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[希望のトポス]“国家詐欺”を疑わぬ善良な日本国民が学ぶべき「フランス市民意識の底力」
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090207
【画像1】調和する二つの階級(ブオン・コンシーリョ城にある15世紀イタリアのフレスコ画/Castello del Buonconsiglio、Trento、Italy)
[f:id:toxandoria:20090207133805j:image]
●このフレスコ画は、ロバート・バートレット著、樺山紘一監訳『ヨーロッパ中世文化誌百科(上)』(原書房)、p142より、二枚目はブオンコンシーリョ城(Castello del Buonconsiglio)/画像はhttp://castelli.qviaggi.it/italia/trentino-alto-adige/castello-del-buonconsiglio/より)。
●トレントは東ゴート王国、ロンゴバルド王国、フランク王国、そして最後に神聖ローマ帝国の一部となり、1027年に神聖ローマ皇帝コンラート2世が聖俗両権を支配するトレント司教大公座を創設します。Castello del Buonconsiglioは、このトレント司教大公時代の居城として建てられました(13〜17世紀に創建・改造・改築)。
●この絵では、例えば森のキノコは異様な大きさで、鋤車を引く牛たちは異常に小さく描かれており、畑で農作業をする農民の女性(農婦)たちは何故か艶やかな宮廷婦人のいでたちをしています。それだけではなく、遠近と前後の関係も不思議な感覚(秩序関係)で描かれています。
●ルネサンス以降に発達した線遠近法からすれば、そして現代市民社会に生きる我われの目からすれば、この絵の描き方は支離滅裂にさえ見えるはずなのですが・・・。しかし、当時のこの絵のスポンサーであった人々(恐らく、世襲の王侯貴族ら)の意識にとって、このような風景こそが“彼らとは異なる下層の人々が住まう自然と社会の実在の姿”(=領域・住民・法制度から成る自治社会、コムーネのイメージ)であったのかも知れません。
●やがて近・現代の市民社会が成立するようになると、この不思議な視覚(秩序関係のイメージ)に変化が現れはじめ、下層の人々が住まう自然と社会の実在の姿”(=領域・住民・法制度から成る自治社会、コムーネのイメージ)が公共の観念へと遷移します。
●そのとき、重要なパラメータとなったのが活版印刷術の発明(第3次情報革命/第1次=言語の獲得、第2次=文字の発明、第4次=電気通信技術、第5次=コンピュータの発明)で活力を得た出版・ジャーナリズム文化の普及ということです。
●しかし、今やポストWeb2.0の時代に入り、「アンバンドリングとデューデリジェンス」(ネオリベラリズム普及のための基本的なツール概念)の暴走が、その市民社会の基盤である公共のイメージを解体しつつあり、その行く先には再び「ブオン・コンシーリョのフレスコ画のイメージ」(例えば、大きな格差や非正規労働の拡大あるいは労働者の道具化・商品化を当然視するような風潮など)が出現しつつあるように思われます。出版・ジャーナリズム文化の再生と奮起が期待されるゆえんです。
<注記>
アンバンドリング(unbundling)
元の意味は「束をばらす」。1960年代にIBM社が、ある画期的ビジネス戦略に命名したのが嚆矢。従来、製品価格は各種の付加価値が加算され決まってきたが、発想を変えて最小限の本体と諸付加機能の価格を別建とした。その結果、今やパソコンと各種IT機器が殆ど文具感覚で使えるようになり、その恩恵を享受している。しかし、これが規制緩和の暴走と融合し、次第に消費者に責任を押し付ける無責任ビジネスや作為的に消耗品や別売機器等を際限なく売りつける一種のポンジー・ビジネス化へ変化してきた。そのため、この言葉は規制緩和と殆ど同義で使われることもある。
デュー・デリジェンス(due diligence)
元は金融法関係の用語で、直訳で「投資家が(M&Aや事業再編で)当然やるべき努力義務、言い換えるならば“自己責任の原則”」。それが、市場環境の規制緩和で投資家自身の「リスク選好」(リスクに見合う大きなリターンのチャンス)が増える意味でも使われている。この考え方の独善化が金融市場原理主義の暴走を煽ったと見なすこともできる。従って、これも殆ど規制緩和と同義で使われることがある。
【画像2】Lara Fabian-Voir un ami pleurer
[http://www.youtube.com/watch?v=Qle--l2YEwk:movie]
(“国家詐欺”の狼藉&手込にひたすら身を任す日本国民の無気力・無批判・無抵抗のまどろみ)
ここで言う“国家詐欺”の表現には、当然のことながら個々の具体的告発のため刑法上の詐欺罪が立証できるということではなく、たとえ手続的・形式的に合法的であるとしても、「それらの法制と仕事の背後で特権的・権力的な立場に与する一部の者らが私利・私欲を貪り続ける一方で、甚だしく国民の主権と基本的人権を侵害し、かつ国家(=国民共有)の利益を毀損している疑いがある」ことを抉リ出すための「象徴的意味」が持たせてあります。また、そのような視点を軽視することは、日本の民主主義と市民社会の崩壊をいずれ誘発することに繋がると思われます。
