02. 中川隆 2013年8月20日 12:01:25
: 3bF/xW6Ehzs4I
: W18zBTaIM6
3. ブッシュ弦楽四重奏団 Busch Quartet - YouTube http://www.youtube.com/results?search_query=Busch+Quartet Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.1" https://skydrive.live.com/?cid=f5c4b648081ce735&id=F5C4B648081CE735%211693
Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.9" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/beethoven_strin_2.html Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.11" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/beethoven_strin_1.html http://www.youtube.com/watch?v=7WOyzVrE4iw http://www.youtube.com/watch?v=raPecw5XPKU http://www.youtube.com/watch?v=ylQtuyq5vgo http://www.youtube.com/watch?v=BKrPgYoQkeQ Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.12" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/beethoven_strin_2.html http://www.youtube.com/watch?v=f5V4_MneDCY http://www.youtube.com/watch?v=laczqoXtRUM http://www.youtube.com/watch?v=HsgYNH9qNFQ http://www.youtube.com/watch?v=DIZD69k1CeE Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.14" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/beethoven_strin_1.html http://www.youtube.com/watch?v=wQrwRkJu6Vk http://www.youtube.com/watch?v=eudAKFeXxIc http://www.youtube.com/watch?v=sSQHRGgdTLw http://www.youtube.com/watch?v=0dhgu2YV5E0 http://www.youtube.com/watch?v=q6s9Qee4MBI Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.15" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/beethoven_strin_2.html http://www.youtube.com/watch?v=7c-GTnmQzzI http://www.youtube.com/watch?v=JbSKzZXsnko http://www.youtube.com/watch?v=X78RhxfrC6w http://www.youtube.com/watch?v=hsQhAE3qD_s http://www.youtube.com/watch?v=YpyuCUtcYbY http://www.youtube.com/watch?v=7c-GTnmQzzI http://www.youtube.com/watch?v=JbSKzZXsnko http://www.youtube.com/watch?v=X78RhxfrC6w http://www.youtube.com/watch?v=hsQhAE3qD_s Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.16" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/beethoven_strin_9c90.html http://www.youtube.com/watch?v=LEIBJrQF3po http://www.youtube.com/watch?v=pCJRvPJd7sU http://www.youtube.com/watch?v=AvtFJoLpUWI http://www.youtube.com/watch?v=VyWdqyTTRVM Busch Quartet: Schubert Quartet no. 14 "Death and the Maiden" http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/schubert_string_2.html http://www.youtube.com/watch?v=elZ29JBen4w http://www.youtube.com/watch?v=idTjvfd20x4 http://www.youtube.com/watch?v=t5dLRxw0Vmw http://www.youtube.com/watch?v=XvyEMGWfw0M Busch Quartett "String Quartet No 15" Schubert http://matsumo2.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/schubert_string_3.html http://www.youtube.com/watch?v=bc7ymMqpVGU http://www.youtube.com/watch?v=lx7jHLj-lqQ http://www.youtube.com/watch?v=Ho61Wsu1pXY http://www.youtube.com/watch?v=XVhgemWByzo Busch String Quartet - Brahms Quartet #1, Recorded in 1932http://www.youtube.com/watch?v=1E7pUkIh6Hk http://www.youtube.com/watch?v=AQcMg6-QtHg http://www.youtube.com/watch?v=4YcGeLR8YdU http://www.youtube.com/watch?v=RnyYFvvmNWc Brahms, Clarinet Quintet, Op 115, 1937, Reginald Kell & The Busch Quartet http://www.youtube.com/watch?v=t0xnUmhivUg http://www.youtube.com/watch?v=GEdDPmfkjhs http://www.youtube.com/watch?v=ZA3PufWA3MY http://www.youtube.com/watch?v=Q9vh_57y1Qk 旅で見つけたブッシュ弦楽四重奏団のLPレコード 2012/04/29
ウィーンの少し郊外のトゥルンの街、そこは画家エゴン・シーレの生まれた街です。シーレに惹かれて、トゥルンの街へ出かけ、通りを歩いていて、たまたま見つけたレコード店。そこのご主人の案内で店内の膨大なLPレコードのコレクションを見せていただき、偶然、目に止まったLPレコードがブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェン後期弦楽四重奏曲集でした。大枚はたいて、手に入れました。 大事にスーツケースの衣類の間に挟んで日本まで持ち帰りました。そして、ようやく時差ぼけがかなり解消した今日になって、ちょっとだけ聴いてみようと3枚組のディスクの1枚をケースから抜き取って、レコードプレーヤーに乗せ、慎重に針を下ろしました。 最初の1枚はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131です。 何せ1936年の録音ですから、どういう音質なのか、皆目見当が付きません。 スピーカーから流れてきたのは実に妙なる響き!! うっ、美しい。とても75年も前の演奏とは信じられない美しい響きです。 もちろん、モノラルですが、そういうことを意識させない立体感のある音です。 それ以上に第1ヴァイオリンのアドルフ・ブッシュの素晴らしい演奏に耳をそばだたせてしまいます。特に高音域の伸びやかな響きは美しく、物悲しくもあります。ベートーヴェンの後期の作品は諦観を感じさせられるのが特徴ですが、ブッシュの演奏は気品に満ちていて、やわらかな情緒を漂わせています。 もう、途中で針を上げる暴挙など、saraiにはできません。結局、美しい響きに身を任せて、第1面を聴き終えました。もちろん、ふらふらっと立ちあがったsaraiは何も考えずにディスクをひっくり返して、第2面に針を下ろします。弦楽四重奏曲第14番の残りの楽章の音楽がたおやかに流れ始めます。時間の流れを忘れ去り、ブッシュの素晴らしいヴァイオリンの高域の響きに集中するだけです。 全然、古さを感じさせないスタイルの演奏ですが、かと言って、今時の弦楽四重奏団では聴けそうもない実に優雅な演奏です。これがドイツ音楽の真髄を行く本流の演奏なんですね。綿々とした情緒を美しい響きで紡ぎだす演奏です。渋さとは縁遠い演奏。ウィーン風とでも表現したい音の響きです。オーケストラならば、ウィーン楽友協会で聴くウィーン・フィルの響きにでも例えたいような響きです。 第2面を聴き終わり、弦楽四重奏曲第14番も全曲聴き終わりました。でも、もう、ここで止めるわけにはいきません。とりあえず、次の第3面、第4面に収録されている弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132も聴いてみましょう。特に第4面のMolto Adagioと最後のFinaleの素晴らしかったこと! この曲は今までは何といってもブダペスト弦楽四重奏団の演奏がダントツに好きでしたが、強力なライバル登場です。 ここまできたら、残りの1枚も聴いちゃいましょう。弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127と弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135です。あまりの素晴らしさに結局、3枚全部聴いてしまいました。 こうやって、まだ、旅の名残りに浸っている日々が続いています。 http://traveler.co-blog.jp/sarai/20606 ブッシュ四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番(1937年録音)
