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ラザード・グループ 灼熱
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/380.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 12 月 18 日 13:44:40: tZW9Ar4r/Y2EU
 

“フランス株式会社”の中枢に位置するパリの「ラザール・フレール」、ロンドンの「ラザード・ブラザーズ」、ニューヨークの「ラザード・フレール」について。

仏英米にまたがるこれらの会社の名前はそれぞれ違いますが、これら3つのラザードの起源は1848年にさかのぼります。
フランス人のラザール3人兄弟、アレクサンドル、シモン、エリーの3人が米国へ移住しニューオリンズに設立したのが最初です。
1852年パリに設立したのが「ラザール・フレール」、1870年ロンドンに設立したのが「ラザード・ブラザーズ」、3人の従兄弟にあたるアレクサンダーが1880年ニューヨークに設立したのが「ラザード・フレール」です。

これら3つのグループは、それぞれ別会社として運営されてきましたが、2000年になって統合し、ひとつにまとまった。総本山はフランス。
「LAZARD」のサイト http://www.lazard.com/によると、2500人の従業員を世界中の主な金融中心地に置いているとのこと。

この投資銀行である「ラザード」は、株式非公開の投資銀行で最大手に位置する。100%プライベート・カンパニーである。現在の会長は、マイケル・デービッドワイルが務めている。

日本での活動は、丸の内にある「ラザード ジャパン アセット マネージメント株式会社」というのが「ラザード アセット マネージメント」の日本拠点として営業している。
この会社(ジャパン)は1987年より日本で営業を開始している。2001年9月末時点のグループ全体(ラザードアセット)の運用資産総額は、約7.6兆円というから巨大である。
「ラザードジャパン」の代表取締役は日本人が務めているが、「ラザードジャパン」は「ラザード・ファー・イーストインベスターズ(ホールディングズ)リミテッド」の子会社になっている。この親会社が株式を100%所有しているとのこと。

「世界で最も影響力のある女性」と言われたキャサリン・グラハムという女性がいた。ご存知、ワシントン・ポストの社主である。グラハムは数年前に亡くなっている。
キャサリン・グラハムの本名は、キャサリン・マイヤーという。彼女の一族は、フランスのアルザス・ロレーヌ地方に何世代も続く著名なユダヤ系一族である。
彼女の祖父にマルク・ユージン・マイヤーという人物がいた。ラザードのアレクサンドルの従兄弟に当たるこのマルク・ユージン・マイヤーが米国へ渡って、ニューヨークのラザード・フレールに務めていた。そして、マルク・ユージン・マイヤーの息子、つまりキャサリン・グラハムの父ユージン・アイザック・マイヤーもラザード・フレールに入社している。しかしすぐに退社し、ユージン・マイヤー・アンド・カンパニーを設立。ここからマイヤーは、1913年にニューヨーク証券取引所の理事に選任され、さらに政府の戦時軍需品・財政委員会、戦争産業委員会にも起用されていく。1930年にはFRB(連邦準備制度理事会)の理事に就任、31年には再建金融公社の会長に就く。そして1946年には、初代世界銀行総裁に任命されるのである。マイヤーは金融界の超大物である。
このユージン・アイザック・マイヤーがワシントン・ポストを1933年に82万5千ドルで買収したのである。マイヤーはこの時に金融家として軍事産業とメディアと政治をコントロールすることに成功したのである。そしてマイヤーの背後にいたのは、紛れもなくラザード・グループであり、キャサリン・グラハムを支えていたのもこれから登場する、ラザードのアンドレ・マイヤーであった。

20世紀を代表する1人であるアンドレ・マイヤーもパリで生まれたユダヤ人である。アンドレ・マイヤーは、1925年にパリのラザール・フレールに入社、すぐにパートナーに迎え入れられる。 そしてアメリカへと渡った彼は、ニューヨークのラザード・フレールに入る。彼は、ここから様々な企業を一流企業へと育てていく。三大ネットワークのひとつCBS会長も長く務めている。
アンドレ・マイヤーは、チェース・マンハッタン銀行会長のデービィッド・ロックフェラー、イタリアのフィアットグループのアニェリ家を育てていったという。デービィッド・ロックフェラーはアンドレ・マイヤーのことを「最も創造的な金融の天才」と呼んでいたらしい。
そんなアンドレ・マイヤーも1979年に亡くなった。

ラザード・グループの話をしていたらキリがないので、ここらでもうちょっと身近な話に切り替えます。
以上の話で「ラザード=ロスチャイルド」だということをご理解して頂ければいいでしょう。

もうひとつだけ。
8月21日の日記(ビルダーバーグ)に登場した「ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジク」という会社がありましたが、この会社はフランスの「スエズ・グループ」に88年に完全買収され支配下に置かれました。この買収劇の背後でスエズを成功に導いたのがラザード・グループだったと言われています。

さて、身近な話です。身近とは、日本に関することです。
8月28日(日銀の話)と26日(私物国家)の日記に登場した澄田智という第25代日銀総裁がいます。澄田は現在(財)日本ユニセフ協会の会長です。日本輸出入銀行総裁も経験しています。

澄田は84年12月から89年12月まで日銀総裁を務めていました。
澄田は日銀総裁を辞任後、90年3月にフランスのラザード総本山、ラザール・フレールの顧問になりました。これは“大事件”のはずです。日本の中央銀行の元総裁が、ロスチャイルド系マーチャント・バンカーの顧問に就任したのです。

澄田の後任に日銀総裁となったのは「日銀のプリンス」三重野でした。三重野は米国から遠隔操作されていた人物だし、澄田は仏英米にまたがるラザードに雇われました。日本はここから「失われた10年」に突入するのです。この「失われた10年」とは、日本の富が海外へと流出したという意味でもあるはずです。