ともかくも、その余りにも用意周到で“狡猾な国家詐欺”の最大の被害者は、「政治権力の暴走」と「権力者の悪徳に満ちた“意志”」に飼い馴らされつつ「市民としての“意思”と権利」を放棄してきた、ひどく善良すぎる一般の日本国民ということになります。ここでは、そのような意味で特に悪質な“国家詐欺”の三つの事例を挙げておきます。
(1)郵政カイカク(≒かんぽ問題)に象徴される「小泉・竹中・八代=ネオリベ」構造改革の「国家詐欺」
(2)小泉・安倍・福田ら国会で過半を占める世襲(閨閥・閨房・門閥)議員の「擬装“合法化”による相続税」脱税という「国家詐欺」
(3)年金積立資金(総額約150兆円の80%相当120兆円)のGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による「過大な“擬装”期待収益率による無責任運用」の「国家詐欺」
目下のところ、(1)「郵政カイカク」については下(◆)のような動向が観察されるため、見方によっては、漸く「小泉・竹中・八代=ネオリベ国家詐欺」の疑念が一般に広がりつつあるようにも見えます。しかし、それが「小泉劇場の郵政解散劇」の憲法違反行為の核心(=形式的合法性で押し切った無血クーデターによる2/3衆院議席確保)へ迫ると見るのは甘すぎます。むしろ、支持率の超低下に悩む『麻生KY政権』が窮鼠化した“マンガ的ジタバタ現象”と見るべきかも知れません。
◆『株式日記と経済展望』・・・小泉以降の諮問委員会の業績と利権の関係が白日の下にさらされた場合、戦後最大の疑獄事件になる可能性がある、http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
◆「かんぽの宿」、民営化5年後の譲渡は「竹中平蔵氏の指示」だった、http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090205AT3S0500E05022009.html
◆かんぽの宿、売却白紙 日本郵政、オリックスに伝達へ、http://www.asahi.com/politics/update/0206/TKY200902050386.html
◆麻生首相、郵政4分社体制「見直すべき」 小泉改革路線と決別、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090205AT3S0501E05022009.html
『週刊文春、2月12日号』(参照 → http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/)など一部の週刊誌も取り上げ始めた(2)「世襲(閨閥・閨房・門閥)議員」については、ブログ上で下(★)のように早くからの指摘があります。日本の世襲(閨閥・閨房・門閥)議員(国会議員の約半数を占める)の問題は、それが日本の民主主義を堕落させ、甚だしい民度の低下という先進国家として真に恥ずべき政治現象をもたらしているだけに、その核心をズバリ抉る必要があると思われます。
★情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)格差固定社会〜政治家は相続税「脱税」し放題の国日本
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b81da76183ebd0099ebfa89e1a199326
★村野瀬玲奈の秘書課広報室:世襲議員に相続税がかからないことが日本の政治をさらに貧しくする、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1087.html
(3)「年金積立資金運用」については、その問題が甚だ深刻と思われるにもかかわらず、国会における論議でも、メディア一般の取り上げ方でも、そこには何故か“一種独特の希薄な空気”が漂うことに違和感を覚えます。しかも、何よりも不思議なのは、それが全ての国民の身に直接ふりかかる重大事であるにもかかわらず、そのことに一般の人々が殆んど無関心にさえ見えることです。というよりも、それは“まるで他人事である”かのように作為的に国民が思わされている節があるようです。
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人、http://www.gpif.go.jp/)による約120兆円の運用資産(公的年金積立金、約150兆円の一部)は、世界最大の投資ファンド・アブダビ投資庁(ドバイに隣接するアラブ首長国連邦を構成する首長国/バブル崩壊が懸念されるドバイへの本格支援が期待されている)の推計1兆ドル(約90兆円)を上回る世界最大の巨大ファンドです(情報源:2009.2.3付・日本経済新聞)。
GPIFの運用部長など主要ポストは厚生労働省の出向者が握っていますが、資産の大半は自前のアナリストではなく信託銀行や投資顧問へ委託されており、2007年度はその市場運用分で約6兆円の損失を出しています。しかも、2008年度は、この「大金融パニック」下でもあり、第2四半期の累計で既に約3兆円の損失となっているため、最終的な通期運用実績の大幅マイナス化が心配されます。その動向次第では、運用開始以来の累計運用実績額(H13年度〜H19年度/約10兆円)が帳消しの懸念もあるのです(情報源:同上およびhttp://www.gpif.go.jp/他のデータから推計)。