現代の四重奏団なら技術はもっとあるでしょうが、ブッシュ四重奏団(以下SQ)の演奏の与えてくれる感動や衝撃に比べたらかなり見劣りしてしまうといわざるを得なくなるといえるでしょう。 録音年代がテープの現れる前の板に直接刻んでいた頃の録音ですから確かに音質は良いとは言えませんが、この年代頃には既にかなりの録音技術はあったので(保存状態の良い録音がどれほど良い音をしているかは1930年に録音されたフルトヴェングラーのティルオイレンシュピーゲルのリハーサル風景を探して聞いてみてください。あまりの生々しさにおどろいてしまいます。)少々のノイズの中から音楽のみを聴いていくことになれている人にはなんの問題にもなりません。 問題は録音の古さではないのです。音楽の生々しさ、新鮮さなのです。 曲が始まるやいなや楽器が演奏されているという感覚を越えて音楽が奏でられているということが全体に感じられてきます。こういった、「音楽」のみがきこえてくる演奏こそ私が名演ととらえる演奏です。こういった演奏からのみ音楽に対する感動は得られないと私は最近になって確信するようになりました。 さてこの曲は全5楽章ともにとてもすばらしい音楽なのですが、特に第3楽章は深々とした思索のようであり、静謐で新鮮な感動をそのまま音楽に閉じこめたようで傑出していると言えます。後期ベートーヴェン(晩期というべきでしょうか?)の静かな半ば宗教的とも言える敬虔な音楽はほかにはピアノソナタ第32番(op111)の第2楽章や、交響曲の第9番の第3楽章で聴くことができますが、ここでは彼がより個人的なことを表現するのに使ったといわれる弦楽四重奏の曲であるということもあり、一人で聴いていると自分の心の中にあるいろいろな歪みが解きほぐされていくかのような感覚が体にあふれます(これを宗教的体験に比することもできるでしょう)。 ここでブッシュSQは温かい音色をもって大切に一音一音を響かせていきます。この音の進め方が曲の持っている意味深さを音楽にしかできない方法をもって表現してくれるのです。 彼らの出している弦の音自体は素朴なものです。不器用で無骨な音と言えるかもしれません。しかし心地よいだけの美音を出していることと感動を与える音楽を奏でることはそれほど重要な相関を持っていると私には思えないのです。音の持っている意味、音が並べられたときに現れてくる意味を大切に、研ぎ澄ました感覚で音化していくプロセスをしっかり経たブッシュSQの演奏は録音の古さをものともさせないエネルギーを感じさせます。 http://homepage2.nifty.com/mochacoffee/music/busch.html ベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番をブッシュSQの演奏で聴く
(第1楽章) 音が不安定だ。 現代に近くなればなるほど、技術の安定性や演奏の再現性を競うようになる。 弦楽器は元々不安定な音しか出せないものなのだから、その特性を生かした響きの美しさを味わうほうが自然だ。 技術の向上は音に安定をもたらしたが、それによって音楽は作り物の美しさになってしまった。 たとえるなら、現代の弦楽器が作り出す美しさは、コルセットで矯正された体型のような、無理な力によってねじ曲げられた不自然な美しさだ。
弦楽器独特の、危うく、つかみどころのない響きには、容易につかめそうでなかなかつかめない女心に似た魅力がある。 形がはっきりとわかってしまっては、その魅力は半減してしまう。 機械化が進んだことによって、現代人は常に同じものを提供されることに慣れてしまった。 たとえばスイッチを入れれば照明が点き、部屋は常に同じ明るさに保たれる。水道の蛇口をひねれば当たり前のように水が出る。 これらは自然ではあり得ないことだ。 こういった不自然な生活が、曖昧な音楽の世界をも浸食している。 この四重奏団が醸し出す音は、録音技術の未発達なこともあるだろうが、曖昧を是とする時代から安定性を求める現代へと向かう過渡期にある音だ。 より高い安定性を求める奏者の気持ちが伝わってくる。 彼らが欲したものを、現代人は手に入れている。 だが、何かを手に入れることは何かを失うことでもある。 この演奏の最大の魅力は、哀愁が漂っていることだ。 この演奏には、求めても求めても手に入らないもどかしさや、規制があって思いどおりにならないことの苦しさを感じる。 ここには、現代人より自然に近い生物の生態がある。 もちろん、これだけの録音技術のある時代なのだから、彼らが文化レベルの高い生活の中にいることは言うまでもない。 だが、現代人ほど機械に埋もれてはいない。
先日聴いた四重奏団(ブダペストSQ)はもっと完璧なフォームを持っていた。 この人たちの演奏にはいい意味でのアバウトさがある。 芸術家に特有の気分のムラを感じる。 (第2楽章) 彼らは人に聴かせるために演奏しているのではない。自己陶酔の世界に入って、そのときの自分たちの気分に従って演奏している。 そのムラっ気がこの人たちの魅力をかえって引き立てている。 この人たちは音楽をこよなく愛し、音楽の世界に浸っているときこそが至福の時と感じている。 この演奏からは、この人たちの魅力は伝わってくるが、この曲の良さはあまり伝わってこない。 彼らの魅力に埋もれて曲の良さが見えなくなってしまっている。 この演奏は、彼らの魅力を楽しむ分には問題ないが、私の曲を研究するのであれば不向きだ。 誤解されてはいけないので言っておくが、私の曲の良さを伝えていないことが不快だと言っているのではない。私は事実を語っているだけだ。
この団体の中心人物は、音楽を愛する以上に自分を愛している。 だからともすれば独りよがりの演奏になる。 そこが彼の魅力でもある。 この演奏は多くのファンを魅了するだろう。 (第3楽章) 間の取り方が絶妙だ。 音につかめそうでつかめない存在感がある。 それは彼ら特有の魅力であり、それがファンに彼らを追い求めさせる。 彼らの精神的な脆さが、人々に「この人たちを支援してやりたい」という気持ちを起こさせる。 揺るぎのない完璧な演奏というのは、尊敬されながらも敬遠されるものだ。 彼らの演奏は人々に、たとえわずかであっても自分が彼らのスポンサーになってやりたいという気持ちを抱かせ、チケットを買わせる。 それは、芸術家として大成するためには大切な要素だ。 芸術を愛する人というのは、自分のことを、芸術を解する感性を持ち合わせた特別な存在だと思っていて、その自負心を満足させたがるものだ。
大金持ちが欲どおしく生きてこられたからこそ、芸術は発展した。 芸術家というのは、金持ちからおこぼれをもらって好き勝手に生きさせてもらっている寄生虫のようなものだ。 世に残すべき作品を編み出せる者は、援助してもらうことに対して何ら遠慮する必要はない。 その代わり、自分にできる最善のことを精一杯の力をもってすべきである。 地面に不安定な格好で片足立ちしていても、だれも応援などしない。 だが、高い所で細いロープの上を歩いている不安定な者には、人々は注目し、成功を望み、声援を送る。 この四重奏団が不安定でありながら人々を惹きつけるのも、彼らが高い所にいるからだ。
彼らは、彼らが生きてきた時代に十分な賞賛と喝采を得てきたに違いない。 だが、現代人が彼らのような演奏をしても、おそらくだれも相手にしないだろう。 たとえばオリンピックの体操競技で、昔はC難度の技を披露すれば拍手喝采をもらえたものが、現代ではC難度程度の技ができる者はごろごろいる。 この演奏に聴けるのは、古き良き時代の、先駆者なればこそ認められる上質さだ。 現代人から見れば技術的には欠点だらけの演奏かもしれないが、現代人には醸し出せない独特の雰囲気がある。 マナーとしてではなく人々を黙らせ、聴き入らせ、その場を呑み込む魅力がある。 言うまでもないが、私が生きていた時代の演奏は、もっと不安定でもっと曖昧だった。 (第4楽章) この演奏にはモノクロ映画のような古き良き時代の雰囲気がある。 たぶんこの演奏が録音された時代には、いいものしか録音されなかったのだろう。 彼らは選ばれし人たちだ。
昔は自然発生的に生み出される美しさが尊ばれた。 現代ではすでにあるものは採用されないから、新しい試みや、考えて作り出した不自然なものに走らざるを得ない。 私は決してそのことを否定しているのではない。物事が変化していくのは自然な流れだ。 私が四重奏の演奏に指示を出せるならば、現代人の能力に合った演奏方法を採用する。 理想としては、私は一切口出しをせず、まず楽譜を見て演奏してもらう。 それから私の思いを伝えたり、加えてほしいもの、削ってほしいものを指示しながら手を加えていく。 最初から私の思いを全面的に押しつけるようなことはしたくない。 http://beethoven21.blog133.fc2.com/blog-entry-359.html ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」、 同第13番、同「大フーガ」(ヴァインガルトナー編曲版) ブッシュ室内合奏団/ブッシュ弦楽四重奏団 [Biddulph LAB 085] 曲がり形にもベートーヴェンの弦楽四重奏曲を愛する者はブッシュSQの洗礼を受けねばならぬ。一度アドルフ・ブッシュのボウイングに霊感が憑き出せば、聴く者の精神を幽玄な世界へと運び去ること必定である。 第11番は各社から復刻が多数あり、第13番もかつてCBSソニーが一度復刻してゐる。しかし、当盤に収められた弦楽合奏による大フーガの復刻はこのBiddulph盤だけだ。ヴァインガルトナーが編曲した由緒正しきもので、壮麗な音楽が展開する。 第11番は全盛期のブッシュSQのみが為し得た求心力の強い演奏で、第3楽章の厳格なリズムが流石だ。ブッシュSQ指折りの名演。 米コロムビア録音の第13番は盛期を過ぎた頃の演奏だが、第2楽章や第6楽章の真摯な合奏には頭が下がる。端倪すべからざるはブッシュが見せた第5楽章カヴァティーナの深淵さで、それはもう禅定の境地と喩へるしかない。(2005.4.18) ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番、同第8番 ブッシュ弦楽四重奏団 [Biddulph BID 80208-2]
ブッシュSQは不世出の四重奏団である。ドイツの伝統ある弦楽四重奏の守護神として取つて替へることの出来ない存在である。 半世紀以上も前の録音を聴いて思ふのは、現代の団体による楽器を鳴り切らした響きの単調さとは異なる、霊的な魔力を秘めた音の特異性である。アドルフ・ブッシュの深みのあるヴィブラートと真摯なボウイングが生み出す幽玄なるヴァイオリンの音は如何ばかりであらう。特に両曲の緩徐楽章に湧き出る霊感の泉は惻々と心に染み渡る。 大戦を避けて渡米した頃のブッシュは、心身ともに疲れ果て、粗雑な演奏が多くなるが、ラズモフスキー四重奏曲にはこのくらいの荒々しさが寧ろ曲想に合ふ。全ての楽章から強い信念が伝はつてくる最高の1枚。(2005.6.16) http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/chamber.html ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番、同第9番「ラズモフスキー第3番」 ブッシュ弦楽四重奏団 [新星堂/東芝EMI SGR-8518]
