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雑談日記から。
これが、やっと探せた、戸倉さんの『「無形金融資産」ってなんだろう?の疑問から3年』記事中で引用されている、引用元の全文
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2009/01/post.html
低気温のエクスタシーbyはなゆーさんの、戸倉多香子氏「ネット上の情報は2年くらい早い」 経由で知った、戸倉さんが、「無形金融資産」ってなんだろう?の疑問から3年の記事中で、
注:丹羽春喜さんの論文のリンクがきれているのですが、
と書いていた元の文の全文です。戸倉さんが「無形金融資産」ってなんだろう?の疑問から3年の記事中でご自身の3年前のエントリーを
、3年前に書いていた日本経済の「構造改革」は、きわめて悪質な誤った施策?を再掲
と再掲してくれていて、
経済学を(も、ですね。)勉強していないので、詳しい方には反論があるのかもしれません。ぜひ、詳しい方、教えてほしいです。わが国経済の「構造」には問題なしと書かれている丹羽春喜さんの主張(一部以下に抜粋します。)
と「http://www.osaka-gu.ac.jp/php/haruniwa/teigen.html 」のリンクを残してくれていたのでInternet Archiveで探すことができました。
※なお、関連
とくらさんの記事中紹介の部分をやっと見つけました。(検索窓がないHP等での検索のやり方と、インターネットアーカイブ検索)
元の文章は論文と言うよりも平成12年4月13日(2000年)付、「総選挙を間近にひかえ、諸政党に強く要望する」の要望書中の一文のようです。以下でご紹介する、Internet Archive検索結果は2005年郵政選挙のころを境に検索エラーになって出てきません。これもなかなか意味深。なお検索する段階では勿論のこと、まだこの元文が平成12年4月13日(2000年)付のものとは知りませんでした。
↑↓上のエントリーでご紹介したInternet Archive検索結果の画像です。
1、検索結果です。Oct 23, 2005までは有効、Nov 05, 2005からはエラーで出てきません。
なお、上記のリンクまたはひなたぼっこの関連エントリーリンク先でご紹介している画像を見ていただけると分かりますが元の文は一行全角40文字で改行しています。また行間改行も入れていて読みづらいです。以下でご紹介しているのは、エディタを使い、段落先頭一字下げを目安にした段落ごとに改行を削除して、文章を整形しまとめたものです。
また、末尾にある「付図の説明」の付図はリンク切れになっています。
平成12年4月13日
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/haruniwa/teigen.html
総選挙を間近にひかえ、諸政党に強く要望する
日本経済再生政策提言フォーラム
会長 宍戸 駿太郎(環日本海経済研究所顧問)
理事長 加瀬 英明 (国際問題評論家)
副会長 丹羽 春喜 (大阪学院大学教授)
わが国の経済は、現在、辛うじて下げ止まり、一部にかすかに上向きとなるきざしが見えはじめていると言われてはいるが、本格的な回復・興隆の軌道に乗る見通しは、まだ、まったく立ってはいない。とくに、中小企業の苦境は、いぜんとして、きわめて深刻なものがある。あるいは失業し、あるいは家業を失うといった境遇に陥った人たちの苦しみは言うまでもないが、過去十年の不況による不動産価格や株価などの崩落によってわが国民が失った資産価値は二千兆円にも達する。わが国民の一人一人がそれぞれに嘗めつつある辛酸の膨大さには、ただただ、息をのむのみである。われわれは、このような認識に基づき、また、総選挙が近々に実施されようとしている情勢に立脚して、わが国の政界に、下記のことを、強く要望する。
すなわち、わが国の諸政党は、わが国の経済を根本的な回復と再興の軌道に確実に乗せるために、今後十年間、少なくとも年率5パーセント以上の経済成長率を、責任を持って確実に保つということを、はっきりと公約していただきたい。
「そんなことは不可能だ」などと言ってはならない。実際には、むしろ、きわめて容易なことだからである。その「きわめて容易」である理由を以下に詳述しておく。