しかも、もしこの累計運用実績額がマイナスに転じると、小泉政権下で平成16年度から実施されてきた「マクロ経済スライド」(物価上昇などの伸び率から0.9%を差し引く調整/参照 → http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%AF%A5%ED%B7%D0%BA%D1%A5%B9%A5%E9%A5%A4%A5%C9)の他に更に何パーセントかの部分が年金支給額から減額されることになったり、あるいは支給開始年齢の更なる先送りの事態(65歳→70歳以上へ?)となるはずです。
同じ2009.2.3付の日経記事によると、GPIFの川瀬理事長は投資家向けの講演で「(大金融パニック下の今のように)年金財政の悪化が予想される場合、政治(政権)サイドにとって一番よい対策は運用の期待収益率を(思い切って大きく)上げてアナウンスすることだ」と話しているそうです。これは、解釈しだいのことですが・・・「政権を担う政治家にとって大切なのは、できる限り大きなホラを吹くことだ」と話してるように聞こえます。しかも、何を血迷ったのか、GPIFは2010年度から新たに「不動産ファンド」へ投資する検討に入ったようです(情報源:2009.2.5付・日本経済新聞)。GPIFは、国民のなけなしの公的年金積立金を使って、日本の景気づけのため“国家的地上げ行為”でもやるつもりなのでしょうか? まさに、これは暴力団的な発想ではありませんか?
大不況に見舞われた1935年以降のアメリカでは、社会保障税の財源を株式には投資せず安全な国債で運用する「基礎年金制度」(それが最小限度のささやかなものとは言え・・・)を作っています。このため、2008年度も3.6%の利回りを確保して、今回の金融危機を乗り越えています(情報源:2009.2.3付・日本経済新聞)。GPIFの運用活動が法的に問題はないとしても、このような危機に無防備であることが明らかとなった以上は、原点に立ち戻り国民的な議論をやり直すべきです。従って、このように全国民に降りかかる大きなリスクを無視してまで、現行制度を保守しようとする裏側に何か不自然なもの(利権構造など?)があると疑われても仕方がないことでしょう。
そして、やはり我われは(2)「世襲(閨閥・閨房・門閥)議員」を除けば(1)「郵政カイカク」と(3)「年金積立資金運用」が『小泉劇場』下(小泉純一郎・元首相の在任期間)で実現した「小泉構造改革」の中核的な制度であることに特に注目すべきです。そして、当然ながら小泉純一郎・元首相は(2)の落し子たる世襲議員です。それにもかかわらず、御用メディアは下(▲)のような援護射撃を打ち始めています。やはり、お人よしで「善良な日本国民」の多くは、権力側によって“見事なまでに飼い馴らされている”ようです。
▲(読売新聞の最新調査結果)「首相にふさわしい」小泉さんトップ(次点は小沢さん)、麻生さんに大差、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090205-00000007-yom-pol
言い換えれば、これは日本社会における“お上意識”の遍在(権力意志のユビキタス化)ということであり、一般国民の多くは“長いものに巻かれる思考停止状態の無気力な姿”で“国家詐欺の狼藉と手込”に身を任せつつ、何をされようが無頓着で、ひたすらまどろんでいるのです。多くの日本国民は、まさに“国家詐欺”に身を委ねたまま安逸をむさぼるナルコレプシー (narcolepsy/居眠り病) 状態です。これでは、「先進民主主義国家としては稀な世襲議員らによる政治・行政の占有」に対する市民(国民)サイドからの批判の声が一向に大きくならないのもむべなるかなです。
(「円天詐欺」に相似するナルシス(自己陶酔)型“小泉・竹中・八代&財界癒着ネオリベ国家詐欺”の狡猾さ)
上の事情に御手洗・経団連(キャノン)会長あるいはオリックス・宮内会長ら「日本財界トップ」の動向を併せて観察すると渦中の「円天詐欺」(参照、下記▼)に酷似したポンジー詐欺の異様なシナリオ(ポンジー・スキーム)が見えてきます。因みに、円天と円天市場のネーミングは“楽天”からのパクリらしく、まことにフザケた「ねずみ講詐欺」事件です。ともかくも、円天イーグルスなどというプロ野球チームが誕生しなかったことは、日本の青少年教育のためにも不幸中の幸いでした。
一方、「円天詐欺」の“狡猾でナルシスティックな波 和二・会長のイメージ”が、特に“小泉・竹中&財界癒着型”ネオリベ改革(=小泉純一郎・元首相による強引な構造改革)の象徴でもある「郵政カイカク」から派生した“かんぽ問題”の奥の院(=善良な日本国民を騙した巨大なキックバック・スキーム?)に余りにもよく似合うので驚かされます。渦中の“かんぽ問題”の深奥に潜む人物とは、果たしてどれほど『奇怪なナルシスト』(=自分の詐欺行為を自らは頑として詐欺と認めず、しかも己(おのれ)自身が陶酔的かつ殆んど無自覚にそれに嵌るという意味での異常ナルシシズム心理の所有者)なのでしょうか?
