いま日本共産党は、貧困・格差問題と取り組みながら「資本主義そのものの限界」について大いに論じるべきことを主張するようになっている。しかしこの立場は綱領の「資本主義の枠内での改革」という立場と衝突せざるをえない。日本共産党員の樋口芳弘さんから、その根本的問題点について書いていただいた。 はじめに いま、日本共産党が注目を集めている。『蟹工船』ブームで入党者が一万人を超えたともいわれ、非正規雇用問題をとりあげた志位委員長の国会質問は、ネット上で大きな話題になった。また、アメリカ発の世界金融危機のなかで、資本主義のありかたそのものへの疑問が提起されていることに関連しても、日本共産党の主張が関心を集めるようにもなってきている。 こうしたなかで、日本共産党は、以前にくらべて、より積極的に、社会主義について語るようになってきたようである。たとえば、総選挙にむけて昨年秋に作成されたパンフレットでも、「『資本主義の限界』がいわれる時代に」「党の名前に未来社会への理想をかかげて」として、見開き二ページにわたって、資本主義そのものについての批判と日本共産党が考える社会主義についての紹介がなされているのである。 このような変化はいったいどのような性格のものなのであろうか。「資本主義の枠内での民主的改革」論との関係で、どのようとらえられるべきものなのだろうか。本稿では、その変化の意味と、いま日本共産党が直面している基本路線上の課題について考えてみたい。 日本共産党は変化したのか まず、このような一定の変化がどのような考えかたにもとづくものなのか、確認しておこう。 日本共産党は二〇〇八年の七月に第六回中央委員会総会(以下、六中総)を開催した。志位和夫委員長はこの総会への幹部会報告において、現在、一部の財界人やマスコミなどからも「資本主義の限界」という議論がおきてきていることにふれながら、「それと結びついた日本共産党への新しい注目は、一過性のものではなく、世界と日本の大きな変化を背景としたものであり、社会と経済の枠組みを根本から問う新しい時代が始まったことを予感させるものであります。こうした情勢の奥深い進展を大きくとらえて、それへの抜本的な回答をしめす綱領の立場を大いに語るときであります」「綱領がしめす未来社会論、日本共産党という党名に込められた理想とロマンを大いに語ろう」とのべているのである。 とはいえ、当然のことながら、日本共産党は「資本主義の枠内での民主的改革」という立場を変更したわけではない。六中総での志位委員長の報告で「綱領の立場」が強調されているとおりである。いうまでもなく、「綱領の立場」とは、まずは「資本主義の枠内での民主的改革」をおこない、ついで社会主義的変革にすすむ、という立場のことである。 ようするに、日本共産党が社会主義について積極的に語るようになったといっても、それは、綱領で想定した変革の路線のどこに力点をおいて語るようにするか、といったレベルでの変化にすぎないということができる。では、最近の日本共産党の変化はたいして注目に値しないといってしまってよいものだろうか。必ずしもそうとはいいきれない。今後、日本共産党が、「資本主義の限界」について語り未来社会の理想を語るなかで、「資本主義の枠内の民主的改革」論のもつ意味が、ある程度、変化していくという可能性もなくはないからである。 このことをあきらかにするために、そもそも「資本主義の枠内での民主的改革」論がどのような歴史的条件のもとで形成され、歴史的にどのような役割をはたしてきたのかということについて、確認しておきたい。 「枠内改革論」の歴史的分析 民主主義革命論形成の史的条件 「資本主義の枠内での民主的改革」の根底には、一九六一年の第八回党大会で決定された綱領の民主主義革命論がある。この民主主義革命論は、アメリカ帝国主義への従属からの独立という課題ばかりでなく、独占資本の横暴な支配に反対するという課題をも、民主主義的な性格をもつものとして位置づけたところに、その最大の特色があったといえよう。 では、なぜ、日本共産党は、反独占という課題を社会主義的な課題としてではなく民主主義的な課題として位置づけ、社会主義的変革とは別個の、ひとつの革命の段階として設定したのであろうか。 不破哲三は、二〇〇四年の二三回党大会で改定された綱領についての講義のなかで、民主主義革命という路線を確立した根拠について、次のように述べている。
