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同じような時期に、同じようなレベルの偉業を達成したケースであっても、時の流れはいずれかの人物に軍配を上げる。「微積分」の神は、ライプニッツではなくニュートンを祝福し、「電話」の女神はイライシャ・グレイではなくグラハム・ベルに微笑みかけた。
近代の幕開けとなった大航海時代にも、幾人かの英雄たちが存在する。その中で誰しも真っ先に頭に思い浮かべるのは、コロンブスの名前であることだろう。1492年にアメリカ大陸を発見したコロンブスによる功績の大きさは、教科書の記述を見るだけで明らかだ。
だが、それから遅れること数年、1498年にポルトガルの航海者としてインドに到達したヴァスコ・ダ・ガマこそが、その後の世界を一変させた人物であり、後世に与えた影響の大きさは計り知れないのだと著者は主張する。
本書は、そのヴァスコ・ダ・ガマの航海を、4世紀にわたってキリストの名のもとに剣を振り回した十字軍の直接の後継と位置づけながら紹介していく。彼らは、突然変異のように探検熱に襲われたわけでは決してない。キリストの名のもとに改宗させ、征服するという目的を持ち、歴史的な必然として航海に出たというのだ。
ヨーロッパの辺境に位置するポルトガルという国が東方を志した情熱は、恐ろしく根拠の薄いものに根ざしていた。それがプレスター・ジョンの伝説と呼ばれるものである。海の遥か彼方のどこか、おそらくインド付近に、すばらしい富と権力のキリスト教の帝国がある。その統治者の名前はプレスター・ジョン。プレスターは無限の貴金属と宝石を意のままに使え、彼こそが世界でもっとも力を持つ人間である。そんな古い言い伝えが、まことしやかに信じられていたのだ。
彼の無敵の軍と手を結べば、ヨーロッパは確実にイスラームを地上から消しされるはずだ。後世という高みから眺めれば、ヨーロッパのコンプレックスの象徴とも言えるようなこの迷信だけを手がかりに、彼らは海へ飛び出すことを決意した。
この一大プロジェクトのリーダーに要求されるのは、船員に命令を下せる船長としての役割、王と話ができる使節としての役割、キリストの旗を掲げるにふさわしい十字軍の戦士としての役割という、一人三役を兼ね備えたハードルの高いものであった。そこに白羽の矢が立ったのが、サンティアゴ騎士団の騎士を務めていたヴァスコ・ダ・ガマである。
だが一度目の航海は、十字軍と呼ぶには程遠い代物であった。アフリカ沿岸の港から港へ、まるでムスリムの間をすり抜けて行くように航海することを強いられる。彼らが受けた対応は、良くて不親切、悪ければ襲撃に身を晒されるというもの。そしてやっとの思いでインドに辿り着くも、彼らの目に映ったのは、あまりにも厳しい現実であった。
インドのカリカットに、ごまんと存在するムスリムの姿。贈り物が貧弱であったため、当地の王やムスリム商人にまで恥をかかされる。さらにヒンドゥー教の絵や像を見てキリスト教の一派に違いないと思い込むも、やがて目の当たりにするカースト制度や、特有の儀式には戸惑いを隠せない。そして何といっても頼みの綱のプレスター・ジョンが、見つかる気配もなかったのである
この過酷な任務は732日間かかり、艦隊の航行した距離は38,400キロにまで及んだという。これは時間的にも距離的にも、当時としては史上最長の航海であった。およそ170人の男たちが出発し、55人ほどしか生きて帰ってこられなかったほどである。だがその55人も、おそらくは打ちひしがれながらの帰国であったはずだ。
そんな彼らにポルトガルの王は、二度目の航海を命じる。最初の遠征はプレスター・ジョンを頼りにした探検じみたものであったが、二度目の遠征は大艦隊をバックにした征服のため航海である。広げた帆には、十字軍の深紅の十字架がなびく。聖戦の使命は、ガマの人格を変えた。そして彼は、驚くほどの冷徹さを随所に見せながら、数々の任務を見事に遂行する。
堅固な十字軍熱と香辛料欲に駆られたポルトガル人は、その後、驚異的なスピードで世界一富める交易ルートのムスリム独占体制を崩すことになる。これによって世界の勢力バランスは大きく動き出す。今まで聞いたことのなかったような場所にヨーロッパの植民地が築かれ、教会は続々と立ち上がり、しまいにはオスマン帝国を撃退するまでに至るのだ。
また、影響を受けたのは宗教的な側面だけではない。莫大な天然資源、金塊、労働力、そしてむろん香辛料までもが、キリスト教徒の支配下に落ちてきた。宗教の理とビジネスの利が組み合わせると、破壊的な出来事がおこる。ガマの度重なる航海で東西関係は劇的に変わり、ムスリムの時代とキリスト教の時代を分ける分水嶺となったのである。
本書は結果だけはよく知られている大航海時代の冒険譚に、宗教対立という軸を持ち込むことによって、まったく新しい景色を見せてくれる。長い歴史の中で、双方のパワーバランスがこれほど拮抗していた時期もなかったのである。だからこそ、この時代にコインの表と裏が入れ替わるような瞬間を見ることができる。
そして二つの宗教がどれほど異なっているにせよ、対立を引き起こしたのは違いではなく、似通っている点でもあった。信者でない人々に異端者とレッテルを貼り、神のみが最後の啓示を表す力を持つと主張する。 両者はお互いをパラレルワールドのように意識し、その中にありえたのかもしれない「もう一つの自分たちの姿」を見ていたことだろう。両者は決して対極な存在ではなく、お互いがその一部として存在していたのだ。
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