★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK58 > 887.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「年越し派遣村」が提示した労働組合運動の新しい展望を拡大しよう 安部誠さん(全国ユニオン事務局長)に聞く(かけはし)
http://www.asyura2.com/09/senkyo58/msg/887.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 2 月 06 日 19:40:48: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/frame090209d.html

 二〇〇八年十二月三十一日から〇九年一月四日まで、日比谷公園に、派遣切りなど解雇された労働者の救済のために「年越し派遣村」が作られた。この運動を自立生活サポートセンター「もやい」の湯浅誠さんたちとともに担った全国ユニオン事務局長の安部誠さんに「年越し派遣村」運動がどのようなものであったのか、その教訓と今後の課題について聞いた。インタビューは一月二十二日、派遣村が借り上げた本郷の旅館で行った。(編集部)

どのように準備
されたのか?

――派遣村はどのように準備したのですか。

 派遣村の話が出たのは12・4派遣法抜本改正を求める日比谷野音全国集会の後です。何でそういう話になったのかと言うと、12・4集会の成功・一定の高揚があったこと、十一月二十九日から三十日に、全国ユニオンが派遣切れホットラインをやった。その時に、これからどうするのと聞くと、あてはないのに「東京に行こうと思う。東京の方が仕事があるのではないか」という人が結構いた。十二月の中旬や年末に派遣契約が切られることが分かった。結局東京に来たはいいけれどあてもない。これはちょっとえらいことになるぞ。
 そこで、二つのことを考えた。ハローワークが十二月三十日まで開くことは分かっていたから、十二月三十一日から一月四日までどうするか。その期間炊き出しなどでの救済。もう一つは仮に百人の人が野たれ死んでも、それが百カ所だと世間から見えない。一カ所に集めて現実を可視化することが大切だ。ぼくら労働組合の側も反貧困の湯浅さんたちも何となくそんなことを考えていた。ここ二、三年、エグゼンプションや派遣法の問題、反貧困での取り組み以来の信頼関係をつくってきた仲間たちによる有志連合で取り組みを決めた。よく、ナショナルセンターの枠を超えてと言われますが、機関決定があって、あるいは機関に話を持ち込んでそれでやったということではない。
 例えば、ぼくらの場合だと十二月二十四日の連合の中央委員会で、こういうことをやりませんかではなく、こういうのをやりますからご協力ください、と提起した。全労連で取り組んだ人に聞いてみると全労連に対してもそうだったようだ。
 十二月二十二日に、派遣法改正の共同行動のブログで「派遣切れに対して、越冬闘争を行う」と流した。場所は最初から日比谷公園とせず霞ヶ関・日比谷周辺とした。政府はすでに、二十五日からこの計画を把握していたと新党大地の鈴木宗男議員の質問書に回答した。政府も知ったはいいけど、どうしたらいいか分からなかったのではないか。

――厚労省前の日比谷公園で越冬行動をするということは派遣切りに対して、政府はこの問題をどうするかという対政府交渉の意味合いも構想していたのではないのですか。

 ありました。どう考えても普通の炊き出しとかイベントみたいなものじゃないということは分かっていて、初めからどんなにわれわれに力があったとしても全部担えるなんて思っていなかった。年末年始をやれてもそれ以降は限界がある。可視化するということは政府に対して、どうするんだよということで迫れると思いました。だから、場所を日比谷公園に選んだと、いうより、多少の異論もありましたが、当然のように決まりました。

――三十一日に立ち上がるとマスコミの報道が連日続きました。とりわけ、正月ということもあり、全国的な反響を呼びました。派遣村はどうだったのですか。派遣村の名称は?

