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http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=467
「ちきゅう座」より一部転載。
<08.12.23>過去の出来事として見過ごせないこともあるのだ
(「9条改憲阻止の会・国会前座り込み現場ニュース」 2008年12月21日 特別版6号から)
■ いつもより朝早く目が覚めてしまったので、もう一眠りする前に新聞を手にした。目に飛び込んできたのは訪米した佐藤栄作首相がアメリカ政府に対して日中戦争を仮定して「核報復」を要請したという記事である。この佐藤の訪米に対しては当時の三派グループは激しい抗議行動を展開した。その後の佐藤首相の訪ベトナム(1967年10月8日)や訪米(1967年11月12日)への抗議行動(二つの羽田闘争)の皮切りになった。僕は当時、このデモに参加し激しい投石をもって抗議行動を展開した記憶がある。学生たちの行動は戦闘化する兆しを見せていた。
■ 1965年当時、アメリカはベトナム戦争への深入りをし、北爆(当時の北ベトナムに対する空爆)も展開された。日本ではベトナム戦争に対する現地からの生な生しい戦闘の報道も登場し始め、ベトナム反戦行動がはじまる直前であった。ベ平連の活動がはじまったのもこの年でもあった。アメリカをはじめ世界各地でのベトナム反戦行動は高揚し始めていた。
■ 佐藤首相の訪米は1965年の1月であるが、外務省の文章はそこでの彼は発言を明るみに出している。この発言は彼が当時、中国をどのように見ていたかを示していて興味深いが、「アメリカの核を日本本土の持ち込ませないという」ことが政府の国民に対する策術であったことを物語っている。当時、こうした発言が公表されれば佐藤内閣は吹っ飛んでいたろうが、彼らは国民の目の届かないところで外交機密の名の下にとんでもないことをやっていた。アメリカの要請に応じた自衛隊のベトナムへの派兵も検討していたと想像しえる。当時の佐藤内閣を制約し、彼らの行動を縛っていたのは国民のベトナム戦争に対する強い反対の意思と激しい意思表示(行動)であった。国民の意思表示がかろうじて自衛隊のベトナム派兵を押し留めていたのである。
■ 日本政府の外交―安全保障についての行動は国民の意思とかけ離れているだけでなく、機密の名において秘密裡に行われてきた。この状態は今も続いていることを認識しなければならない。小泉政権下のイラク派兵をめぐるアメリカとの密約はベールに覆われたままであり、それが公表されるのは何十年か後だ。イラク派兵についての小泉元首相や当時の閣僚の反省は何一つきかれない。こういうのが常態であることを僕らは忘れてはならない。来年はオバマ政権下でアフガニスタンでの戦争への日本の協力(負担問題)が浮上するのは必至である。アフガニスタン本土への自衛隊などの派遣が百害あって一利もないことは何度も述べた。これは補給活動の継続にもいえることだが、現地での紛争を強める悪循環に手を貸すだけだ。
■ 僕らは政府の外交関係が国民に視線の向いたものでないこと、しかもそれは秘密裏で行われることを認識し、僕らの意思表示を持って対抗する道を強めなければならない。アフガニスタンでのアメリカ軍への一層の協力という悪夢に至らないために、僕らの意思表示という牙を磨き続けようではないか。
(この特別号は総括版ですが、あと何号かで終了です。来年もまた通信は継続したと思います。通信のスタイルも含めた検討を考えています。ご意見を。)
(2008年12月21日、文責;三上 治)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment415e:081223〕
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