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モルガン家‥‥続き 灼熱
今日までのモルガン商会の沿革をまとめると、次のようになる。
◇モルガン商会=J・P・モルガン
◆イギリス〔モルガン・グレンフェル〕
1843年ジョージ・ピーボディー商会(ロンドン)設立→1854年ジュニアス・スペンサー・モルガンがパートナーとなる→1864年改組してJ・S・モルガン商会(ロンドン)→1900年ロスチャイルド一族のエドワード・グレンフェルが支配人となる→1910年改組してモルガン・グレンフェル→1980年代にJ・P・モルガン直系の曾孫ジョン・アダムズ・モルガンが重役室に復帰→1989年11月ドイツ銀行が買収
◆アメリカ〔J・P・モルガン〕
1861年J・P・モルガン商会設立(ニューヨーク)→1871年改組してドレクセル・モルガン商会→1895年改組してJ・P・モルガン商会→1903年バンカーズ・トラストを分離設立→1935年モルガン・スタンレー(投資銀行)を分離設立→1959年ギャランティー・トラスト(1864年創業)と合併、モルガン・ギャランティー・トラストとなる→1969年持ち株会社J・P・モルガン設立→1979年ロンドンにモルガン・ギャランティー・トラスト設立(1988年J・P・モルガン・セキュリティーズと改名)→1988年持ち株会社J・P・モルガンとアメリカのモルガン・ギャランティー・トラストとイギリスのJ・P・モルガンセキュリティーズすべてを合併→全世界でJ・P・モルガンに社名統一(98年ヨーロッパ企業のM&A仲介実績で世界第7位。1998年バンカーズ・トラストをドイツ銀行が買収)
◆フランス・モルガン商会〔モルガン・エ・シー〕
1926年設立→1975年以後モルガン・スタンレーの子会社となる。
◇モルガン・スタンレー
1935年J・P・モルガン商会から投資銀行として分離設立→1975年以後フランスのモルガン商会を完全子会社とする→1977年ロンドンにモルガン・スタンレー・インターナショナル設立→1997年シアーズ・ローバックの子会社だったディーン・ウィッターと合併し、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターとなる(92年に莫大な利益をあげて日本市場を破壊し、通称マック・ザ・ナイフと呼ばれる社長ジョン・マックのもとで厳しいコスト削減命令が出され、98年の全世界M&A仲介実績では、ゴールドマン・サックス、メリル・リンチに次いでモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターが世界第3位、ヨーロッパ企業のM&A仲介実績では世界第1位となる。
◇ドイツ銀行
1870年ゲオルク・ジーメンスが設立→1990年代までにドイツの全産業を支配→1980年モルガン・グレンフェルを買収→1998年バンカーズ・トラストを買収(実質的なロスチャイルド・モルガン連合に変貌)
J・P・モルガンが投機屋ではなかったことを示す有名な事件は、金本位制が公布される前の1893年〜95年にかけて発生した。クリーヴランド大統領の時代に経済危機が訪れ、金と銀の頻繁な交換によって財務省から金が流出して金準備が底をつき、国家の非常事態となった。この時、オーガスト・ベルモントとロンドンのロスチャイルド家が動き、J・P・モルガンがホワイトハウスまで自ら出向いて閣僚たちに指示を与え、三者の連携プレーで金を手当てしてアメリカを救ったのである。
こうして大統領さえ動かすようになった親子2代のJ・P・モルガンは、証券投資を独占化して金融トラストを形成した。当時ロックフェラーの石油トラストに倣って、タバコ・トラスト、塩トラスト、酒トラストなどが続々とつくられるなか、J・Pはトラストのトラストと呼ばれるモルガン商会を築き上げた。すでに1892年に発明王エジソンを籠絡してGEを設立し、電気事業に乗り出したモルガンは、1901年に鉄鋼王カーネギーを買収して鉄のトラストと呼ばれるUSスチールを設立し、1907年に全米の電話を独占するAT&Tの買収を完了、1920年には死の商人デュポンと組んでGMを支配した。
「紀元前4004年に、神様がこの世を創られた。しかし西暦1901年に至って、J・P・モルガンとジョン・D・ロックフェラーが地球をつくり変えてしまった」と言われたものである。
