社会的連帯の力で政治を動かした! 「年越し派遣村」のスタート 労働三団体の枠を超えて路頭に迷う仲間を支えよう
二〇〇八年十二月二十六日の厚生労働省の発表によれば二〇〇八年十月から二〇〇九年三月までに「派遣切り」や「雇い止め」によって職を失う労働者は八万五千人に及ぶ。十一月の集計では三万人とされていたが、一カ月で三倍近くにふくれ上がった。「寮からの退去」を通告され、寒空の中、街頭に叩き出される「派遣」労働者も多い。「百年に一度の金融・経済危機」は、最も厳しく搾取されてきた、全労働力の三分の一を超える非正規労働者の仲間たちにとって「生存」そのものの危機となっている。 二〇〇二年以後「いざなぎ景気を超える」とされてきた長期の景気拡大局面で、毎年一兆円とか二兆円という空前の「内部留保」をためこんできた大企業は、不況への突入と共に「雇用責任」を放棄しあっさり労働者のクビを切ってしまった。こうした中で、ナショナルセンターの枠組みを超えた労働組合やNPOの尽力で、この年末・年始に路頭に迷う労働者に「屋根と食事」を提供し、労働相談に応じるために十二月三十一日から一月五日までの間、厚労省に近い日比谷公園内で「年越し派遣村」を開設した。 雇用責任を放棄 した企業に怒り 十二月三十一日には午前十時から、日比谷公園で「開設式」が多くのボランティアの労働者、市民の参加で始まった。派遣ユニオンの関根書記長の司会で始まった集会では最初に「年越し派遣村」の「村長」になった湯浅誠さんがあいさつ。「この年末、路上で生活することを強制されている人の数が増加している。飯を食えない、路頭に迷う人びとのために宿泊場所を確保することが必要だ。職を奪う、家を奪うことによって亡くなる人が出れば誰が責任を取るのか。これは犯罪ではないか!」と語気を強めて資本への怒りを表明した。 続いて連合非正規センターの龍井葉二さんが「全国ユニオンと共に派遣労働者の支援のために闘ってきたが、当初は『雇い止め』が多いと思っていたが、実際には雇用契約の途中解除が増えている。予想を上回る深刻さだ。今こそ人間切り社会を反転させよう」と訴えた。全労連を代表して発言したJMIU(全日本金属情報機器労組)生熊茂実委員長は「いすゞ自動車は、労組の闘いによって期間工にはいったん解雇を撤回したが、派遣には一切対応しようとしていない。ある労働者は六歳の女の子を連れて相談にきた。家族で寮に住んでいたが、家族ぐるみで住む場所を追い出されるというのだ。私たちは、大企業に対して失業を作りだす蛇口を閉めることを求めるとともに、解雇された仲間を支える活動をしなければならない」と語った。 全労協の藤崎議長は、「企業や政府には生活できる賃金を保障する社会的責任があるはずだ。大企業はためこんだ利潤をどうしてこの時期にはきださないのか。この闘いを通じて連合、全労連、全労協の垣根を超える闘いを」とアピール。笹森前連合会長は「戦後六十三年、こんなにひどい社会になったのは誰の責任か。人間の絆をぶった切る政府と経営に対して世直しの運動を」と述べ、「私が連合事務局長だった一九九九年に、派遣が原則自由化された。われわれは反対したものの押し切られた。その点については自分自身の責任を痛感せざるをえない。今、労働三団体のあいさつがあったが、これまでなかったことだ。今こそイデオロギー対立を乗り越え、この世の中を直す一点で結集しよう」と呼びかけた。 幅広い層から ボランティア 国会議員からは社民党の保坂展人衆院議員と新党日本の田中康夫代表が発言。保坂さんは「大分キャノンの非正規労働者解雇に対しては、地元の高校生も駅頭でカンパ活動に参加している。しかし当のキャノンは三兆二千億円もの利潤をためこみながら、下請けに解雇の指示はしていない、と知らん顔をしている。こんなことは許せない」と述べた。田中さんも「今年九月期に十六の大企業の内部留保は三十四兆円に達する。小泉・竹中のインチキ『構造改革』時代の二倍だ。こうした不公正なあり方を変え、来年末には『年越し派遣村』を作らなくてもいいようにしよう」と語った。 日本労働弁護団の棗一郎弁護士は、「派遣村」での労働相談を担当するあいさつをしながら、労働運動、市民運動の新しい展開をこの闘いを通じて切り開こうと語った。