1951年2月10日、ルートヴィヒスビルク宮殿での公開演奏会の記録。ラズモフスキーはかつて米Arbiterからも発売されたが、当盤はブッシュ協会の認可を得た正規盤で、シュトゥットガルトの南ドイツ放送局に残されたテープを使用してをり音質が特上である。第1番は初出となる。臨場感のある録音でブッシュの息遣ひまで聴き取れる。楽曲の精髄に迫る激しい情念が聴く者を圧倒する。 しかしながら、2曲とも全盛期のメンバーで決定的な名盤を残してをり、比較するとブッシュの衰へが如実に感じられ、寂しい想ひに駆られるのは致し方ない。技巧的な冴えは勿論だが、ブッシュの奥義とも云へる玄妙たるカンティレーナの聴かせ処―第1番第2楽章など―で差が歴然とする。だが、残照であつても目が眩むほど神々しい。偉大なりしブッシュSQ。(2008.7.1) ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 ブッシュ弦楽四重奏団 [新星堂/東芝EMI SGR-8519] 1951年2月10日、ルートヴィヒスビルク宮殿での公開演奏会の記録。かつて米Arbiterからも発売されたが、当盤はブッシュ協会の認可を得た正規盤で、シュトゥットガルトの南ドイツ放送局に残されたテープを使用してをり音質が特上である。 ブッシュSQはベートーヴェン後期弦楽四重奏曲の中で第13番のみを大戦以前のヨーロッパ録音で残さなかつた。それは第13番には決定的な名盤が存在しないことを意味する。渡米後、程なくしてコロムビアに録音を果たしたが、それ迄の名盤とは同列に語れない。 否、HMVへの録音が余りにも神々し過ぎたのだ。 正規録音から10年後のライヴ録音である当盤も、全盛期の演奏には遠く及ばないが、カヴァティーナで聴かせる霊感は、往年のブッシュだけが奏でた奇蹟の片鱗である。(2008.10.20) レーガー:弦楽四重奏曲第4番、 メンデルスゾーン:弦楽四重奏の為の4つの小品よりカプリッチョ ブッシュ弦楽四重奏団 [新星堂/東芝EMI SGR-8520] ブッシュSQは楽旅中の1951年2月15日、ミュンヘンの放送スタジオに入り、レーガーとメンデルスゾーンを放送用に録音した。かつてブッシュ協会からレコードが出ただけといふ秘宝である。メンデルスゾーンは当録音の3ヶ月後にHMVに正規セッション録音―ブッシュ最後の商業録音だ―をしてゐるが、レーガーは唯一の録音である。 5曲あるレーガーの弦楽四重奏曲の中でも名作の誉れ高い第4番変ホ長調は、晦渋な諧謔と抒情的なロマンティシズムとを絡ませた後期ロマン派の精髄だ。激しく奏されるユニゾンでのブッシュの覇気には圧倒される。第3楽章の高貴な瞑想は室内楽愛好家の宝とならう。終楽章のフーガも厳格で真摯。作曲家としての成功を目指したブッシュが深い敬愛の念を持つて親交を結び、絶大な影響を受けたレーガーへのオマージュでもあり、云はば血の繋がりを感じさせる桁違ひの演奏。 メンデルスゾーンはHMV録音と甲乙付け難い名演で、序奏の侘びた憂愁、フガートの張詰めた疾走感が素晴らしい。(2008.12.10) http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/chamber.html ___________
弦楽四重奏聴き比べ 1) ブッシュ四重奏団 vs. カペー四重奏団 ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェンはSP時代に高く評価されていた演奏です。名著「楽聖物語」で著者のあらえびすさんは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲について
「原則としてカペエを採り、カペエの無いものはブッシュを、ブッシュの無いものはレナーを採れば大した間違いはない」 として、「セリオーソ」はブッシュを推薦盤としています。 http://blogs.yahoo.co.jp/ponchan_2007/66396482.html 「死と乙女」 カペー弦楽四重奏団 この曲についてはかつてブッシュ・カルテットの演奏を絶賛した。 その時はカペーは意外とピンと来なかった。でもそれは僕が未熟なだけだった。 カペーはもっと淡々として悲哀を伝えている。毎度カペーに感心するのは主客の転換の上手さとニュアンスが揃うところ対照するところの鮮やかさ、バランスの良さ。それから一斉にハーモニーする時の響きの純粋さ。 一人一人が本当に丁寧時間をかけて、カルテットを作り上げてきたことがよくわかる。本当に本当にカペーカルテットって上手だと思う。 http://www1.rcn.ne.jp/~mako1215/araebisumonth.html オールドファンにとって、音楽の「聖域」の一つはベートーヴェンの弦楽四重奏曲。しかも後期。 その聖域にあって、 「一にカペー、二にブッシュ・・・」 と絶賛された至高のカルテットがカペー四重奏団です。 SPレコードの復刻で聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品132の三楽章。 まさしく幽玄で深い響きには感激しました。 SP時代と言えば、カペーと並んで評価されるのは、アドルフ・ブッシュ率いるブッシュカルテットです。 もちろん素晴らしいのですが、どうしても第一ヴァイオリンのブッシュのリーダーシップが強過ぎる気がします。 その点カペーはバランス感覚が抜群です。 伴奏パートのニュアンスの分を心得た豊かさ、主客の絶妙の入れ替わり、掛け合いの妙味。 やはらかなハーモニー、流れの良さ。 ニュアンスの移り変わりの絶妙なこと。 それからチェロがちょっとだけ強めでそれが実に安定感があるんですねえ。 記録によりますと、カペーたちは本当によく練習したようですね。 デビューまでの一年間以上の間、400回以上練習したのだそうです。 ベートーヴェンももちろん素晴らしいのですが、ドビッシーはいかにも「ご当地もの」というか、味が絶妙です。 それからハイドンの「ひばり」。始まりを聴いただけでワクワクして来ます。 こんな素晴らしいカルテットが存在したこと、決して忘れたくありません。 http://eniobolognini.blog69.fc2.com/blog-entry-196.html >ブッシュSQ はどうしても第一ヴァイオリンのブッシュのリーダーシップが強過ぎる気がします。
うーん、要するに、 ブッシュSQ はチェロに アドルフ・ブッシュの弟で無能のヘルマン・ブッシュを起用したのが致命的な失敗だった という事ですね。ブッシュ三兄弟で音楽的才能が有ったのはアドルフ唯一人でした。 技術は教えられても音楽性や音楽のセンスは教えられないという事でしょう。 まあ、アドルフ・ブッシュも演奏技術だけ見れば三流だったんですけどね: カール・フレッシュ先生が言っていた アドルフ・ブッシュは音の出し方がフランス派やロシア派のヴァイオリニストよりも劣っていた 十分に柔軟性がなく、開けっぱなしで、柔らかみや抑制に欠ける音 内容の深い曲を取り上げ気分が乗ったときだけ、霊感によってこの欠陥を克服した http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1372202725/ _____ 弦楽四重奏団の在り方は大きく分けて2つに分類出来る。
一つはカペー、レナー、ブッシュ、ウィーン・コンツェルトハウスなどの第1ヴァイオリン主導型。 これに対してブダペスト、バリリ、スメタナ、ボロディン、アルバン・ベルクなどはアンサンブル重視型と云へる。 後者の第1ヴァイオリン奏者が弱いと云ふのではない。突出してゐないのである。 前者の場合、魅力の殆どが第1ヴァイオリン奏者の藝術性にあり、四重奏団の性格を決定してゐる。しかし、近年はアンサンブル重視の団体が殆どであり、特に合奏能力の向上は目覚ましく、4つの楽器が見事に融合し、調和を保つた演奏でなければ、弦楽四重奏団として一流と見なされない。実のところ、第1ヴァイオリン主導型の団体は絶滅したと云つても過言ではないのだ。 従つて、カペーSQなどの演奏を現在の耳で聴くと、アンサンブルに埋没しない自在な節回しがあり、却つて新鮮である。しかし、反面、団体としての均衡を欠く嫌ひはある。 カペーSQにおいて、ヴィオラ奏者には余り魅力を感じない。チェロ奏者も無難と云ふ程度だ。一方、第2ヴァイオリンのエウィットが傑出してゐる。カペーとの対話も互角に行なはれ、実に達者である。大概、第2ヴァイオリンの聴き映えがしない団体の多い中、カペーSQを聴く喜びはヴァイオリン2挺の銀糸のやうな気品ある絡み合ひにある。とは云へ、各奏者はカペーの音楽に見事に収斂され、ひとつの藝術として完成してゐるので、荒を探すのは止そう。 品格があり聡明な演奏をすると一般的に思はれ勝ちなカペー弦楽四重奏団だが、同時期に活躍した四重奏団の録音を聴くと、意外な点に気が付く。
カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。 そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団―レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。 しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。クライスラーの奥義は3点ある。 第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。 第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。 第3に、フレーズの変はり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。 このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
しかし、電気録音初期に登場したカペーSQの録音が、旧派の名団体のみならず当時最大の人気を誇つたレナーSQの株を奪ひ尽くした理由は、偏にボウイングの妙技による。