 誰が提案したということでもなくなんとなくですね。最後に、「派遣村」にするか、「年越し派遣村」にするか、意見が分かれた。マスコミに「年越し派遣村」の方が良いと言われてそれに決まった。村民として登録した人が四百九十九人。宿泊を実際にした人が四百八十六人。ボランティア登録をした人が千六百七十四人。これは延べではありません。複数の日数来た人がたくさんいる、登録しない人もいたので五千人を超えたのではないですか。
 政府やマスコミなどに対処するために、実行委員会を作りました。役職で決めたのは村長を湯浅誠さんに、多重債務問題を取り組んでいる宇都宮弁護士が名誉村長、会計にSさん、広報担当として、派遣ユニオンの関根書記長をあてるというだけのものでした。

支援物資と
カンパの集中

――マスコミが報道することによって人が集まった。さらに一月四日に、派遣村で全野党の党首クラスが全員そろって集会をやりました。民主党代表代行の菅直人さんが来て連帯のあいさつをしましたが、民主党が派遣法改正問題でも製造業派遣禁止に転換する契機にもなったようです。そして、五日の院内集会に厚労省副大臣・大村秀章さん、自民党の片山さつき議員が参加し、国会請願には公明党議員が多数議面前に出てきた。こうして、派遣切りなど雇用問題が政局の中心へ躍り出ました。

 私は五日間の内、四日泊り込みました。少しの時間、日比谷を離れて初めてテレビを見ただけです。「すごいね、すごいね」と言われるけど、こっちはテレビを見てない。日比谷公園の外で何が行っているのか分からなかった。箱根駅伝のニュース中継の合間に、頻繁にカメラが派遣村をうつしだしていたようで、すごいことになっていたようですね。
 今、政党関係の話がでましたが、政党関係の方々が、ある意味勢ぞろいしたのは、一月二日です。そして、この日は、派遣村にとって、とても重大な一日となりました。
 開村以降、百人ずつ村民が増加し、三百人を超え、収容能力を超えだしたのは、誰の目にも明らかでした。
 個々の政党、議員の方々の動きについては煩雑になるので述べませんが、厚生労働省が講堂を開放したのは、問題が政治問題に競りあがったということを意味しているでしょう。

――炊き出しや宿泊のためのいろんな物資が必要だったと思いますがそれはどうしましたか。

 十二月二十二日にブログでカンパ下さいと発表した途端に、ものすごい量の物資とカンパが寄せられた。昔の三里塚の経験があったので、葉物や冷凍食品、古着はお断りした。三十日の時点で管理職ユニオンの会議室は食糧貯蔵庫になっていた。カンパは四千万円を超えました。

――年明けの京品ホテルの支援集会で、「正月は自主営業を休みにしていたので、派遣村に大鍋を持ち込み炊き出しを手伝った」と報告がありました。さまざまな人たちの支援があったのですね。

 いろんな支援があった。野菜は三里塚や農民連がカンパしてくれた。医療関係は例えば共産党系の組合の人は病院について、費用のことは後で考えるにして、本当に入院しなければならない人はとにかく二十四時間体制でスタンバイしているよという話だった。日比谷では耐えられないけれど、入院するほどでもない。そういう人のために京品ホテルは数室を開放して対応してくれた。それは非常に助かりました。

――ゴミなどがいっぱい出たと思いますがどうしましたか。その他感動したような支援は?

 清掃労組や建交労の部隊がゴミトラックを持ってきて処理してくれました。私たちはできるところからやろうということで、最初に炊き出しで計画したのは一回、百から百五十食でした。ところが年明けてから毎日百人ずつ増えました。そうすると聞きつけて、いわゆるホームレスの人も来るようになり、最後は一回、八百食にまでなりました。
 調理は全国ユニオン鴨会長などが先頭になってやっていました。鴨さんは夜の十一時過ぎまで日比谷にいて、翌朝七時前に出てきていた。ところが三日目ぐらいになると、鴨さんが来る前に自主的に食当の人たちが寒いなかで準備していた。その段階でずらっと食事を待って並んでいるわけですよ。シェフとあだ名がついた男の子が切り盛りしたりしていて、その元に一糸乱れぬ形で動いていた。
 それから物資を山積みにしているから、火をつけられたりしたらいやだということで、物資の横で自主的に防衛隊として寝ていたおじさんとか。そんな役職なんかなかったんですが。派遣村全体を把握していた人なんて誰もいなかった。自主的な秩序によって成り立っていた。