<注記>
ポンジー詐欺(ポンジー・スキーム)・・・ポンジースキームはアメリカ版のねずみ講のことで、20世紀はじめの天才的詐欺師チャールズ・ポンジー(Charles Ponzi)に由来する命名。参照 → http://kabu.muimi.com/k/column/2007/ponzi.html
▼<円天事件>虎の子の貯金どこへ…L&G詐欺被害者、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090204-00000063-mai-soci
▼“円天”の会長ら22人 逮捕/集めた資金1,260億円、http://www3.nhk.or.jp/news/t10013990701000.html#
▼L&G詐欺 会長名義の21口座で集金 423億円返還されず、http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090206AT1G0503L05022009.html
(参考関連情報)
◆<キヤノン工事脱税疑惑>鹿島社員ら聴取 東京地検特捜部、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090131-00000012-mai-soci
◆「かんぽの宿」、オリックス(宮内会長)への譲渡白紙/日本郵政 、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090206AT3S0600F06022009.html
かつて、日本経団連が、会員企業・団体が自民、民主の両党に政治献金するときの目安となる政策評価(2008年)を発表したことがあります(参照 → http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080917-OYT1T00776.htm)。それによると、自民党は、概ねその政策が経団連から高く評価されており、最高の「A」評価が30項目中10項目(昨年より一つ多い)となりました。
他方、民主党については、「ねずみ国会」ならぬ「ねじれ国会」で 対決姿勢が目立った(党利党略に走りすぎた → ということは、このような国会の“ねじれ”を作った一般国民の意思が誤りだと言うのか?)として、下から2 番目の「D」が昨年より2項目多い6項目という厳しい評価を付けています(政治献金額は自民党29億1000万円、民主党8000万円)。要するに、民主党 は「小泉構造改革」の揚げ足取りに終始して「反改革、つまり逆コース」を叫ぶだけの経団連にとって役立たずの政党で信頼できないということのようです。しかし、問題は「経団連自身が、自民党と同じように国民生活を向上させる目線ではなく、自らの既得権益にのみ照準を当てていること」にあります。
国税庁が発表(2008.9.19)した「民間給与実態統計調 査」によると、日本の平均給与は10年ぶりに微増(06年・435万円→07年・437万円)したものの、<年収200万円以下:02年・853万人→07年・ 1032万人・・・5年前の21%増加/年収1000万円以上:02年・217万人→07年・233万人・・・5年前の7%増加>のデータが示すとおり、【小泉構造改革の唯一の成果】は日本における【格差拡大を実現した】ということだけなのです。
平均給与の微増(僅か2万円/年額!)にしても、これは一過性と見るべきで、今の最悪の景気動向が続けば、次年度以降は再び<中間層没落>のデータが現れるはずです。しかも、小泉構造改革の大目玉である「郵政改革の意義」も今や薄れつつあり(元々、人件費に歳出が伴わなぬ郵政民営化で公務員の人件費が減った訳でもなく、一体何のための郵政改革だったのか?・・・この裏には限りない闇=キックバック構造が隠されているのか?)、それどころか農水省・厚労省・防衛省・国交省などを巡る「国民の生命・財産を甚だしく毀損する酷いスキャンダルが小泉政権の跡を継いだ“美しく”(?)て無責任な・安部内閣いらい今に至るまで陸続と噴出していることは周知のとおりです。