1910年以前に記録されたヴァイオリニストの録音を聴くと、弓を押し当てた寸詰まりの音、頻繁な弓の返しが聴かれ、時代を感じさせる。ところが、カペーのボウイングからは、響きが澄み渡るやうに程よく力が抜けてをり、だからといつて空気を含んだ浮ついた音にはなつてゐない。凛と張つたアーティキュレーションは大言壮語を避け、ボウイング・スラーを用ゐることでしなやかなリズムを生み出した。 『運弓のテクニック』なる著作を残したカペーは、エネスクやティボーと並ぶボウイングの大家である。彼らの共通点はパルラント奏法と云ふ朗読調のボウイングを会得してゐることにある。多かれ少なかれ、あらゆるヴァイオリニストは歌ふことに心を砕くが、歌はフレーズを描くために強い呼吸を必要とし、リズムの躍動を糧とする。だから、ためらひや沈思や侘び寂びを表現するには必ずしも適当ではない。これらの表現は、繊細な呼吸、慎ましい抑揚、語るやうに送られる運弓法によつて初めて可能になるのだ。カペーが本格的に独奏者としての活動に乗り出さず、室内楽に没頭したことは同時期のヴァイオリニストにとつては幸運なことであつたらう。 カペーSQはノン・ヴィブラートとポルタメントを演奏様式とする旧派の一面も持つが、ボウイングに革新的な表現力を持たせたカペーの元に一致団結した名四重奏団である。演奏は、清明で飄々としてゐるが、高潔で峻厳な孤高の世界を呈してゐる。それは丁度雪舟の山水画にも比せられよう。 カペー弦楽四重奏団の録音は上記12曲しかない。録音は1928年の6月と10月のみで、同年12月にはカペーが急逝して仕舞つた。テイク数は殆どが1か2で、ライヴ録音のやうな感興とむらがあり、音程の狂ひや弓の乱れなどもありのまま残された。まさに一期一会の記録なのである。 カペーSQを語るのにベートーヴェンから始めなくては申し訳が立たない。それも後期2作品から始めるのが礼儀といふものだらう。 古来より、第15番はカペーSQの最高傑作とされてをり、現在に至るまでこの演奏を超えたものは一切ないと断言出来る。分けても第3楽章、ベートーヴェンが「病から癒えた者の神性への聖なる感謝の歌」と書き添へた曲を、カペーSQのやうに神妙に演奏したものを知らない。 ノン・ヴィブラートによる響きの神々しさは如何ばかりであらう。感謝の歌では飛翔する精神が弧を描く 。第2ヴァイオリンのエウィットが奏でる憧れに、カペーの清らかなトリルが応へ、スタッカートの軽妙洒脱な戯れが福音を語る。音楽が静かに下つて行くパッセージで、音色が侘び寂びを加へて行く様は至藝と云ひたい。 好敵手ブッシュSQも相当の演奏をしてゐるが、カペーSQに比べれば青二才だ。 第1楽章では、哀切極まりない音楽を感傷に貶めず、一篇の叙事詩のやうな風格を持たせてゐる。真一文字に悲劇に対峙するカペーのソロが印象的な第4楽章。緊張の糸が持続する天晴な合奏を聴かせる終楽章。何れも極上の名演。 初演者であるモーラン直伝による第14番の演奏をカペーSQの頂点とする方は多いだらう。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の頂であるこの曲の神髄に迫ることは、19世紀においては不可能とされ、名曲かどうかも議論にされたやうな曲である。諦観、静謐、彼岸と云つた世界を音楽に持ち込み、未だに独特の位置を保持し続ける。カペーの弾く冒頭を聴いて、精神が沈思しない者は立ち去るがよい。これから始まる儀式には参列出来まいから。 この神韻縹渺としたパルラント・アーティキュレーションは空前絶後の至藝であり、変奏曲形式による第4楽章に至つては天衣無縫の奥義を示す。終楽章は一筆書きのやうな閃きに充ちた名演である。 第14番はブッシュSQが霊感あらたかな名演を成し遂げてゐる。ドイツ人の手堅さと熱情が渾然となった大伽藍のやうな楷書体の演奏で、フランス人カペーの力の抜け切つた草書体による絹糸のやうな演奏とは対照的である。全体に隙がなく立派なのはブッシュSQの方だ。 しかし、断言しよう。藝格としてはカペーが一枚上手で、何人も及びの付かない美しい瞬間がある。 第5番は清楚で若やいだ演奏であり、後期作品2曲に次いで仕上がりが良い。甘さと低徊さを排したストイックな歌が、青春の芳しい詩情をもたらす。繊細でさり気ない明暗の移ろひが取り分け美しい。この曲の表現として、これ以上適つたものはないだらう。 「ラズモフスキー」はヴィブラートを抑制したトーンと厳しいスフォルツァンドによつて大味になるのを避けてゐる。緊密なアンサンブルと内燃する力強さが素晴らしい。特に第3楽章のパルラント奏法による沈痛な趣が甚く心に残る。しかし、全体的に線が細く、音が軽く聴こえる嫌ひがある。 「ハープ」は引き締まつた造形と柔らかなフレージングが魅力で、特に第1楽章の清廉な味はひは絶品である。第2楽章は珍しく甘美で、時代を感じさせる。第3楽章と第4楽章はやや平凡な仕上がりだ。この曲にもっと豊かさを求める人は多いだらう。カペーSQの演奏は脂が少ない。 ハイドンは天下一品の名演である。冒頭におけるカペーのボウイングには畏敬の念を禁じ得ない。ヴィブラートの誘惑を潔癖に遠ざけ、凛とした運弓で清明な音を創る。非常に個性的な奏法だが、繰り返し聴き、他の団体の演奏と比べて聴くと、カペーの凄さが諒解出来るだらう。第2楽章は細部の彫りが深く、神経が行き届いた名演である。終楽章の目にも止まらぬ軽快なアンサンブルに、上手ひなどといふのも烏滸がましい。この演奏に心躍らぬ者がゐれば、凡そ音楽には無縁の者であらう。 モーツァルトも立派な演奏であるが、カペーの特徴である毅然と張つたボウイングが後退してをり、柔和に歌ふことに主眼を置いた甘美な演奏である。カペーならではの高潔で気丈な演奏を期待したのだが、終楽章と第3楽章のトリオを除いては感銘が希薄であつた。しかし、カペーSQ以上の演奏を挙げることが困難なのも事実だ。 シューベルトとシューマンは、ドイツ系の団体とは異なる厳しいアーティキュレーションと制御されたヴィブラートによる辛口の演奏である。 シューベルトは尋常ならざぬ演奏で、仄暗く甘いロマンティシズムを期待してはならない。勿体振つた表情は皆無で、快速のテンポで畳み掛けるやうに捌いて行く。フレーズの最後で掛けられる常套的なルバートも一切ない。硬派だが、雑な演奏だと感じる方もゐるだらう。しかし、これは焦燥感に溢れた、絶望的な熱病を想起させる見事な解釈であると感じる。 録音される機会が少ないシューマンに関しては、カペーSQを越える演奏があるとは到底思へない。 冒頭から喪失感が漂ひ、悲劇の回顧と夢想への逃避が綾なされてゐるが、軟弱な甘さはない。第2楽章は疾走するギャロップで、カペーの弓捌きが閃光のやうに輝く。他の演奏が聴けなくなつて仕舞ふ逸品である。第3楽章ではヴィブラートを抑制した渋い音と、音型の最高音になる前に始まるディミュヌエンドによつて、侘しい詩情が惻々と胸に迫る。終楽章は情熱的なアジタート、自在なアゴーギクと多彩なアーティキュレーションが素晴らしい。コーダ前のノン・ヴィブラートによるオルガン・トーンの神々しさは追随を許さない。 カペー弦楽四重奏団の残した録音は全て神品であり、各々の曲の最も優れた演奏であると云つても過言ではない。 カペーSQの最高の遺産は、何と云つてもベートーヴェンの後期四重奏曲であり、 第1に第15番を、第2に第14番を推す。 そして、御家藝である近代フランスの作品に止めを刺す。第1にドビュッシーを、第2にラヴェルを推す。 次いで、カペーの妙技を讃へる為にハイドンを加へておこう。 更に比類なきシューマンも忘れてはならない。これ以上挙げることは全てを挙げることに繋がるから止すが、個人的にはシューベルトに愛顧を感じる。 http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html ___________
2) ブッシュ四重奏団 vs. レナー四重奏団
蓄音機タイムはレナー弦楽四重奏団によるハイドンの「アンダンテ」。 レナーというとカペーとブッシュの中では影が薄い役回りだけれど、とっても優しい演奏だった。 蓄音機ってやっぱり良い音がする。休憩時間には館長さんにお願いして、エマヌエル・フォイアマンのチェロ演奏を聴かせていただいた。そこにいるかのような生々しさ。 いやあ楽しかった。 http://www1.rcn.ne.jp/~mako1215/araebisumonth.html レナー四重奏団をお聴きください
カペー四重奏団やブッシュ四重奏団の人気に比して、ちょっと後塵を拝した感のあるレナー四重奏団。SP時代に一番多くの楽曲を録音したハンガリーの楽団です。 例のあらえびす先生の著書「名曲決定盤」を紐解くと、 「レナーの四人の樂人たちは、悉く同年輩のクラス・メートで、ブダペスト高等音樂院に在學中、完全無缺の四重奏團を作り、至高至純の表現をするために、四人とも一室に籠つて、特定の曲の理想的な演奏が出來るまで、斷じて室外に出ないことに決めて練習したといふことである。」 とご紹介なさり、さらに演奏ぶりについて、 「レナーの演奏は、多少劇的で、豊艶無類なものだ。若々しい感情の燃焼に任せて、兎もすればロマンティックになり過ぎるが、その代り、それほど脂切つた、豊麗な演奏をする團體は無い。美しいが上にも美しく、豊かな上にも豊かだ。」 と、お書きになっています。 1920年代中頃の機械式吹込みから電気録音に変わるころ、ちょうどベートーヴェンの没後100年という節目、英国コロンビア社はまだ学生だったレナー四重奏団にベートーヴェンの弦楽四重奏曲16曲中、14曲も録音させたのです。すごいですね。 http://www.fuji-recordsha.co.jp/detail-94.html ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第15番 作品132
一番最初に採り上げるディスクは15番の数ある演奏の中でも名盤中の名盤とされる、ブッシュ四重奏団のSP復刻である。 @ ブッシュ四重奏団 Busch Quartett (rec. 1937) 1st 9'10'' 2nd 6'46'' 3rd 19'33'' 4th 1'55'' 5th 5'58'' ブッシュ四重奏団の演奏はその名声に恥じない名演である。聴くたびに懐かしさを覚える。彼らの素晴らしさは一楽章の冒頭からすでに全開している。古いヨーロッパ製の木製家具を思わせる肌触りの良い木質の響き、どこか憂いを秘めたドイツ的な硬質の引き締まった音色、けして古臭くならない哀愁漂うポルタメント、即興的な音楽の表情・・・。そういった彼らの美質が隅々まで漲っているのだ。 旋律が抒情的であるからといって、けして甘美になりすぎることはない。融通無碍に音楽は展開し、悲愁や哀愁を漂わせながら、ベートーヴェン晩年の寂莫たる心象風景を音化することを忘れない。だからこそ、二楽章の中間部の神秘的な音楽が、怒れるベートーヴェンの魂の祈りとして聴こえるのである。それは孤独な祈りであり、モノローグであるかのように。 三楽章の長大なモルト・アダージョも絶品である。音楽はいささかの途切れもなく、連綿と続き、果てしない。アルバン・ベルク四重奏団などの演奏で聴くと、この楽章の美しさは清らかな響きに満たされて浄化されていくような思いがするのだが、ブッシュ四重奏団の演奏はどこか沈み込んでいくような趣がある。そこから古き良き時代の情緒や温もり、ベートーヴェンの祈りを自分たちの祈りへと昇華していく演奏家の魂が聴こえてくる。人間味が溢れ出す。 四楽章になるとリズムは即興的に処理され、語りかけてくるような趣がある。四角四面にならず、神韻飄々たる風情が漂う。音楽のリズムが崩れ、ヴァイオリンが訴えるシーンも情緒たっぷりでこぼれるようだ。 五楽章はテンポが速く、旋律に隠された感情を波立たせながら、余計な思い入れをせずに、あっという間に終わってしまう。哀愁たっぶりの全曲をキリリと仕上げるところが心憎いが、私の好みからするともっと名残惜しげな感情を清らかに切々と歌っても良かったのではないか。それにしても、ベートーヴェンが書いた音楽を自分達の感じるまま、自分たちの音楽として具現していく姿勢には打たれる。 http://kitakentobeethoven.blog.so-net.ne.jp/2008-01-12 ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも最も親しみやすく美しい旋律に彩られた曲である。一楽章や五楽章を支配する悲愁を思わせる甘美なメロディーや濡れた情緒、第三楽章の厳かで神々しい調べ。これらを聴いて感動しないことがあるだろうか。