ダウ工業株30種のモルガン株は、GE、GM、デュポン、テキサコ、USスチール、AT&T、IBM、J・P・モルガン、シティバンクを数え、証券引受け業務で全米トップに立ち、ニューヨークの大手銀行がロンドン5大銀行と肩を並べられるまでにアメリカ金融機関を育て上げた。
この古い話が気がかりなのは、われわれの時代の1980年〜90年代に、全世界で巨大銀行・証券会社の合併の嵐が吹き荒れてきたからである。チェース・マンハッタン銀行、ケミカル銀行、マニュファクチャラーズ・ハノーヴァー・トラスト、ドイツ銀行、バンカーズ・トラスト、ドレスナー銀行、スイス銀行、スイス・ユニオン銀行、トラヴェラーズ、シティバンク、メリル・リンチ、バンカメリカ(BOA)、セキュリティー・パシフィック、香港上海銀行、ミッドランド銀行など、無数の合併を見てきたが、ちょうどモルガン全盛期の1919年〜28年にかけて、同じような銀行合併の嵐が吹きまくったのである。アメリカではその十年間で、驚くべきことに1358の銀行が、合併、合同の渦に巻きこまれた。
その結果、当時のウォール街に何が訪れたか。
これがメロン財務長官の時代であり、ウォール街が空前の景気にわき、数にしてわずか1パーセントの大銀行に、全米の預貯金の3分の1が集中する結果となった。
10月24日にウォール街に暗黒の木曜日が訪れる前年、28年当時のモルガン・グレンフェルの資産合計は89社の200億ドルにおよび、126社で重役の席を占めていた。歴史上これほど資産の集中が起こったことはないが、原因は27年に政府が投機買いに走り、28年にフーヴァー景気でUSスチール株、スタンダード石油株をあおったことにあった。モルガン商会パートナーのボーナスは100万ドル(99億円)に達し、暴落したあと、資金潤沢なモルガンとロックフェラー・グループだけが、恐慌のなかで莫大な利権を独占した。翌30年にチェースが全米1となるなか、6年間で4000の銀行が倒産したのである。
モルガン家が大暴落でますます独占状態を強め、その融資活動が全世界の金融、軍事、原子力におよんだ謎の答を明かさなければならない。
ヴァンダービルト、カーネギー、ロックフェラーたちには、「大した資金もないところから莫大な財産を築いた」という美談があったのに対して、J・P・モルガンは初めから資産家だった、つまりアメリカ上流社会の正統派だったというところに、答がある。
モルガン家とペリー提督の姻戚関係については、述べたが、モルガン家は、ピーボディー家とも姻戚関係を持っていた。また、第2代大統領ジョン・アダムズの息子が第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズで、その直系のキャサリン・アダムズと結婚したのが、J・P・モルガンの孫ヘンリーであった。
モルガン・グレンフェル重役の名前がジョン・アダムズ・モルガンだったのは、両家のあいだに生まれた子供だったからである。この銀行家の名は体を表わし、大統領とJ・P・モルガンの両方の血が流れている。
一方、ワシントン大統領の副官として活躍し、初代の財務長官に就任して、アメリカ経済の基礎を築いたのが、アレグザンダー・ハミルトンであった。その曾孫をウィリアムといい、彼の妻がJ・P・モルガンの愛娘ジュリエットである。この夫婦のあいだにできた子供は、財務長官と金融王の名をとってピアポント・モルガン・ハミルトンと命名され、彼は、ウォール街の投資銀行ブレア商会の経営者C・レドヤード・ブレアの娘マリーと結婚した。レドヤードの祖父ジョン・ブレアは歴代第22位に数えられる富豪で、一族はホワイトハウス迎賓館ブレア・ハウスの元の所有者であった。この投資銀行が、バンカメリカ・ブレアとして活動してきた。
歴代大統領は、こうした財閥の取り巻きに翻弄されながら、ホワイトハウスに坐る人形である。
「モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」と言われたのは、こうした理由からであった。昔の言葉は、死後ではない。最近のマスメディアがこうした脈絡を指摘しないだけである。
モルガン商会は、内部に特権者リストというものを用意した。このリストに選ばれた権力者の政治家、官僚、企業人たちは、市場よりずっと安値で株を買うことができた。日本のVIPリストと同じである。
以上は、「アメリカの経済支配者たち」広瀬隆(著)からです。
http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200408100000/
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