『グロテスク』 白石晃士 2009 http://karasmoker.exblog.jp/10678352/ 残虐表現の最高峰。この監督は要注意です。
過激すぎる残虐描写のためにR-20指定となり、イギリスでは上映禁止、DVDの販売も禁止。
それどころかあのアマゾンにおいても取り扱い中止となっている作品です。 エロアイテムも普通に買えるあのアマゾンで、販売中止になっているものを初めて知りました。それほどに相当に、忌避されている作品です。 ちなみに、鳥居みゆきはゼロ年代ベストで一位にしておりました。 彼女はソウシリーズが好きらしく、やっぱり彼女はいい子です。 時間は70分程度と短いのですが、いやあ確かに強烈な映画でした。 これはまず間違いなく、上映中に席を立つ人が続出したでしょうね。 以前に同監督の『オカルト』を観て、すごい作品を撮る人だと思い期待して観ましたが、期待以上でした。他の作品を観ていないのでまだ詳しくはわかりませんが、去年公開の『オカルト』『グロテスク』二作を観る限り、すごい映画監督が現れたという印象です。 園子温が今の日本映画でぶっちぎりだと書きましたが、ホラーにおいても彼が本気を出すとすごいことになるはずだと書きましたが、いや、もしかするとこの白石晃士という人もそれに比肩するかもしれません。 いや、『グロテスク』における表現は、園子温がまだ立ち入っていない領域であり、この人は今後すごく期待できる監督だと思います。 ストーリーと呼べるほどの物語性はありません。
付き合い始めのカップルが男に拉致され、体をぎたぎたにされるだけです。 もう最低の映画です。ただ、ここで言う「最低」が文字通りの意味でないことは、今日の話運びでわかるでしょう。最低すぎて、でもその最低が本当に最低のところまで行っているので、むしろすごい。これはお勧めしていいのか迷います。くだんの通りに嫌われまくっている作品ですから、おそらく途中で嫌になる人もいるはずです。 スプラッター表現は昔からありますが、この映画における人体破壊描写は非常に正しいというか、監督がその嫌さを十分に心得ている点で多くの作品と異なります。
スプラッターがスプラッターとして成功するか否かの鍵は何か。 ヴィジュアル的な過激さではありません。CGを用いて「えぐく」「ぐろく」すればいいかというと、まったくそうではない。大事なのは肉体的、身体的感覚をいかに与えられるかです。痛そうな表現が痛そうに見えるためには、観客の身体性に訴える必要があるのです。 失敗例はここ数年の『ソウ』。あれはもう過激な残虐描写をインフレ化することにしか、作り手の意識が行っていない。だからいくら体が張り裂けて血が出ても、痛そうに見えない。『ソウ』の本来のおもしろさまで見失っており、あれはもう今、どうしようもなくなっています。 反対に成功例としてあげられるのは、スプラッターでもホラーでもありませんがキム・ギドクの『魚と寝る女』(2000)、そして数ヶ月前に取り上げた増村保造の『盲獣』(1969)、 どちらもヴィジュアル的なインフレは起こっていない。でも、身体的な痛みを十分に表している。映画を観れば、そのどちらもが身体を十分に意識して作っているのがはっきりわかるでしょう。 『グロテスク』における身体表現で、信頼が置けるなとまず思わせたのは、あの排便の描写です。排便、失禁している様子は、映画を観るときに大切な要素です(別にスカトロ趣味はありません。念のため)。理由は簡単で、それのあるなしで、どれだけ誠実に人間、肉体を描こうとしているかが大体わかるからです。
人物が拘束、監禁される場面というのは映画でよくありますが、「おいおい、そんなに長い時間拘束されていたら、おしっこ、うんこも出てくるだろうよ」と思ったこと、ありませんか? ここをちゃんと描く映画は信頼できると思います。ああ、うわべだけで撮ろうとしていないな、とわかりますから。こういうところで身体性はこもってくるんです。その人間がひとつの肉体であることを、どれだけちゃんと描いているかがわかります。 さらにこの映画が身体に踏みいっているのは、性的な描写を入れてくることです。
AV女優、長澤つぐみ(SOD系なので、ぼくの好きなマスカッツにはいませんが、大変な名演でありました。その辺の「女優」をはるかに凌駕しています)は変態男によって舐められ、揉まれ、手マンされます。 カップルの男の方は手コキを食らいます。 もうこの時点で良識ある人たちは観るのをやめたかもしれませんが、ここでもまた身体性が強く意識させられます。こうした下地があってこそ、残虐表現は活きるのです。 今日は長くなりますよ、すごい映画でしたから。