私は辛党なので、作品132はやや敬遠しがちなのであるが、ブッシュ四重奏団を聴き直して、やはり名曲だと唸った。レナー四重奏団なら、その15番の魅力を余すことなく堪能させてくれるだろうと思い、早速聴いてみることにする。 A レナー四重奏団 Lener String Quartet rec. 1935 新星堂 1st 9'26'' 2nd 7'44'' 3rd 17'40'' 4th 2'23'' 5th 6'29'' 先に聴いたブッシュ四重奏団の演奏も素晴らしかったが、レナー四重奏団の演奏はそれよりも格段に素晴らしい。 レナーの独特の甘美な節回し、ヴィブラートとポルタメントを聴かせた旋律の奏し方は、これがこの曲の原点と思わせる強力な魅力を放っている。テンポもリズム感も理想的であり、私たちがこの曲に期待する全てを余すところなく体現している。1935年の録音なので当時としては極上に良く、CDへのトランスファーも良好である。 刺激的な表情は皆無。ダイナミクスはゆるやかに推移し、極端な音量設定がないので聴き疲れしない。ちょっとしたパッセージ一つにも情緒がこぼれ落ちるような風情がある。曲想が変わる時につけるあえかなリタルダンドが心憎い。聴こえてくる音楽はひたすら優しく、柔らかく、生きることに疲れた者の心にすっと染み込んで慰めてくれる。 レナー四重奏団の素晴らしいところは、そうした古き良き時代のアンサンブルが、けしてこの曲を通俗的なものに貶めはしないことだ。むしろ、音楽が持つ多彩な魅力を引き出し、ベートーヴェンの晩年の作品群が持つファンタジーや神秘的なサウンドを表出するに至っている。 三楽章を聴いていただければ、この四重奏団が如何にベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の世界を理解し、心の底からの共感を持って高潔な精神で演奏しているかがわかる。 何という感動的な三楽章だろう。この上ない優しさと慈愛の楽音に慰められるのと同時に、生きる力が漲ってくるような錯覚すら覚える。コーダなど、天に昇っていくような美しさに満ちている。 第三楽章に先立つ楽章も美しい。一楽章の哀愁と悲愁の音楽はレナーの魅力が遺憾なく発揮されて絶妙。二楽章も融通無碍の表情でありながら、荒々しい力が秘められている。中間部の弱音の繊細な美しさは神秘的ですらあり、ファンタジーが止め処なく溢れ出す。 四楽章になると、三楽章の敬虔な感情をガラリと変えて、諧謔な音楽が展開する。 スジガネ入りのベートーヴェン愛好家の中にも、この四楽章だけにはがっかりするという方がおられる。私にもその気持ちはわかるのだが、ガラリとした転換はむしろベートーヴェンの豪快さではあるまいか。レナー四重奏団は妙に明るい表情付けをするわけでもなく楽想を追うが、いささかテンポがせかつくのが残念と言えば残念である。しかし、突如現れるヴァイオリンの激しい訴えは感動的だ。 終楽章はそれまで抑制してきた感情をさらけ出し、音楽に動きをつけていく。ブッシュ四重奏団のようにテンポが速すぎて雑になりすぎることはないが、個人的な好みを言えば、もっと感情の波を抑えたほうが全曲はもっと感動的になったのではあるまいか。これはこれで感動的であるものの、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏は感情の波を立たせすぎずに演奏することが重要であるように思う。コーダの旋律の歌い方は懐かしさに満ちて絶品であった。 http://kitakentobeethoven.blog.so-net.ne.jp/2008-01-16-1 _____________ 3) カペー弦楽四重奏団 vs. レナー弦楽四重奏団他
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番 作品131 @カペー弦楽四重奏団 Capet String Quartet rec. 1928 オーパス蔵 1st 7'26'' 2nd 3'15 3rd 0'51'' 4th 12'22'' 5th 5'43'' 6th 1'50'' 7th 5'46'' 室内楽愛好家には神品のごとき扱いである。以前はセットもので発売されていたため、入手しづらかったが、SP復刻で素晴らしいCDを発売しているオーパス蔵が一枚もので復刻してくれた。膨大な針音の中から、妙なる楽音が聴こえてくる。
楽聖晩年の融通無碍の境地。カペーらの演奏は、ルバートやポルタメントによって甘美さを追求したもの。それでいて演奏スタイルは結晶化しているため、むしろ他団体よりも速い。神品とはこういうものを指すのだろう。 これならマルセル・プルーストが惚れるわけだ。プルーストは『失われた時を求めて』の作者である。彼は自分の部屋にカペー四重奏団を呼んで演奏させていたというからうらやましい。 (中川註:これは吉田秀和の著書の間違いで、実際に呼んだのはカルヴェ四重奏団だったらしい) 一楽章からして空気に溶けていくような、まるで楽器の音じゃないような、不思議な音。彼岸からおずおずと響いてくる懐かしい子守唄のようだ。それでいて胸が締め付けられる。
二楽章も飄々としており、リズム感より、融通無碍の境地。 四楽章はひたすら甘美な夢を見させてくれる。 五楽章になると、豪快にチェロが活躍し、厳しいリズムを踏むが、それでも独特の甘美さは消えない。それでいてバリリQのようにべたっとしない甘美さ。漂う感じなのだ。 六楽章はとびっきり甘く、切ない。その情緒は史上最高だろう。 フィナーレはアッチェレランドが次々にかかるが、オーパス蔵の復刻では、シンフォニックに聴こえ、その疾走感がまたやるせない気持ちにさせる。録音が古いのだけが心残りだ。 Aレナー弦楽四重奏団 Lener String Quartet rec. 1932> Shinseido
1st 6'31'' 2nd 3'15'' 3rd 0'42'' 4th 13'10'' 5th 5'59'' 6th 1'38'' 7th 6'41'' レナー弦楽四重奏団のベートーヴェンについてまとまった演奏評を見たことがない。『クラシック名盤大全』の中で、幸松肇氏は次のように書く。 「第2次大戦以前にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を録音した団体は、このハンガリーのレナーSQしか存在しない。リーダーのイエネー・レナーは、ヨアヒムの高弟フバイからドイツ流のベートーヴェン奏法を身に付け(中略)、 優美にして流麗なボウイングの美しさで人気を博していたが、この全集を耳にして頂ければ、知性と感性のバランスが整った品格の高さにも魅力があったことがお分かり頂けよう。初期では爽やかなアンサンブルが、中期では小気味良い推進力が、後期では調和のとれた構築美が神々しい輝きを放っている。」 録音状態は曲によって盛大なパチパチノイズが激しいが、年代を考えれば驚異的に良く、この14番も音質が良好である。
演奏はカペーのいくぶん流線型の融通無碍とは異なり、がっちりとした造形と懐かしいポルタメントで彩った旋律の妙なる歌わせ方から成り立つ。 一楽章も幽玄よりは、現実的な響かせ方であり、
二楽章もゆったりとしたテンポで歌う。 三楽章の激情も抑制され、長大な緩徐楽章は淡々と奏しつつ、中間ではぐっとテンポを落として夢見るような内省的音楽を聴かせてくれる。頑固な見得の切り方も出てくる。 五楽章もアンサンブルがしっかりとしており、 六楽章も心のこもったハーモニーが素晴らしい。 フィナーレはブダペストQのような情緒や伸びやかさを大切にした表現で、ギャロップ風のこの楽章の激情をいたずらに爆発させることなく、調和を図っている。 これに比べるとカペーQの幽玄は素晴らしいがアンサンブルは雑。
レナーSQには幽玄さはないが、アンサンブルの確かさと甘美な奏し方が融合した独特の魅力がある。これは名演奏である。 Bヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet rec. 1952> tower record 1st 7'05 2nd 3'13'' 3rd 0'19'' 4th 12'48'' 5th 5'38'' 6th 1'53'' 7th 6'14'' モノラル録音であるが、相当良質の音である。極めて生々しく、香ばしい残響もある。バリリQの名録音に並ぶ鮮明さである。演奏は、カペーQと比べれば現代的である。それでいて第一ヴァイオリンが突出するわけでもなく、あくまでシンフォニックに4つの楽器が絡む。速めのテンポで、いささかぶっきらぼうに進むので、甘美さは感じられず、むしろ素朴で滋味な音楽に聴こえる。 後年のステレオ録音のような技術の衰えはなく、安心して楽しめる半面、どぎつい個性は感じられない。聴きこむほどに音楽の持つわびしさや寂しさをじっくりと味あわせてくれる。全編心静かに聴ける。残念なのは、録音が五楽章と六楽章で断絶しており、全七楽章の有機的統一感がなくなったことであろう。フィナーレの途中で音量が落ちる箇所もある。そのマイナス点を除けば、バリリQよりも素晴らしい。特に品格を犠牲にせずに、荒々しさにも欠けないフィナーレは味がある。 Cバリリ四重奏団 Barilli Quartet rec. 1952> Westminster (Victor)
1st 6'48'' 2nd 3'13'' 3rd 0'47'' 4th 14' 09'' 5th 5'55'' 6th 1'56'' 7th 6'17'' 古き良きウィーンの味。洒落っ気たっぷりの艶のある弦の音。 バリリの良いところはそれが彼らの音楽の一つとなっているところである。 スタイルは現代風である。録音は鮮明であるが、残響はデッドで甘い音色がややべたつく。しかしながら、聴き進むうちに気にならなくなる。甘美さが前面に出て何とも幸せな音楽である。 幸せも不幸せも虹色に輝く。ベートーヴェンの深刻さや如何に生きるべきかといった闘いは微塵も感じられない。 四楽章は格別濃厚である。しかしながら、もっと飄々とした融通無碍も欲しいところ。フィナーレも深刻にならず、ウィーン音楽として演奏するが、スタイルは磨き上げられているので、手堅い名演と思う。 Dハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois rec. 1953> EMI 1st 6'39'' 2nd 2'32'' 3rd O'40'' 4th 11'56'' 5th 5'03'' 6th 1'32'' 7th 6'16'' ハンガリー四重奏団には66年のステレオへの再録音もあるが、これはモノラル全集である。録音は鮮明で、バリリQの録音よりも程よい残響があり、極めて鮮度良くみずみずしい。幸松肇氏はこの全集を『クラシック名盤大全』で推薦している。 「ここには彼らが戦争中から暖めてきたベートーヴェン解釈の研究成果が実り豊かに結晶しており、アカデミックにベートーヴェンを聴いてみたいという方々にぜひお勧めしたい」 とあるが、ベートーヴェンを愛する方々全員にお勧めしたい。 彼らの演奏にはすっきりとしたみずみずしいフレージングとしっとりとした濡れた音色があり、どこかジプシー的哀感を漂わせる哀愁がある。その民族臭もほのかに漂うだけで、その速めの淡白な解釈は普遍性を獲得している。 この14番は録音が時に不安定になる箇所がある。しかし、全体として気にならないレベルである。 一楽章のしみじみとした悲哀、 二楽章の飄々たる情緒、 三楽章のいたずらに激情に走らない抑えた感情などを聴けば、すぐに彼らの演奏が心の宝となるだろう。 四楽章は最速のテンポだが、せかせかせず、すっきりとしていながら生きて呼吸している。その神韻飄々、融通無碍とした風情は聴いたことがないほど美しい。最美であろう。 5楽章もリズムの処理が誠に流麗である。彼らの演奏はみずみずしく流麗でしみじみとさせるのである。本当にすごいことである! 六楽章もベートーヴェンの晩年の嘆きを伝えてやまない。 フィナーレは名演である。きっぱりとした決然たるフレージング、懐かしく歌われる歌。こぶしをきかせて嘆くように奏する解釈もあり、こんな解釈は聴いたことがない。それでいてけして嫌味にならないのが、彼らの演奏の完成度の高さを証明するものなのである。 Eハリウッド弦楽四重奏団 The Hollywood String Quartet rec. 1957> Testament
