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[歴史の評価]ドイツ現代史に学ぶ「人権、倫理、論理、市民的勇気、市民的共感」を併せ持つべきことの意義
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090201
【画像1】調和する二つの階級(ブオン・コンシーリオ城にある15世紀イタリアのフレスコ画/Castello del Buonconsiglio、Trento、Italy)
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●一枚目のフレスコ画は、ロバート・バートレット著、樺山紘一監訳『ヨーロッパ中世文化誌百科(上)』(原書房)、p142より、二枚目はブオンコンシーリョ城(Castello del Buonconsiglio)/画像はhttp://castelli.qviaggi.it/italia/trentino-alto-adige/castello-del-buonconsiglio/より)。
●イタリア最北東部に位置するトレンティーノ地方(州都Trento)は、文化・習慣的にはイタリアですが 第一次世界大戦まではオーストリア領であったため、口語はドイツ語という複雑な事情をもっています。三枚目はトレントの遠景です(画像はウイキペディアより)。
●トレントは東ゴート王国、ロンゴバルド王国、フランク王国、そして最後に神聖ローマ帝国の一部となり、1027年に神聖ローマ皇帝コンラート2世が聖俗両権を支配するトレント司教大公座を創設します。Castello del Buonconsiglioは、このトレント司教大公時代の居城として建てられました(13〜17世紀に創建・改造・改築)。
●この絵では、例えば森のキノコは異様な大きさで、鋤車を引く牛たちは異常に小さく描かれており、畑で農作業をする農民の女性(農婦)たちは何故か艶やかな宮廷婦人のいでたちをしています。それだけではなく、遠近と前後の関係も不思議な感覚(秩序関係)で描かれています。
●ルネサンス以降に発達した線遠近法からすれば、そして現代市民社会に生きる我われの目からすれば、この絵の描き方は支離滅裂にさえ見えるはずなのですが・・・。
●しかし、当時のこの絵のスポンサーであった人々(恐らく、世襲の王侯貴族ら)の意識にとって、このような風景こそが“彼らとは異なる下層の人々が住まう自然と社会の実在の姿”(=領域・住民・法制度から成る自治社会、コムーネのイメージ)であったのかも知れません。
【画像2】LARA FABIAN (Perdere L'amore)
[http://www.youtube.com/watch?v=-s0NNZpOvBg:movie]
(プロローグ)
(日)→ 馬鹿(阿呆)と鋏は使いよう(何ごとにせよ、人それぞれ天性の能力に応じた使い方をすれば良い結果がもたらされる)
(米)→ Sticking goes not by strength 、but by guiding of the gully.(力で突き刺すようにみえるが、実はナイフの使い方が違うのだ)
このように極めて良く似た諺が存在するにもかかわらず、日本では『オバマの改革=チェンジ(Change)』について大きな誤解(小泉純一郎・竹中平蔵・中川秀直・衛藤征士郎・小池百合子ら日本の擬装チェンジ一派のカイカクはオバマが目指す改革の方向と全くアベコベという現実)が存在します。
具体的に見ると、それは次の二局面の意識レベルで顕著に現れています。恐らく、この彼我(米=日)の違いの根本には、馬鹿と鋏の「使い手」である<市民的勇気の不在>ということがあるのかも知れません。
(1)政治権力者らエリート層(小泉元首相、麻生首相などを支える世襲議員ら自民党に属する一族郎党と高級官僚たち、および御手洗経団連会長らの財界人と竹中平蔵らの御用学者など)
(2)オバタリアン(リバタリアンならぬ!)や若者を中心とする政治的な無関心層(ほぼ竹中B層戦略のターゲットに重なる)
(関連参考情報)
2009-01-28付toxandoriaの日記/“政治の合意形成プロセス”にまで市場原理を持ち込もうとする“小泉一派ネオリベ狂想曲”の不埒、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090128