変態男役の大迫茂生という役者さんがまたいいんです。 この人、ちょっと奥目で、顔立ちがマスクっぽいんです。だから余計に不気味な感じがした。この得体の知れなさは狂気を漂わせていて、絶品でした。 話は変わるようですが、『ごっつええ感じ』という番組がありました。あれがほかのコント番組と大きく違っていたのは、いかに日常と異常を渾融させていたか、という部分です。 ほかのコント番組、あるいは芸人のネタにおいては、最初から変なやつが変な言動をとることになります。ボケ役がすごくわかりやすく、徹頭徹尾変な人として立ち振る舞う。 ところが『ごっつええ感じ』で多く、松本が演じたキャラクターは違っていた。 どう見ても変なのに時々筋の通ったことを言ったり、あるいはめちゃくちゃな行為をした直後に普通の人が見せる普通の姿になったり、そういう工夫によってキャラクターがただのボケ記号であることを回避していました。 本作でもそうなんです。思い切り狂っているのに、会話が普通だったり、むしろすごくまっとうなことを言ったりするんです。これこそが狂人のありようであると思わされます。 『オカルト』でもそうでしたけど、狂人というのはたぶん、すごく筋が通っている人なんです。その人の中ではちゃんと理屈が通っていて、他の理屈を受け入れられない。でも、根本的に変な方向を向いているから、傍から見れば奇異と映る。 ぼくもちょっと狂人傾向があるので、この辺はわかります。 二作を観る限り、狂人の描き方がとてもよくわかっている。 この変態男の発する質問がまた、等身大的なんです。観てもらいたいのであえて書きませんが、ああ、それを訊くかあ、と。うん、あの状況であのカップルに尋ねるうえで、あれ以上の質問はないです。すっごく単純なことなんですけどね。
もういちばんくらいにベタなんですけど、あの質問は肉体のみならず、精神的な部分でも説得力を生みました。観客も、つい考えてしまいますもん。 この男の問いを、無意識に自分で受け取ってしまうはずですよ。 そうやって移入を促す。うまい、ものすごくうまい。 注文をつけるとしたら、ちょっと小休止的な場面があるんですけど、あそこの描き方は変かなあ。一回、「助けてやる」みたいになるんですけど、あのくだりがねえ、そういう反応はしないだろうっていうのが結構多かったんです。 最初のカップルの語らいはいいんですよ、ちょうどいい微温具合。でもあの寝室のシーンは違うかなあと思いますね。あそこも完璧だったら、この映画はものすごい傑作になっていたと思います。全編非の打ち所なしの。 ラストはねえ、もう、アホです。もう、どう受け止めていいのかわからないアホさなんです。 あれをもっとリアリズムで落とし込むこともできたでしょうけど、あえて変な方向に走った、『悪魔のいけにえ』パターンです。でも、アホだからこその狂気ってのもあるのでね。 「がんばれ」のくだりはもう狂気の極地で、「とどめ」のくだりはアホの極地です。 この場面における長澤つぐみの語りかけは、『愛のむきだし』の満島ひかりちゃんの聖書暗唱に匹敵します。 音楽の使い方もこの人はわかっているというか、かなり園子温に影響を受けていると見て間違いありません。園子温が用いた「音楽と場面の乖離による狂気の増幅」を踏襲しています。 簡単に言えば、ひどい場面に穏やかな音楽を流す手法です。 古くは『博士の異常な愛情』のラストであり、実相寺昭雄が用いていた手法でもあり、最近では『エヴァ破』で使われていました。わりとポピュラーな方法で、成功失敗は個人の感覚によるんでしょうが、本作では効果的でした。あの威風堂々。 総じて言うに、これはさすがもろもろの禁止を食らうだけのことはありました。免疫のない方にはお勧めしませんが、映画史における『グロテスク』な残虐表現、その最高峰と言って、差し支えないでしょう。
追記 この映画は実は、ゼロ年代に大流行したいわゆる「死にオチ系純愛もの」への強烈な皮肉、もしくはそれを好きこのんで観に行く観客への痛烈な批評になっています。