――ボランティアの人たちは昼間来て、夜帰るというようなことだったのですか。

 帰る人もいるし、本部のテントの方を利用してそこで寝る人もいました。私もずっとあそこで、自分のテントを持っていって寝ていました。寒さは冬山並みでした。

集まった人の
間で差別しない

――派遣村に来た人はどんな人たちでしたか。

 派遣切り・期間工切りなど被解雇者で、職と家を失った人がおおざっぱに言って六割。長い期間、野宿生活している人が二割、後二割は分かりません。開村式の時に、「これは派遣切りの人たちが対象だが、そうでない人もいっぱいくる。みんな大変なんだから、並んだ人は誰区別することなく、分かち合おう」とみんなで確認した。派遣切れで来た人で二日目から、ボランティアの仕事を受け持つようになる人も出てきた。そういう人はすぐに分かってくれて、非正規・正規と差別されて、こういうことになったわけで、それをなんとかしようとしているわけだから、集まった同士でまた差別するというのは良くないという意見がけっこう出た。そういう意味では排除はなかった。

――男女の比率はどうでしたか。

 女性もいましたが圧倒的に男性でした。女性はテントに泊めるのではなく、別の施設を借りて対応した。

――ボランティアに来た人の特徴は? 労働組合員が多かったのですか。

 いや、労働組合員は少数で二割から三割ぐらいではないでしょうか。反貧困ネットでつながった人たちもいました。12・4集会は呼びかけ人の幅が広がりました。12・4集会に来た人も組合でなくて、野宿者の運動、多重債務の運動などをやっている人たちも参加していました。そういう人たちに労働組合がひっぱられたと言ってもいいのじゃないか。組合の機関動員だったら絶対できなかったでしょう。有志連合だから、いろんな序列もないし、エグゼンプション以来の人間関係もあるから、わだかまりもなくうまくいきました。仕事自体はてきぱきとやっていたし、厚労省交渉なんかでも意思統一は非常に簡単でした。

危機意識に
駆られた政府

――一月二日に、厚労省の講堂を宿泊施設として開放させました。その経緯は毎日新聞の一月十二日号に載っていましたがどうでしたか。

 だいたいあの通りでしょう。たまたま湯浅誠さんと厚労省副大臣の大村さんがテレビで対談し、連絡先を知っていたということです。たぶんいろんなルートから入ったと思う。講堂開放はかなりすんなり、厚労省が受け入れた。毎日新聞で大村さんが語っているのは真実に近いと思う。「ここで凍死者ひとり出したら、麻生内閣がふっとんでしまう」という危機感は当然働いただろう。どういう形で政府交渉になるかは分からなかったが、後から考えてみると、成り行きとしては自然だった。先ほども述べましたが、一月二日は本当に重要な日でした。色々な意味で。

――十一月頃から、例えば大分のキャノンで派遣切りがあり、寮から追い出されるということに対して、全日建連帯労組の分会が作られ、それとの闘いが始まった。すると大分県や市が臨時職員として採用することや県営や市営住宅を提供するなど支援の動きが始まった。神奈川県でのいすゞ自動車との闘い中で、県が県営住宅を安く提供することを決めた。そうした流れの中で、国も宿泊所を要求するのを拒否できないことになっていったということでしょうか。

 もう、派遣切りで家も職も失った人が何千、何万人だろう。そういうことを考えれば、日比谷に来た人たちは五百人だったが、それでも五百人宿無しが一カ所に集まることはすごいことだよ。それは政府にも伝わったと思う。

――この時、要求は講堂を開放せよという以外に出したのですか。

 他にも要求はだしましたが、緊急かつ最重要な要求は、講堂開放でした。派遣村が日比谷で動いている間はカンパとかボランティアも増えたので、衣食住についてはなんとか目途が立っていた。その手の要求はあまりしていない。

――講堂開放が流れとして大きかったのではないですか。今までは政府は自分たちの責任を認めて、個別の要求に応じて国の施設を使わせることは絶対になかった。

 毎日新聞での記事で、官僚とやりとりとされている部分は次のようなものだった。「大村副大臣が講堂を開放すると言ったときに、官僚から異論があった。明治以来、生活困窮者の救済は自治体の仕事で、国はこんなことをしたことはありませんと」。これは本当だと思いますよ。関東大震災の時だって、直接対応したのは東京市だったでしょう。国は予算をつけるとかの仕事。