巨大な真の財源を活用せよ
──過去二十数年で4000兆円を失った日本──
わが国の経済は、現在、きわめて巨大な生産能力の余裕を持っている。わが国の労働力と企業資本設備とが完全雇用・完全操業の状態となりえたときに達成されうるはずの潜在実質GDPの水準は、年額約800兆円と見積もることができる。しかし、現実には、総需要の不足により、実現しえているGDPの水準は年額500兆円程度にすぎない。すなわち、潜在的な可能上限という「天井」から見て6割の水準にすぎないのであって、デフレ・ギャップが40パーセントも発生しているわけである。つまり、年間300兆円もの潜在実質GDPが、実現されえずに、空しく失われ続けているのである(経企庁は、デフレ・ギャップとは似て非なるまぎらわしいコンセプトの数字を『経済白書』に示すといったやりかたで、このことを、国民の目から〔政治家諸氏の目からも〕秘匿してきた)。しかも、この「天井」そのものが、いまでも若干の上向き勾配なのであるから、このギャップは、ますます拡大していく趨勢にある。しかし、言うまでもなく、このデフレ・ギャップは生産能力の余裕ということであり、これこそがわが国社会の「真の財源」である。この巨大な「生産能力の余裕」があるかぎり、総需要を増やしさえすれば、わが国の経済は、なんら問題なく成長していくことができるのである。
実は、このデフレ・ギャップは、最近になって急に発生したといったものではない。それは、付図に示されているように、1974年ごろから現われはじめ、現在まで、趨勢的に拡大し続けてきたのである。あのバブルの時期においても、実体経済の面では成長率の加速といったことがそれほど大幅なものではなかったために、デフレ・ギャップはほとんど縮小しなかった。かくて、この付図が物語っているように、1970年代の半ばごろより現在までの二十数年間に、このように拡大趨勢を続けてきたデフレ・ギャップという形で、実現しえずに空しく失われてしまった潜在実質GDPの総合計額は4000兆円に達するのである(1990年価格評価での実質値)。そして、この趨勢が続けば、今後の十年間で、さらにまた4000兆円が失われるであろう。そうなってしまえば、それは、わが国の経済にとって、まさに決定的なダメージであろう。これこそが、いわゆる「失われた十年」(実際は「失われた二十数年」であるが)の「経済敗戦」の実情なのである。それは、また、アジア諸国をはじめ全世界の経済にとっても、きわめて大きなマイナス要因であるにちがいない。なお、このような算定結果は、基本的には、ほとんど疑う余地がないものであるということをも、ここで強調しておきたい。すなわち、もしも、このようなデフレ・ギャップの計算結果を退けようとするならば、そのためには、わが国の経済統計体系の根幹である国民所得統計、就業統計、企業資本設備統計などを、すべて否認しなければならなくなってしまうにちがいないのである。
したがって、わが国は、このような巨大なデフレ・ギャップの趨勢的拡大をもたらしつつある総需要の停滞傾向から、一刻も早く脱却し、膨大な潜在実質GDP──すなわち「真の財源」──が空しく失われていくことを食い止めねばならない。すなわち、一刻も早く、総需要水準を現在までの停滞傾向からはっきりと上方に屈折させ、相当に速いテンポで成長させ始めねばならないわけである。この意味で、総需要の年率5パーセントの伸び率維持は、最小限ぎりぎりの要請である。
もちろん、これほどの巨大なデフレ・ギャップという「生産能力の余裕」に裏打ちされているかぎり、年率5パーセント程度の総需要の伸びが十年ばかり続いたぐらいでは、マクロ的に供給が需要に追いつかないといったインフレ・ギャップ状態が発生するようなことはぜったいにない。 したがって、大幅な物価高騰が生じるような怖れは皆無である。すなわち、総需要の年率5パーセントの伸び率が維持されれば、それに応じて、同じく年率5パーセント程度の実質GDPの成長率も保たれうるのである。
わが国経済の「構造」には問題なし