フランス/大規模スト突入 鉄道も電気も先生も(1月29日/?毎日)、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090129-00000127-mai-int
フランスのデモ拡大、参加者250万人に・・・デモは2007年5月のサルコジ政権発足以来、最大規模/悪化するフランスの雇用情勢の深刻さが浮き彫り、http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090130-OYT1T00493.htm
(“先進国・経済大国”たる日本の余りにも悲惨でお粗末な現状)
2009年1月30日付・日本経済新聞『ザ厚労省、第3部-1』及び寺島実郎氏『世界の潮流と日本の進路』(2009.1.27、東北電力ホール講演)等によれば、日本の非正規雇用者、約2,000万人(総就業者数6,500万人の約31%)の半数に相当する1,000万人が雇用保険に入っておらず、そればかりか彼らの殆んどが健康保険・年金保険にも未加入とのことです。日本の企業は雇用保険に入るのが原則(国民皆保険の原則)であるにもかかわらず、約300万の法人事業所で同保険に加入する事業所が200万社に留まっており、これがこのように悲惨な現実の第一原因となっているようです。
短絡的な一部の極右系・出版物などの中には、彼ら非正規雇用の若者・労働者たちは“基本的に甘ったれている!”という「ネオ・ハングリー精神論」が跋扈し始めているようです。しかし、日本の全就業者数の1/3が非正規雇用で、更にその半数1,000万人が雇用・健康・年金保険の外に追いやられているという現実は余りにも無残すぎます。これで、日本の政治家・高級官僚・御用学者らは、よくも恥ずかしくないものだと思います。
たしかに、この若者らには無知な側面があることも否めませんが、約100万社(1/3の企業)が日本国民の基本的権利の要求と見るべき「企業による社会保険料の当然の負担という重大な責務」を逃げまくっているという現実こそ先ず糾弾すべきです。また、この段に至れば、もはや“雇用切り”しか能がない、または為すすべがないという意味で、経団連等の財界幹部を輩出してきた大企業経営者らの経営感覚と人間性も根底から疑うべきです。
それに輪をかけ怪しからぬのは何といっても数多の“高給”を食み、安泰な身分や潤沢な諸手当金に安住する国会議員、経済・労働・法制関連分野の研究者そして“高給”官僚ら日本の超エリート層に属する人々です。しかも、高級官僚の“渡り”に限らず、彼らには未だまだ様々な特権が隠されているようです。
例えば、全体の約半数を占める世襲国会議員には『相続税を合法的に逃れる秘策が存在する』(週刊文春:1月29日号/政治資金管理団体が相続人(子ら)の政治資金管理団体に資金を移すときは寄附という形であればすべて非課税?/参照→下記◆)という情報があります。これが事実であるならば世襲議員に立法権は似合わぬこととなり、それどころか、彼らには現代市民社会に生きる人間として「人権、倫理、論理」を語る資格もありません。
◆村野瀬玲奈の秘書課広報室:世襲議員に相続税がかからないことが日本の政治をさらに貧しくする、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1087.html
特に注目すべきは、これら日本に特有な問題がオバマ新大統領の“アメリカの大金融・経済パニックの発生は一部の人々の強欲と無責任の代償だ”という「CHANGE」を象徴する言葉からも食み出してしまう余りにも異常な日本社会の実像の現れだということです。「人権、倫理、論理、市民的勇気、市民的共感」を調和させるのが民主主義のあるべき姿だとするならば、これはその中でも最低限度の条件と思われる「論理」(総ての国民が理解可能な筋道だったわかり易い説明の要求)にすら応えていないという意味で支離滅裂で、余りにもお粗末で、悲惨すぎる、酷すぎる現状です。
このザマでは、ダボラ会議ならぬダボス会議でええ格好している麻生マンガ内閣総理大臣は素より(参照、下記▲)、日本のエリート層に属する人々の全てが、非論理的に、チャランポランに、かつ御都合主義で、ひたすら私利私欲だけを目的として自らの仕事に取り組んできたのではないか、つまり、彼らは壮大な「国家詐欺」または「擬装資本主義」の推進に勤しんできたのではないかと疑われても仕方がないことです。従って、彼ら日本のエリート層に属する人々の殆んどは「人権、倫理、論理、市民的勇気、市民的共感」を語る資格が全くないということになります。それどころか、彼らが語って(騙って?)きたのは、実はホラばかりであったようです。
