http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/230.html
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朝日温泉 (2005年の営業再開後、2010年の土石流災害で再び閉鎖)
北海道岩内郡岩内町字敷島内117-3
朝日温泉は水上勉の「飢餓海峡」の舞台になった温泉宿です。
http://dns.d-science.jp/asahionsen
http://www.konyokutomonokai.com/hokkaidou/asahionsen.html
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__________ !ハj } l :!癶、____ ここが朝日温泉かぁ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∧ ハ川 :!ヽ∧ ̄ ̄ ̄ ̄
r' ハj从ノ r' }
_________.{ {/⌒ハへ! :!____
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ '、 jヽ,ノ癶_,ノ、j ̄ ̄ ̄ ̄
,:´`; _ ヽi /,.:.:.:.:、ヾ
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. . . . . . . . . . .,.゙';’; ; ;,' :| `丁 ¨´
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. . . . . . . . . . . . . . . .. .,゙; ; ; ; ;;,行 行 __ ,,- ' ` 、
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1. もう一生行くことはできない伝説の朝日温泉
最期の温泉 (朝日温泉)
修 評価:★★★★★ 2005年 10月 7日
「一生、行くことはできない。」
北海道に転勤が決まって早2年。慣れない土地での暮らしも、大好きな温泉巡りのおかげで有意義なものとなり、そして、仕事柄、そろそろこの地を離れなければならない時が近づいているようです。
東北から北海道へ・・・、温泉への興味は尽きないまま、たくさんの温泉に行く機会にも恵まれました。しかし、切望しながら叶わなかった温泉があります。それが「朝日温泉」です。160年という、北海道ではとてつもない歴史を刻むこの温泉に、北海道在住中はおろか、一生行く機会は訪れないであろうことを確信していました。
そんな中、とある報せを受けたのはつい最近のこと。
あの「朝日温泉」が営業再開となったことを知り、次の休日には迷わず家を飛び出していました。
心弾ませ辿り着いた宿。お湯、露天を囲む木々・・・、全てが想像をはるかに超える温もりで私を迎えてくれました。2年間想い描き続けた温泉を、もはや客観的に見ることはできませんでした。
160年という歴史を途絶えさせることなく守ることを決意し、勇気をもって「朝日温泉」を復活させた現宿主に敬意を表するとともにエールを送りたい。
極楽極楽 [朝日温泉]
カエルさん 投稿日:2006年7月11日
口コミ投稿者の皆さんの情熱的な書き込みを参考に宿泊して参りました。シーズン前の平日だったおかげか、宿泊客は私たちだけで、秘境の湯を、こころおきなく満喫することができました。手作りの温かい案内板に導かれ、すれ違い不可能なでこぼこの山道を3キロ登ると、携帯も圏外、地上波も入らない秘境に到着です。
ご主人がお一人きりなので夕飯は出ませんが、立派で清潔な厨房を借りることができます。(岩内方面からなら276号線沿いのマックスバリュが最後のスーパーです)朝食はお心づくしの家庭料理、ご主人があの山道を運んできて下さったと思うとありがたく勿体なく、ご飯粒一粒残さずいただきました。
渓流を眼前に臨む部屋も、鄙びて簡素で、清潔です。そしてお風呂は・・・
緑滴る渓流ぞいの露天風呂は、この世の極楽。訪れた日は雨上がりで、ややぬるめの湯船に小一時間つかってしまいました。
内風呂は、再開後、天井が高〜く明る〜くなったそうです。以前の雰囲気を壊さないため、札幌中の木の電柱を集め、1本1本、1トントラックで運び上げた労作です。
どちらとも、風呂上りの肌が次に入浴する時まで硫黄くさくなるほどの、この上なく濃い源泉です。週末は、4人も入ればいっぱいの小さな湯船が(露天は混浴です)とても込み合うそうですから、是非是非平日にお出かけください。
陸の孤島で、私たち朝日温泉ファンのために、明日の天気も知らぬまま孤軍奮闘なさっているご主人へのささやかな差し入れとして、新聞や雑誌を是非お持ちください!