上記でもふれておいたが、もしも、わが国の経済におけるなんらかの「構造的な」障害によって、需要が増えても商品の生産・供給がそれに追いつかないといった「供給サイド」からの制約があるとすれば、そのような場合には、当然、インフレ・ギャップが発生して、それによる物価の大幅な高騰という事態が生じるはずである。しかし、言うまでもなく、過去二十数年、そして、現在でも、わが国の経済において、そのようなインフレ・ギャップがマクロ的に生じるような兆候は、まったく無い。わが国の経済においては、需要に対して、企業サイドからの諸商品(もちろんサービスをも含めて)の生産・供給はきわめて敏速・的確に適応してきており、諸商品の需給のミス・マッチによる商品の「品不足」や「売れ残り」といったこともほとんど生じてはいない(このことは、在庫変動額の対GDP比率がわずかに0.2〜0.5%でしかないことを見れば明らかである)。すなわち、わが国経済の「供給サイド」の「構造」には、なんら、問題はないのである。換言すれば、このような意味で、わが国の経済における市場メカニズムは、きわめて有効に機能しており、諸商品の需給は立派に均衡しているのである。ただ、総需要の水準が低すぎるため、この需給均衡点も低いところに低迷しており、上述のごとき巨大なデフレ・ギャップの趨勢的拡大が生じてしまっているのである。要するに、現在まで長年にわたって続いてきている日本経済の不況・停滞は、もっぱら「需要サイド」にこそ、 ──すなわち、総需要の不足・不十分にこそ、──その原因がある。したがって、総需要さえ十分に増やせば、わが国の経済を立ち直らせ、たくましい成長軌道に乗せることは、きわめて容易なのである。
上記の簡単な説明でも明らかなように、そもそも、総需要の不足とは別個のものとしてのマクロ的な「構造不況」なるものは、経済理論的にも、現実にも、ぜったいにありえないはずである。にもかかわらず、近年、わが政府をはじめ、マスコミや論壇、財界、労働界、等々、わが国民の各層の多くは、不覚にも、経済理論上の最も基本的で疑う余地の無いこの定理を忘却して、わが国経済の現状を「マクロ的構造不況」だと思いこみ、「供給サイド型」構造改革政策と称する政策を実施し、あるいは、それに協力してきた。しかしながら、激しい不況下にあるわが国の経済にとっては、そういった「供給サイド型」構造改革政策なるものは、まったく見当違いの間違った施策なのである。とりわけ、わが国経済における巨大な生産能力の余裕、すなわち「真の財源」をつぶしてしまおうとするような型の「構造改革」は、きわめて悪質な誤りであると言わねばならない。わが政治家諸氏は、いまこそ、このことをはっきりと直視するべきである。
ちなみに、「潜在成長率」のいわゆるスロー・ダウン傾向についてうんぬんすることも、ナンセンスである。「潜在成長率」とは、上記のごとく、完全雇用・完全操業状態に対応した潜在的実質GDPの可能上限として想定されうる「天井」の上向き勾配のことである。しかし、上述したように、この「天井」それ自体は、実質GDPの現在の実際値水準よりもはるかに高いところにあるのであるから、そのような「天井」の勾配が多少はフラットになってきたところで、そのようなことは、さしあたってあと十年ばかりは、日本経済の成長を制約するような要因には、まったくならない。したがって、「潜在成長率が低くなってきたから」もはや日本経済は「ゼロ成長」に近い低成長で我慢するほかはないと強調してやまなかった経済戦略会議の見解は、根本的に間違っているのである。
無尽蔵にありうる財政財源
総需要の水準を大々的に引き上げるべきだといっても、個々の企業の力で意図的・政策的にそれを行うといったことは、できることではない。個々の企業が合理化=リストラ努力にはげまざるをえないということは、とりもなおさず、企業どうしで注文を削りあうということにほかならず、マクロ的には、不況・停滞をいっそう激化することにならざるをえない。これが、いわゆる「合成の誤謬」である。しかし、政府(中央政府)は、その財政・金融政策によって、マクロ的に総需要を操作することができる。したがって、マクロ的な総需要の水準とその成長率の決定・保持ということについては、全面的に、政府が責任を負うべきである。言うまでもなく、上記の、われわれによる政界への要望は、まさに、この点に立脚してなされているのである。とくに、現在のわが国経済のように、生産能力に大規模な余裕があり、また、外貨枯渇の心配もないという好条件に恵まれているときには、政府は、きわめて容易に、総需要水準の大幅な引き上げを実施することができるはずなのである。したがって、政府も政界も、経済の「自律回復」に望みをたくして傍観するといった無責任な政策姿勢をとってはならない。