1st 6'48'' 2nd 2'51'' 3rd 0'51'' 4th 13'50'' 5th 5'26'' 6th 1'59'' 7th 6'49'' 名前を聴くと怪しいと思われるかもしれないが、なかなかに素晴らしい団体である。スタイルは極めて現代的であり、バリリの甘美さ、ヴェーグの土臭い味わいに代わる抒情がある。妙な深刻さに捉われず、ひたすら歌うように演奏していく姿勢に好感が持てる。 一楽章のゆっくりと宙をひらひらと落ちてくる落ち葉のような味わい、二楽章の飄々とした歌い回しは絶品である。残念なのは、この時代にしては録音がややにごることである。四楽章ではピッチカートがあまり上手くなく、興ざめな箇所がある。五楽章はメロスQそっくりのスタイルで、それでも抒情があるという上手さ。六楽章も良いけれど、七楽章はもう一つリズムに厳しさが欲しい。ここは聴くたびに惜しいと思う。 Fブダペスト弦楽四重奏団 Budapest String Quartet rec. 1961> SONY 1st 6'57'' 2nd 3'00'' 3rd 0'45'' 4th 13'44'' 5th 5'25'' 6th 1'57'' 7th 6'53'' この全集は、最近では『クラシック不滅の名盤800』や『クラシック名盤大全 室内楽曲篇』などでも取り上げられ、また古来多くの評論家に絶賛されている。 しかしながら、今はほとんど忘れ去られているといってよい。 それは何故か? ずっと廃盤だったからである。 SONYという会社は本当に文化の価値がわかっていない。それはEMIも同じだが、EMI以上にひどい。過去の名盤をほとんど再発売せず、やっと再発売してもどんどんリマスタでひどい音質に作り変えていく。私はこの全集を中古で1万五千円で入手した。それ以前は3万円の値がついていたのを見たことがある。2007年も末になってようやっと再発売された。慶賀すべきことだ。 閑話休題。録音は鮮明だが、デッドだ。高音がいくぶんきんきんするのが残念で、LPだとかかつて出ていた初期CDのほうが音は良いかもしれない。私のはSRCR1901〜8というMaster Soundというリマスタ盤である(現行のものは聴いていないので音質についてはわからない)。 演奏は一楽章からして、妙に神経質にも暗くなることもない演奏だ。磨き上げられた透明な音色で4本の線が絡むが、けして悲劇的になりすぎたりしない。淡々として虚飾を排している。 二楽章も融通無碍である。ギスギスした録音が本当に残念だが、それでもこれが素晴らしい演奏であることはその確固たるテンポ設定、清潔かつ簡潔なリズム処理と四奏者の情の交わせ方で感じ取れるのである。 効果を狙わない三楽章を経て四楽章に到達すると4本の線が絡み合いつつも音色の溶け合った一つの楽器のような演奏が噛み締めるように続けられる。繊細さを意識しすぎず、音楽は伸び伸びと呼吸する。豊かといってもオーケストラのように轟々と鳴らすわけではない。音楽が巨きいのである。表面的な美しさは皆無なのに、物足りなくない。不思議だ。 宇野功芳氏は『僕の選んだベートーヴェンの名盤』でブダペスト弦楽四重奏団を酷評している。曰く曲を裸にし過ぎる、大味だ、メカニックだ云々。 これらの楽章のどこにそんなものが感じられるだろうか?五楽章の素朴さを聴けば、四奏者が音楽を心から楽しみ、魂の音楽を奏でていることがわかるはずだ。 六楽章は朴訥としている。プラジャークQのような無から生成してくるような趣はないが、音の織物が重ねられ悲哀の度合いが強まっていく。 七楽章はゆったりとしたテンポ設定でフレーズの端に至るまで魂が行き届いている。徒に劇的にしない。これだけ孤独な戦いの趣を感じさせる演奏は他に皆無だ。ベートーヴェンの最晩年の寂寞たる心境が完璧に音化されている。コーダも最高の表現である。 Gアマデウス四重奏団 Amadeus Quartet rec. 1963> DG 1st 6'58'' 2nd 3'05'' 3rd 0'56'' 4th 14'17'' 5th 5'27'' 6th 2'04'' 7th 6'30'' アマデウス四重奏団のベートーヴェンを褒める批評家は歌崎和彦氏、柴田龍一氏くらいではないだろうか。インターネットでも廉価盤全集としての評価は上々だが、演奏に関してはあまり意見を聞かない。ところがどっこい、Amazon.comなどではすこぶる評判が良い。僕自身もけして悪くは思わない。 一楽章などは十二分に悲嘆が伝わる。リンゼイQのようないたたまれないまでの緊張感に欠けるのは仕方がない。あくまでこの団体は親しみやすく、懐かしく甘い音色で語りかける音楽を聴かせようとする。 技術的には完璧ではないかもしれないが、二楽章もすこぶるオーソドックスだし、三楽章の訴えも模範的。 四楽章はけだるい甘さが出ていて聴かせる。 五楽章も現代的。六楽章のみ、ひどく散漫なのはどうしたことか。 フィナーレに入ると快速のテンポで如何にも情緒纏綿たる節回しを聴かせながら、模範的解釈を成し遂げる。この演奏に足りないものは、厳しさと寂しさかもしれない。 Hジュリアード弦楽四重奏団 The Juilliard String Quartet rec. 1969> Sony 1st 6'34'' 2nd 2'50'' 3rd 0'55'' 4th 15'36'' 5th 5'28'' 6th 2'19'' 7th 6'54'' 彼らの実力からして食い足りない記録である。ラズモフスキー3部作で聴かれる快刀乱麻を断つような勢いに欠け、どこか居心地が悪い。メンバーの半数が入れ替わったことも原因するのだろうか? 音色は枯れた、厳しい音である。スパッスパッと切れ味良いリズム処理。 そこはかとないニュアンスをつけながら枯れきった味わいを残す一楽章。 寂しさをにじませた四楽章。技術一辺倒にならず見事だが、メンバーが変わらなければもっと革新的で白熱した演奏になったのではないか。 五楽章はアルテミスQと並んでかっこいい。そこに内容もあるのが見事だ。 フィナーレはいささか重すぎる。全体として統一感がやや薄い。 Iハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois rec. 1966> EMI
1st 7'41 2nd 2'52'' 3rd 0'42'' 4th 12'46'' 5th 5'17'' 6th 2'02'' 7th 7'00'' EMIという会社の録音は本当に劣悪である。これはステレオ録音であるが、残響がほとんどないのは良いとしても、ぎすぎすとした高音のきつい音になっている。これでは演奏者がかわいそうだ。 それでもこの四重奏団の魅力は理解できる。カペーQに匹敵する融通無碍、飄々としたリズム感、清潔なハーモニー。こういう美しいカルテットも良い。今ひとつ豊かさは欲しい。 フィナーレは名演の一つ。遅いテンポなのに、緊張感は維持されており心憎い。必ずしも好みの演奏ではないが。録音の硬さに耐えられれば、オーソドックスで聞かせどころを心得た一楽章や二楽章、繊細な四楽章、五楽章が味わえる。 フィナーレは内声部からハーモニーまでぎっしりと充実しており、立派だ。泣き所もある。 Jバルトーク四重奏団 Bartok Quartet rec 1969-1972> Hungaroton 1st 6'15'' 2nd 3'03'' 3rd 0'52'' 4th 13'16'' 5th 5'15'' 6th 1'54'' 7th 5'29'' 僕にこの弦楽四重奏曲の魅力を教えてくれたかけがえのない演奏である。録音は低音のやせたもので、第一ヴァイオリンが突出しすぎている。妙な録音で今となっては聴き辛い。 演奏スタイルはハンガリー風というか、ジプシー哀歌風の非常に癖のあるもので、ドイツ的とかウィーン的なるものとは程遠い。それでいてベートーヴェンの切なく、やるせない精神が聴かれるのだ。 一楽章から訴えかけるように始まるジプシー哀歌は、ベートーヴェンの音楽の本質を突いていると思われるし、四楽章の一途な盛り上がりも、晩年の孤独を思わせて感動的だ。 五楽章のスケルツォの小気味よさはシンフォニックではないが、親しみやすいアンサンブルに好感が持てる。六楽章のカヴァティーナが何ともまた切ない。何とベートーヴェンとは孤独な人だったのだろう。それをコムローシュ(第一ヴァイオリン)は血で共感して演奏している。 七楽章は荒れ狂うベートーヴェンの魂そのものであり、感情は洪水のように溢れ出る。悲哀も憧憬も怒りも狂おしい愛も、刹那的な疾走感を持って奏される。その流麗さはリンゼイQの演奏にはない魅力だ。フィナーレの演奏だけでも永遠に忘れがたい名盤だ。 Kスメタナ四重奏団 Smetana Quartet rec. 1970 Supraphon 1st-2nd 9'11'' 3rd 0'47'' 4th 13'07'' 5th 5'29'' 6th 1'51''7th 6'25'' 宇野功芳氏激賞のディスク。 僕も何回も聴いたけれど、それほど良いとは思わなかった。 スメタナQを聴くなら、バリリQやターリヒQを聴いていたい。 音色はかすんだ滋味深い音である。オーソドックスな演奏であり、可もなく不可もない。全員揃ってリズムを刻む箇所などはいささか粗雑な面がある。 模範的に過ぎて心を打たれないのは四楽章で、表現として申し分ないのだが、もっと美しい演奏は他にある。フィナーレも幸先良いスタートかと思いきや途中でテンポがやや落ち、疑問だ。同じスタイルながら、ドイツ的伝統ある名演を成し遂げたズスケQがあるので、なおさら物足りないのかもしれない。 六楽章は模範的だが、それほど心に残らない。他に素晴らしい演奏はいくらでもある。 Lヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet rec. 1973> Naive 40'52'' 全楽章が一つのトラックにまとめられている。その心意気は認めるが、CDで聴くといささか不便だ。ただし、全楽章が一つに結ばれるというベートーヴェンの意図は体現されている。演奏は旧盤と比べると別の団体かと思わせるほどの違いがある。最初の頃の印象は次のようなものだった。 「各奏者の技巧の衰えが痛々しい。ふにゃふにゃぎーこぎーことしている。それでも、楽譜から新しいもの、内容を掴み取ろうせん姿勢が胸を打つ。精神世界そのものの体現のような演奏で、音色もお世辞にも美しいと言えず、響きがあたたかいのだが、晦渋である。しかし、オルガンのような響きのチェロといい、独特の音のバランス感覚が聴いたことのないようなファンタジーを生んでいる箇所もある。録音は鮮明だが乾いた音。全体を通じてユニークな演奏という演奏である。」 何度も聴くうちに、そして様々な演奏を聴いた後で、この新盤は強く語りかけてくるようになった。弱音部のこの霞がかった仙境のような空間は何だろう。一楽章からそれが立ち込める。消化された悲しみが空気のように立ち込め、温かなハーモニーとなって聴く者に寄り添う。
