明日の行動に直結しているが故に、語りにくいにしても歴史的な帰結であり、大胆な転換を促されている事柄だから、そこにもっと踏み込んで欲しかったと思う。1929年の世界恐慌が有効需要と管理通貨を両輪とする国家介入を促し、結局のところ世界経済でその役割を演じてきたのはアメリカのドルを基軸通貨とする有効需要であり、その終わりが金融投機経済の破綻と反テロ戦争の行き詰まりだからである。オバマの演説が中途半端なのは、彼を取り巻く政治的諸条件のためか彼の見識のためかの推察に迷うが、前者なら可能性は残されているといえる。麻生の演説がつまらない急所は彼が日本経済のバブル後の停滞の10年の脱出を成功として賛美し、そこに含まれていた欺瞞や矛盾に視線が行っていないことだ。日本経済は独自でバブル経済を処理したかのように言うのは欺瞞だが、成功談義は現在の問題がそこに発していることを隠蔽しているのだ。内需拡大の失敗一つ見てもそれは明瞭なはずではないか。
(2009年2月1日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment455a:090202〕
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