――この流れの中で、五日以降政府が自治体に要請して、宿泊所の確保と職のあっせんを行った。

 いや、五日以降のことがまだ分からなかったから、四日の午後三時半に、今厚労省との話し合いはこうなっていると説明する村民集会をやった。その時点で厚労省から言ってきたのは、二百五十人分は確保したということ。では、後二百五十人分はどうするのだとなった。その時に、厚労省の方は講堂にいる二百五十人をまず施設に移してくれないか。俺たちはそれは逆だ、テントの人の方がたいへんだ。こっちが先だと主張し、平行線になった。最終的には村長一任となった。夜の厚労省交渉では結局、五百人全員を路頭に迷わすことはしないと確約をとった。
 最初、国は都や区に丸投げしようとした。こちらはそれはダメだ、まず国が責任を持ってやることを確約すべきだと主張した。昼間の会議には東京都の役人が同席していなかった。夜の会議には東京都も出席してもらって、国の責任でやるので、それを受けて宿泊所を確保することができるようにした。

生活保護取得の
意義を再認識

――その後はどうなりましたか。

 五日の日に、四カ所プラスの宿泊所を十二日まで確保して移動した。派遣村に居た時に、生活保護の申請を百数十人が行った。生保のことで言うと、二百九十人ぐらい申請して、まだ若干増えています。とはいえ、生保について偏見があって、いやがる人も結構いました。お世話になりたくないとか、オレはまだ元気だ、みたいな。それでもほぼ全員に決定が出た。
 生保のことは私にとっても目からウロコが落ちました。世間のイメージでもこれは間違いだけど、働けなくなった人に対するサポートだと思っている。働けなくなった人のサポートは医療の問題です。生保はカネがなくなっちゃった、職を失って行く所がなくなっちゃった。その人たちが社会復帰するための浮き輪なんです。つまり、海に落っこちた人がいたら、浮き輪を投げますよ。そして助かって陸にあがります。生保は浮き輪だということに気づきました。
 一昨年北九州市で、生保を切られ、おにぎりを食べたいと書き残し餓死した事件がありました。ああいうのを見ているから、生保は難しいものだと思わされてきた。だけどそうではなくて、ある意味で、日本で唯一ある再就職支援なんだ。家がないというだけで、生活保護の対象なんです。働けないか、働けるかとよく言うけど、家がないと就職の面接に行ってもはねられる。
 今日(1月22日)の時点で、派遣村が提供した旅館の二カ所に残っている人は四十九人です。ほとんどの人が住むところを確保しました。

――今までは住所がないから生保を受けられないとはねられてきました。

 あれはウソだよね。仮決定の文書には住所が千代田区日比谷公園内派遣村と書いてあった(笑い)。財政赤字だなんだとまず生保を削減ありきで切ってきたわけでしょ。最初の給料が出るまでが生保の対象だ。三カ月で最初の給料にありつければ、月十三〜十四万円なんだから、四十万円で社会復帰できるということでしょ。アパートの補助を含めても七十万円くらい。定額給付金の二兆円で割ると三百万人が救われる。生保を使えば具体的で安上がりです。

――派遣切りなど解雇された場合、次に生活するためのステップに気軽に生保が使えるようになれば、ずいぶん世の中変わります。今回の運動がその突破口となるように全国に波及させる必要があります。

 今の制度でもこれくらいのことができるということです。多くの人が社会復帰できることは、社会保障の受給者ではなく、税金を払う人になる。外需依存型から内需拡大型への転換が言われます。これまでの生保切りをやるのではなく生保を活用したり、小口の融資をもっと借りやすくする。この方が内需拡大につながるよ。