というのも、大迫は劇中、「自分を感動させてくれ」と要求します。 そして、人物たちをぎたぎたにし、それを眺めている。 この男はいわば、難病などで死に逝く登場人物の姿を好んで観ようとするような、「死にオチ系純愛もの」そのままなのです。 だからこの映画は、残虐系映画であるのと同時に、ゼロ年代に純愛系で涙した人々へもまた、捧げられているのです。純愛ものが観たいという人には、ぜひぜひお薦めしましょう。 Commented by OST at 2011-12-18 11:49
本当に壮絶な映画でした。私、グロ耐性はある方だと思っていたのですが、この映画は途中で見るのやめようかと思ったくらいでした。 でもガマンして見続けてよかったです。 ホラーなのに見終わった後は何故かせつない。そんな感覚のホラー映画初めてでしたから。 この映画、ホラーの体裁した恋愛映画だな、というのが私の率直な感想です。 恋愛の強さを表現する為の恐怖。極限の恐怖があるからこその極限の恋愛。 つまりホラーというのはあくまでも仮の表現なのだ、と。 だから映画を見終わった後せつなさが強く心に残ったのだろうと思います。 Commented by OST at 2011-12-18 11:50 x
病室のシーンは確かにこの映画の中では浮きまくってます。私も見ててその落差には椅子から転げ落ちそうになりました。でも、このシーンは必要だったんだな、と思います。 喫茶店での主人公の「付き合ってください」の回答が、この病室のシーンでの「私、ずっとそばで面倒みます」というセリフだったんじゃないでしょうか?。 恋愛映画なら相思相愛でなくちゃいけません。この病室のセリフがなければ主人公の片思いだけで終わってしまいます。だから、彼女の意思の表明が必要だった。でも、拷問部屋でこんなセリフ吐く訳ありませんし、告白する必然性も感じられません。病室の気の緩んだところだからこそ、なんだろうなと。 ヒロインの女優さん、初めてみましたがなかなかよかったです。最初にそう感じたのは喫茶店のシーンで主人公に告白された後の反応。なんかナマナマしいというか、演技でこのような反応する人っていないんじゃないかと思わされました。 あと、ラストの語り。もう、本当に圧倒されました。 ちょっと菅野美穂っぽい顔立ちですね。他の作品もチェックしてみようかな。 Commented by OST at 2011-12-18 11:51 x 「自分が同じ立場だったらどうするか?」 なんか、この問いかけがいつまでも頭の中を駆け巡って離れません。多分、それはこの監督の術中にはまっているんだろうな、と感じています。 Commented by karasmoker at 2011-12-18 18:36 残虐さに気を取られる本作で、恋愛の部分に重きを見いだすというのは、「いい見方」だなあと思います。コメントをいただいて、あらためてその部分について考えてみる契機になりました。 恋愛という側面において、この映画(監督)は観客を挑発しています。 ゼロ年代半ばには難病もので主人公やヒロインが死ぬ「感動作」が流行しましたが、そこには「死にオチ」に感動を求めようとする観客の(無意識な)残酷さがある。 それをあの変態男はべろりとむき出しにする。「感動させてくれ」と。 死に至る受難をもって愛を貫くその感動を、さあ、味わわせてくれと。 あの男がケーキを食べながら気楽そうに、拘束された二人を眺めるのも象徴的で、あの男は実は、観客の欲望の代行者であり、また観客自身でもあり得るという、きわめて恐るべき仕掛けを施しています。 この映画は見た目が危険なだけじゃなく、観客の無自覚な態度を照らすうえでもまた危険な一作であると言えましょう。 Commented by karasmoker at 2011-12-18 18:36 病室が変だなあと感じたのは、あれだけの目に遭わされながら、「食事も持ってきてくれるし、いい人なのかも」みたいな雰囲気を漂わせるところです。それはないだろう、と思ったのです。二人の愛の芽生えはいいにせよ、あの男への敵意がなさすぎるのはどうしたことか、と思いました。 ヒロインは長澤つぐみという人で、既に引退したAV女優です。映画女優としてもすばらしいと思うのですが、これよりも活躍した映画作品をぼくは他に知りません。他にも演技のうまい AV女優は多くいるのですが、どうにも活躍の幅が限られているようで残念なところです。
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