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(回答先: 社会でうまく生きられずに常に問題を起こしている人は本音を隠せない純粋な人 投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 12 日 10:14:25)
自由になるというのは孤立すること
「自由」の本当の正体は、世間に背を向けた風俗嬢が知っている?
私は一度会った女性とは二度と会わないのが基本なのだが、もう一度会ってみたいと不意に思う風俗嬢がふたりいる。
ひとりは肩から背中から太腿まで大きな鯉の絵を入れた風俗嬢で、見かけはごく普通の女性に見えたのだが、服を脱ぐとまったく異質な世界を背負っていた。
背中一面に和彫りの刺青を入れている女性には、私は本当に感銘を受けて「和彫りというのはこんなにすごいのか」と驚嘆したのだった。
彼女はその背負った刺青に誇りを持っており、そのインパクトに私は感動した。
彼女は惚れた男に一途で「愛することに命を賭けていた」と言ったのだが、そのために表社会と決別する紋章を背負ったのだった。女性が大きな刺青を背中に入れると、もう普通の仕事などできない。
しかし、彼女はあえて世間から疎外される道を選んだ。
もうひとりの女性は日本全国の風俗街を転々として生きている流れ者の風俗嬢だ。あちこちふらふらしながら生きるのは普通は男が好む生き方で、女性がそんな生き方をするのは珍しい部類に入る。
しかし、「一箇所に居着きたくない、誰かとしがらみを作りたくない、顔なじみができると断ち切りたい」と思う風俗嬢がいて、こうした女性が全国の風俗街を転々として生きていた。
「私は根なし草なんです」と彼女は言った。やはり彼女も人間関係を断ち切り、表社会に背を向け、アンダーグラウンドの闇を風のように吹かれながら生きていた。
アンダーグラウンドに生きる人間は、みんなそういう傾向がある。私だけではないし、彼女たちだけではない。みんな、孤独と疎外の狭間で生きている。
それが心地良いと思う人間がアンダーグラウンドにいる。
「もしかしたら、アンダーグラウンドにあるのは無尽蔵の自由なのではないか」
時々、私はそのように心に思うことがある。地雷専門店のデリヘル「デッドボール」に所属していたアボットさんに会って話を聞いたことがあるが、彼女も「私は天涯孤独」「私が何をしようと私の自由じゃないですか」と言っていた。
「私の自由」という言葉は、何気なく彼女の口から出てすっと消えてしまったが、私は「自由」という言葉をしみじみと噛みしめる。
アンダーグラウンドをうろうろしている人間というのは、早い話が表社会とはうまく折り合いがつけられないことが多い。世間といちいち衝突する。
そのため、気がつけば世間から爪弾きにされて追い出された人間であると言える。いや、自分からふらふらと外れていった人間であると言うべきか。
大きな刺青を背負った風俗嬢も、全国を転々とする根なし草の風俗嬢も、アボットさんも、さらに言えばそもそも私自身もそんな面がある。
ふらふらと、世間から外れた。そして、明日がどっちなのか見えないまま、とりあえず前を歩いている。
孤立は別の側面で見ると「限りなく自由」な状態
「他人の言うことを聞かない」「他人と協調しない」「他人の命令を嘲笑う」「他人としばしば衝突する」「自分の興味のあることしかしない」という性向が強い人間はどこにもいる。
「このようにしなさい」と言われれば逆にそのようにしたくなくなる人間もいる。
多くの人はこうした性向のままでいると「ちょっとマズイ」と思う。衝突ばかりしていると不利益をこうむると考えて、自ら矯正する。
しかし、社会に出てもこの性向のまま突き進む人たちも世の中にはいる。あまりにその身勝手な度合いが強いと、遅かれ早かれ表社会から弾き飛ばされる。
私が今までアンダーグラウンドで知り合った男たち女たちは、そうした傾向が強くあった人が多かったと思う。一筋縄でいかない性格と言うのだろうか。
だから、彼らは表社会で孤立して自ら転々としたり、アンダーグラウンドに降りてきたりして生きるようになる。
客観的に見ると、彼らは誰からも相手にされなくなって孤立しているのだが、この孤立は別の側面で見ると実は「限りなく自由である」ということでもある。
そうだった。私が惹かれた女性ふたりは疎外されることによって「自由」になったのだ。
束縛された社会の中で「自由になりたい」と切望する人は多いと思うが、自由になるというのは孤立することなのだ。孤立と自由は表裏一体だ。
私がアンダーグラウンドを心地よいと思ったのは、もともと孤独が性に合っていて疎外が苦にならなかったという面が強かったのかもしれない。
私は孤独であるがゆえに自由であったと言える。今もそうした孤独を好む性質はまったく変わらないので、皮肉なことにそれが自由をもたらしてくれている。
彼女たちはどうしているだろう。もちろん「自由」のままだろう。どのみち、もう表社会には戻れないのだから。彼女たちには彼女たちの生き方がある。私は理解している。強烈な孤独の中で飄々と生きている女性たちを私は愛している。
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