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■マセソン・ボーイズとロスチャイルド家
『多くの冒険の末に、3人(5人の誤り―引用者=駒込武注)はロンドンに着いた。そこで、彼らは、コモン・センスを備えたキリスト教的人物の世話になるという幸運に恵まれた。その人は、彼らの逃亡を援助した会社のメンバーであった。ヒュー・マセソンである。今日の日本は、ヒュー・マセソンの相談と世話に少なからぬものを負っている。「はい、私はマセソン・ボーイズの一人でした」。先日、日本の首相は私に語ってくれた。「私は多くのものを彼に負っています。」』
上は京都大学の駒込武の『「文明」の秩序とミッション―イングランド長老教会と19世紀のブリテン・中国・日本―』(『地域史の可能性―地域・世界・日本―』山川出版社)からの引用であり、日清講和条約締結の準備が進められていたさなかの1895年3月4日の『ウエストミンスター・ガゼット』に掲載された伊藤博文首相へのインタビュー記事である。
駒込によれば、この記事の中で伊藤は、交渉相手である中国政府の非文明的な性格、たとえば責任の所在の曖昧さについて不平を漏らすとともに、李鴻章は「私の西洋に対するすべての知識と、私が日本で行ってきたすべての改革について知識を得たがっていた」と誇らしげに語っている。
また駒込は英国に密航した5人の長州留学生を『いち早く西洋近代文明への「改宗者」になった』と評し、彼らもまた『自分たちの社会の劣等者を今や彼らが「文明」とみなすものに向けて改宗させるための、もっとも熱心な宣教者となる』と書いている。
続けて、当時の覇者英国は、キリスト教的な使命感も手伝って、自国を「文明化の使命」と位置付け、『「文明」の担い手にふさわしい人々と、その対極にある「非文明的」な人々を序列化しながら、多元的な「中心―周縁」構造を生み出していった。「中心」は「周縁」の人々を魅きつけ、「周縁」から「中心」への旅を生み出すことになる。』とし、『近代日本は、そこからキリスト教をとり除き、天皇制という疑似宗教を忍び込ませるという作業を密かに行いながら、「文明化の使命」という点ではブリテンを模倣しようとした。』と結んでいる。
グラバー家は英国国教会に近いスコットランド聖公会に属し、トーマス・ブレイク・グラバーもフレイザーバラにある聖公会系のセント・ピーターズ・エピスコパル教会で洗礼を受けている。
そして、英国留学生の世話役になっていたヒュー・マセソンは、イングランド長老教会の海外宣教委員会の委員長を1867年から1898年までの30年以上の長きにわたって努め、宣教師の人選、現地の活動状況に応じた資金の配分などに大きな権限を持っていた。つまり、ビジネスマンと宗教家のふたつの顔を持っていたことになる。そして、スコットランドの「ケルト辺境(Celtic fringe)」の出身者としてのケルト民族であったことにも注目しておきたい。
駒込の「中心―周縁」構造を借りれば、イングランド出身の英国国教会徒が当時の英国の「中心」に位置している中にあって、その「周縁」にいたスコットランド系のヒュー・マセソンとグラバーは、英国の「中心」へと駆け上がる野心から、日本を「自らの周縁」にするために「周縁」としての薩長と手を組みながら「中心」である幕府を崩壊させたことになる。
グラバーは、明治維新の成功が長崎貿易の縮小をもたらし経営が悪化、倒産に至る。しかし、高島炭坑の支配人、三菱が高島炭坑を買い取ってからの渉外担当顧問として、岩崎彌太郎、彌之助、久彌に仕え、キリンビールの基になったジャパン・ブルワリー・カンパニーの経営にも携わりながら、1911年12月16日、「周縁」の地の歴史に名を刻みながら麻布富士見町の自邸で息を引き取った。
