http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/355.html
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イギリスについてはかなり説明したので、華やかなパリのファッション界に話を進めよう。
最近聞こえてくるのは、専(もっぱ)らファッション界の帝王ベルナール・アルノー Bernard Arnault(1949−)の話ばかりである。1985年に僅か36歳でクリスチャン・ディオール Christian Dior の社長に就任したと見る間に、翌年にはルイ・ヴィトン・モエ・へネシー Louis Vuitton Moët Hennessy(LVMH)の社長になってしまったのである。
この後は、クリスチャン・ラクロワ Christian Lacroix〔※2005年米国Falic Fashion Groupに売却〕からセリーヌ Céline、続いてジヴァンシー Givenchy まで買収してしまい、何もかも独占しようというのだからパリじゅうが驚いた。
例によって出生の秘密は深く、一体何処から現れた分からない。住宅建設でかなりの財を築いた一族ではあるが、本書で扱っているような富豪連中と比べれば比較にならない小規模の会社である。これ程の買収をするには、ジョーズの背ビレが4枚揃わなければならないが、この男の何処を分析しても背ビレ1枚どころか、背ビレ4分の1がよいところだ。
〔※補足:アルノーの父ジャン Jean Arnault(−)は、建築会社フェレ・サヴィネル社 Ferret-Savinel を経営していた。アルノーはフランスの理科大学を卒業後、20代の内から経営に参画。28歳で会社を引継ぎ、1977年には不動産会社アガシュ・ウィロー Financière Agache Willot を買収、不動産開発へと事業内容を変更。84年にはフェレ・サヴィネル社が拡大したグループ企業、フィナンシエール・アガシュ Financière Agache の社長となる。
1981年ミッテラン大統領 François Mitterrand(1916−1996)による社会党政権が誕生し、企業国有化政策によるフランス財界人の国外脱出が発生。アルノーは米国ヘ渡り、ニューヨークで3年間余りを過ごす。この間、不動産事業を営みながら、アングロサクソン流の経営手法と世界を意識したビジネスに目覚め、M&Aや株式・流通など米国式の経営手法を吸収。
米国在住中アルノーは、エリーゼ宮のジスカール・デスタン大統領 Valery Giscard-d'Estaing(1926−)の官房を辞して投資銀行ラザール・フレール Lazard Frères&Co. のニューヨーク営業所に戻っていたフランソワ・ド・コンブレ Francois de Combret(1941−)と知り合う。2人はロックフェラー・センターの同じ建物に事務所があった。
彼の助言でミシェル・ダヴィド・ヴェイル Michel David-Weill(1932−)に会い、このヴェイルを通して、パリのラザール・フレール社取締役でフランス財界の大物アントワーヌ・ベルンハイム Antoine Bernheim(1924−)に紹介される。
母国に戻った1984年、アルノーは経営危機にあった国営繊維企業ブサック社 Boussac の買収に名乗りを上げる。ブサック社は戦時中に軍服の注文などで大きく儲けた会社であり、その傘下に収まっていたクリスチャン・ディオール Christian Dior が買収の目当てだった。この買収の後ろ盾となったのが、金融資本家のアントワーヌ・ベルンハイムだった。
ミシェル・ダヴィド・ヴェイルは、ラザールを歴史的に支配してきたダヴィド・ヴェイル David-Weill 家に属し、同商会の創業者一族の従兄弟(いとこ)の家系に属する銀行家。2005年、クーデターを起こされ、ブルース・ワッサースタイン Bruce Wasserstein(1947−2009)によって取締役会を追い出された。
アントワーヌ・ベルンハイムは、現在もLVMHの副会長の椅子に座っている他、イタリア最大の保険会社であるジェネラリ社 Generari Group では会長を務めている。このジェネラリ社が、イタリアの前首相ベルルスコーニ Silvio Berlusconi(1936−)の影響下にあるイタリアの銀行、メディオバンカ Mediobanca の大株主になっており、従って、ベルンハイムという長老金融家の影響力はイタリア・フランスといった南部ヨーロッパに及んでいる〕
食品業界に登場したコニャックのヘネシー Jas Hennessy&Co. が弱冠37歳のベルナール・アルノーの手に落ちたということは、読者がお考えになるファッションの問題より遥かに重大な意味を持っている。