「発達した資本主義の条件のもとで、国民のあいだに、社会主義賛成だという多数派をつくってゆくということは、そんなに単純な過程ではないはずです」(不破哲三『新・日本共産党綱領を読む』新日本出版社、二〇〇四、二五九頁) 「社会主義をめざす運動が、国の社会主義化を運動の直接的な目標とする情勢――一九六〇年の共同声明(八十一カ国の共産党・労働者党の会議での声明―― 引用者)が『資本主義の打倒、社会主義革命の勝利をめざす決戦のために、大衆の準備がととのえられ、条件がつくられる』といった情勢が、いきなり生まれるものではなく、どんな資本主義国でも、そこに接近する一連の中間段階が必要になることは、政治の発展を現実的に考えれば、ほとんど自明のことです」(同、二六五頁) ようするに、社会主義についてはそう簡単に大衆の支持をえることはできない、ならば民主主義をかかげて…、というわけである。このような立場の是非そのものも大きな問題なのだが、ここではそれはおいておく。ここで問題にしたいのは、発達した資本主義の条件のもとで社会主義への大衆の支持をえることがなぜ困難であったのか、ということである。 結論的にいえば、一九六〇年代においては、資本主義は、さまざまな弊害を不可避的に生み出しつつも、まだまだ大きく成長する力をもっていたからだ、ということである。資本主義には、労働者階級の闘いにたいして一定の譲歩をするだけの余裕があったのであり、むしろそうすることで、かえって高成長の条件がととのえられる、という構造をもっていた。資本主義の枠内であっても、闘いいかんによっては、労働者階級の生活条件のある程度までの向上は不可能ではなかったのである。 民主主義革命論が、資本主義経済がこのような歴史的な条件のもとで形成されたということは見逃せない点である。 「枠内改革」論はどのような役割を果たしたのか 資本主義経済のこのような構造は、一九八〇年代には行き詰まり、新自由主義政策が広範に推進されるようになる。しかし、一方の社会主義諸国は、それ以上に深刻な行き詰まりに直面していた。現実に存在する社会主義諸国の独裁と停滞のイメージは、社会主義への大衆の支持を獲得するうえでの大きな障害となった。それどころか、一九九〇年代はじめまでにはソ連・東欧の社会主義が崩壊し、社会主義の崩壊・資本主義の勝利という論調が、世界的に荒れ狂うこととなってしまったのである。 日本共産党が、民主主義革命論を「資本主義の枠内での民主的改革」ということばで表現するようになったのは、このころからである。 本来の民主主義革命論は、あくまでも社会主義的変革の前段として、それへの連続性が強調されていたものであった。民主主義革命は、「それ自体社会主義的変革への移行の基礎をきりひらく任務をもつものであり、それは、資本主義制度の全体的な廃止をめざす社会主義的変革に急速にひきつづき発展させなくてはならない」(一九六一年の第八回党大会で決定された綱領)というわけである。 しかし、一九九〇年代、社会主義へのマイナスイメージが強烈にひろがるなかで、日本共産党は、民主主義革命を「資本主義の枠内での民主的改革」として、社会主義的変革から切りはなし、「社会の発展は段階的にすすむもの」「国民の合意で一歩一歩」とことさらに強調することで、社会主義的変革をはるかに遠い将来の話として、事実上、棚上げしてしまったのである。 とはいえ、世界中の多くの社会主義をめざす政治勢力が社会主義を放棄していくという当時の状況のなかで考えれば、日本共産党は、社会主義という大目標を棚上げにすることによってこそ、その目標を維持することができたのだ、ということも可能であろう。 問われる「枠内改革論」の正当性 しかし、いまや状況は大きく変化している。財界人やマスコミからでさえ「資本主義の限界」という声が上がるほどに、資本主義の行き詰まりが深刻化してきているのである。 こうした状況にたいして、日本共産党は、まずは「資本主義の枠内での民主的改革」、という路線を堅持したまま、将来の社会主義という目標についてより積極的に語っていくようにする、ということで対応しようとしているわけである。 しかし、もはや「資本主義の枠内での民主的改革」を可能にするだけの余裕は資本主義にはない。民主主義革命論が形成された当時の条件は、もはや失われてしまっている。