多数のグラバー関連文書が見落としてきた重要な事実をここで指摘していきたい。グラバーとは対照的にヒュー・マセソンは英国の「中心」を率いるエスタブリッシュメントとして、1873年3月に鉱山採石最大手と知られるリオ・ティント(リオ・ティント・ジンク、RTZ)を設立し、1898年まで会長を務めた。設立に関わった金融業者、事業家による国際コンソーシアムの中にはロスチャイルド家の名前もあった。さらにロスチャイルド家は1887年から89年にかけてリオ・チィントの大株主となり、経営に大きな発言力を持つようになる。
左手のアヘンを兵器に持ち替え、「左手に兵器、右手に聖書」となったグラバー商会やジャーディン・マセソン商会は、密航という手段を用いてまで、「周縁」の若き担い手達を留学生として「中心」に招き入れることで、人的交流を深めながら「周縁」との関係を強化しつつビジネスにつなげていった。
この手法は、ヒュー・マセソンやロスチャイルド家によって英国の「中心」に取り込まれ、ハード・パワー一辺倒の戦略から「ソフト・パワーを組み入れたハード・パワー戦略」へと転換させていくのである。
■ソフト・パワーの「永遠の輝き」
英国の「ソフト・パワーを組み入れたハード・パワー戦略」を最も象徴するのが、ローズ奨学生制度である。
ローズ奨学生制度は、英植民地政治家として知られたセシル・ローズがロスチャイルド家の支援を受けて南アフリカで1888年に興した世界最大のダイヤモンド生産・販売会社であるデ・ビアスなどの財産をもとに1903年に創設された。
大英帝国繁栄のシンボルであったビクトリア女王の死去(1901年)、そしてボーア戦争(1899−1902年)では予想外の苦戦を強いられ、国際的な正統性を失い孤立を深めていく。エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を引き合いに大英帝国の衰退と没落が語られ、自信喪失感が漂い始める。彼らの目には1904年から翌年にかけての日露戦争で勝利した日本人が、愛国心に富み、ロシアに対し一丸となって戦うモラル高き民族に見えた。
ハード・パワーの限界に直面した英国にあって、ソフト・パワー強化のためにローズ奨学生制度が生まれ、1907年には日本の武士道に影響を受けてボーイスカウト運動が始められる。ボーイスカウト運動を提起したベーデンーパウエル卿もセシル・ローズの土地を意味するローデシアや南アフリカで前線部隊総司令官などを務めており、初期段階の次世代の兵士を育てるための青少年への軍事訓練としてのボーイスカウト運動は瞬く間に世界へと拡がっていく。
およそ100年を経て、新たな「中心」となっているにも関わらず、英国の影響を強く受けたローズ奨学生政権が誕生した。クリントン前大統領を筆頭にウールジーCIA長官、タルボット国務副長官、ステファノポロス大統領補佐官、ライシュ労働長官など、いずれもローズ奨学生だったのである。
このローズ奨学生政権を僅差で破って誕生したブッシュ政権は、再選をかけた戦いを聖戦と位置付け、両政党にまたがる国際派エリートを自負する東部エスタブリッシュメントを見事なまでに叩きのめし、名実ともに「周縁」が「中心」へと躍進した。
軍産インナー・サークルとキリスト教右派・ユダヤ教右派連合に支えられたはブッシュ政権は、「左手に兵器、右手に聖書」の強力な陣営を率いて、現代版十字軍遠征に進軍していくのである。
ローズ奨学生であったミスター・ソフト・パワーことジョセフ・ナイは、ハード・パワーを過信するブッシュ政権に警告を発し、巷ではボーア戦争とイラク戦争を重ね合わせながら、今再びギボンの『ローマ帝国衰亡史』が注目を集め始めている。
若きクリントンにローズ奨学生になることを勧めたのは、自らもローズ奨学生として英オックスフォード大学に学んだJ・ウィリアム・フルブライトである。このフルブライトが上院議員時代に広島、長崎への原爆投下にショックを受け、「世界の平和を達成するためには人物の交流が最も有効である。」との願いから1946年に創設したのがフルブライト交流計画である。
このフルブライトの奨学金でこれまでに米国に留学したフルブライターと呼ばれる日本人同窓生は約5900名にのぼり、官界、法曹界、金融界、財界、学界、ジャーナリズム、芸術分野で戦後の日本を支え、数多くのビッグ・リンカーを生み出す国際派エリート人脈を作り上げている。しかし、本来リベラルであるはずの彼らは、フルブライトの平和への願い虚しく、イラク戦争をも受け入れた。