ヘネシー家 Hennessy Family の娘 Mary-Louise Hennessy(1930−)が結婚したフィリップ・ズルエタ Philip Francis de Zulueta(1925−1989)は、ベルギーを動かす3人の原爆男爵の黒幕であった(【系図69】の星印☆)。ズルエタはイギリスの歴代首相の個人秘書でありながら、バチカン Vatican City State を動かす枢機卿の一族でもあった(【系図74】)。
これがルイ・ヴィトン・モネ・ヘネシー社 Louis Vuitton Moët Hennessy(LVMH)の中身である。
一体、ファッション・ショー Fashion Show がどのような性格を持っているかを冷静に観察してみよう。パリのファッション・ショーが華やかであればある程、それは多くの読者にとって無関係なものになってゆく。
あのひらひらした訳の分からないデザイン、あの半裸のような衣裳、あのけばけばしい色彩、ところがこれを着こなしてよい世界もある。上流階級のパーティや映画人の華麗なイベント Event〔※催し物、行事、出来事〕では、こうした衣裳がよく似合う。
その上流階級のパーティに招かれる客は、本書の系図を集大成したような人間達、それは富豪 Super-Rich〔※正確には大富豪(超・富豪)がSuper-Rich、超・財界人がSuper-Class〕 と呼ばれ、公爵夫人として人々が傅(かしず)き、公爵令嬢として社交界に今デビューしようとする人々だ。パリのファッション・ショーは彼らの為に存在する。
それを我が国で報道するなど、奇怪なことだ。ところが“貧しい人間がふと洩らす溜め息”は、富豪達にとって掛け替えの無い幸福感を齎す。その為にも、ファッション・ショーのニュースは全世界に配信されなければならないのである。人生、夢がなければいけない、という訳である。
≪≪この程度のことは人の好みによってくるが、ジヴァンシー Givenchy やシャネル CHANEL、ディオール Christian Dior のドレスを縫い上げる迄の手順が面白い。
ショーにやって来た令嬢が、ステージのモデルにふと目を止め、私もあのドレスを着てみたいと視線を注ぐ。デザイナーは内心で「しめた」と思いながら喜びを抑えて、「ではお嬢様、月曜日にお店においでになられる時を楽しみにしております」(よし、これで何万フラン!)。
こうして金勘定の後、ファッション界と富豪の間には個人的な関係が生まれるのである。特に公爵夫人の衣裳を作るとなれば、デザイナーはその城を自ら訪れ、食事を共にし、人々の噂話をそっと耳打ちし合う。まさかと思われるだろうが、邸宅に公然と出入りする情報機関、これがパリ・ファッション界の正体だ。
帝王ベルナール・アルノーが1973年に結婚した女性は、アンヌ・ドゥヴァヴラン Anne Dewavrin(−)であった。この後アルノーはめきめきと頭角を現して、ほんの10年でパリの王座に就いたのである。
ドゥヴァヴラン家は、フランスの情報機関SDECE(スデス)を設立して初代長官となったアンドレ・ドゥヴァヴラン André Dewavrin(1911−1998)を生み出し、フリーメーソンのジャピー一族 Japy Family を支配する“赤い楯 Rothen Schilde”「ウォルムス銀行 Banque Worms」の代理人であった。602頁の図【ヨーロッパのフリーメーソン】と【系図51】に登場する世界で、通称“パシー大佐 Colonel Passy”と呼ばれたスパイのボスである。
〔※ウォルムス家 Worms Family は、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド Mayer Amschel Rothschild(Meyer Amschel Bauer 1744−1812)の第1子ジャネット Schönge Jeanette Rothschild(1771−1859)を嫁に迎えた生粋の“赤い楯 Rothen Schilde”一族。【系図44-1・51・60】〕
このウォルムス銀行がフランス映画界の金庫であることは既に説明したが、ドゥヴァヴラン家はもう1つの世界を持っていた。フランス200家族 200Familles の中に、毛織物で巨万の富を築いたプルーヴォ財閥がある。
鉄道王ジェームズが活躍していた1850年頃、若い商人アメデ・プルヴォスト Amédée Félix Rieul Prouvost(1820−1885)が毛織物の工場を作り、これがフランス最大の工場になったのである。
ブランドとして知られているペンギン印の毛糸 Pingouin、ステム印のソックス、ルジュールの服地・・・・・・そしてこの一族はやがてファッション界からジャーナリズムに進出し、『Le Figaro』紙(Dassault 仏)の大株主となり、『Paris Match』誌と『Marie Claire』誌の社長の座を手に入れてしまった。この状況は、先程描いたばかりの“悪魔の詩”の【系図76】の3枚目上部、ジェームズ・ゴールドスミス James Michael Goldsmith(1933−1997)の近くに星印★★によって示されている。
