話し合い拒否 した執行官 前号(2月2日号)で報じた京品ホテル強制執行(1・25)を受け、一月二十八日の夜、総評会館で東京ユニオン京品支部を支援する集会が開催された。集会タイトルは「闘争100日突破!京品ホテル闘争勝利!連帯集会」、二百五十人の労働者と市民が参加。この集会は自主営業百日目の節目ということで、もともとホテル屋上で開催される予定だった。しかし1・25強制執行がメルクマールとなり、闘争の次の幕開けを告げる集会となった。 東京ユニオン島崎書記長がいつものように司会を務め、冒頭から「闘う決意は一向に変わらない」と発言し、集会を引き締めた。 まず全国ユニオン鴨会長が立ち、執行官の「まず立ち退きありき」という態度を厳しく糾弾した。礼儀としての通告もなく現れ、組合側が話をしようと言っても「話し合う余地がない。中に入れろ!」と、ホテルへズカズカと入ってきたという。 そして当日の闘いについて「あのスクラムは、横の者との信頼関係がなければ組めない」とし、早朝からスクラムで警察と対峙したことを「権力に労働者の力を見せつけられた時間だった」と、このスクラムの政治的意義を示した。さらに派遣・正社員解雇が行われる現在、大企業や権力に挑戦していくことが重要だと訴えた。 また「自主営業は、ホテルをみんなの砦とした。その砦が取り壊された。しかし解雇を認めたわけではない。闘いの第二ステージに入るが、同じように闘いを全国に広めなければならない」と述べ、「ホテル玄関を封鎖したベニヤ板へ、誰が記したのか大きく『希望』という文字が書かれていた。全国のひとが『希望』を望んでいる。生存権を守るため、闘い抜こう」とアピールした。 品川に現地闘争 本部を設置する この間、争議を法律面でサポートしてきた鬼束弁護士は「心ある人は、会社がオカシイと理解している。仮処分執行に対して保全異議を行う。京品支部と支援者の闘いが続くことで、裁判が有利に展開するだろう」と発言した。 続いて1・25を闘った支援団体である港区職労、全労金、全水道、東京東部労組などが、最後まで支援することを表明。ホテル防衛時に全員が着用したゼッケンを、日赤労組が提供したことも紹介された。小田急バス労組からは「ホテル前で闘った三百人が脚光を浴びたのは、失業の課題を社会へ突きつけたからだ。TVでおすぎさんが『青年に勇気を与えた』と言っていた。派遣村の繋がりが核となり、三つのナショナルセンターが団結したことは素晴らしい」と発言した。 そして京品支部組合員たちがステージに並び、自己紹介と闘争貫徹の決意表明を行った。金本正道支部長が「応援してくれた皆さんと会えてうれしい、感謝します。千人の警察・ガードマンから、まるで凶悪犯のように追い出された。とても悔しいです。夢と希望をもつ若い人のためにも負けるわけにはいかない。命をかけて闘う」と正義感にあふれる発言を行った。 この闘いを指導してきた、東京ユニオン渡辺委員長は「支部組合員は初めてのスクラムだった。一時間も統制をとって闘えた」ことを讃え、「闘いは排除で終わらない。社長小林がホテルを持っているだけの状態だ。イニシアチブは自分たちにある」と、闘いの優位性を分析した。そして品川の地にこだわり、現地闘争本部を設置する構想を明らかにした。そして派遣村を引き合いに「さまざまな闘いが、自然と結びつく。そしてどこに問題があるのかが分かってくる。この争議をより社会問題化していく」とした。さらに「自主営業の経験を全国に伝えたい。勝利に向かって、自分たちでステージをつくって闘う」と決意を固めた。 駆け付けた社民党福島瑞穂党首は、「本当に頑張った。新しい地平を切り拓く闘いにしよう」と発言し、渕上貞夫参院議員も「闘わない組合の良心を揺さぶった闘いだ。仲間を裏切らず、脱退しない組合員に敬意を表したい」と激励した。 最後に、全員が「京品ホテル闘争勝利」に向けてシュプレヒコールを行った。 現在、大量解雇が連日報道されている。製造業界団体は三月まで四十万人が失業すると試算してみせ、解雇が必然のように装っている。しかし私たちは、絶対に解雇を認めてはならない。派遣村の闘いとリンクして、京品ホテル闘争を全国的な闘いとして支援していこう! (かめ)
