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http://www.news.janjan.jp/government/0901/0901105108/1.php
似非ワークシェアリングは社会を貧しくする
田中龍作2009/01/11
大量の労働者が職と住居を同時に失う派遣切りが深刻な社会問題となるなか、「ワークシェアリング」がにわかに脚光を浴びている。経団連の御手洗冨士夫会長までもが「ワークシェアリングもひとつの選択肢」との考えを示した。働く者ばかりに痛みを押し付ける「経団連流ワークシェアリング」にならないことを祈る。
大量の労働者が職と住居を同時に失う派遣切りが深刻な社会問題となるなか、「ワークシェアリング」がにわかに脚光を浴びている。経団連の御手洗冨士夫会長までもが「ワークシェアリングもひとつの選択肢」(6日、経団連賀詞交歓会)との考えを示した。
御手洗会長の言葉を素直に受け取ってはいけないが、雇用情勢が悪化するなか仕事を分け合おうという発想自体は賢明な選択肢だ。働く者ばかりに痛みを押し付ける「経団連流ワークシェアリング」にならないことを祈るのみだ。
ジャーナリストの下村健一氏が、厳しい雇用情勢を「椅子取りゲーム」に喩えている――。
3つしか椅子(職)がないところに4人が腰掛けようとしている。それぞれの椅子を少しずつ割いて新しい椅子を増やそう、というのがワークシェアリングだ。だがこの椅子はしょせん補助椅子。企業の都合が悪くなれば補助椅子はいつでも捨てられる。
確かに見事な喩えだ。現実はさらにえげつない。一部の労働組合が「少しずつといえども椅子を割くのはイヤだ」と主張しているのだ。
似非ワークシェアリングは社会を貧しくする | 日本型経営では「人は財産」だったのだが(日比谷派遣村で)
日本型経営では「人は財産」だったのだが(日比谷派遣村で)
製造業への労働者派遣の禁止について、電機メーカーの労働組合で作る電機連合の中村正武委員長が「性急に結論を出すべきではない」と異を唱えた。連合内では電機連合ばかりではなく他の産別組合も表立ってはいないが、同様の考えを示している。
一見、「『ワークシェアリング反対』と『製造業への派遣禁止反対』とは別問題」のように思えるが、構図は同じだ。
労働組合は雇用の調整弁である派遣がもしなくなると、人員削減はストレートに正社員(労働組合員)に来ると考えているのだろう。
連合の事務局員と話していて「こりゃ、御手洗さんや奥田(碩・トヨタ相談役)さんと同じだわ」と思ったことがある。事務局員は「新卒者は『ジンパ』のように物じゃないんだから……」と話すのである。
『ジンパ???…』、筆者は最初、何のことだか分からなかったが、話の文脈から間もなく人材派遣(人派=ジンパ)のことであると合点がいった。
確かに企業で派遣を担当しているのは人事部ではなく資材部だ。賃金も人件費ではなく資材費から出る。
多くの正規労働者と労働組合は「自分たちは『物』じゃないんだから派遣のように簡単には切られない」と思っているのだろう。ところが現実は、人員削減は正社員にまで来ている。「人が財産」という発想が日本の企業に薄れてきたからだ。
従業員よりも株主を大事にして簡単に解雇する米国流会社経営が、幅を利かせるご時世だ。もはや企業にとっては「正社員であろうが派遣であろうが、労働力は物」なのである。
労働組合が派遣社員をも抱き込んで「人は財産である」という日本的企業哲学を、米国流にかぶれた経営陣に突きつけ分かってもらう必要がある。
正規、非正規で分断すると経営側の思う壺だ。「派遣社員は物→(正社員も含めて)労働力は物」の発想から抜け出せなくなるからだ。その場しのぎの似非(エセ)ワークシェアリングは、じきに社会を貧しくさせる。
長期間働く意志のある人は原則正規社員にすべきだ。それが正社員の『雇用』をも守り、国民全体の生活を守ることにつながる。
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