政府がその財政政策によって総需要の大々的な拡大を行おうとする場合には、政府は、そのためのマネタリーな財政財源を巨額に必要とするようになるということは、当然である。とは言え、わが国の経済に巨大な生産能力の余裕という膨大な「真の財源」が存在しているかぎり、それを活用するための財政政策に必要とされる「お金」の面での財政財源を、政府にとっても国民にとってもまったく負担にならないような方式で調達しうるような幾つものオプションが可能であることは、言うまでもない。また、そのようなオプションを応用して、財政再建を達成することも、きわめて容易なはずである。もともと、経済成長率が年率5パーセントを超えれば、自然増収の形で財政収入が大幅に増え、政府財政が黒字化することは確実なのである。
最近ではかなりよく知られるようになってきたように、わが国の政府は膨大な負債をかかえているとはいえ、それとともに巨額の債権をも持っているのであるから、純理論的には、国債発行 ──とりわけ、今後のわが国経済を支えるような効率の高い優良な社会資本建設のための「建設国債」発行──の余地は、まだかなり大きいとさえ言いうる。元本償還の不必要な「永久国債」とすれば、政府の負担はかなり軽くなる。また、赤字国債をも含めて、新規発行国債を日銀に直接引き受けさせ、そのように日銀の保有となった国債に対しては、政府は、利子の支払いと元本の償還を無期延期するという方法もありえよう。公的資金のバック・アップによるPFI(プライベート・ファイナンシング・イニシャチブ)方式を利用した社会資本投資を活発化させることも、有益であろう。
しかし、もっと簡明・有効な方法としては、政府自身が「お金」(政府紙幣)を発行するという方策がありうる。現行法でもこれは適法であり、現実にも硬貨類がそれである。すなわち、明治維新のさいに、由利公正の献策で行われた「政府紙幣」としての「太政官札」(不換紙幣)発行による発券収入で維新政府の歳入が確保され、維新の大業が成功した故知にならい、「国(政府)の貨幣発行特権」(セイニアーリッジ権限)の大規模な発動という形で、「政府貨幣(紙幣)」としての「平成の太政官札」(したがって日銀券ではない)の発行によって、政府が巨額の財政収入を得ればよいわけである。実際には、もっとスマートなやりかたとして、たとえば100〜200兆円ぶんの「政府貨幣発行権」(これは政府の無形資産であると考えうる)を、政府が日銀に売却して、その代金の受け取りという形で、そのような巨額の財政収入を政府が得るということにすればよいであろう。
いずれにせよ、そのような直接あるいは間接の、「国(政府)の貨幣発行特権」の発動による場合には、それによって得られる政府の収入は、それがいかに巨額にのぼろうとも、政府は、それに対して利息を支払ったり元本を償還したりする必要がなく、すべて、正真正銘の政府の財政収入となることは、言うまでもない。この巨額の政府財政収入を用いて、総需要 ──すなわち有効需要支出の総額──を大幅に増やせばよいわけである(このように、有効需要支出の拡大にこそ重点があるのであるから、われわれの提言は「調整インフレ」政策ではない)。いずれにせよ、すこし工夫さえすれば、ほとんど無尽蔵な巨額の財政財源を確保することは、きわめて容易なのである。もちろん、これにより、財政再建は、ほとんど瞬時にして達成されうることになる。将来世代の負担になるような心配もない。
乗数効果は健在だ
現在、政界をはじめとしてわが国民は、奇妙な社会的マインド・コントロール状況に捕らえられており、政治家諸氏をも含めて、きわめて多くの人たちが、政府の財政政策による総需要拡大政策の効果がなくなってしまったと、思いこまされてしまっている。しかし、そのような思いこみには根拠がなく、まったく間違っている。
たとえば、宮沢内閣以来の数次にわたる「総合経済対策」が、きわめて大規模に実施されたかのごとく称されているにもかかわらず、ほとんど無効果に近かったように思われるため、そのような政策に対する失望感が、政界をはじめ全国民に行き渡ってしまっている。しかし、本当の実情は、政府が、いわゆる「真水」ベースでは、そのような総需要拡大政策を、ごく不十分にしか実施してこなかったということにつきるのである。このことは、政府支出(中央および地方の「一般政府」有効需要支出)が、国民所得勘定ベースの実質値では、1991年から97年までで、わずかに 1.17倍の伸びにすぎなかったということを見れば明らかである(経企庁編『国民経済計算年報』参照)。