この「年越し派遣村」に多くの食料カンパを行った農民連(農民運動全国連合会)の笹渡義夫事務局長は、「全国の農民から呼びかけに応じて多くの食糧カンパがあった。農業労働の労賃は一時間あたりにして百七十九円にすぎない。新自由主義は農産物価格を買いたたき、農民の生活を困窮させている。今こそ食糧主権を確立し、共に闘っていこう」と述べ、満場の拍手を受けた。 派遣労働ネットワークからは弁護士の中野麻実さんが発言。中野さんは「派遣法は、人と仕事を結び付けるという名目で作られたが、実際はその反対だ。経営者は期間内の雇用は保障されると言ってきた。しかしそれが踏みにじられている」と糾弾した。発言の最後に、解雇を撤回させた日産ディーゼルユニオンの仲間が発言し、「年越し派遣村」を共に成功させようと訴えた。 集会は労働相談、炊き出し、警備その他の諸注意を受けて最後に湯浅さんの音頭で元気良くシュプレヒコール。テントの設営、炊き出し、情宣など、ボランティアの仲間が分担してただちに準備に入った。出発式の段階でボランティアの登録は二百人に達し、その日のうちに三百五十人となった。ボランティアに参加した人びとは、高校生から高齢者まで幅が広い。 十月に解雇となり、その後はネットカフェや路上で暮らしてきたという派遣労働者たちなどが多く訪れ、年越しを派遣村で過ごした人びとの数は百三十人に上った。(K) 五百人が派遣村「村民」に これは「政治災害」だ 政府は責任を取れ!
十二月三十一日から一月五日まで日比谷公園に開設された「年越し派遣村」には、一月一日には職場も住居も奪われた労働者が二百五十人以上も訪れ、公園内のテントでは収容しきれない数となった。そこで厚労省との交渉により、一月二日から日比谷公園前の厚労省の講堂を開放して、寝る場所を確保することになった。一月三日から四日にかけて「派遣村」に「村民」として登録し、テントや厚労省講堂で一夜を過ごす人びとは五百人に達した。 「派遣切り」で職も住居も失い、絶望して自殺を図ったが死に切れず、ラジオで「派遣村」のニュースを聞いて相談に訪れた人など、「年越し派遣村」の現実はあらためて「雇用災害」とも言うべき労働者切り捨ての深刻さを照らしだしている。連合、全労連、全労協の区分を超え、労働弁護団や市民グループ、NGO・NPOなどの支援を受けた「年越し派遣村」は連日のようにメディアに報道され、野党だけではなく与党・政府への大きな圧力を作りだしていった。 一月四日、「派遣村」の最終日を翌日に控えて午後二時四十五分から派遣村の「村民集会」が開かれた。司会をつとめた派遣ユニオンの関根書記長が「派遣切り・大量解雇の被害者救済は政府の責任だ」と強調した後、日本労働弁護団の棗一郎弁護士が厚労省との交渉経過について報告した。 「一月五日以後、生活、食糧、住居がどうなるのか、みんなが不安になっている。一月三日の交渉で、雇用・住居を失った人への一時金支給、住居や安定就労確保などについて国が責任を果たすことを求めてきた。厚労省側は、これに対して居所・就労先の確保や生活保護申請などについて一定の前向きの姿勢を見せている。また厚労省講堂での寝場所についても一月五日以後、一方的に打ち切ることはないとの態度を取っている。われわれとしてはさらに、数十万人に上るだろう職を失う派遣・非正規労働者に対し、政府の責任で持った支援の対策を緊急に取っていくことを迫っていく」。 さらに生活保護申請の希望者が一月三日の段階で百七十人に達し、一月五日に千代田区役所に一括して申請することも報告された。 この日の集会には、各野党から党首級をふくめて多くの国会議員が激励にかけつけた。民主党の菅直人代表代行、共産党の志位和夫委員長、社民党の福島みずほ党首、国民新党の亀井久興幹事長、新党大地の鈴木宗男代表が発言し、それぞれ雇用・住居確保のための緊急国会決議を全野党に自民党をも巻き込んで採択し、さらに解雇され、住居を失った人びとへの緊急支援法を成立させることを力をこめて訴えた。 「まさに政治災害であり、政治の責任で緊急対策が必要だ。派遣切り・期間切りを禁止する特別立法を」(志位氏)、「小泉・構造改革政策がこの現実を作りだした。政治の誤りは政治で正さなければならない」(亀井氏)、「竹中平蔵さんはこの場に来て謝罪すべきだ。昨年のアイヌ民族を先住民族として認める国会決議を全政党で採択したように、雇用・住居確保の全政党による国会決議を」(鈴木氏)との発言には大きな拍手が寄せられた。 まさに「年越し派遣村」は、歴史的な金融・経済恐慌が浮かび上がらせたグローバル資本主義の破綻による労働者への冷酷・不法な仕打ちを浮かび上がらせ、政治的に反撃していく焦点となっている。 (K) 「派遣村」から全国へ 新自由主義の廃墟の中から新しい闘いを