これは、日本の「政府・中央官庁&財界」が濃密な癒着構造の中で「巨大な伏魔殿」と化してきたことを意味します。一部の労組(御用組合?)と御用メディアがこれに加担してきたことも日本の悲劇を重症化したようです。言い換えれば、それが<「市民の意思」が「作為的犠牲を内包する金融・生産システム」に服従し続ける日本の無惨>(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090202)ということです。しかし、そのおかげで「非正規雇用問題」など、日本における労働行政・労働環境の貧困・低劣ぶりが急に浮き彫りとなったのは怪我の巧妙かも知れません(真っ先に犠牲となった方々については真にお気の毒なことですが・・・)。従って、問題はこれからということになります。
つまり、我が国で大手製造業を中心に噴出している「非正規雇用の切り捨て」(派遣切り)の背景には、愈々、本格的な少子高齢化社会へ向かう社会環境の中で、グローバリズムと地域社会・地域経済を調和させつつ本気でリボーン型の内需経済構造を構築すべき緊急事態であったにもかかわらず、「小泉劇場」以降の「政界・学界・財界の濃厚な癒着構造」が、未来への冷静な展望を喪失させたまま、保身と自己利益に引きずられつつ労働者を単なる消耗品あるいは使い捨て商品扱いにして、まるでバカの一つ覚えの如く、ひたすら<中間層の没落>と<格差拡大>を煽ってきた「政官界と財界の癒着」という、余りにも惨めで情けない現実があるのです。
<注記>
「リボーン型資本主義(Reborn)」のイメージは、適正な労働分配下で、限られた数の労働者を次世代の経済成長の活力源に育てつつ内需型経済とグローバリズム経済を調和させる賢い資本主義。これに対し、小泉政権以降の日本政府が目指してきた「リセット型資本主義(Reset)」のイメージは、格差拡大を煽るトリクルダウン(ネオリベ=新自由主義、市場原理主義、規制緩和万能主義)幻想の下で、市民・国民・労働者を使い捨てにする、まるでタコの自食行動のように愚かな資本主義。
言い換えるなら、そこには愚かにも<自らが拠って立つべき稀少な地盤の切り崩し>に精を出してきたという「資本主義が目指すべきリボーン型社会への方向性」についての根本的な錯誤が隠れています。従って、これについては、欧州の「積極的雇用対策」(フレキシキュリティ)に倣いつつ、国の役割としての「公共的職業訓練の重要性」を認識し、その意味についての理解を政・官・財・学・民の立場を超えて日本国民が広く共有することを前提とすべきであり、小泉政権下で止めを刺す形となった「労働者派遣法」を元に戻すだけの対策では済まないはずです。
なぜなら、この「政界・学界・財界の濃厚な癒着構造のもたらす空気」が、実はポンジー詐欺(ネズミ講詐欺)のそれと酷似しているからです。分かり易く言えば、“多くの協力者・参加者・賛同者らが<実は自分たちが騙され続けてきた>ことに一向に気づかぬという意味で、未だに多くの被害者が深い洗脳状態から抜け出せない「円天詐欺」の被害者らの異様なポンジー・スキームへの帰依の状態と酷似している”ということです。我われ日本国民は、いつから、高潔な政治家に代えて薄汚い詐欺師たちを国会へ送り込み、現代の錬金術師と見紛うばかりの詐欺師たちを財界人として崇め奉り、同じくカネ亡者のプロ詐欺師らを高給官僚として雇い続けるという悪しき伝習に嵌り、権力側が下賜する「お仕着せポンジー政治のまどろみ」の中で惰性的に生きる無気力な国民として飼い馴らされてしまったのでしょうか?