緊急要望書を
政府に提出した

――今後、全国に派遣村のようなものをつくっていこうという提言がありますが。

 一月十九日、三月にやらなければならないこととして、国に対して、派遣村緊急要望書(別掲)を提出してきました。三点あります。まず一つは包括的に問題解決が図れるような総合相談所付きのシェルターを全国に四十カ所つくれ。シェルターと言っても新たに建てるのではなく、いま企業が借り上げているアパートでもよい。女性のシェルターは別につくる。
 二番目には、現行法規でもキチンと法律通りやれば、救われるということ。そのことについて、事業主に対して法律違反をするな。労働者に対してはあなたたちにはこういう権利があるということを周知させなさい。具体的には、派遣切り問題=中途解約というのは労働契約法違反である。継続反復して雇用されている労働者は今後も更新されるだろうという期待権を持っているのだから、判例・法令的にもその労働者たちの権利は守られる確率が非常に高い。
 そして住居の問題。寮から追い出されたと言われるけど、それは言い方を変えた方がいい。寮というと恩恵的に、自分で借りたら五万円のところを五千円とか一万円で貸してくれるところが寮のイメージ。ところが、家賃相場どおりか、その七〜八割というのが大半で四〜五万円もとっている。そうすると、恩恵的に与えているのではなく、借家契約に当たるわけでそうすると借地借家法の適用を受ける。貸している方から一方的に契約を打ち切るためには少なくとも半年前の通知が必要だ。これは判例でも確立している。
 だから派遣切りして、満了日までに出ていけというのは違法だし、それを強引にやったら、自力救済を民法は禁止している。少なくとも半年は居住できることを教えなければならない。
 三番目は、雇用保険や社会保険が機能していないことだ。こぼれている人がものすごく多い。この人たちをケアするための基金をつくれ、つくろうということです。これは企業、個人の寄付で運営する。形態は雇用保険の国庫を基金にしてもいいし、独立行政法人でもいい。
 こういう例があります。スモンとか肝炎の救済のために企業が独立行政法人をつくった。未加入者の範囲拡大やら、つなぎ融資の拡大などの目的のための基金・機構をつくれと。国にも入ってもらって、在野の人間も入って意見が言えるようにする。

大企業の責任
を追及する

――派遣切りでは国の責任も大きいが、大企業の責任ももっと大きい。この前、経団連に公開質問状を出しました。

 大企業に責任をとってもらうためにも、この基金の構想がある。試算でいうと、派遣先企業は雇用保険と社会保険を払っていないわけです。せめてその分を払いなさい。それだけでも三千億円になる。一月一日の朝日新聞のインタビューで、御手洗経団連会長は次のように答えた。「失業者の住宅確保や就職支援のため、企業が出しあって基金を創設する構想を明らかにした。急速に悪化した雇用に対する経済界の事前対応の遅れを認め、しわ寄せを受けている請負会社への支援も発注元企業として検討する考えを示した」。
 そして、キャノンは期間工について、期間満了の人に対して二つの施策を出した。一つは半年間休業補償として給与の八割五分を出す。こっちを選択した人は場合によって半年先に雇用があるかもしれない。もう一方は退職した場合は一律百五十万円支払う。日本の大企業もキャノンを見習うべきだ。厚労省も基金については検討に値するという顔をしていた。その後、野党に対してレクチャーした。野党はこれでいこうとなっている。
 派遣村へのカンパについては、「どう集まって、どのように使ったのか」を一月末で閉めて、二月中に公開されている派遣村のブログで公表する。余るカネがあるので、われわれの構想の基金が出来るなら、真っ先に残ったカネは全額ここに入れます。

――基金を本当に実現させていくにはどうしますか。

 それは理事会になるのか、評議委員会となるのか分かりませんが、労働側、企業側、学識経験者なんかに入ってもらう。ボランティアは民間でカネを出した。国は施設を開放し、職員を出した。企業がカネを払わないのはおかしい。御手洗発言をみると、企業の方もまずいなと思い始めている。こういう問題というのは、国に出せ、企業に出せというのは基本であり重要だが、社会的な連帯でもって、みんなで支え合っていこうというアピールが必要ではないかと思う。それが派遣村で学んだことです。

――旧来の運動だと労働組合は自分たちの雇用や権利の問題、住居や生活保護の問題は社会・市民団体と分断されていました。今回の派遣村運動はその垣根を超えて、労働組合が社会的労働運動としての役割を担った。そうした意味で、労働運動に衝撃を与えたし、春闘の闘い方を含めて新しい運動のイメージを発信したのではないでしょうか。やれば政府を動かすことができるということで、みんなに勇気を与えたのではないでしょうか。

