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既に市場原理主義は破綻した。
破綻したからこそ、日本国民はこの主義に叛いて失業者救済に力を合わせ始めたのだ。
市場原理主義の労働政策は棄民政策であったとはどう言うことかといえば、
それは、
@米国奴隷制にも劣る
A軍隊にも劣る
B家畜の飼育にも劣る
C強制収容所の事例のみが同等だ
D動物虐待者のペット飼育に等しい
この様に書くと、意外に思われるであろう。
しかし、残念ながらこのように寒々としたもので…あった。(既に過去形である。勝負はついた。)
米国奴隷制では売買はあっても捨てる事はなかった。養った訳である。
軍隊では命の遣り取りはするが捨てる事はない。戦力だからその意味では大切にする。負傷すれば治療をする。
家畜だって捨てられる事は無い。役に立つ限り面倒を見る。
強制収容所の収容者は使役できなくなったら捨てられる。
これはそっくりだ。
飽きてしまったペットを捨て去る事はそっくりだ。
捨てられた犬猫が道路ではねられて「のしイカ」のようになっている。派遣切捨て正社員解雇切捨てはこのザマに等しい。
この様に見ると、
市場原理主義の労働政策は、恐ろしい事に
「棄民政策」を含むものであった。
これはかつての「姨捨(おばすて)」に等しい。
最悪・最低の冷酷・非情・冷血である。
この様な労働環境から造り出された商品は、果たして誰の為のものなのであろうか?
こんな事を推進してきた政権が動物愛護の「ペット税」などと言い出すのだから、こいつは狂っているとしか言えない話だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E5%B1%B1
(前略)
棄老伝説
姨をこの山に捨てた男性が、名月を見て後悔に耐えられず、翌日連れ帰ったという民話より名がついたともされる。しかし棄老伝説は古代インド(200年頃)の仏教経典「雑宝蔵経」の説話に原点があるとされている。日本各地には様々な棄老の風習が民話や伝説の形で残っており、今昔物語集や大和物語にも棄老にまつわる話がでてくる。これが今も昔もある個人的な犯罪行為か、村落という狭い共同体における掟であったのかは歴史研究家によって見解が分かれている。しかし日本の古代法制度下では20歳以下の若年者、60歳以上の老齢者や障害者には税の軽減など保護がされていて、法制に棄老はない。ただ、それぞれの物語で親を棄てなければならなかった人間に同情的な描き方がされていることから、貧しい農村では「致し方ないこと」として容認されていた地域があったのかもしれない。また柳田國男の遠野物語にはダンダラ野へ棄老するという風習が紹介されている。そして井上靖は浄土を求めた歴代住職に倣って船倉に老僧を閉じ込めて熊野から沖に流した室町時代の逸話(補陀落渡海)に注目して作品とした。
史実には続日本紀(768年ー東大寺大仏殿竣工から10年目、鑑真没後5年目に当たる年)に、朝廷から褒美を得た全国9人の内信濃国は4人の名が上げられていて、その内の更級郡の建部大垣が親孝行を理由とされている。ちなみに他の3人は伊那郡の未亡人他田部舎人千世売が貞節を理由として、また水内郡の友情に篤い刑部氏智麻呂と、同じ水内郡の他人の税を肩代わりした倉橋部広人とが各々の善行を賞されている。大和物語集によって信濃の姨捨伝説が知られるようになったのは180年余も後のことである。大垣の受賞の噂話に棄老を戒める仏教の説話が物知りによって付け加えられて姨捨伝説が定着したものと考えられる。全国各地に国分寺が建設され仏教が勢いを持って広まっている時代背景とも重なっている。
なお建部氏は日本武尊を奉斎する部の民で、各地に配置された職業的軍事集団でもあったとされる。大垣の住地を麓の千曲市八幡(旧更級郡八幡村武水別神社周辺)とする説と犀川流域の信州新町竹房(旧更級郡竹房村武富佐神社周辺)であるとする二説がある。
姨捨伝説については深沢七郎が楢山節考(1956年)にて著述している。大和物語(950年姨捨の初見であるが大垣の受賞から180年余も後のことである)や更級日記(1059年頃)、今昔物語集(1150年頃)、更科紀行(1688年)にもその名があるほか、世阿弥の謡曲(1363年)にも取り上げられている。 このように往古から全国に知られた山であったが、更級郡に位置するという記述があるなど、特定された山ではなく、長野県北部にある山々の総称という見解もある。
正名の冠着山についても伝説がある。天照大神が隠れた天岩戸を手力男命が取り除き、九州の高天原から信州の戸隠に運ぶ途中、この地で一休みして冠を着け直した事からだとされている。
(後略)
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