「民間実質投資支出」が落ち込んで低迷している状況で、「政府支出」(公的投資支出、ならびに、社会保障・福祉支出をも含む諸種の政府最終消費支出)の伸びがこれほどにも低く抑えられていては、この二つの支出項目の合計額もせいぜい横ばいがやっとであるといった状況とならざるをえなかった。実は、この二つの支出項目の合計額がいわゆる「自生的」有効需要支出額の大部分を占めており、その「自生的」有効需要支出額に乗数効果が作用してGDPが形成されるのであるから、当然、GDPも横ばいにとどまって、成長がほとんど止まってしまうことになった。これこそが「平成不況」永続化の真因であったのである(わが国の官僚組織は、このことを政界に説明することを怠ってきたと言ってよいであろう)。なお、この「自生的」有効需要支出額に対するGDPの倍率がいわゆる「ケインズ乗数」にほかならないのであるが、「平成不況期」を通じて、その値(2.4〜2.5)は、しっかりと、ほとんど揺るぎなく保たれてきている。すなわち、いまも日本経済における「乗数効果」は健在なのである。
ちなみに、破綻金融機関に注入された公的資金は、すでに、きわめて巨額にのぼってい
るとはいえ、それは、有効需要支出ではないのであるから、景気を回復させる効果は、直
接には乏しいと考えるべきである。また、いわゆる「調整インフレ」政策によって貨幣量
が増やされた場合も同様である。
なお、家計消費支出(ないし民間最終消費支出)は、所得の多寡に依存して決まるという特性を持っているので、「自生的」な有効需要支出として扱うわけにはいかないが、家計所得に占める消費支出の割合 ──すなわち「消費性向」──は、「平成不況期」に入ってから、むしろ、上昇してきている(経企庁『国民経済計算年報』平成11年版、16〜17ページ)。すなわち、「家計の消費性向が下がったから平成不況になった」とする巷間の風説は、まったくの誤りなのである。
日本経済再興のビジョン
──わが国民の「やる気」も「道徳」も向上する──
超大規模なデフレ・ギャップという形で巨大な生産能力の余裕が存在している現在のわが国の場合には、需要の伸びに応じてすべての商品の生産・供給量がいくらでも増やされうるのであるから、上記のような方策によってほとんど無尽蔵な財源を得た政府によるそのような総需要拡大政策の実施は、わが国民にとっても、まったく負担にはならない。むしろ、それによって景気がよくなり、所得が増え、国民の生活水準は向上する。
もとより、そのような政府の財政政策による総需要の拡大は、21世紀のわが国経済の基盤となるべきIT関連インフラストラクチャーの建設、ハブ空港や新幹線網など交通システムの充実、新エネルギー源の開発、防衛力の整備、社会保障の拡充、自然環境の改善、等々、といった有効需要支出を大幅に増やすことを通じて行うことも合理的であろう。上述のごとく、「乗数効果」は健在なのであるから、このような政府支出の増加がなされたとき、それの乗数倍に達する総需要ならびにGDPの増加が実現されうるということについては、疑う余地はまったくない。
しかし、現在のところは、長年にわたる不況・停滞によって、各省庁や地方自治体がすっかり消極的な姿勢になってしまっており、「国家百年の大計」に基づく合理的で壮大な「国造りの計画」の準備は、まだ、ほとんど整っていないというのが実情である。だとすれば、それを補ってわが国経済の成長を確保するために、ここ2〜3年は、政府支出の一環として、政府が、老人から赤ん坊までの全国民に、一律、数十万円のボーナス、「潜在経済力活用費」を支給する(国民の預金口座に振り込む)ことにすればよいであろう(過日の地域振興券よりも桁違いに大規模に実施することが必要である)。これならば、減税などよりも、ずっと簡単・手軽に、大規模に行うことができるし、効果が大きく即効的であり、しかも、公平である。政府機構が肥大化する怖れもない。このような施策は、「消費者主権」のメカニズムが基本的には作用している現行の市場経済システムに、最も適していると言いうるであろう。したがって、経済に不自然な「歪み」をもたらすようなこともない。もちろん、この場合も、「乗数効果」はしっかりと作用する。こういった施策を実施しさえすれば、それによって、わが国の経済は、きわめて容易に、高度成長の輝かしい繁栄を享受しうるようになる。金利も正常な水準にもどすことができる。わが国民のモラール(やる気)は高まり、モラル(道徳)も向上するだろう。また、政府財政も、大幅な自然増収を得て、いやがうえにも健全化されうる。このことは、まさに、100パーセント確実なことなのである。