 私たちにとっても、これほどの規模と波及力は予想を超えていました。今回はアピールする側にとって条件の良い状態だった。もともと呼びかけに答えるだけの土壌があって発火点に達したということでしょう。労働組合同士でもそれ以外の市民団体との関係でも作り上げてきたものがあったからできた。
 それではなんで今までできなかったのか。条件の問題があるが工夫と知恵が足りなかった。労働組合の原則はストレートに市民社会の原則ではない。全国ユニオンは半分が非正規だ。だから、非正規の問題がメインであることはあんまり無理がない。派遣法の問題をやってきた。湯浅さんたちは反貧困の問題をやってきた。貧困と非正規はメダルの裏表です。それでいっしょの場面で運動している信頼関係が築かれてきた。今回の運動は次の段階にいく端緒にはなったのではないか。
 ある労働組合の活動家が「元旦のテレビ映像や新聞の一面は国内的には派遣村、国際的にはガザ。それが通底していることがなんとなく伝わってきた」と言っていた。そういう思いは日本で生きている人にかなり共通感覚としてあったのではないか。

歴史的転換期
をどう闘うか

――政治を動かす、社会を動かす。われわれがかつて三里塚にかけたように、時代の転換期に最先端で動かしている。そうしたものを感じるのですが。

 そうですね。それは日一日という感じでした。今でも継続している。派遣法、春闘などの問題で言うと、今回の運動がなぜ成功したというと、われわれの運動が現実に乗り越えられた。それに追いつくために、それに対応するためにどうするか。それぞれの試みがあって、なんとなく形になった。
 今度のことで、派遣法の改正運動でも、去年までわたしたちが主張していた派遣法の改正の中味というのが、そのままでいいのかともう一度検証しなければならないだろう。一月十五日の集会は本当はそのあたりをやりたかったのだが報告することが盛りだくさんでそこまでいかなかった。
 名古屋ふれあいユニオンの酒井君が派遣切りが始まった時に、派遣法の改正案の中に、寮を追い出される人たちについて、寮費さえ払えばある一定期間猶予が与えられる。つまり借地借家法の適用ができないのかと問題提起していた。派遣村が始まる前、酒井君なかなかいいところに目をつけていると思ったが、それが実現できるとは思わなかった。今だったら派遣法の中に入れなくても、借地借家法が適用できると言える。
 今回やってみて実践的に役に立つのは総合相談窓口だ。包括的に一カ所で問題が解決できるような相談窓口と寝ぐらがくっついているとものすごい威力を発揮するということ。これは本当にそう思った。三十一日から四日の間、全労働のハローワークで相談受けている人や監督官だったりする人、その人たちと不動産屋さんがいて、生保の相談を受ける人がいて、医療相談する人間がいて、労働相談を受ける人がいて、全労金の人は多重債務の相談もできる。ワンセットで来ていると相談の中味が見えると解決の糸口もみつかる。これはものすごい威力があった。
 生保の問題で言うと、寿の運動を長くやっていた人が「毎年越冬が終わった後、生保の集団申請行くのだが、毎年すったもんだの大立ち回りがあるのだが、今年はすべて認められた」といった。これは派遣村の運動の波及効果だろう。


――こうした成功にもかかわらず、大企業は正規職を含めて雇用にどんどん手をつけて、大量解雇を実施しています。三月末にはさらに大規模な雇用破壊が起こるでしょう。これをどう止めるかが課題だと思いますが。

 一月十九日に緊急三項目の要請を国にしました。それは結構政府や与野党の議員たちにもそれなりに無視できないものを残していると思う。一、二は簡単にできる。基金までいくかどうかはわからないが、これだってそんなに絵空事ではない。三つの要求は派遣村が切り開いた中で、具体的にできると思ったものです。それは何を意味するかと言えば、結局は政府や体制批判になる。派遣村は麻生内閣打倒のためにやったわけではないが、日程的に言えば、一月五日通常国会の初日。どう考えても、麻生内閣打倒のさきがけになるなと思っていた。労働者・市民の実践で政府に対して、優越する政策提言も出来ている。そんなに悲観的になる必要はない。
 今回の派遣村で、いまの既存のナショナルセンターすべてがいまのままではいけないということがハッキリしたのと、連合が変われば世の中変わる。全労連が変われば世の中変わる、全労協も同じ。ということがそれぞれ突きつけられた。どういう闘いをするか、ここでもってキチンと労働組合が社会的にひとつの実体を持った勢力としてふるまえないとするならば、労働組合つぶれますよ。
 一応みんなそれぞれに参加し、いっしょうけんめいがんばった。振り返ってみて、目的意識的にこの運動をつくったナショナルセンターがあるかといえばだれもいない。連合だけの力はたかが知れている。それは全労連と言い換えてもいいし、全労協と言い換えてもいい。自分たちが変わらなければならない。