▲麻生太郎首相、ダボス会議へ出席-1兆5,000億円のアジア支援表明へ、http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090131/28252.html
『竹中平蔵式リアリズム』(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略)なる戦略で<国民騙しの不届きな国家詐欺>を働いた小泉純一郎・竹中平蔵ら<Jap.ネオリベ一派>こそ、このような日本の悲惨な現状の責任者と見なすべきです。彼らが、莫大な裏金を貰っているかどうかは知りませんが、彼らこそ、およそこの10年近くの間に米国型市場原理主義の威光を振りかざして日本の<非正規雇用の割合を約3倍規模>にまで膨れ上がらせ、その<作為的な犠牲を内包した生産システム>の上で主に輸出企業が大儲けできる「悪徳代官資本主義」へ日本を「構造改革」したという訳です。
従って、当然ながら日本経団連等の財界関係者も同罪です。オバマ新大統領の<一部の人々の強欲と無責任>というコトバは、まさに彼らにこそ相応しいものと見えてきます。ごく素直に考えても、一人の人間が、自らの身体(=日本資本主義の全体構造の比喩)の1/3強の部分を意図的に全体の生命維持システムから排除・排斥しつつ自らの更なる健康増進と体力増強を図るなどというバカげた行為はできる筈がありません。これをまともに信ずることができるのは<狂人かカルト信者か自食行動へ走る脳ナシの愚かなタコ>だけです。
(関連参考情報)
2009-01-04付toxandoriaの日記/「国家理性」を詐称し「雇用切り派遣村」(Jap. Shanty Town)を創った「小泉純一郎・竹中平蔵改革」の罪と責任、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090104
2009-01-06付toxandoriaの日記/『竹中平蔵式リアリズム』(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略)の作り方、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106
2008-06-18付toxandoriaの日記/「市場原理に犯され続ける」日本政府の愚鈍と「アイルランドの“ノー”に目覚める」EUの知恵、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080618
2008-07-26付toxandoriaの日記/国民主権を侵す「資本の暴走」を「政治のチェンジ(変革)」に擬装する連立与党らの犯罪、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080726
中谷巌氏(一橋大学名誉教授、多摩大学名誉学長)『市場原理主義は間違いだった』・・・なぜ私は変節したか?/人間を幸せにする資本主義の模索を、http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090123/183649/
(今こそ学ぶべきドイツ戦後史の普遍的・世界市民的な視座)
我われ日本人は、この未曾有の混迷の時代にこそ、かつてリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsaecker/1920- /第6代ドイツ連邦大統領)が、1985年5月8日の連邦議会における演説で『・・・過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる、・・・自由民主主義の擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気も必要だ・・・』と述べたことを想起すべきです。また、ヴァイツゼッカーが、その「1985年5月8日」を<ナチスの暴力支配による非人間的システムからの解放の日>と名づけたことも忘れるべきではないでしょう。
更に、我われは、 ドイツの元外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher/1927- )が好んだとされるトーマ・スマン(Paul Thomas Mann/1875-955)の言葉、『我われはドイツのヨーロッパではなく、ヨーロッパと世界のドイツを欲する』という言葉を想起すべきかも知れません。