(1月29日の大規模ストに見る、フランス市民意識の底力)
我が国における<市民的勇気の不在>の対極にあるもの、すなわち強烈な<市民的勇気の存在>を証明したのが「1月29日にフランスで行われた大規模スト」(参照、下記◆)です。
◆フランス/大規模スト突入 鉄道も電気も先生も(1月29日/毎日)、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090129-00000127-mai-int
◆フランスのデモ拡大、参加者250万人に・・・デモは2007年5月のサルコジ政権発足以来、最大規模/悪化するフランスの雇用情勢の深刻さが浮き彫り、http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090130-OYT1T00493.htm
◆ね式(世界の読み方)/29日のスト・デモのその後、http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2009/02/29-52b1.html
このフランスの「1月29日・大規模スト」の背景と意義について、週刊誌『Le Nouvel Observateur』 の1月29-2月4日号(通巻2308)に掲載された<Front commun contre la crise!/危機に対する共同戦線!>という記事が下記ブログ★で翻訳・紹介されているので、主なポイントを抽出しておきます(記事の内容は、フランスの主要な労働組合・CFDT (Confederation franc,aise democratique du travail /フランス民主主義労働同盟)の事務局長 Francois Chereque氏とCGT(Confederation generale du travail /労働総同盟)の事務局長 Bernard Thibault氏の対談という形式になっています)。
★PAGES D'ECRITURE(2009-02-04 23:31:05)、http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10203143748.html
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●米国でのローン金利による最貧困層の搾取が原因という意味で、この危機は根本的に不道徳な金融資本主義の逸脱である。従って、このストは、その道徳的不正に対する抗議だ。フランスの全ての組合は、雇用維持のための具体的な提案をしている。なぜなら、企業は雇用削減のために、この危機を利用しているからだ。(Francois Chereque)
●もはや我われは社会的な諸パラメータに配慮せず経済活動を続けることはできないと主張すべきである。自らが全く責任を負う必要がない危機の犠牲になることを、なぜ従業員が受け入れなければならないのか我われは分からない。このような観点から我われは構造改革について話し合うべきなのだ(つまり、タコの自食行動的なネオリベ資本主義はバカげているということ ← toxandoria注記)。(Bernard Thibault)
●銀行が救済されたことに異議はない。しかし、政府が銀行の経営管理に新たな規制を課さなかったいう意味で不十分な再建計画は納得できない。働く貧困層に利益をもたらすRSA(積極的連帯所得)の早期実行と若者のためのRSAを考慮すべきだ。また、中間層のローン取得問題へも助けが必要だ。(Francois Chereque)
●経済再建計画は不十分で部分的に適応不能なものもある。また、雇用の不安定と非正規雇用に対する緊急対応も不十分だ。今、従業員は自分たちが調整のための単なる変数であるように感じさせられている。(Bernard Thibault)
●その論理の変更がなければ、短期の金融収益の論理を優先してきた銀行には今後の有望産業に対する持続投資の成功を期待することはできない。公権力の代表者が、その使途について言うべき言葉を持たないままの公的資金の注入を認めることもできない。また、我われは、企業が公的資金を受け入れた瞬間から、従業員が企業に対する発言権を持てるようにすべきだと主張する。(Bernard Thibault)
●公的資金支援を受ける銀行等の再建計画に欠けているのは下記の三点である。(Francois Chereque)
(1)銀行の場合はその代償(責務?)が明確でないことが問題で、自動車業界等の場合は工場閉鎖や国外への移転を止めるよう要求する必要がある。国家の援助と引き換えに、これらの大企業は「従業員に対する社会的責任」を負うべきだ。忘れてならないのは、従業員も企業の富を増やすことに貢献してきたし、これからもそうだということである。
(2)これらの企業は、再出発する日のために、その生産能力を保持するように配慮すべきだ。
(3)この第3四半期には、雇用が削減される一方で時間外労働が急上昇してきたが、企業側はこれをどのように説明できるのか? 実は正社員の時間外労働の方が有期雇用契約社員より安くつくからではないか?
●・・・今の危機で最も苦しむのは、不安定雇用・臨時雇用・中小企業従業員および若者たちであるが、これらの非組合員たちを組合としてどのように保護するつもりか?
→ 現実的な結果を出すことだ。CFDTは、この1年間で不安定雇用の従業員に関する三つの合意に署名している。(Francois Chereque)
(1)「第一の合意」=労働市場に関する合意・・・企業の圧力で辞職に追い込まれる従業員を保護するもの。慣習の破棄によって、今後、彼らは失業保険を受ける権利を得た。また、解雇に対する保障を2倍にすること、失業状態でも共済保険が維持できることを勝ち取った。