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen006776/1.htm
朝日温泉
http://www.youtube.com/watch?v=3rj3RxESV3Y
北海道 朝日温泉までの林道
http://www.youtube.com/watch?v=RLh_RgGrjbY
朝日温泉(温泉から国道229号へ)
http://peevee.tv/v/6gcwde
朝日温泉・露天風呂
http://www.youtube.com/watch?v=Nub1cwBMOAo
朝日温泉・露天風呂までマッパで移動
http://www.youtube.com/watch?v=CQawlFV8l6w
岩内町から国道229号線を雷電方向へ約10km
朝日温泉の看板より町道親子別雷電高山線へ入り、山道を約3km
所要時間は札幌から約2時間30分
公共機関
札幌から→岩内行きバス約2時間30分
(北海道中央バス)寿都行きバス乗換約20分 雷電温泉郷下車
(ニセコバス)下車後タクシー10分
http://dns.d-science.jp/asahionsenmap.html
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雷電朝日温泉(北海道)
到達難易度高い山中渓谷の秘湯、グループ山行に - 北海道岩内郡岩内町
【概略】北海道 雷電朝日温泉 @岩内郡岩内町 到達難易度高い山中渓谷の秘湯、グループ山行に
【泉質】カルシウム・硫酸塩泉 露天風呂源泉体感47度カルシウムと硫黄の特徴を見せる灰白濁の湯
【標高】約320m、山中の秘湯
【環境】一軒宿
弁慶の刀掛岩のある雷電岬を迂回し、岩内から雷電峠〜尻別へぬける旧街道の奥深い山中にある秘湯。
アイヌの民により発見され開湯は幕末、弘化元年(1844年)、松浦武四郎「西蝦夷日誌」にもでてくる歴史ある温泉です。
現在は林道(ダート)が温泉まで開通し、乗用車(2WD)でも行く事はできますが、海から一気に高度を上げ、湯内川の谷底まで降りるその秘湯は山奥深く、到達難易度の高い秘湯となっています。その分、手付かずの自然、澄み切った渓谷、原色の木々、緑、紅葉が楽しめます。この環境の中で温泉が楽しめればそれで十分満足と考えての訪問でしたが、その澄み切った渓谷に露天風呂があったのです、しかも源泉が岩盤から沸く足元湧出の湯、大変素晴らしい温泉です。
前雷電山から雷電山〜岩内岳〜目国内岳〜ニセコ連峰〜羊蹄山
冬期休業の頃、朝日温泉入り口 '05/2
露天風呂前、手付かずの自然、湯内川
渓谷河畔、足元湧出の露天風呂
後方羊蹄山〜朝日温泉ダイジェスト '07/10/12
羊蹄山裾野の紅葉 10/12 07
後方羊蹄山(シリベシヤマ)山頂 10/12 07
ニセコ連峰
ニセコ連峰西端の尾根と尻別川
朝日温泉への下降点
山中・渓谷の一軒宿「朝日温泉」
夕闇の露天風呂を堪能、これ以上ない満足感。山の一夜を楽しむグループでこの日は満室。
後方羊蹄山山行記は
http://www.sangakuonsen.com/youteizan/log.html
雷電山 〜 目国内岳 〜 羊蹄山
宿より40分程、天狗岩から絶景の日本海
http://www.mountaintrad.co.jp/hokkaido/nsk_raiden/hi0/guide.html
雷電山(標高 1211.7m)(朝日温泉コース)
http://jaja.my.coocan.jp/k-raidenyama0209/1.html
http://countryman.web2.jp/06raiden/1.htm
http://www.geocities.jp/ojirowashi_29/0809raiden.html
ニセコ山系交差縦走(朝日温泉・雷電山・岩内岳・目国内岳・前目国内岳・新見峠) (無雪期ピークハント/縦走 / 積丹・ニセコ・羊蹄山)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-42496.html
http://www.sangakuonsen.com/nsk_raiden/log.html
1962年週刊朝日連載、水上勉「飢餓海峡」の舞台となった宿、その雰囲気が息吹が今も残る...。
標高約320m雷電山登山口にある一軒宿の秘湯、暫く休業されており05年に再開。
再開の事はもちろん知らないその年の2月、休業中のこの秘湯を訪れ、深い雪に埋まるこの宿の再開を願い、渓谷に香る硫黄の匂いだけかいで帰りました。到達難易度、奥深い自然環境、弘化元年(1844年)から続く歴史、1954年築の下見板の趣きある建物、そして渓谷に湧く足元湧出の露天風呂といい、全国的にも稀に見る本当の秘湯と感じました。
無垢の木の床板はひかり、館内や脱衣室は清潔に保たれ、きれいな寝具も用意されており、気持ちよく過ごすことができます。再開されてから夕食は自炊となっていますが、その事が幸いし、コンロや食材、お酒を持ち寄り、まるで山形の芋煮に集まるグループのように奥深い山の一夜を、秘湯を楽しみ、鍋を囲み、会話を楽しむグループの憩いの場となっています。商業的な雰囲気もなく良い方に守られている温泉です。
朝日温泉玄関、雷電湯元の看板
谷あいの宿
玄関板の間、自家発電の館内
※冬期休業中の訪問。 05/02/24 (この時露天風呂の存在を知っていれば...)
