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(回答先: 自民党終了ですな。既にバレていた事だが、大々的に、公的にバレてしまった。B層にはなんのこっちゃいなんだろうが、衝撃的な事 投稿者 ブッダの弟子 日時 2008 年 12 月 25 日 22:07:01)
森田実の言わねばならぬ 08.12.24 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04892.HTML
ティム・ワイナー著『CIA秘録(上)』の「岸信介」に関する部分は、戦後の日米関係についての重要な記述である。岸信介・佐藤栄作時代の日米関係を再調査しなければならない。
書籍の言及点
東条英機ら死刑判決を受けた7名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日、岸信介は児玉らとともに釈放される。岸は、CIAの援助とともに、日本の首相の座までのぼりつめる。
岸は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出され四年も経たない内に、国会で最大勢力を支配するようになる。いったん権力を握ると、半世紀近く続く政権党を築いていった。
戦時内閣の大蔵大臣を務めていた賀屋興宣は戦犯として有罪となり、終身刑の判決を受けていた。一九五五年に保釈、五八年に赦免。その後、岸に最も近い顧問となり、
自民党外交調査会の主要メンバーに。賀屋は五八年に国会議員に選出された直前もしくは直後からCIAの協力者となる。
賀屋とCIAの断続的な関係は、賀屋が佐藤栄作首相の主要な政治的助言者だった六八年に頂点に達した。その年、日本国内での最大の政治問題は、米軍がベトナム爆撃の重要な後方基地として利用し、
核兵器の貯蔵場所ともなっていた、沖縄の巨大な米軍基地の問題だった。CIAは選挙を自民党側に有利に動かそうと秘密工作を展開し、賀屋は重要な役割を果たしたが、その試みはわずかの差で失敗。
沖縄は一九七二年に日本に返還されたが、アメリカ軍基地は今日まで残っている。「我々は占領中の日本を動かした。そして占領後も長く別のやり方で動かしてきた」。CIA東京支局長を務めたホーレス・フェルドマンはそう述懐した。
「マッカーサー元帥は元帥なりのやり方でやった。我々は我々の別のやり方でやった」
最近、政界だけでなく大新聞までが、岸信介を戦後日本最大の政治的英雄であるかのように讃美する傾向が強い。岸信介こそ戦後日本が自立・独立国家として生きる道をつぶし、
従米国家にした最悪の政治家だとの見方を述べてきた。
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