こうして出版界に君臨したジャン・プルヴォスト Jean Prouvost(1885−1978)は、金融王ネイサン・ロスチャイルド Nathan Mayer, Freiherr von Rothschild(1777−1836)の直系子孫グラモン家のアンヌ・メグレ Anne de Maigret(1923−2004)を一族に迎えていることが分かるが、この同じ一族に問題のドゥヴァヴラン家が二度の結婚を繰り返してきたのである。
ファッション界の帝王ベルナール・アルノー Bernard Arnault(1949−)の妻がアンヌ・ドゥヴァヴラン Anne Dewavrin(−)だったということは、世界一の王者ロスチャイルドの手の中で、フランス情報機関のトップから、フリーメーソン、フランス映画界のパトロン、フランス一の織物財閥、ジャーナリズムの世界までを呑み込むパリのコスチューム Costume〔※仮装や舞台の衣裳〕を物語ってくれる。
ルイ・ヴィトン Louis Vuitton の重役室を支配してきたのは、ダヴィッド・ロスチャイルド David Rene de Rothschild(1942−)であった。
日本の観光客がルイ・ヴィトンやセリーヌの鞄やバッグに群がり、ディオールやジヴァンシーのドレス Dress〔※オートクチュール Haute Couture と 高級既製服 Prêt-à-Porter〕と香水 Perfume に目を輝かせ、シャンパンのモエ・シャンドン Moët&Chandon Champagne とコニャックのヘネシー Hennessy Cognac に舌鼓(したづつみ)を打つのは、大層結構なことだとフランス人は言っている。
ただ、日本人はやたらに買うのでもはや希少価値も無くなって、何がファッション Fashion〔※仏:Mode〕か分からなくなったと、公爵夫人達は嘆いている。“貧乏人の溜め息”が聞かれなくなったからに違いない。
帝王アルノーとラカミエ Henry Marcel Racamier(1912−2002)の激しい権力争いが、このルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーの社内で続いてきた。少なくともそのようにフランスのジャーナリズムは報じてきた。この長々しい社名は、ヴィトン家 Vuitton Family、モエ家 Moët Family、ヘネシー家 Hennessy Family という3家族の合成語である。この3家族をバラバラに見ると、権力争いの状況が手に取るように分かる。
ヴィトン家と結婚したラカミエがこのファッション帝国を率いてきたが、ヴィトン家にもラカミエ家にも、現在迄のところ我らの200家族 200Familles が見当たらない。一匹狼だったのかも知れない。
これに対してモエ家は、兵器メーカー Schneider〔※独語読みではシュナイダー、現・Schneider Electric〕のシュネーデル一族 Schneider Family であるから、“赤い楯 Rothen Schilde”の伝統を守る正統派の200家族になる。ヘネシー家も、既に登場した通り、“赤い楯”の中枢ファミリーであった。
こうなると、鞄によって帝国を築いたルイ・ヴィトンの創業一家は、会社が「ルイ・ヴィトン=モエ=ヘネシー」と合成された瞬間、“モエ・シャンドン”のシャンパン Moët&Chandon Champagne と“ヘネシー”のコニャック Hennessy Cognac を混ぜた合成酒を呑んで些(いささ)か気分良く酔っている内に、すっかり顔が赤くなっている自分に気付かなかった。気付いた時には手遅れで、赤も赤、ロートシルト色になっていた。
〔※@ヴィトン家の系譜:Louis Vuitton(1821−1892)⇒Georges Vuitton(1857−1936)⇒Gaston-Louis Vuitton(1883−1970)⇒Henry-Louis Vuitton(1911−?)⇒Patrick Louis Vuitton(1951−)⇒Benoit-Louis Vuitton(−) Aモエ家の系譜:Claude Moët(1683−1760)⇒Claude Louis Nicolas Moët(1719−1792)⇒Jean-Rémy Moët(1758−1841)⇒Victor Moët-Romont(1797−1881), Pierre Gabriel Chandon de Briailles(1778−1850)⇒? Bヘネシー家の系譜:Richard Hennessy(1724−1800)⇒James Hennessy(1765−1843)⇒James Hennessy(1795−1843)⇒Maurice Hennessy(1835−1905)⇒James Hennessy(1867−1945)Maurice Hennessy(1896−1990)⇒Kilian Hennessy(1907−)⇒MaGilles Hennessy(1949−)⇒Maurice Hennessy(1950−)〕