これは始まり にすぎない! 十二月三十一日から一月五日まで東京・日比谷公園で開設された「年越し派遣村」には、職も住む場所も失って訪れる人びとの数がが日に日に増え、ついに五百人に達した。「派遣切り」にあい、旅費がなく茨城や静岡から歩いて日比谷公園までやってきた人もいた。「派遣村があって生命が助かった」「これからの生活に希望を見つけることができた」と涙ながらに感謝の言葉を語る人たちの姿は、テレビや新聞でも大きく取り上げられた。ボランティアは総数で千七百人、寄せられたカンパは二千万円をはるかに超えた。 「派遣村」の活動は、ついに政党や政府をも動かした。厚労省の講堂が宿泊所として開放されたのに続き、実行委員会のねばりづよい厚労省交渉によって、一月四日の夜には、派遣村の希望者全員に一月五日から十二日まで中央区の廃校となった元学校、練馬区の体育館、大田区の一時宿泊施設を宿泊場所として確保し、食事も提供した上で、その間に新しい雇用、住宅、生活保護などの対策に国・自治体の責任であたることが確認された。 一月五日、派遣村から二百三十人が生活保護申請を行った。そのうち七十五人が千代田区役所の臨時窓口に出向き、申請した。うち十人が即日支給をかちとった。 「暗い年末」で はなくなった 一月五日、「派遣村」撤収作業を進めながら、日比谷公園霞門から国会に向けたデモが行われた。出発前、新日本婦人の会、国公労連の発言に続き、「派遣村」を代表して発言した全国ユニオンの安部誠さんは「自分が生きてきた中で、一番暗い年末だと思っていたが、この五日間の闘いで変わった」と新しい希望を力強く訴えた。「派遣村」に集まった仲間たちを先頭にしてデモが霞が関の官庁街を進む。国会前の請願では、与党の公明党議員団まで、デモ隊を拍手で迎えた。 午後一時半から参院議員会館で行われた院内集会では、集まった与野党九十人の国会議員を前にして「派遣村」村長の湯浅誠さんが「生きようとしている人たちを支えられる社会にしてください。何のために生きてきたのかと絶望させるようなことのない社会を作ってください」と訴えかける。集会には大村厚労副大臣や自民党の片山さつき衆院議員も参加して発言した。「小泉チルドレン」の代表的人格ともいえる片山さつき衆院議員は「『人間を大事にする資本主義』を再構築したい」と語った。 野党は「雇用と住まいを確保する緊急決議案」の上程をこの日から始まった国会で提出しようとしている。さらに舛添厚労相は一月五日の記者会見で「個人的意見」と断った上で製造業について派遣を禁止する条項を盛り込む派遣法改正の意向を示している。 金融・経済恐慌の中での派遣労働者の解雇・切り捨てに抵抗した「年越し派遣村」の闘いは、政府・大企業の利害のための新自由主義的な労働市場規制緩和の流れを大きく変える一歩をはっきりと踏み出したのだ。この成果をさらにすべての労働者に拡大するために全力を上げよう。それは政治と社会を変革するための新しい運動への挑戦である。 坂本総務政務官 の暴言を糾弾する 一月五日、坂本哲志総務政務官(自民党衆院議員・熊本3区)は、総務省の仕事始め式のあいさつで「年越し派遣村」について許しがたい暴言を吐いた。 「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのか」「講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)学生紛争の時の戦術・戦略が垣間見えるような気がした」。 職を奪われ、住居からも追い出されて「派遣村」を訪れた労働者の悲しみと苦しみに悪罵を投げかける、こうした発言を絶対に許すわけにはいかない。坂本総務政務官は即刻謝罪し、辞任せよ! (K)
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