(2)「第二の合意」=部分的失業(自宅待機のこと?)に対する保障を給与総額の50%→60%へ増額できた。それがパートタイムにも適用可能となった。
(3)「第三の合意」=きわめて短期間の雇用契約にも失業保険が可能となった(過去1年に6ヶ月→4ヶ月への変更)。
●CGTとCFDTは、これらの合意について、必ずしも同意見ではない。重要なのは、特定の人々の権利の改善の裏側には、その他のより多くの人々の権利の低下があることを理解することだ。それは、最も権利を主張することができるのが必ずしも最も雇用が不安定な従業員ではないという現実があることだ。しかも、これはフランスだけのことではないが、企業側は「パートタイム、細分化された仕事、不法滞在者の労働」などの形で不安定雇用の状態を絶えず拡大しようとしているのだ。そして、これら不安定雇用の勤労者は、自らの権利を主張する十分な立場を持っていない。これは政治的観点から見た場合の運用の問題である。今や、労働組合全体が同じプラットホームでそのことを考え、行動すべき時である。反組合的な抑圧や脅迫が、従業員に対して増大しつつあることは正常なこととは言えない。(Bernard Thibault)
●雇用者側と政治家は、古い格言『diviser pour regner /支配するために分断せよ』に基づいて、絶えず従業員の世界を分断しようと務めてきた。従業員の労働組合運動は、主として二つの悪に苦しんできた。その一つは「抑圧」で、二つ目は共同の闘いに損害をもたらす「組合の分散」である。(Bernard Thibault)
・・・・・
1月29日の「主要8労組による全国規模の時限スト」は同日の午後に実行され、パリやマルセイユなど全国の主要都市ではデモ行進が行われ、最大労組CGT(既述、フランス労働総同盟)の発表では計250万人が参加した(警察発表は100万人)とされています。そして、このストはフランス国民の約7割が支持したとも報じられているうえ、この対談から窺えるように、今回のストの背景には、現下の金融・経済危機の本質と犯人を的確に見据えつつ、同時に政治・経営側の理不尽は微塵も許さぬという固い決意が存在することが分かります。
しかも、CGTとCFDTはこのストを共同プラットホームの形で実行しており、その視野がフランス以外の勤労者らへも注がれていることにも驚かされます。これは、市民(国民)の恐るべきほどのリアリズム感覚と主権者意識に裏づけらた「フランス民主主義の底力」の表出です。相変わらず、「円天詐欺」もどきの“小泉・竹中・八代&財界癒着型”ネオリベ国家詐欺”に翻弄されながら、その日暮らしのまどろみの中で生きる無気力な国民として飼い馴らされてしまった日本国民の低劣な意識とは大違いです。
因みに、このような「日本の惨状」を相対的に照らすという意味で、かつて、下の記事★の中で「現代フランス政治の特徴」を独断と偏見を承知のうえで纏めたことがあるので、下に転載しておきます。
★2006-03-21付toxandoriaの日記/「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321
●フランス国民は、国家の最高法規であるフランス共和国憲法への絶対的信頼を保持している(フランスのアイデンティティのために軍事力を直轄する「大統領中心の政治権力」と「フランス革命以降の民主主義の理念の根本=国民主権」をバランスさせる絶妙な仕掛けだという理解)。
●フランス国民は、「強力な大統領制」(=ゴーリスムの遺産)と「健全な批判力としての左派勢力」とのバランスが重要であることを十分に理解している。
●ドゴール以後の現代フランス史を概観すると、事実上、継続的に左右の政権が拮抗してきたことが分かる。ミッテランを除くと、ドゴール(1959〜1969)、ポン ピドー(1969〜1974)、ジスカール・デスタン(1974〜1981)、シラク(1995〜 )は全て右派であるが、左派のミッテランは15年に 及ぶ超長期政権であった。現在も右派と左派の勢力は拮抗しており、これはフランス国民が健全な民主主義を選択するために、自らの歴史経験で身につけた絶妙なバランス感覚のように見える。
●フランス国民には、「民主主義の理念」を自らの社会的活動の実践で現実的に確認するという「大革命」以降のフランス的伝統が身についている。例えば、その典型がフランス特有の「アソシエーション」(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321)の存在であり、フランス人は、「反CPEデモ」に見られるように、多くの国民が“真の民主主義を要求するための直接行動の意義”を理解している。言い換えれば、フランス人の多くは“街頭へ繰り出して、政治権力側へ自らの意志を強くアピールすることの重要性”を理解 している。
結局、我われが、民主主義のあり方についてフランスから学ぶべきことは次のような点だと思われます。
・・・・・
●先ず、国家としての「自主独立の外交スタンスを確立する」ことが根本的に重要である。
・・・ 現在のアメリカ(フランスの民主主義と決定的に異なるのは、アメリカの民主主義が決して政教分離ではないという点)べったりの姿勢は噴飯ものである。無論、フランスに倣って日本も「核戦力」を保持すべきだなどということではなく、それどころか、日本は独自の歴史経験から学んだ「平和主義」を、世界に誇り自負すべき崇高な国家理念として堂々と掲げるべきである。このことと必要限度の軍事力を装備することは別問題だ。
●「日本国憲法」が政治権力に対する強い縛り、つまり政治権力に対する「授権規範性」を持つことの意義を国民が徹底的に学び直し十分に理解する必要がある。 ← この観点からすれば田母神論文など論外である!