この会社がクリスチャン・ディオール Christian Dior を買収した出来事は、ディオールを設立した男、前世紀に生まれた繊維王マルセル・ブサック Marcel Boussac(1889−1980)の立志伝から紐解かなければならない。
ブサックは第1次世界大戦 World WarTで軍服の製造に乗り出し、終戦を迎えれば今度は当時の飛行機で翼などに使われたキャンバス布地を買いまくって服を生産するという抜け目の無さで、戦闘機のマルセル・ダッソー Marcel Dassault(1892−1986)と並び称せられる戦争成金となった。
ところがダッソーとの違いは、第2次世界大戦後にクリスチャン・ディオール社を設立してプレタポルテ Prêt-à-Porter〔※高級既製服〕に進出した時に始まった。この繊維王国ブサック社を、200家族の代表者リヨン Lyon の王様ジレ家 Gillet Family が買収してしまったのである。ジレ家の資本は勿論、「ラザール・フレール Lazard Frères&Co.」であった〔※【系図48・54・66】〕。
かくしてロスチャイルド・ファミリーの手に掛かって、全世界にディオール旋風が吹き荒れる時代がファッション界にやって来た。
その後、ブサック社の社長に自動車の「シトロエン Citroën」〔※1976〜現在PSA Peugeot Citroën傘下〕社長クロード・サール Claude-Alain Sarre(−)が就任した為、自動車野郎がクリスチャン・ディオールを売り出すという奇怪なことになった。これは“オートモービル・クラブ”の図(【系図48】)を見れば一目瞭然。シトロエン家がラザール一族のデヴィッド=ウェイル家 David-Weill Family と結婚していたからである。
これは戦後間もなくの古い話だが、現在この関係が尾を引いて、ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー社内の争いは、帝王アルノーと、ラザール Lazard と、ギネス Guinness の間で展開されてきたのである。但し現代の争いはドラマであった。“アルノー”はロスチャイルド家のウォルムス資本、“ラザール”もロスチャイルド家、“ギネス”はロスチャイルド家と結婚して一族〔※【系図13・56・59-2・76-2】〕、全てパートナー Partner〔※共同経営者〕だからである。
帝王アルノーと手を組んできたのがギネス Guinness であることは誰でも知っているが、ヴィクター・ロスチャイルド Victor Rothschild, 3rd Baron Rothschild(1910−1990)の息子 Amschel Mayor James Rothschild(1955−1996)がギネス Anita Patience Guinness(1957−)と結婚した1981年から後、このファッション界の利権争いが喧(やかま)しく伝えられるようになったのは、そのようなパリの構造をジャーナリズムが呑み込み、ファッションを売り込む多彩な手口を読み取らせてくれる創り話であった。以下に、幾つかの例を書き出してみる。
既に登場した化粧品の「ロレアル L'ORÉAL」は、創業者ユージェンヌ・シューレル Eugène Schueller(1881−1957)のパトロン Patron〔※保護者、後援者〕が、アンリ・ロスチャイルド Henri de Rothschild(1872−1947)であった〔※【系図60-1】〕。娘のリリアン・ベタンクール Liliane Bettencourt(Liliane Schueller 1922−)が現代フランス富豪第1位。
このシューレル家 Schueller Family に協力したもう1つの力が、プラスティック業界の雄ノーベル財閥 Nobel Family であった〔※【現代に生き続けるヨーロッパの兵器カクテル・系図63】〕。
化粧品とは化学薬品の1種である。ノーベル・ダイナマイト・トラスト Nobel-Dynamite Trust Co. のフランス部門が、現在は「フランス火薬爆薬」という恐ろしい名前の会社に変わっているが、同社は火薬原料ニトロセルロース Nitrocellulose を使って、ファッション製品を生み出してきた。マニキュア Manicure である。フランス・ノーベル財閥 Nobel NC Company Ltd. が、世界一のマニキュア・メーカー。
ココ・シャネル Coco Chanel(Gabrielle Bonheur Chanel 1883−1971)がパリのファッション界を征服したのは今世紀の初めであったが、彼女の愛人は2代目ウェストミンスター公爵 2nd Duke of Westminster(1879−1953)、本名ヒュー・グローヴナー Hugh Richard Arthur Grosvenor で、現代の6代目公爵 Gerald Cavendish Grosvenor, 6th Duke of Westminster(1951−)はエリザベス女王 ElizabethU(1926−)に次ぐイギリス第2位の長者であり、この一族が食品のユニリーヴァ〔※【系図57・60】〕を動かしてきた。
