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(回答先: 「かんぽの宿」疑惑拡大と麻生コウモリ首相の迷走(植草一秀の『知られざる真実』) 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 2 月 06 日 15:12:42)
「カンポの宿」は明治におきた国家資産を私物化した、「北海道開拓使官有物払下げ事件」を上回る大疑獄であり。 開拓使の官有物を払下げるに当たって、長官黒田清隆が政商の五代友厚らの関西貿易社に非常な安値で払下げようとして問題化。国会開設運動に拍車。明治十四年の政変に発展したものに対比できるだけでなく、それを上回る平成における大疑獄に発展する。明治時代でさえ 「明治十四年の政変」で日本は大混乱し、そのせいで大日本帝国は狂い始めたのだが、二枚舌のアホウ内閣のウソと誤魔化しが果たしてどこまで続き、日本が食い荒らされて狂い死にするかが見ものだ。
<貼り付け>
明治14年の政変:1881年(明治14年)参議大隈重信とその一派が政府から追放された事件。1880年民権派の国会開設請願運動は頂点に達し,政府は憲法制定と国会開設を決意したが,開設時期に関して大隈は即時開設,伊藤博文,井上毅(こわし)は漸進的意見で対立した。1881年3月大隈は伊藤にはからず急進的な意見を左大臣有栖川(ありすがわ)宮を経て上奏。これを6月末伊藤が知り大隈との対立が激化した。このころ開拓使官有物払下事件が起こり,民権派の政府攻撃が高まった。反大隈派はこれを大隈が福沢諭吉らと結んで行った反政府陰謀であるとして,10月大隈とその一派を罷免した。同時に1890年を期して国会を開設し,その前に憲法制定を行うという詔書を公にして,プロイセン的な欽定憲法の制定にのりだすとともに,開拓使官有物払下を中止,伊藤・井上馨(かおる)を中心とする薩長藩閥政権を確立,明治国家体制形成のその後の方向を決定した。
『マイペディア』
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