それは、いつの時代にも、一国を代表する政治権力者であればこそ、その立場の人々は、より広い意味での人間性と社会および一般市民に対する責務として『普遍的な意味での“人権への配慮、健全な倫理観そして合理(論理)的思考”のバランス』を必死で保持すべきであり、決して一部の親密な身内や仲間たち、あるいは少数の閉鎖的で妖しげな徒党集団(狂信カルト集団・暴力集団・ヤクザ・ゴロツキおよび特定企業など自らが属する政権基盤=集票マシン)への利益を優先してはならないという厳しい警告です。
そして、米国のオバマ新大統領の「CHANGE」の奥にあるものが「精神的意味でのアメリカ独立宣言時代への回帰」と「アダムスミスの国富論における道徳感情論」(=公平を前提とする世界市民社会への共感)の尊重であることに気付くべきでしょう。
この原点から米国が責任を持って世界が直面する困難な課題(=大金融危機&大経済危機)へ向き合うことを宣言したからこそ、全世界の人々がオバマ新大統領へ共感を覚えたとみなすべきであり、日本の麻生マンガ首相が「オバマ大統領の就任演説にはオレと同じ考えがある」と宣ったとか伝えられているのは、このような観点からすると、まことに恥ずべきことです。
一方、我われ一般国民は、「竹中B層戦略」(参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106)に基づいた“小泉式、官から民へのネオリベ戦略”(=市場原理主義に基づくトリクルダウン戦略)や“アベの美しい国”ないしは同じく“戦後レジームからの脱却”(=両者ともに復古的国粋主義の擬装表現/参照→http://news.ohmynews.co.jp/news/20070507/10853)のような、ただ耳障りが良いだけの偽装的で<実態不明で危険なコトバ>に再び惑わされるべきではありません。
今こそ我われは、あの<衆議院議席2/3を強引に収奪したコイズミ・クーデタ劇>が「三権分立の原則」をムリヤリ破って蒔き散らした『無数のコイズミの子ダネ』に「外見的立憲君主制」(参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070522)への意図(悪徳政治のDNA)が書き込まれていたこと、及びそれが妖しく艶(なまめ)かしくグロテスクな<厚化粧のアベの美しい国の子宮>に着床していたこと、そして今やその『コイズミの外見的立憲君主制の子ダネ』が<麻生マンガ政権>のバラエティショーのバカ騒ぎの陰で<コイズミの一院制>論として、しぶとく懐胎しつつあることを意識すべきです(参照、下の関連記事▲)。正に、これこそ「日本の百年に一度の危機」というべきです。
▲2007-06-27 “(安倍の)美しい世襲民主主義”に潜むヤクザ政治の本性 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070627
▲2007-06-25 「(安倍の)美しい国のシナリオン」に透けて見える<異常な世襲民主主義> 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070625
▲2007-06-19 増殖する「寄生&芸能政治家」と縮小する「日本国民の権利」 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070619
▲2009-01-17 「一院制」などを煽る一部メディアと小泉・竹中らネオリベの癒着がもたらす「擬装CHANGE」の弊害、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090117
ともかくも、このように余りにも悲惨な日本の現状の前でつくづく思い知らされるのは、大方の日本人から「市民的勇気」と「市民的共感」についての“十分な理解”がスッポリ抜け落ちているという歴然たる現実があることです。しかも、日本の国会議員・高級官僚・財界人・御用学者らのエリート層の人々は、そのことを知りつつ知らぬ振りをするという甘い選択に迎合してきたようです。つまり、日本の指導層に属する人々も一般国民も同じ穴の狢(むじな)であったということです。それこそが日本社会の欧米市民社会に比したときの「相対的民度の低さ」ということかも知れません。
