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http://www.news.janjan.jp/government/0812/0812244118/1.php
人間不信から「信じられるニッポン」へ、亀井静香氏の理想実現を望む
及川健二2008/12/30
次の衆院選で東京8区に立候補予定の社民党・保坂展人氏の推薦者に、保革6氏が名を連ねる。中でも目を引くのが亀井静香氏。同じ8区には自民党の石原伸晃氏も立つ。かつての同志、慎太郎都知事の長男だ。慎太郎氏との親交を乗り越えての保坂氏支援だ。今年の夏に亀井氏から直接聞いた話を交え、その真情を紹介する。
社民党公認で国民新党推薦。異色の組み合わせである。保革共存だ。保坂展人・衆院議員のチラシに、支援者として下記の6人が写真入りで名を連ねている。
・小沢一郎(民主党・代表)
・土井たか子(社民党・名誉党首)
・菅直人(民主党・代表代行)
・亀井静香(国民新党・代表代行)
・福島みずほ(社民党・党首)
・山口文江(東京・生活者ネットワーク・代表)
中でも、「亀井静香」の名は鮮烈だ。
保坂さんは次の総選挙では杉並区(東京8区)から出馬する。対立候補は現職の石原伸晃自民党幹事長代理だ。石原慎太郎・都知事ご寵愛のご長男である。知事自身でも「親バカ」とおっしゃるほどだ。
慎太郎知事と亀井先生は、入会に血判が必要とされたかつての自民党「青嵐会」以来の親友であり、同志であった。慎太郎知事が自民党総裁選に出馬した時には清和会(三塚派)の決定に反して亀井先生は助太刀した。その結果、派閥を除名された。派閥政治のころ、除名されることは自殺ゴール点に等しい。それでも、友情と信念を大切にして優先された。
慎太郎知事が1995年に衆院議員在職25年を記念した演説で引退表明するのを事前に知った亀井先生は、用があって退席しようとした野中広務先生に「おい、ちょっと待ってくれ。彼の演説を聴いてやってからにしてくれ」と引き留めたそうな。野中先生の「私は闘う」に載っている逸話だ。
慎太郎知事の演説は実に見事で、感動を覚えた。下野した自民党の政策提言「二十一世紀への橋」のほとんどを、慎太郎知事が1人で執筆された(同氏の著書として『わが人生の時の時』 (新潮社)を私は推薦したい)。野党時代の慎太郎知事はとくに格好良かった。
都知事に就任された後、3人は定期的に料亭で会食するようになった。野中先生は2人の厚い友情を描写している。
先の総選挙で信じられない言葉を耳にした。9月10日、投票日の前日、松本文明氏の応援のため渋谷区で慎太郎知事はこういった。
「私怨(しえん)がらみで政治やられたらかなわない。亀井だって、私んとこに党首になってくれって。そしたら、キャスチングボートとって、石原さんが総理大臣。しかし、現実味がないね。『おれは『赤信号みんなで渡れば怖くない』で、 群れて歩くつもりないよ。郵政民営化賛成なんだから』と答えましたがね。そしたら、代わりに田中康夫さんになっちゃった」。
小泉純一郎氏は、暴挙としかいえない衆議院解散に打って出て、郵政反対派に刺客候補を立てた。非情で冷酷としか言いようがない。亀井先生は共に郵政民営化に反対した仲間を1人でも助けようと、必死に努力された。付いてきた仲間を見捨てることはしなかった。先生の美徳だ。
慎太郎知事は勝ち組に乗って、かけがえのない畏友を裏切ったのみならず、ホリエモンと亀井先生が死に物狂いで闘っている最中に、それを自慢話として暴露した。
「それをいっちゃあおしまいよ」。言いたいことは山ほどあるだろうが、それについて、亀井先生は発言されていない。
保坂さんを支援すると聞いた時、この逸話を思い出した。大切に護ってきたご長男の対抗馬を推せば、お父上はお怒りになろう。覚悟の上なのだろう。しかし、私怨とはいえまい。友情よりも政治信念を優先したことは間違いない。
保坂さんと亀井先生は「死刑廃止を推進する議員連盟」を通じて知り合った。議連会長を亀井先生に要請したのが始まりと聞く。
「死刑廃止を推進する議員連盟」では亀井先生が会長を務めて、保坂氏が事務局長として支えている。バリバリの改憲派と頑固な護憲派。ミスマッチに思える組み合わせだ。だが、2人は密かに敬い、絆を固くしてきた。
会長が自民党を追われても、亀井派から誰もついてこなかった。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」。そんなやるせなさを抱いたのではないか。
「志帥会」会長の座にあった亀井先生は、「死刑廃止議連の会長が前面に立っているように思えますが……」という質問に答えて、体育会系のノリで呼び捨てなのだろう、「俺、ひとりの力じゃないよ。保坂は真面目なヤツで、熱心に活動しているよ」と語られた。2003年総選挙で、保坂さんが落選の憂き目にあった折、「次は亀井派から自由民主党公認で出ましょう」と笑い飛ばした。最高のユーモアだった。
亀井先生は事務所で油絵を描くことに時間を費やす。どちらかといえば、情の人だろう。ユーモアに溢れる親分だ。保坂さんは資料マニアと呼ばれるほどに、書類や本を多く読む。どちらかといえば、論理の人だ。真面目だ。真剣すぎる。実直の方だ。
亀井先生から今夏、お話を伺う機会を得た。1945年8月6日、先生は7歳の時、広島で原爆の閃光を見た。「原体験」を次のように語る。
「私は小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかったから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていました。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまたまいたんですよ」
「山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がって、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたんだ……と幼心でも感じられました。数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられたのを現在(いま)も記憶しています」
「遺言」として次のようにうかがった。
「親戚も被曝しました。私の姉貴は爆撃地近くの三次高等女学校にいたんです。自分も被爆したとは知らなかったのでしょう。援助のため多くの女学生と一緒に爆心地へ通い続け、第2次被曝に苦しみました。姉貴を亡くしたのは後年です。姉のクラスメートは原爆訴訟を起こしました」
後日、知ったのだが、その「姉貴」は俳誌「茜」を主宰した俳人の出井知恵子氏だ。86年に白血病で逝去という。先生は姉2人、兄1人の末っ子だ。生家には知恵子氏が詠んだ句碑がある。
白血球 測る晩夏の 渇きかな
「まあ、原爆だけじゃなくてさ、東京大空襲や戦地で命を落とされた人を思うと、『一人殺そうが十万人殺そうが同じ』という戦争は永久に放棄されなければならない……と戒められる。神様が命令して、殺し合いをやらせているんじゃないよ。人間同士が利害衝突する中で戦争は起きる」
亀井先生はこう語る。次の総選挙を「最後の決戦」と位置づけ、現在の心中を短歌に託す。
何故に 心を魅かるる桜花 咲くを惜しまず 散るを惜しまず
キューバ革命の指導者、チェ・ゲバラを「心の師」として仰ぎ、事務所に肖像写真を飾る先生が、ガチンコで「革命」を起こそうとしている。
小泉改革で人間不信が蔓延した。信じられるニッポンを取り戻すため、亀井先生の理想が現実になるように切望する。
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