澄田は総裁の前、大蔵省事務次官だったのです。つまり澄田と三重野はバブル経済を創り出し、そしてそれを崩壊させた重要人物なわけですよ。
澄田がラザール・フレールの顧問に就任した同時期から、国際投機筋の日本売りが始まったんです。はたしてこれは偶然だったのか。私には、偶然には見えません。

澄田智とは何者か?
澄田が日銀総裁になったとき、既にその名は「天下り人事のボス」として鳴り響いていた。

霞ヶ関の天下り人事を動かす二人の男
http://members.at.infoseek.co.jp/saitatochi/13.html

では、なぜ澄田智がボスだったのか?
「霞ヶ関の天下り支配者は、澄田智だ」と言われてきた。澄田は、父親の代からフランス財閥と不思議な関係を深めてきた。満州事変の黒幕だったその父の後継者として、自らは大蔵事務次官から84年の日銀総裁を経て、金融解放とバブル経済へと、わが国を疾走させた最大の黒幕であった。児玉誉士夫らと組んで第一銀行と勧業銀行を合併させた立役者が澄田智でもあったのだ。
澄田智が金融界での天下り人事の支配者であり、石油公団総裁の和田敏信が産業界での天下り人事の支配者であった。ついでに付け加えれば、大蔵省・澄田智の長女と通産省・和田敏信の長男は夫婦である。結婚している。

澄田智を解く鍵は、おそらく澄田の父、澄田ライ四郎(フランス駐在武官・陸軍中将)だろう。父は興味深い(恐るべき)履歴の持ち主である。
日本が中国大陸を侵略したとき、北支那方面郡第一軍指令官を務め、満州の利権を終戦時まで支配した重罪戦争犯罪人であったのだ。しかしGHQはその犯罪歴をほごにしてしまい、澄田ライ四朗は帰国した。
彼が屍の上に積み上げた膨大な利益はいったいどこに行ったのだろうか?
重大な戦争犯罪が帳消しにされるとき、何らかの取引を目的にしているものである(細菌兵器部隊も人体実験部隊も、その資料を米国に引き渡す事を条件に帳消しになった)。
彼らの一族は後世まで誰かへの忠誠を誓ったのであろうか。
父は満州事変の黒幕、澄田は父の代からフランス財閥と関係があったのである。

金輪際許されるはずの無い人間が日本に帰国した。この事だけでも不思議だが、その息子である澄田智がベルギー大使館・フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートさせ、やがて日銀総裁のポストに就くや金融自由化が行われたのである。

澄田智が実権をふるいだした85年頃には「日米経済摩擦」「電電公社と国鉄の民営化」「住友による平和相互銀行の買収」「アメリカ金融界の日本上陸」で兜町は揺れていた。

当時、日本に上陸した5大バンカーが以下である。

モルガン・ギャランティー・トラスト
バンカーズ・トラスト
チェース・マンハッタン
シティバンク
メリル・リンチ

この5大バンカーはわずかふたつの財閥、モルガンとロックフェラーに集約される金融集団である。そして、これらの背後にはロスチャイルド財閥が見え隠れしているのだ。

再度書くが、澄田智は金融財閥ロスチャイルド一族のマーチャント・バンカー、ラザール・フレールの顧問である。
これを見過ごしていていいのだろうか……


日銀総裁と国際金融マフィアの正体
http://www.asyura2.com/truth2.htm#32
ビッグ・リンカー達の宴
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/885.html

※ 以下に、ラザードに関する最近のブルームバーグの記事を転載しておきます。

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投資銀ラザードのデービッドワイル会長、IPO反対−身売り模索(2)

8月27日:株式非公開の投資銀行で最大手、ラザードのマイケル・デービッドワイル会長は、ブルース・ワッサースタイン最高経営責任者(CEO)が同会長の持ち株を引き取らない限り、新規株式公開(IPO)には反対する考えであることが27日、事情に詳しい複数の関係者の話で明らかになった。

デービッドワイル会長は、ラザードのIPOに拒否権を行使することができる。関係者が匿名を条件に述べたところによれば、同社の株式時価総額がIPOで投資銀行関係者が推定する規模より約3割強多い40億ドル(約4400億円)と評価されるなら、同会長は保有株約9%を売却するという。ワッサースタイン氏は6月にゴールドマン・サックス・グループなどを含む投資銀行関係者をIPOについて協議した。

創業一族のデービッドワイル会長は、M&A(企業の合併・買収)ビジネスの再建を目指し、2001年に独ドレスター銀行からワッサースタイン氏を引き抜いたが、ワッサースタインCEOが優秀な人材確保に多額の資金を投じていることをめぐり、両者の関係がぎくしゃくしている。

ゴールドマンの国際部門の元CEOでニューヨーク大学教授のロイ・スミス氏は、「デービッドワイル氏は世界の金融業界で最も手練手管にたけ、成功した交渉者であり、策略家の一人だ」と述べ、「ワッサースタイン氏が会長の条件を満たすか、IPOの延期のいずれかになる」との見方を示した。

関係者によると、ワッサースタイン氏はIPOの可能性について、ゴールドマンのほか、UBS、モルガン・スタンレー、シティグループと協議した。ビジネス・ウィーク誌によれば、ワッサースタイン氏は会長の要請に基づき、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスなどの投資銀行にラザード売却について数カ月間交渉した。

デービッドワイル会長とワッサースタインCEOの広報担当者はいずれもコメントを控えている。ラザードのIPOが実現すれば、投資銀行としては1998 年のゴールドマン以来最大の株式公開となる可能性がある。

http://quote.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&refer=jp_europe&sid=aITXPzVZ3i9M

http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200409060000/


 

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