(関連参考情報/ヴァインゼッカーの意義について)
Wein, Weib und Gesang:IDの危機と確立の好機、http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/04f3210b4b4f3edb3343c0438fec46ea
・・・以下は、当記事の内容と関連する[2009-01-28付toxandoriaの日記/“政治の合意形成プロセス”にまで市場原理を持ち込もうとする“小泉一派ネオリベ狂想曲”の不埒]のコメント&レスの再録です。・・・
・・・・・
もえおじ
『日本が「世界で一番冷たい」格差社会になったのかどうかは微妙だと思います。 個人的には、社会の落ちこぼれ比率は欧米の方が高いのではないかと感じま すが、正確なところは判りません。 ただ、欧米諸国では、今まで非常に高い失業率を経験しており、それに耐える社会の仕組みが用意されたのですが、日本にはその経験がありません。 例えば、 北米ではNPOの奉仕活動が盛んだし、労働差別撤廃に関しては、形式上は日本よりも遥に進んでいると思います。 また、欧州は明らかに教育と社会保障の水 準が高く、日本よりもずっと福祉先進地域です。 ですから、制度的に日本社会が雇用不安に弱いのは事実でしょう。
かつて「日本型社会主 義」と揶揄されていた終身雇用や家族型福祉形態が崩壊した後に、それに代わるセーフティーネットを構築してこなかったという失敗があり、高齢化と不況が事 態をさらに深刻にしています。 財政難のおり、行政の削減や増税も仕方がないと考えられるのですが、どうなるか予想がつきません。 もしも、日本の失業率 が7〜8%になった場合でも、日本国民が事態を打開しようと政治に変化を求められないのであれば、社会の崩壊は決定的となるでしょう。』(2009/01 /29 01:29)
toxandoria
『“もえおじ”さま 、コメントありがとうございます。
正確な数字は持っていませんが、10年ほど前のアメリカでは、すでにGDPに占めるNPO活動の割合が8%程度になっていたはずです。そして、欧州でのその数字の割合はもっと大きいはずです。
さらに、英国(アイスランド型・金融崩壊へ接近中で苦境に立たされていますが・・・)では、社会的企業(Social-Enterprise/株主利益では なく地域社会へ還元する利益の追求が目的の企業活動)が新たな役割を発揮し始めており、すでにその割合がGDPの5%程度を担うようになっています。
また、欧州にも非正規雇用はありますがオランダモデルの例の如くで、そもそもセーフティーネットの質が根本から異なります。日本では多額の内部留保が注目さ れ、その内部留保での弱者救済が議論されました。が、それは『だいぶ時間が経ってから、盗人にカネ返せ!』と迫るようなもので、今更・・・という感じでは ないかと思われます。むしろ、入口である程度まで強制的に分配させる議論こそが必要だと思います。
支配体制側がB層戦略でデマを流し、疑心と恐怖におののく人々を分断し、真剣な意見を述べる人々を弾圧し、一方、無知で善良で弱い立場にある人々を篭絡し手込めにする遣り方も、古今東西を超えて、同じことが繰り返されています。
日本の連立与党が怪しからぬのは、この現実(一般国民の性向・生態)を十分に承知の上で、御用メディア・御用学者と“怪獣コイズミ、不味い安倍川餅、干から びたマダム回転寿司”らアナクロで用済みの「政治ゴロ&妖怪」連中を総動員しつつ、お得意の分断・篭絡・手込作戦で『擬装チェンジ』を再び仕掛けようとし ていることです。
こんな有様では、コイズミがぶち上げた『一院制』どころか、仏フィリップ4世(Philipe 4/1268-1314)の故事に倣って『新三部会』を結成する位の社会的ダイナミズムが生まれなければ、日本社会の崩壊傾向は止まらないかも知れませんね。
このように見れば、米オバマ大統領が、米独立革命当時の先人らの精神に立ち戻れば今回の米発「大金融・経済パニック」の原因は「強欲な一部の者らの無責任の 結果」だと、先ず米国自身の原点をシッカリ押さえた上で、<これからは不同意の同意のためのコンセンサス・プロセスを重視する>という意味での“チェンジ (CHANGE)”を掲げたことも、あるいは今日(1/29)予定される仏のゼネストの意義も理解できると思っています。』(2009/01/29 08:59)
もえおじ
『日本の『 新三部会 』といえば、被差別正規労働者、非正規労働者と下流無職者、中小企業連合といったところでしょうか。