そして、そのように、成長率が高くなれば、産業の構造調整・構造改革も自ずとスムーズに進むようになる。もちろん、そのような経済状態になれば、現在のいわゆる「コゲつき債権・不良資産」の大部分は、むしろ、優良債権・優良資産に一変し、金融機関の破綻問題なども解消してしまう。要するに、このように、景気を回復させて「右肩あがり」の経済を再現することこそが先決条件なのであって、その逆ではない(したがって、いまのような不況・停滞の状況をそのままにしておいたのでは、たとえ、破綻金融機関を多大の犠牲を払って整理してみたところで、それによって景気が回復するという必然性はない)。
また、そのように成長率の高い「右肩上り」の経済状況が実現すれば、現行の「フロート制」(変動為替相場制度)を前提にするかぎり、円についての為替レートは、いまよりもはるかに円安に決まることになるから、わが国の産業は、労せずして対外競争力を強めることができるわけであり、わが国は、産業空洞化の悪夢から開放されうることになろう。
政治家諸氏の覚醒・決起を
以上に論述してきたようなわれわれの経済分析は、すべて、疑う余地の無い明白なことばかりである。また、それに立脚して提言してきた諸種の政策案も、すべて、その効果が十二分に確実なものばかりである。したがって、ひとたび、わが政界人が ──したがって、政策担当者が──それらを採用・実施しようという意思決定を下しさえすれば、上記でわれわれが提言してきたような諸方策を用いて、わが国の経済を、少なくとも、年率5パーセントの成長率を下回ることのないような成長経済に保ちつつ(実は、年率10パーセントの成長率でさえ可能であろう)、しかも、同時に国家財政の再建をも達成するといったことを、きわめて容易になしうるはずである。そうなれば、わが国は、膨大な余裕生産能力という巨大な「真の財源」を活用しはじめることができるようになるわけであり、それは、ただ単にわが国民にとってのみならず、全人類の経済的繁栄と福祉のためにも、きわめて大きな貢献となりうるであろう。
これとはまさに対照的に、近年のわが国で指向されてきたような「… 総需要拡大による景気回復政策を止めて、構造改革を優先・徹底するべきだ!」とするような政策が強行されてしまえば、不況のいっそうの激化と永続化がもたらされて、「十年間4000兆円」という「真の財源」が棄て去られてしまうことになる。しかも、それほどにも甚大なダメージをわが国経済に加えたからといって、それによって、わが国の経済が繁栄と成長を取り戻して再興されうるという論理的な保証は、なんら与えられてはいない。また、それによって、わが国家財政の再建が達成されうるという確たる見込みも、まったく存在してはいない。この意味で、構造改革優先主義は、きわめて危険な政策姿勢なのである。
わが諸政党ならびに政界人諸氏が、この危険を直視し、覚醒・決起してくださることを期待してやまない。
付図の説明
労働と資本設備の総合的な生産性(いわゆるTFP)の向上率を「技術進歩率」と呼ぶことにすると、年率ベースでは、
GDP成長率(%) = 技術進歩率(%) + 労働と資本設備の総合投入の伸び率(%)である。したがって、「技術進歩率(%)/GDP成長率(%)」という比率が与えられれば、潜在的な完全雇用・完全操業の状態での総合投入の伸び率から、同じく潜在的な完全雇用・完全操業でのGDPの成長率を年率ベースで算定しうる。それを、連接していけば、本図のごとく、その長期的な成長経路をも示しうることになる。
本図で、「潜在的」(完全雇用・完全操業)実質GDPの成長経路の「高」として示されているのは 「技術進歩率(%)/GDP成長率(%)」という比率を 1/3 と仮定した場合、「中」は同じく 1/3.5 と仮定した場合、 そして、「低」は同じく 1/4と仮定した場合である。本図で「潜在的」(完全雇用・完全操業)実質GDPとして示されている状態でも、なお、摩擦的な要因等による 3%のデフレ・ギャップは残されている。
計算プロセスならびに使用データの詳細については、丹羽春喜 『日本経済再興の経済学』、原書房、平成11年刊、第16章を参照されたい。
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