二楽章も和やかな温かさに満ち、愉しい。チェロはオルガンのような低音を響かせ、アンサンブルは表面的な美しさではなく、音楽の中身を聴かせる。長大な緩徐楽章はゆっくりとしたテンポで懐かしく奏され、汲めども尽きせぬファンタジーが溢れ出す。 スケルツォは快活で素朴な味が良く、六楽章に入ると四奏者の心が一つとなって有機的な音楽美を聴かせる。 フィナーレは速めのテンポだが効果を狙わず、情緒やしみじみとした境地を語る。コーダのクライマックスのみズスケQと同じでふにゃふにゃとギャロップ風に駆け込むのが惜しい。ただし、それが不思議な爽快さに繋がっていることは聴き逃すべきではない。 Mターリヒ四重奏団 Le Quatuor Talich rec. 1979> Caliope 1st 7'25'' 2nd 3'26'' 3rd 0'51'' 4th 13'49'' 5th 5'34'' 6th 1'59'' 7th 6'25'' これは名盤である。録音も良い。親しみやすいアンサンブルである。4人の奏者の音はいずれも線が細く、塩辛い(渋い)。それがベートーヴェンの晩年の心象を余すことなく伝えてくれる手段となっている。 バルトークQに聴かれたような独特な節回し、ニュアンスに富んでいる。しかし、バルトークQのような癖はなく、スタイルはあくまでオーソドックスである。第一ヴァイオリンばかりが活躍することはなく、聞かせどころになるとすっと退いて、チェロやヴィオラも活躍するという阿吽の呼吸。厳しい音楽とはならず、聴くものに語りかける演奏だ。何ともほっとさせる。一方で知的な楽譜の読みによって唸らされる箇所が頻出する。 一楽章もわびしさや寂しさを如実に伝えてくれながら、音楽を聴く楽しさを忘れさせない。 二楽章も飄々としており、絶妙のリズム感。 四楽章は静けさに満ちて深遠なものを秘めながら、美しく軽やか。 五楽章は舞曲としてチャーミングに演奏し、ピッチカートは小味で繊細。 六楽章も一楽章と同じことが言える。かすれたような音を出しながら、深遠な悲しみを予感させつつ、フィナーレに入るときびきびとしたリズムを刻み、叙情的部分は綿々と歌う。僕としてはイン・テンポで一息に演奏して欲しかったが、このような解釈も十二分に首肯しうる。ポーカーフェイスの知的で親しみある四重奏団と言える。絵のように美しい箇所もある。かような名盤がいささかも省みられないのが残念だ。ジャケットはセンスのかけらもないけれど(安っぽい新興宗教のイメージ画みたい)。 Nズスケ四重奏団 Suske Quartet rec. 1981> edel classics
1st 7'24'' 2nd 3'04 3rd 0'56 4th 15'01 5th 5'40'' 6th 2'01'' 7th 6'12'' 日本では「ベルリン弦楽四重奏団」というらしい。初めて買ったとき、何てつまらない演奏なのだろうと思った。 暖色系の音。秋の日に狩に出たような朗らかな響き。ズスケの朴訥とした節回し。 弦の音は塩辛い音で良いのだが、これはだめだと食わず嫌いしていた。しかし、である。何度も聴いているうちに、これはすごい演奏だと思うようになった。地味が滋味だと感じられるようになったのは、フィナーレのリズムの刻み方を聴いていたとき、そして突然ヴィオラがうめき声を上げる箇所を聴いたときで、これなかなかすごいのでは、と他楽章も聴いたところ一回聴いただけではわからなかった細部の味付けが見えてきたのである。 すなわち表面はオーソドックスで、きっちり演奏しているが、その塩辛い弦の、暖色系の響きの裏に精神の炎がゆらゆらと燃えているのが感じ取れたのである。あらゆる箇所で妥当な解釈を掲示し、総合点はもっとも高い。しみじみとした味わいも見事だ。ただ一点、フィナーレでクライマックスにかけて盛り上がる箇所でズスケはリズムを鋭く刻むのではなく、柔らかく奏でてしまった(ヴェーグQ新盤は最悪で、ふにゃっふにゃっとやっていくものだから、緊張感が途切れてしまう)。 Oスメタナ四重奏団 Smetana Quartet rec. 1984> DENON 1st 7'14'' 2nd 3'17'' 3rd 0'52'' 4th 14'01'' 5th 6'12'' 6th 1'32'' 7th 6'32'' スメタナ四重奏団はスプラフォンのアナログ録音もあるが、これはデジタル録音による全集中の一枚である。録音は若干高音がきんきんする。演奏はアナログ時代のものよりずっと良い。何より、四奏者の音色が完全にブレンドされ、いぶし銀のようであること、そして解釈としても枯淡に達しているからである。 一楽章の神秘的な楽音を、そのいぶし銀のような響きで純化していく手腕は素晴らしいものがあり、一途に切なくなる。 二楽章は神秘感に溢れた演奏で、表情も繊細で美しい。 威厳のある三楽章も良い。 四楽章の長大な緩徐楽章は胸が広々としていくような豊かさ、温かさに満ち溢れ、懐かしくて仕方がない。音色がなんと美しく調和していることだろう。 5楽章はアナログ時代と比べ、テンポも落ち、素朴そのもの。勢いのあるリズム感がやや衰えたか間が空きすぎる箇所もあるが、質朴とした風情は素晴らしい。 六楽章はテンポが速すぎて唐突な印象も受けるが、余計な思い入れを排除して間奏に徹するところに彼らの美学があるように思う。 フィナーレは充実した名演奏であり、解釈としても磨き上げられている。全体を通じて、ブダペストQの透徹した演奏とハンガリーQの飄々たる風情と並んで、この演奏は万人に愛される解釈という意味で完成されていると思う。録音が今一歩すっきりとしていれば良いのだが。 Pアルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartet rec. 1984> EMI 1st 6'48'' 2nd 3'06'' 3rd 0'50'' 4th 13'23'' 5th 5'35'' 6th 1'33'' 7th 6'25'' 日本の批評家先生方が毎年名曲ベストで一位に選出するディスク。 貶すのは趣味の悪いきたけんだけ。 第一ヴァイオリンのピヒラーの神経質で時にひゃんひゃんした音。 バリリと比べて形骸化したウィーン訛り。 豪快すぎて美観を失った五楽章、フィナーレ。響きがぼてつく。 すっきりと流した六楽章もまったくしみじみとしない。 四楽章も響きがぼてつき、悲しみもムードだけ。 一楽章も同じ。心に響かないのだ。だから、印象に残らない(印象的なのはフィナーレの物凄いチェロの刻み)。 弦楽四重奏曲第15番ではあれだけの名演を成し遂げながら、この14番ではどうしたことか?悪い意味でヒステリック。 まあ、僕の耳が悪いのでしょう。同じスタイルなら、よりきっちりと仕上げ(すぎ)、精神的な演奏をしているメロスQがある。 Qメロス四重奏団 Melos Quartet rec. 1984 & 1986> DG
1st 6:14 2nd 2:50 3rd 0'38'' 4th 3'22''- 1'27'' - 2'08'' - 1'02'' - 3'19'' - 1'20'' 5th 2'12'' - 2'48'' 6th 1'52'' 7th 6'40'' ネット検索しているとメロス四重奏団の評価が高い。しかしながら、永らく廃盤だったので入手困難だった。2004年5月に再発売された。一万ニ千円。それを高いとみるか安いとみるかは人それぞれだが、ターリヒQのような超名盤が全集という形で5千円代であることを考慮すればやはり高い。 演奏はドイツ的硬派である。すごいテクニック。ヒステリックなほど泣き喚く弦。音色は格別美しいわけではないが、ざらついた味のある音で好感が持てる。メルヒャーの高音はややきついが、録音のせいもあるだろうか。かなり切り詰めた演奏であり、細部まで徹底的にがっちりやっている。しみじみさとは程遠いオーケストラのようなアンサンブル。もちろん、それも一つの弦楽四重奏の究極であり、演奏スタイルも正しくドイツ風である。 五楽章は現代風でかっちょ良く、すかっと爽快。 フィナーレは出だしの悲痛な運命動機を流線型に処理するのがいただけない。踏みしめる力が物凄く、そのシンフォニックな厚みとともに、交響曲でも通じる音楽だなあと感じる。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏に特有の精神世界のような神秘的ファンタジーに欠けるのが難点。マッチョ(悪い意味ではない)で激情的なオーケストラ・アンサンブル。好きな人には堪らないのでは。 Rリンゼイ弦楽四重奏団 The Lindsays rec. 1980年代> ASV
1st 9'22'' 2nd 3'06'' 3rd 0'57'' 4th 15'57'' 5th 5'26'' 6th 2'21'' 7th 6'50'' リンジーズの二つある全集のうち、これは旧盤全集の中の一枚である。録音年代が明記されていないのが不親切だ。おそらく84〜87年の間に収録されたはずだが、それにしては録音は全体的に良くない。 この14番は生々しい響きをそのままリアルに伝える録音だが、車の音のような轟々とした雑音がうざい。新盤に比べて厳しさがより前面に出て、どろどろとした情念をリアルに伝える。 一楽章も他のどの団体よりも遅いテンポでたっぷりと歌い、カロリー満点。 二楽章も融通無碍よりはベートーヴェンの荒々しさを伝え、三楽章の悲劇性の表出、こってりとした四楽章を得ると、リズミックなスケルツォもごつごつとして熱い。 6楽章も泣き節。ここまでくるともう圧倒されるしかない。 フィナーレはまさに慟哭だ。遅めのテンポでありながら全然低回せず、緊張感が漲り、凄まじい怒りと悲しみが爆発する。このフィナーレは名演だ。中間部の嘆きをリアルに音化して意味を持たせた演奏はバルトークQとリンジーズの旧盤以外には存在しない。 S東京弦楽四重奏団 Tokyo String Quartet rec. 1990-1991> BMG