挙げていただいた、オランダモデルによる雇用形態、NPO、Social-Enterprise は、従来の教育・社会保障重視の北欧型福祉形態を補う修正 資本主義的(或いは、Post Marxism ともいえる)手法だと思います。 「強欲な一部の者らの無責任の結果」である米発「大金融・経済パニック」を引き起こした野獣資本主義に対抗する答えのひ とつであることは間違いありません。
かたや日本では、日本共産党などに見られる旧態然とした、「大企業への攻撃」「国民生活重視」をオウ ムのように叫びつづけるお粗末な論争から抜け出せていません。 欧米で実施されているそれらの具体的な手法が、日本政治の政策目標として出てこないのは、 政治家官僚の保守化を物語っています。』(2009/01/29 18:00)
toxandoria
『“もえおじ”さま、コメントありがとうございます。
『日本の政治家官僚の“保守化”』の問題ですが・・・、日本の“それ”は一種の特異な “思考停止”または“思考狭隘化”ではないかと思います。そして、その理由の一つが日本における、精神的理解という意味での「ローマ法の継受」の観念の不 在(形式論的な意味での法制のあり方は別として・・・)にあるのではないかとも思っています。
具体的に言えば、それは、日本の多くのエリート層が「初めからローマ法が“法の下における人間の平等”の問題に接近していたという現実を見逃しているのではないか」ということです。
欧米社会では、それが西欧中世以降のノーブレス・オブリュージェ(高貴あるものの義務)、あるいは国王裁判所(例えば、フランス・ブルボン朝のリ・ド・ジュ スティス(lit de justice=正義の寝台)、あるいは地方都市における「ユス・コムーネ」(Jus Commune/市民法としての一般法)となって変遷しており、やがて、それは「フランス革命」、アメリカ合衆国「独立」などの歴史の流れを経て、漸く、 近・現代的な意味での市民権(人権意識)に結実したのではないかと思います。
このように見れば、米オバマ大統領が、米独立革命当時の先人 らの精神に立ち戻れば今回の米発「大金融・経済パニック」 の原因は「強欲な一部の者らの無責任の結果」だと、先ず米国自身の原点をシッカリ押さえた上で、<これからは不同意の同意のためのコンセンサス・プロセス を重視する>という意味での“チェンジ(CHANGE)”を掲げたことも、よりリアルに理解できるような気がします。
なお、この保守の問 題は、18世紀英国のエドモント・バーク(Edmund Burke/1729-1797)が著書『崇高と美の観念の起源(1757)』で提起したこと (とても奥深い一種の倫理的観念)ともクロスするようです。バークについては、大分前に記事(→http://d.hatena.ne.jp /toxandoria/20070327/)を書いたことがありますが、日本のエリート層の“特異な思考狭隘化”についての考察に役立つと思われるの で、いずれジックリ考えてみたいと思っております。
参考マデ、下記◆の中から、「ローマ法の継受」に触れた部分を下に再録しておきます。
◆新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207
・・・ 欧米には歴史と共に進化してきた「市民(公共)意識の成熟」という伝統が根付いています。そして、その根本にあるのは「ローマ法の継受」(Reception of Roman law/der Rezeptionszeit des roemischen Gesetzes)ということです。
「ローマ法の継受」という現象は、12世紀のボローニャ大学(イタリア)で再興されたローマ法 (「ローマ法大全」(=『市民法大全』/Corpus Juris Civilis/東ローマ皇帝ユスティニアヌス(Justinianus1/483-565)の勅命によって編纂されたローマ法の集大成))の研究を学ん で「万国教授資格」を得た留学生たちが、それぞれの母国に戻りローマ法の伝統を講じたり、判決人(Schoeffe)など法実務家の仕事に加わることから 始まっています。
そして、これら法曹家(Jurist)たちは、その高い学識故に身分制社会で特有の“血統の誓約”(閨房・閨閥・世襲関係の確認を前提と するアイデンティティの確認作業)から解放される立場を与えられていました。まさに、そのような意味で、「ローマ法の継受」を受け入れた法曹の原点は“人 間の平等”に接近していたと言えそうです。