派遣村からの緊急要望書
内閣総理大臣 麻生太郎殿 厚生労働大臣 舛添要一殿

派遣村実行委員会 名誉村長 宇都宮健児/村長 湯浅誠 
  2009年1月19日

拝啓 
 日々国民生活・雇用安定のためにご尽力いただきまして、ありがとうございます。
 12月31日に私たちが開設した「年越し派遣村」の経験から、本年3月までに早急に開始すべき対策として、以下要望します。前向きにご検討いただきますよう、お願い申し上げます。
敬具

1、全国にシェルター(緊急避難所)を増開設し、シェルター内に総合相談窓口を設置してください。その際、以下の点にご留意ください。
1)設置主体である地方公共団体の中には、財政難の団体もあります。建設費・運営費の補助率は10分の10でお願いします(特別交付金の活用など〉。
2)新規に建設すると時間がかかる場合には、公営住宅や派遣会社寮の空き部屋などを柔軟に活用してください。
3)総合相談窓口は、就労・生活・住宅・緊急貸付・借金の諸問題について、責任をもって処理できる諸機関(ハローワーク・福祉事務所・住宅課・不動産業者・社協職員・法律家)が同一場所で相談場所を開設するようにしてください(単なるワンストップではなく、包括的な処理窓口が必要)。
2、いわゆる「派遣切り」「期間工切り」を阻止し、失業や住居喪失を予防するための諸政策を実施してください。
1)まず、有期労働契約の契約期間は厳格に守られなければならず、契約期間中の途中解約は、派遣労働者であろうが直接雇用の有期労働者であろうが、「やむをえない事由がない限り」解雇できない(労働契約法17条1項)のですから、派遣元・派遣先企業に対し周知徹底して、現行労働法を厳守し解雇することないように指導して下さい。
2)有期雇用労働者については、たとえ契約期間が満了した場合であっても、契約を反復更新していたり契約更新について合理的な期待が認められる場合には、解雇権濫用法理(労働契約法16条)が類推適用されて、正当な理由がない限り解雇(雇い止め)できないことはわが国の確立した判例法理ですから、この点についても企業に対して周知徹底し厳格に指導してください。
3)常用型派遣労働者の場合には、解雇権濫用法理(労働契約法16条)が直接適用されますので、企業に対して容易に解雇することができないことを周知徹底して、法律を遵守するように厳格に指導してください。
4)登録型派遣労働者の場合であっても、派遣先の正社員・期間労働者と同様に雇用継続を期待しているのですから、上記の雇い止めに対する解雇権濫用法理の類推適用と同様に、派遣元・派遣先企業に対して「派遣切り」をしないように指導して下さい。
5)以上のような、違法・不当な「派遣切り」「期間工切り」などが強行された場合には、派遣元企業だけでなく、派遣先企業も連帯責任(損害賠償や雇用責任)を負うことがあることを認めて、「派遣切り」「期間工切り」を行った企業を指導してください。
6)「派遣切り」「期間工切り」にともない、労働者が居住していた社員寮などの住居から退去させることのないように、企業に対して厳しく指導してください。現実に、社員寮に入居していた派遣労働者に対して相当額の家賃・食費・光熱費などを徴収している場合が多く、この場合には実質的に賃貸借契約が成立していて借地借家法の適用が認められますので、退去させることは法的にみて不当なことになります。
3、企業の社会的責任を全うさせるため、「非正規労働者生活・就労支援基金」(仮称)を設置してください。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK58掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。