1st 5'45'' 2nd 2'54'' 3rd 0'46'' 4th 14'32'' 5th 4'58'' 6th 2'00'' 7th 6'27'' 東京弦楽四重奏団の演奏は、オーソドックスな解釈の名演である。テクニックは万全であり、オーケストラのようだ。音は暖色系でよく溶け合っている。繊細さにはやや欠けるきらいもある。しみじみとした感じはない。 日本人中心の団体であるため、日本人演奏家特有のややのっぺりどっしりとした印象。同じタイプのメロスQやアルテミスQが持つ細やかさや品はない。しかしながら、高音がヒステリックになることはなく、あくまで音楽的なのは偉とすべきだろう。 一楽章からして内容のある表現であり、深刻な悲劇が伝わってくる。上質なオーケストラのような演奏だ。 二楽章、三楽章を通じてまずは模範的な解釈である。軽妙さとか、神秘的な印象は皆無。 四楽章も巨大な歌が横溢する。如何にも朗々としている。 五楽章は最速で小気味良い。それでいてシンフォニックで立体的であるのは最高に立派である。 六楽章はカペーQやバルトークQが目指した甘美な悲歌ではなく、轟々としたオーケストラ音楽となっているが、そのスケールの大きな解釈もけして空虚ではない。 フィナーレは快速テンポで、きれいごとでない悲痛な叫びを聴かせてくれる。テンポももたれないしメロスQやアルテミスQよりは東京Qを採りたい。残念なのは、一楽章と二楽章の間に断絶があることだ。 ((21)) クリーヴランド四重奏団 Cleveland Quartet rec. 1995> Telark 1st 7'23'' 2nd 3'00'' 3rd 0'50'' 4th 13'47'' 5th 5'20'' 6th 2'08'' 7th 6'48'' すでに解散してしまった団体である。彼らが最期に残した全集の中の一枚。宮城谷 昌光氏が著書『私だけの名曲』で絶賛しており(この曲の演奏に限っては、「意図はわかるが、感情的側面を出すべきではない」としている)、音楽評論家の歌崎和彦氏も絶賛する全集である。 期待に胸を弾ませながら聴いたのだが、私にはそれほど心に響く演奏ではなかった。 一楽章、二楽章ともにオーソドックスな解釈であり、技術的にも素晴らしい。弦の音色はあたたかく、特にチェロの活躍に目を見張るものがある。しかし、いささか轟々たる印象が強すぎる。ワルターがアメリカのオーケストラを初めて聴いたとき、 「その地響きするようなカンタービレに驚いた」と述懐しているが、その印象そのままなのだ。しかも、気持ちをこめようとしてもったいぶった入り方をしたりするので非常に有難迷惑である。 三楽章は速いテンポで、四楽章もたっぷりと歌う。しかし、東京弦楽四重奏団には及ばない。 5楽章は構造的でシンフォニック。チェロが素晴らしい。 6楽章も音色、表現ともに申し分ないのだが「何かが足りない」。 フィナーレに入り、快速で激情を表していく部分は幸先良いと思わせるが、途中でやはりテンポを粘り、チェロが鼻につき、クライマックスで全員が一瞬の間を空け、ぐっとテンポを落として泣き節を披露するが、それほど心に響かないのである。 ((22))ゲヴァントハウス四重奏団 Gewandhaus-Quartett rec. 1996-1997> NCA 1st 6'23'' 2nd 3'00'' 3rd 0'49'' 4th 13'50'' 5th 5'56'' 6th 1'53'' 7th 6'25'' この団体は、ジュリアードに始まる現代的なスタイルとは少し距離があり、18世紀から脈々と受け継がれてきた伝統的奏法に従って、現代的なスタイルとの融合を試みている。全集という形で、縦長のBOXセットに収められているものの一枚。実はこの全集、初回プレスにはフィナーレにノイズが混入していた(トラック11の0:41頃にぼーっという低音ノイズが入る)。NCAに抗議のメールをしたこともあるが、返事はなかった。この初回盤のBOXは取り出し口に三角の切れ目が入っている。また後ろの社名の欄近くに2003という年表記がある。しかし、現在出回っているセットには切れ目がなく、2003という表記もなく、またノイズも除去されている。これは嬉しいことだ。しかし、初回プレスと比べると全ての曲に関して録音がややきつい印象になっている(ヘッドフォンで聴くと耳疲れがする)。初回プレスだと、もっと滑らかで豊かな音だったのに。その点を除けば、安価の全集なのでおすすめ。 演奏は第一ヴァイオリンのエルベンの美音が最高だ。 ここに挙げたどの楽団よりも美しい。 全楽章むらなく、標準的な演奏であり、厳しさにはやや欠けるがだぶつくぐらい豊かな音楽が楽しめる。各楽器が溶け合い一つの楽器のような音になる味わいはなかなかない。音楽評論の幸松肇氏が特選するわけである。 ((23))リンゼイ弦楽四重奏団 The Lindsays rec. 2001> ASV
1st 7'26'' 2nd 2'46'' 3rd 0'46'' 4th 13'31'' 5th 5'11'' 6th 2'15'' 7th 6'36'' 好き嫌いが分かれる演奏かもしれない。僕自身は大好き。録音は良いが、問題はチェロの音にある。初めて聴いたときは、なんとガサツで粗暴な音だろうと思った(旧盤はさらに全ての楽器がごつごつしている)。通常期待するようなまろやかさは微塵もなく、切れば血が出るような濃さ。この特徴は旧盤と同じだが、それに独特の透明感に満ちたヴァイオリンの音色が絡む。ヴィオラも透明感がある良い音だ。音が練れてきているのだろう。精神性を追求し、ぶっきらぼうなくらい実直にベートーヴェンのスコアを音化していくが、旧盤のほうがやりたいことをやりつくしていて好きだ。 タイムを見ても分かるが、皆常識的な時間で演奏されている。ごつごつとした響きや口当たりの悪いごりごりした奏法には変わりがない。歌う部分では澄み切った青空のような美しい和音が響き渡る。旧盤と比べてこの特徴が出てきたのだが、僕は旧盤の情念の塊といった音が好きだ。 フィナーレは泣きじゃくるように駆けていくのが旧盤と同じだが、疾走せずに強調して粘る箇所に緊張感がない。とにもかくにも演奏とは不思議なものだ。アルバン・ベルクのほうが音色はずっと美しいはずなのに、聴き終えた感想はこちらの素朴な音のほうが美しく感服する。 ((24))プラジャーク四重奏団 Prazak Quartet rec. 2001> Praga 1st 6'26'' 2nd 3'14'' 3rd 0'51'' 4th 13'59'' 5th 5'27'' 6th 1'50'' 7th 6'08'' これは僕個人の好みとしては大好きな部類の演奏であり、14番のベストと考えていた盤である。 この団体の演奏スタイルは現代風。速度は快速であり、シンフォニックに4つの楽器が絡む。それだけならばメロスQやアルテミスQと同じであるが、彼らはもっと洗練された練れた響きをしている。その第一の特徴は音色が全て溶け合っていること、第二の特徴として、擦れた響きや無骨な響きから、透明な詩情、洗練されきったフレージングといった具合に、我々が様々な団体に期待していた数多くの語法が自在に駆使されているのである。音色の美しさも渋くまろやかである。 六楽章の冒頭の音など、カペー以来どこの団体が成し遂げられただろうか。 フィナーレの超スピードはカペーやバルトークに次ぐ。しかも、カペーやバルトークが持っていた欠点がない(アンサンブルが雑になったり、低音が不足したり)。このテンポで始まったときの僕の感激はとても言葉にはできない。解釈はあくまでオーソドックスなのである。五楽章の途中で何回か遠くでくしゃみが聴こえる(しかも同一の音型の箇所で繰り返されるため、この演奏が切り貼りと編集の賜物であることがわかる。残念。)各楽章全て平均点が高く名演であるが、今聴くと落ち着きにいささか欠けよう。 ((25))アルテミス四重奏団 Artemis Quartet rec. 2003> Ars Musici
1st 7'42'' 2nd 2'49'' 3rd 0'48'' 4th 12'51'' 5th 5'08'' 6th 1'55'' 7th 6'52'' アルテミス四重奏団。この団体も評判が良いので購入してみた。890円だった。何でも曲によって第一ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交替するという変り種奏法。こういうアプローチもあってよいだろう。これは秀演である。録音は良い(最近、ヴァージンに移籍したけれど、録音が悪くなりませんよう)。 弦の音は師匠にあたるアルバン・ベルクQとは対極で、渋い。枯れた味もある。こういう音はやはり滋味で好きだ。極めて現代的でシンフォニック。ストレートに進むが、それでも一楽章のフーガはきちんと悲劇的内容が伝わってくるし、二楽章もうまさだけに終わらず、飄々とした中にわびしさを味あわせてくれる。テクニックは抜群なのに、それが鼻につかない。 四楽章も速いテンポでしっとりとした味わいもあり、見事だ。ズスケQはやや朴訥としすぎる。名演は五楽章。野人の音楽。楽しさも無類。チェロ、ヴィオラ、次々と自己主張し、内声のリズムが次々に表に飛び出してくる。東京Qにはいささか劣るがかっこいい。それでいてけして虚飾ではない。 六楽章もアルバン・ベルク流なのに、こちらはきちんと心に残る。フィナーレだけは僕の好みではない。テンポを遅めに設定して、内声を生かすのはハンガリーQ、ジュリアードQ、メロスQもやっていたが、そのスタイルとしては完成されているとはいえ、重すぎる。フィナーレはソナタ形式とはいえ、立派さが前面に立つ音楽なのだろうか。 ((26))タカーチュ四重奏団 Takacs QUartet rec. 2003-2004> Decca 1st 7'58'' 2nd 2'56'' 3rd 0'42'' 4th 13'27'' 5th 5'02'' 6th 2'17'' 7th 6'30'' レコード・アカデミー賞を受賞し、評論家の方々に非常に評価の高かった全集中の後期集である。録音は高音の伸びは非常に良いが、低域が寸詰まりの音で、ややチェロの低音がボンつく。残響成分の伸びがなく、デッドなのに弦にうるおいが残るという不思議な録音。 一楽章からして香りのある格調高い演奏である。悲しみが漂うように立ち上がり、線の細い4本の弦が絡みあう。分厚いハーモニーが生み出すオルガン的な響きはなく、ただただ繊細である。 二楽章も同スタイルで、その匂う様な楽音の美しさを何とたとえよう。 三楽章ではきっちりと決意を示した表現をとり、長大な緩徐楽章に入っていく。精神性というよりはやはりデリカシーや細やかな弦の表情に注意が払われており、伸びやかな音楽性よりも格調高さが選択されている。それにしてはピチカートが美しくない。弦の音色もそれまではあまり気にならなかったが、何となくモノ・トーンというよりも墨色のくすんだ感じがする。それがいぶし銀の音色にまで至ってはいないように思う。だから、ベートーヴェン特有の詩情、情感、懐かしい旋律群が羽ばたかず、さりげなさすぎる印象なのだ。繊細すぎる。 5楽章はごりごりと音を立て、リズミックな活気に満ちているが、やはり細やかさや線の細いデリカシーに気を囚われすぎ、音楽の素朴さを欠いているように思う。 六楽章も一楽章と同じで、音楽性が優れており、ベートーヴェンの悲愴な魂は匂うように漂う。フィナーレに入ると、ガリッガリッというチェロのえぐりで、勢いのあるギャロップ風のリズムが処理されていく。解釈として妥当であるが、やや唐突な印象である。というのも、激情を支えるべき情感豊かな旋律群が清々しさとさわやかさで留まり、真の再現芸術になっていないためと思われる。全体を通じて楽章ごとの有機的なつながり(本当は七楽章は続けて奏されるのだが)を欠いているようにも思われ、ムード的なベートーヴェンになってしまっているという感がある。 http://www015.upp.so-net.ne.jp/kitakenworld/14.html
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