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モルガン家 灼熱
ジェイ・グルードがニューヨーク市の悪徳判事を利用してエリー鉄道の関連会社を乗っ取った時、それに対抗する判事と聡明な弁護士たちを引き連れて、巧妙にグルードに罠をかけてゆき、その鉄道会社の副社長に就任して暴力団一味を追い出した男がいた。
その人物こそ、まだ32歳という若き日のJ・P・モルガンであった。ロンドンで金融王ネイサン・ロスチャイルドがこの世を去った1836年7月28日からわずか9ヶ月足らずあとの37年4月17日、その生まれ変わりである金融王が誕生していたのだ。
鉄道と言えば話は古く聞こえるが、当時の鉄道は、鉄路に名を借りた金融資本であった。
1925年になって、モルガン商会が支配した主要な15鉄道の資産は、合計85億ドルに達し、1998年時価で7310億ドル(88兆円)にもなるのだから、今日のヘッジファンドでさえ足元にもおよばない。しかもモルガン商会にとっての鉄道資産は、シンジケート組織系統の頂点に立つ「持ち株会社」の部分だけであった。
ひとつの鉄道会社の傘下に、それぞれ数十の産業会社がタコの足のようにひしめいて、アメリカ国内の発行株のうち47パーセントが鉄道会社に所有され、総計1000社を超える企業がモルガン商会に支配されていたのである。したがって実質的なモルガン商会の資産総額は、数々の歴史家が計算しようと試みたが、誰にも不明であった。
一体その天文学的な資産は、今日、どこに生き続けているのか。
不思議なことに、1913年に死去したJ・P・モルガンの遺産は驚くほど少なかったと、すべての書物に記されている。美術品のコレクションが1億ドル、不動産が7000万ドル、そのほか現金や信託基金などの遺産が〆めて3000万ドル程度しかなかったという。98年時価で5兆円ぐらいだから、支配していた資産が数十億ドル(120兆円)と言われた金融王モルガンにして、投機屋ジェイ・グルード並みというのは妙である。
遺産が少ないのは当然で、この遺産の計算には、莫大な価値を持っていた有価証券が、ほとんど数えられていない。それにもうひとつ、J・P・モルガンが資産を国外に隠すことができる国際金融業者だったというトンネルが忘れられている。この事情を知るには、大西洋を股にかけたモルガン商会の成り立ちから見てゆかねばならない。
死の商人デュポン、鉄道王ヴァンダービルト、鉄道王ハリマン、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、穀物王カーギル、タバコ王デューク、鉱山王グッゲンハイム、石油王メロン、自動車王フォードたちは、たとえあくどいトラストを形成したとはいっても、いずれも大衆を相手に商品を売る産業家であった。銀行家のメロンでさえ、石油を掘り当てなければ大財閥にはなり得なかった。産業があって資産が生まれ、その資産(金)をもとにシティーとウォール街が繁栄した。これは現在も同じである。
しかしベアリングとロスチャイルドとJ・P・モルガンは、本質的に違っていた。本業が国際金融にあって、現代アメリカと同様、政府が乱発した巨額の債券を全世界に販売しながら、国家的な事業の鉄道建設や軍需産業を動かしたのである。
南北戦争がはじまる前に数百万ドルの大資産家だったジョセフ・モルガンの遺産は息子のジュニアス・モルガンに継承され、金融王J・P・モルガン、金融王ジャック・モルガン、へと4代にわたって続いた。そのあと5代目のジュニアスとヘンリーが、投資銀行として分離されたモルガン・スタンレーを設立し、USスチール、ゼネラル・モーターズ(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)など、アメリカを代表する巨大企業の重役として君臨した。
さらにヘンリーの息子として、現代の第一線で活躍してきた6代目のジョン・アダムズ・モルガンは、投資銀行スミス・バーニーの副会長をつとめたあと、モルガン・グレンフェルの重役となって今日に至っている。スミス・バーニーはソロモン・ブラザーズと合併して、98年の全世界の企業買収M&Aで4000億ドル、実に50兆円を動かす仲介実績で、マーチャント・バンカーとして世界第4位になった。モルガン・グレンフェルは、彼の4代前のジュニアスが創業し、現在はドイツ銀行の強力な細胞となった老舗である。ドイツ銀行が98年11月にアメリカのバンカーズ・トラストを買収、推定資産8430億ドル(102兆円)で世界最大の金融機関に躍り出たのは、以下に述べるように1903年にモルガン商会がバンカーズ・トラストを分離設立した歴史に基づく回帰的動きであり、モルガン・グレンフェルが仕組んだ合併戦略であった。