ローマ法が広くヨーロッパ(イングランドを除く)で受け入れられるようになった理由の一つが、 財産権・権利主体権の身分や財産についての「格差の別」を問わぬ「契約・権利の対等性」ということにあります。つまり、大企業・富裕層・権力者という強者 と、それ以外の弱者層 に属する人々との間で結ばれる契約については、原則的に強者の意志が弱者に優越することにはなっていなかったということです。
また、「ローマ法の継受」を 受け入れたヨーロッパには絶対に見逃すべきでない一つの条件があります。それは、細かな事情は国・地域ごとに異なりますが、中世以降のヨーロッパには、イ タリアに始まる村落共同体ないしは自治都市の名による市民自治(コムーネ/comune)の伝統が根付いていたということです。
このため、6世紀に東ローマ皇帝ユスティニアヌスが編纂させた『ローマ法大全』は、各地の市民自治集団に受け入れられつつ「ユス・コムーネ」(Jus Commune/市民法としての一般法)として定着してきたのです。近代市民社会における「公共」の概念が理解され、次第に定着するようになるのはフラン ス革命(1789)以降の時代を待たなければなりませんが、広い意味での「ローマ法の継受」の流れを概観すると、欧米にはこのような意味での「市民社会成 熟のプロセス」が見られる訳です。
そして、無論のことですが、アメリカ合衆国「独立」への一つの契機になったと見なすことも可能な1774年のコンコード 演説(冒頭で既述/「アメリカ独立戦争」の布石)が、その延長線上にあることは間違いがなさそうです。・・・』(2009 /01/29 21:07)』(2009/01/30 18:03)
もえおじ
『ローマ法が、ギリシャ哲学、キリスト教とともに西洋(欧州)の源流であることは良く知られています。しかし、ローマ法で守られた自由ローマ市民は、多 くの奴隷や直轄地・植民地からの搾取から成り立っていた支配市民です。従って、ローマ法自体もある種の貴族文化と考えられます。ちなみに、非ローマ市 民がローマ市民になるためには、25年間の兵役が必要でしたから、それがいわば Noblesse Oblige であると言えなくはない。欧州の思想や制度は、もともと貴族文化だったものが、上流社会から中産階級へと平民化していったのだと思います。
政治家や官僚が保守化・腐敗するのは、日本に限った話ではなく、普遍的な現象ですが、特に、日本の政治制度・官僚組織に特徴的なのは、以下の点であると考えられます。
(1)政治制度に、利権を排除する仕組みが足りない。自民党政権が長く続いていることも、癒着を助長させる要因となっている。
(2)役所では全てが組織的に運営され、個々の職員の仕事の動機付けが著しく低くなっている。従って、職員は必要最低限の仕事だけを行う傾向が強い。
こ れは、共産主義体制を崩壊させた共産党一党支配/官僚独裁で起こった腐敗・非効率化・思考狭隘化・思考停止 と極めて似通っています。 たとえ日本の国会議員・官僚がエリート層であったとしても、それに相応しい知性を持っているかどうかは疑わしいです。』(2009/01/31 17:04)
toxandoria
『“もえおじ”さま、コメントありがとうございます。
たまたま読みかけていた下記の本◆で「共産主義体制を崩壊させた共産党一党支配/官僚独裁で起こった腐敗・非効率化・思考狭隘化・思考停止」の典型事例として、第二次大戦後にチェコスロバキアとハンガリーで起こった「ドナウ川の大改造計画」の問題が出てきました。
◆加藤雅彦著『ドナウ河紀行』(岩波新書)
これは「官僚独裁で思考停止し“石頭&顕微鏡眼”と化した両国の共産党政府が立案した“大計画”」でしたが、やがて、その凄まじいばかりの自然・環境破壊が市民レベルで意識さ れるようになり、特にハンガリーでは工事中止を要求する3万人の市民による命がけの反対集会が行われ、結局、1989年5月13日にハンガリー政府は工事 中止に追い込まれています。これは、小さいながらも、チェコスロバキアへも飛び火して、その後の急速な東欧民主化への<水源>となったようです。
東欧といえども、やはりヨーロッパであったということのようです。
・・・この後の考察は、新しい記事として書くことにします。ありがとうございました。
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