100年後のモラル高き民族は、西洋近代文明の改宗者から熱心な宣教者へと見事に変貌を遂げ、ハリウッドから届けられたスクリーンの中だけの「ラスト・サムライ」を呆然と眺めていた。
そして、米国と並ぶ世界的なダイヤモンドジュエリー市場となり、給料3カ月分神話に支えられて今なお「永遠の輝き」で人々を魅きつけている。
これが「ソフト・パワーを組み入れたハード・パワー戦略」の威力である。
http://www.yorozubp.com/0411/041117.htm
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※ 本日は以上です。
以下にビル・トッテンのコラムを転載します。
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米との惜別を決意せよ
H16/11/18
アメリカの大統領にブッシュが再選された。そのことについて、書きたいことはたくさんあるのだが、今回はブッシュがおこなった減税政策について取り上げる。
「融資」でなく「貢ぎ」
米財務省が十月に発表した二〇〇四会計年度の財政赤字額は四千百二十五億五千三百万ドルと、二年連続で過去最大を更新した。また世界貿易機関は、アメリカの二〇〇三年の貿易赤字が五千二百億ドルを超えたと発表している。これらの数字は日本政府があがめ、追随しているアメリカという国がとんでもない借金地獄に陥っていることを示している。それに対して、日本政府は外貨準備高として九月末で約八千三百億ドルを保有している。
以前から私は、日本政府が外貨準備高で米国債を購入していることは「融資」ではなく「貢ぎもの」だと主張してきた。たとえば一ドル一八〇円の時代に購入した米国債が償還時に一二〇円になれば、アメリカは三分の二だけを償還すればよく、三分の一は日本の納税者の負担となる。これは日本が長年にわたってアメリカの植民地としての役割を担っていること示す一つの例である。
日本は独立国だと反論するだろうが、植民地は、宗主国に対して天然資源供給地となる、宗主国がその領土の一部を所有している、植民地の軍隊は宗主国が指揮する、植民地の税金は宗主国の意のままである、といった特徴がある。日本は確かに表向きには主権国家だが資源の代わりに資金を供給し、米軍基地をおき、自衛隊はアメリカの指示でイラクへ派遣されていることをみれば、日本が「植民地」状態にあることは明白で、小泉は総督として手腕を発揮しているといえる。しかし、宗主国が借金で破たん寸前にあることを総督は理解しているのだろうか。
借金国アメリカ
アメリカの財政赤字はレーガン政権時代、ごく少数の金持ちの所得税を70%から38%に減税することから始まった。ふれこみはこれによって投資が活発になり、経済が活性化されるというものだったが現実は反対だった。アメリカは不況におちいり、財政赤字が膨らみ、大統領に就任した一九八一年に九千九百五十億ドルだった債務は十二年後には四兆ドルにも増大した。
次のクリントンが金持ちに増税して労働者層を減税し、アメリカには史上最長の好景気がおとずれた。米政府は財政黒字となって借金を返し始めたが、再びブッシュ大統領になるとレーガン政権のやり方にもどり大金持ち優遇が始まった。そして再び財政赤字が累積したのである。今回のブッシュ再選で小泉総督は胸をなでおろした心境であろうが、しかしこれはアメリカの赤字がこれからも増え続けることを意味している。
※ 続きは以下でどうぞ。
http://www.nnn.co.jp/essay/tisin/tisin0411.html#18
http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200411180000/
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