また、資本主義そのものへの疑問が広範に提起されてきていることから考えて、資本主義にくらべての社会主義のマイナスイメージへの対応として「資本主義の枠内」を強調することについても、その意味は薄らいできているといってよい。「資本主義の枠内」をことさらに強調することの意味が、根本的に問われているのである。 「枠内改革論」の見直しが必要 「枠内改革」論はどのような問題を抱えているか では、ただちに社会主義の実現をめざすという方針に転換すればよいのか、といえばそうではない。大切なのは、社会主義の理念をどのようなものとして提示していくのか、ということである。この点に関連して、「資本主義の枠内での民主的改革」論のもとで、社会主義がどのように扱われていたかということを確認しておきたい。 先ほどみたように、日本共産党は、社会主義の目標を棚上げにすることによって社会主義崩壊論の荒波を乗り切ったのだが、これは、一方で、重大な問題を生じさせることになった。それは、社会主義の目標が、現実の資本主義経済が生み出す諸々の弊害への取り組みとの生き生きとした連関を欠いてしまい、抽象的なお題目のようなものになってしまったということである。結果として、日本共産党においては、社会主義の歴史的な必然性は、きわめて抽象的なレベルで、資本主義の根本矛盾(エンゲルスのいう生産の社会性と資本主義的取得の矛盾)との関連でしか語られないようになってしまったのである。 「資本主義の枠」を絶対化することはできない では、どこに根本的な問題があったのか。それは、当面する改革が「資本主義の枠内」のものなのか、それとも社会主義的な性格のものなのか、という問題について、あまりに機械的なとらえかたをしてしまったということである。 そもそも「資本主義の枠内の民主的改革」と社会主義的な性格をもった政策とのあいだに、明確な境界線を引くことなどできない。資本主義が根本的に行き詰まり、労働者階級の闘いにたいして譲歩する余地のなくなった現代の資本主義については、なおさらそうである。当面する改革に「資本主義の枠」をはめてしまうことで、資本にたいして、妥協につぐ妥協を重ねてしまうことにもなってしまいかねないのである。
資本主義への批判こそ社会主義の原点だ 重要なのは、社会主義ということばを使うかどうかということではなくて、現実の資本主義の諸矛盾にどのような姿勢で対決していくのか、ということである。なによりも大切なことは、労働者階級と人民諸階層が現実に直面している苦難から出発して、それを解決するために必要な諸方策を掲げること、その実現のためには生産手段の私的所有制といえども聖域とはしないという姿勢を堅持することなのである。 そもそも、科学的社会主義の原点は、現実の資本主義の矛盾をいかに解決するか、というところにある。社会主義の理念は、すでに完成したものとして、固定的な変化しないものとして、存在しているわけではない。社会主義の理念は、現代の資本主義のもたらすさまざまな弊害との対決をつうじてこそ、つくりあげられていくものなのである。 日本共産党が、「資本主義の限界」について語り、社会主義の目標について積極的に語るようになったことは、それ自体、大いに歓迎すべき変化である。このことは同時に、「資本主義の枠内での民主的改革」と社会主義的変革との関連はどうなっているのか、という問いを提起するものでもある。 もちろん、ただちに、綱領路線そのものの見直しにつながるとは考えにくい。しかし、綱領路線をどのように表現するかというレベルにおいては、「資本主義の枠内での民主的改革」と社会主義的変革との間の断絶性よりも連続性のほうが強調されるようになるという変化が進行していかざるをえないであろう。日本共産党にとっては、そのような変化をつうじて、社会主義の目標と現実の資本主義経済が生み出す諸々の弊害への取り組みとの間に生き生きとした連関を再構築していくことが、大きな課題として提起されているといえよう。 もちろん、現代の資本主義のもたらすさまざまな弊害との対決をつうじて社会主義の理念をつくりあげていくというのは、ただ日本共産党だけに問われている課題ではない。社会主義をめざすすべての政治勢力に共通して問われている課題なのである。現代に生きるわれわれにとって大切なのは、オルタ・グローバリゼーション運動をはじめとする諸々の闘いと結びつきそれに学びながら、現代資本主義の構造に深く分け入って、社会主義の構想をいっそう豊かなものにしていくということなのである。 (樋口芳弘/日本共産党員)
|