系図は王室やモルガン・グレンフェル Morgan, Grenfell&Co. に繋がるロスチャイルドの貴族になるが、やがて「シャネル社」を征服したのは、ジャクリーヌ・シトロエン Jacqueline Citroën(1915−)という女性であった。純血の“赤い楯 Rothen Schilde”、ラザール一族 Lazard Family である。
シャネルNo.5の香水は、自動車のシトロエンが使うガソリンの匂いがしないよう、シェル Shell で大変によく精製されたものであるから、生前のモンロー Marilyn Monroe(Norma Jeane Mortensen⇒Norma Jeane Baker 1926−1962)が好んだのであろう。
「キャロン Parfums Caron」の香水は、ロスチャイルド家の製品。
「ダンヒル dunhill(Alfred Dunhill Ltd.)」は男のファッション界に君臨する王者と言われるが、こちらは紳士の国ロンドンのエドマンド・ロスチャイルド男爵 Edmund Leopold de Rothschild(1916−2009)が重役室の王者。
「ピエール・カルダン Pierre Cardin」はイスラエルのダイヤ商と深い仲にあるが、これはカルダンに限らず、殆んどの高級ファッション・デザイナーが辿る宿命であろう。高級とは、ダイヤと金銀を鏤(ちりば)めること。
我が国で「ラコステ LACOSTE」と呼んでいるラ・シュミーズ・ラコスト La Chemise Lacoste の創業者ルネ・ラコスト Jean René Lacoste(1904−1996)は、ロスチャイルドのウラン・カルテルの頂点に立つ「ル・ニッケル Société Le Nickel」〔※現・Imerys SA(1999年、Imetal SAから改名)〕の重役であった。
「イヴ・サンローラン Yves Saint-Laurent」の経営者は、【誰が頭取を殺したか】の“赤い楯 Rothen Schilde”カルロ・デベネデッティ Carlo De Benedetti(1934−)。
古い話になるが、このような世界はインド総督の一族カーディガン伯爵 James Thomas Brudenell, 7th Earl of Cardigan(1797−1868) に因んでカーディガンと名付けられるセーターが誕生した頃に始まるのかも知れない。
これらの商品を扱うフランスのデパートと小売店を4つだけ紹介しておこう〔※【系図77】〕。
フランス最大のデパート「ギャルリー・ラファイエット Galeries Lafayette」は、ラザール・フレール Lazard Frères&Co. のエイルブロン一族 Heilbronn Family によって経営され、その子会社「インノ・フランス Inno-France」の個人筆頭株主はデビアス De Beers Group のエドモン・ロスチャイルド男爵 Edmond Adolphe de Rothschild(1926−1997)であった。この系列の「GBインノ GB-Inno-BM」というデパートがベルギーにあるが、こちらもラザール一族 Lazard Family が重役室を動かしている。
「プランタン Printemps」の大株主は、ラザール・フレールやクリスチャン・ディオールの幹部を務めるアントワーヌ・ベルンハイム Antoine Bernheim(1924−)で、これは“ウラン・カルテル”の【系図66】に登場した“赤い楯”の重要ファミリー。
「ヌーヴェル・ギャルリー Nouvelles Galeries」〔※Groupe Galeries Lafayette傘下〕は、石油王シュルンベルジェ家 Schlumberger Family の一族ジャン・デルペック Jean Delpech(1916−1988)が会長を務めてきた。この人物は、前記のプランタン大株主ベルンハイム家とも親戚である。
フランス小売店として最大の「カルフール Groupe Carrefour」は、ロスチャイルド銀行 Banque Rothschild-Paris(Rothschild&Cie Banque)の総支配人ポンピドー大統領 Georges Pompidou(1911−1974)の提供した資金によって、今日の成功を築いた。支配者デフォレの一族が、『悲しみよこんにちは Bonjour tristesse』(1954年刊行)のフランソワーズ・サガン Françoise Sagan(Françoise Quoirez 1935−2004)である。≫≫
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(26頁へ続く)
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