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http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901034634/1.php
「日比谷派遣村」は労働災害救援所の様相
田中龍作2009/01/04
日比谷公園の「派遣村」は3日も炊き出しに長蛇の列ができるなど、「被災者救援所」の様相を呈してきた。この事態の救済は政府や国会に期待できない。派遣業種を限定した1999年の労働者派遣法改正以前に戻さない限り希望は持てないが、見通しは暗い。
派遣切りに遭った労働者に食事や宿泊施設を提供しようと日比谷公園に12月31日から設けられている「派遣村」は、3日も炊き出しに長蛇の列ができ、多くの失業者が生活保護や就職相談を申し込んだ。日比谷公園は被災者を受け入れる救援所の様相を呈してきた。
野外音楽堂前の派遣村本部には就労、医療、生活保護、多重債務などの相談窓口が設けられており、弁護士や労働組合が対応にあたっている。
就労相談の窓口には約300件の求人票があるが、いずれも住み込みで働ける就職先だ。ある失業者(40代・男性)は「宿が付いているのがありがたいです」と言いながら、食い入るように見つめていた。
食事は全国各地から駆けつけたボランティアが炊き出しにあたっている。食事が始まる1時間前から約300人の失業者が長い列を作った。
やや奥まった木立の中に宿泊用テント約50張りが設けられた。皇居隣の日比谷公園にテント村が建つこと自体、問題の深刻さを物語っている。150〜200人が宿泊できるが、2日夜は予想を超える人が「来村」したため、約200人が厚生労働省の講堂で宿泊した。厚労省の講堂は5日午前9時までに退出しなければならない。
3ヶ月前に派遣切りに遭った男性(50代)は、これまで就職活動してきたが、いずれもダメだった。所持金はほとんどゼロ円に近い。この日は相談窓口で生活保護申請し、仕事も申し込んだ。
20代の男性は日雇い派遣をしながらネットカフェに寝泊りしていた。年末で仕事がなくなり、路上にはじき出された。凍死しないように夜は歩き回ったが、2日夜は厚労省の講堂で身を休めることができた。「暖かかった」とホッとした表情を浮かべた。だが安心できるのはほんのつかの間だ。
5日から日雇い派遣の仕事を再開しても、その日暮らしだ。仕事がなくなれば路上生活となる。男性は筆者と話している間、「住居の問題がつきまとうからね」と何度も繰り返した。
政府・国会に期待できず
1日夜、NHKの討論番組で、政府の経済財政諮問会議委員の八代尚宏(国際基督教大学教授)氏と竹中平蔵氏(元総務相、経済財政担当相)は、今回の問題について次のように見解を述べた。2人とも派遣労働をメーカーの製造ラインにまで解禁した2004年の法改正に深く関わった人物だ。
竹中氏「改革が中途半端だったからこうなった」
八代氏「失業者は不景気で生まれた。派遣の問題ではない」
あまりにも現実認識を欠いた見解に、多くの視聴者はひっくり返ったのではないだろうか。もし改革が徹底されていたら、5千万人もが健康保険に入れず、病気になっても医者にかかれない米国のような超格差社会が出現していただろう。
仮に不景気になって解雇されたとしても、派遣ではなく直接雇用であれば労働者は貯金できる。いきなり路上に放り出されることはないのだ。直接雇用の期間工と派遣では年収約200万円もの差がある。今回の問題は派遣というイビツな労働形態が生み出したことは明らかだ。
日比谷公園に食事や寝所を求めて集う失業者は「労働災害」の被災者である。労働災害を引き起こしたのは、財界の意向を受けた経済財政諮問会議や厚労省だ。
派遣可能業種を通訳やアナウンサーなど専門分野に限っていた1999年以前に戻さない限り問題は解決しない。さもなければ、不況がもう一段進んだ場合、さらに大量の失業者、住居喪失者が出るだろう。
だが、肝心の政府や国会に期待はできない。派遣法の抜本改正(派遣可能業種を1999年以前の形に戻すなど)に与党は反対している。野党も足並みが乱れている。
派遣労働者で作るユニオンなどは5日、派遣法の抜本改正を求めて国会に請願デモをかける。
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