・・・ 「授権規範性」が無視されれば、政権与党の政治は、小泉政権や安倍政権ががそうであったように、必ず独善化・暴政化そして腐敗して一般国民の主権が根底から侵害され踏みにじられる。今や、我が国では、自民党の憲法改正案などに見られるとおりアナクロな「欽定・大日本帝国憲法」への回帰論(神憑りの軍事国体論の亡霊)にへばりつく極右政治家らの醜悪な姿が垣間見える (参照、『「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419)。
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『非学者論議に負けず』という俚諺があります。これは「自分の問題として自覚して学んでいない人々は、いくら正しい知識だといって詰め込まれても本当には理解できないものだ」ということです。今の日本で、この“非学者の立場”に相当するのは、特に“政権与党に与する腐敗した政治家たち、その取り巻きの御用マス コミ人と御用学者たち、および彼らによってヘタレ・ショタレなどと見下され小ばかにされつつ政治の小道具として弄ばれている、いわゆるB層と見做され主権者意識が特に希薄な国民層、そして一部の無気力な野党の政治家たち”です。一方、たとえ仮に学歴などがなくても、フランスの一般国民およびバンリューの住民およびフランスの学生と労働者たちは「民主主義社会でも権力は腐り易いものである」ことを熟知しています。
特に与党とは限らず、野党の国会議員であっても、それが無気力な存在であれば、彼らは高給(?)官僚・渡り官僚や与党の腹黒い政治家に劣らぬ“税金泥棒”と見なすべきです。また、ウエブ・ネット上で際限なく繰り広げられるヘタレ・ショタレグループらの“ウヨ・サヨの揚げ足取りと梯子外 し、果ては“口”撃(または書き込み“コウ”ゲキ)によるブログ炎上などの時間潰しゲーム”も莫大なエネルギーの浪費であり不毛です。今の日本で大切なことは、フランスなど諸外国の民主主義のあり方を参考としつつ健全で(=アナーキズムへ逃避しないという意味)リアリズムに徹した、行動力がある“現実的で中立的な批判勢力”を育てることです。この観点からすれば、バランスの取れた健全な資本主義と民主主義を実現し、世界平和に貢献するため我われ日本国民がやるべきことは無尽蔵にあるはずです。そして、当然のことながら、ここでは現在の堕落しきった御用ジャーナリズムの再生ということも視野に入れるべきです。
なお、これは前にも書いたことですが(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090202)、何に怯えているのか分かりませんが日本の大方のメディアは、小泉・竹中・八代(ネオリベ)構造改革(=権威主義的・錯誤的・刹那的であった金融市場原理主義を導入するための構造改革)についての徹底反省から逃げ回っており、「カンポ問題」(小泉・竹中・八代ら狂信的ネオリベ一派によるB層ターゲット戦略を使った郵政カイカク利権疑惑)にせよ、根本的な「労働政策転換の必要性」にせよ、彼らは、まるで政府・官庁御用達の<記者クラブの囚人>と化したような“風見鶏”の報道に明け暮れています。そして、その典型が近年の朝日新聞の<ネオリベ権力御用達・提灯メディア化>ぶりに見られます。
しかしながら、日本がそのバランスの取れた健全な資本主義と民主主義を実現し世界平和に貢献するためジャーナリズムの役割が重要であることは変わりません。しかも、ポストWeb2.0による「アンバンドリングとデューデリジェンス」(ネオリベラリズム普及のための基本的なツール概念)が、いつ再び暴走し始めるか予想が出来ない時代であるからこそ、ますますジャーナリズムの役割が重要となるはずです。また、それは日本における「市民意識のゆるさ」(=下賜されるお仕着せ政治と権力が与える餌に満足しつつ、分断されたままノ〜ンビリとまどろみの中で生きる無気力な国民性の存在)ゆえにこそ、一層のジャーナリズムの奮起が求められるはずです。
更に、既述の週刊誌『Le Nouvel Observateur』 の1月29-2月4日号(通巻2308)に掲載された<Front commun contre la crise!/危機に対する共同戦線!>に見られたフランスの労働者層による強力な共同プラットホーム(連帯ネットワーク)のような存在が期待できぬ日本では、政治権力と経営側の癒着に絶えず倫理観の自覚を促すという意味でも、公正・中立なジャーナリズムの役割がますます重要になるはずです。他方、現実には、朝日新聞の<ネオリベ御用達型・提灯記事マスゴミ化>に見られるとおり、経営側からの圧力にジャーナリズムの現場が屈する可能性が高まることも確かです。しかし、そのような構図は、まさに金融市場原理の暴走が資本主義自体のインフラを突き崩す方向へ突っ走るのと同義の自己矛盾であり、それはジャーナリズム自身の存在を否定しつつメディアの自殺行為に直結する恐れがあります。が、ここで、この問題をこれ以上詳述する余裕はないので稿を改めることにします。
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