そのほかモルガン家の女系家族は、多数のペンタゴン官僚をつくりだし、ソ連との核兵器削減交渉SALTのアメリカ代表のほか、89年からアメリカ輸出入銀行の会長に就任したジョン・マコンバーの妻キャロライン・モルガンが、J・P・モルガンの妹の直系であるとこなど、彼らがただの遺産相続人ではないことを示す生き証人が目の前で無数に動いている。
J・P・モルガンが国際金融業者となった歴史は、世界的金融家だったアメリカ人ジョージ・ピーボディーがロンドン金融界で大活躍した時代、1854年にJ・Pの父ジュニアス・モルガンを招いた日にはじまった。現在活躍するキダー・ピーボディー証券の一族が創業したジョージ・ピーボディー商会は、当時イギリス随一のアメリカ金融機関代表者であった。ヴィクトリア女王に拝謁したピーボディーが死んでからジュニアス・モルガン商会となり、ロスチャイルド商会のパートナーとなった。これが今日の投資銀行モルガン・グレンフェルである。
ジョージ・ソロスのクォンタム・ファンドと並んでヘッジファンドの横綱とされるタイガー・マネージメントを経営してきたのは、ジュリアン・ロバートソンである。若き日の彼を育てたのが、モルガン親子を育てた投資銀行キダー・ピーボディーであった。そのため、マーガレット・サッチャーがイギリス首相退任後にタイガー・マネージメントの顧問に迎えられ、98年6月にはロバートソンの号令で国際的な投機筋の大物が東京に結集し、以後は年末まで兜町の歴史的な大暴落の日々が続いたのである。
そのキダー・ピーボディーを86年に買収して、一躍金融業界に躍り出たのが、同じボストン出身ファミリーが支配するモルガン財閥のGEであった。ジョン・フランシス・ウェルチJr会長のGEは、「割に合わない買い物をした」と批判されたが、そうではなかった。94年にウェルチはキダー・ピーボディーをペイン・ウェバー証券に売却したが、後者もモルガン財閥の一族ランドルフ・グリューが古くから経営してきたGEの同胞であった。すでに新戦略で古い体質から脱皮した90年代のGEは、電気製品・核兵器・原子力産業ではなく、モルガン商会の金融機関に変貌した。
98年末の株式時価総額で、地球上の全企業のなかでマイクロソフトの2718億ドル(32兆円)に次ぐ第2位にランクされたのが、2588億ドル(31兆円)の金融業者GEであった。第3位エクソンの1723億ドル(20兆円)の1.5倍だから、驚異的な金額である。J・P・モルガン会長のルイス・プレストンがGE重役時代に育て、会長に抜擢したウェルチの戦略は、かつてのモルガン商会の金融哲学を体現していた。
「その分野の1位か2位にならなければ利益は得られない。3位以下ではだめだ」
このウェルチの言葉は、今世紀初頭にJ・P・モルガンが語った言葉そのままである。キダー・ピーボディー買収によって金融のノウハウを体得後、航空リース会社GPAグループと、放送界の巨人NBCの買収にもおよび、宝石商ティファニーの筆頭株主になるかと思えば、南アのダイヤモンド・カルテルと共謀してダイヤの国際市場価格を操作していた疑いがもたれ、FBIが調査に乗り出すほどであった。
子会社GEキャピタルの下に孫会社ファイナンシャル・アシュランスがある。モルガン一族であるプレストンが、91年9月から世界銀行総裁に就任し、若きローレンス・サマーズを幹部に据えたコンビで、日本のバブル崩壊を主導し、GEの3000億ドルを超える資産をもって、弱り切った日本の金融機関を次々と買収したのである。会長だった浜田武雄が98年度納税額で日本1位の長者となった消費者金融レイク、破綻した長銀系ノンバンクの日本リース、東邦生命などの買収で日本に乗り込むと、東邦生命は99年に破綻し、軒を借りて母屋をとったGEのエジソン生命が堂々と生き残った。
そして99年9月には、破綻した長銀がリップルウッド・ホールディングスに営業譲渡されることになり、この救済金融機関にGEキャピタル、トラヴェラーズ保険(シティ・グループ)、ペイン・ウェバー、メロン銀行、RIT(ロスチャイルド投資信託)グループなどがぞろぞろと出資者に名を連ねた。長銀救済という名目によって、日本国民の納めた税金5兆円が、ほどんど本書登場の人脈によって流用される運命にある。
そうした広大な資金力を持つ近代的なモルガン・グレンフェルとモルガン・スタンレーで、J・P・モルガンの曾孫ジョン・アダムズ・モルガンが活躍してきたことは、意外にもほとんど知られていない。
http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200408090000/
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