全労協結成20周年 講演とレセプション 社会的労働運動の中軸担い失業と闘う反転攻勢の道へ 一月十七日、東京港区のアジュール竹芝で、「全労協結成20周年レセプション」が開催された。午前の第一部は記念講演、午後の第二部は記念レセプションという形で進められ、講演が始まる時には参加者が会場いっぱいになり、二百五十人が参加した。 全労協・藤崎議長が年末に予定していた記念行事を、一月に開いた経緯を明らかにしながら、開会のあいさつを行った。 「全労協は一九八九年十二月に結成され、今年で二十周年を迎える。当初このレセプションは連合や全労連と同じように十二月に開かれる予定であったが、多くの『派遣・非正規』労働者が寒風の中に放り出され、年末年始を迎える事態となった」。 「日比谷公園内に設置された『年越し派遣村』には、不当に派遣切りされた派遣労働者、支援のボランティアが連日つめかけた。年越し派遣村闘争は、五百人を超える村民・派遣労働者の命をつなぐと当時に、政治を大きく動かした。反転攻勢の労働運動が問われている時代に入った」。 第一部のメインとして後藤道夫さん(都留文科大学教授)が、「労働者の未来と日本労働運動・労働組合の課題」の表題で記念講演を行った。冒頭、十二月十六日のソニーの中鉢良治社長が行った一万六千人のリストラを発表した記者会見で「経営の立場から株主の期待に応えよと言うこと、雇用を優先して損失を出すことが、私に期待されていることではない」という言葉を引用し、「日本的経営からアメリカ型経営へ」の結果が今日の現実であり、政治・社会・生活・労働のあらゆる側面でそれがどのようになっているのかということを十四枚の図表を使って説明した。 とくに後藤さんが強調したのは「ワーキングプア問題をマスコミが取り上げるようになって確かに潮目が変わった。しかし反転攻勢が始まったわけではない。政治・社会的には変わっていない。資本独裁は続いている。中鉢発言がそのことの証左だ。本当に変えることができるのは労働者の闘いだ。失業問題を全労働者の課題とする闘いが必要だ」ということであった。 午後のレセプションは主催者を代表して藤崎全労協議長が「いつつぶれるか分からないと言われた全労協は二十年を迎えた。二十二年目の国鉄闘争を最重要段階にまで押し上げてきた。格差・貧困問題は日本労働運動の最重要課題となっている。反転攻勢の二十一世紀労働運動の一翼を担って行きたい」とあいさつした。 レセプションの来ひんあいさつはアンドレス・ゴンザレスキューバ大使館次席、保坂展人衆議院議員、小田川義和全労連事務局長、中里忠仁国鉄中央共闘議長、宋世一韓統連事務総長など多くが登壇された。法政大学大原社研の五十嵐仁代表は「二十年も闘い抜いて生き延びたのですから、その全部の力を反失業闘争に注いでください。その骨は大原研究所が拾い、それを分析し後生に伝えます」と発言し、会場の笑いをさそった。 最後に纐纈(こうけつ)東京全労協議長の頑張ろう三唱で閉会となった。全労協は革命五十周年のキューバに友好訪問団を一月二十四日から派遣する。全労協は年越し派遣村を高く評価し参加した。外国人労働者を含めた非正規労働者の支援、地域ユニオン運動の担い手としての活動、国鉄一〇四七人の解雇撤回闘争など社会的労働運動としての中軸として今後の展開を確認した集会となった。 (H・D)
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