料理
※夕食は自炊です、食材をお持ちください。お酒も持込可。
※厨房設備もお貸しします。ガス代1人100円
※カセットコンロをご持参いただき部屋でご使用頂けますが焼き物はご遠慮ください。鍋はOK。
朝食一例:
紅鮭やタラコなど素材良く、山芋や目玉焼き、おひたしを見ても手間をかけられているのが分かります。手作りのお新香や梅干、ぶどうとミニトマトのデザートなど、繊細なお料理を大変おいしく頂きました。ご飯お味噌汁はお代わりできます。(品数も多く、食欲が進み共同のお釜のご飯がなくなってしまいました)
朝食
お食事場所 夕食は自炊、お部屋又はお食事処にて。
朝食:お食事処
食材調達のお勧め店
永沢商店(写真)0136-56-2136:鮮魚・乾物がお安く調達できます。朝日温泉へ行くと言えばサービスしてくれるそうです。このページを見たと言って下さい。
尻別川河口磯谷橋
料金
※一泊朝食、消費税入湯税込み
1泊朝食付き:6,000円
素泊まり:5,000円 ※夕食もご希望の方はご予約時にご相談下さい。1泊朝食・夕食付き通常料金:7,500円
内湯
男女別:
岩風呂、浴槽は仕切られ2つに分かれ、湯温を変えています。
日帰り入浴:9時〜19時、600円(小人300円)
電信柱を利用した梁組みの浴舎
適温源泉掛流し
きれいな寝具羽毛布団、浴衣
お食事処
露天風呂
混浴露天風呂
足元湧出の露天風呂
客室
和室 5室、(12畳大部屋1室) 15名様収容
施設
お食事処兼日帰り休憩室
最寄り駅
蘭越駅 但しバス乗り継ぎは小樽駅
送迎 なし
駐車場 乗用車13台
※秘湯で見つけた趣きある温泉宿
http://www.mountaintrad.co.jp/hokkaido/nsk_raiden/asahi/data.html
岩内町雷電地区の山奥にある温泉旅館です。目印は国道229号沿いの看板。電気も水道も引かれていない、とんでもない山奥です。 ここへ行くには、3キロ以上ダートの悪路を走らなければなりません。車高の低い車では、車の下部を傷めてしまうでしょう。
それにしても、よくもまぁ、こんな不便な山奥で経営しているものです。感心しますよ。冬期間は道路が除雪なしなので、営業は当然夏場のみ。の、割には建物に傷みは少ない。
・お湯など
内風呂と、足元自噴の露天風呂(混浴)があります。
まず内風呂。岩組の男女別の内風呂は、熱め、ぬるめの二つの浴槽。もちろんかけ流し。
含硫黄カルシウム硫酸塩泉(旧含硫黄ぼうしょう泉)
源泉温度 49.5℃ PH7.2
わずかに白濁、青白い。湯の華白黒あり。泡付きなし。つるつる感なし。硫黄臭あり。たまご味。優しい入り心地の硫黄泉で、お肌しっとり系。
なんといっても、ココの見所は、2本の丸木橋を渡っていく露天風呂。
渓流沿いの源泉の脇にあり、足元自噴です。岩組で清掃もよく、木漏れ日を浴びながら、せせらぎを耳にして、ぬるめの湯に浸かれば極楽浄土このうえなし。
露天風呂は硫黄泉で白い湯の華が舞っています。これぞ秘湯だ。(H18.7.29)
http://homepage2.nifty.com/gonzoh/
札幌から約2時間30分。国道5号(札幌〜小樽間高速利用)〜276号を経て岩内市街へ。さらに10km雷電方面へ向かう。 日本海岸沿いの国道276号から雷電温泉郷少し手前で、左の山道に入る。約4kmの山中へ・・・
国道から一気に20度はある急な坂道を登ると舗装路面の終わり。朝日温泉の2つ目の看板がある。 ここから左方向へさらに進む。
もうここはダート!悪路で道幅も車が一台分くらいと狭い。まるで、うっそうと茂った緑の世界に吸い込まれて行くようだ。とにかく、秘湯ムードタップリ!
途中、山の中腹に雷電浄水場の建物があった。暗い山林の中を走っていると、不思議とホッとする。 木々で覆われた暗い山道を笑って喜びながら運転する・・・・?
車内はガチャガチャ!ドタドタ!
たまにデ〜ンと底から突き上げる振動で、声も聞こえない程の悪路と運転の荒さ!
ハッキリ言って、危ない!恐い!ヤメテクレと言わんばかりなのだ!
もう1km以上、登っただろうか?
途中、暗闇の世界から急に明るいところに出た場所で下界に美しい日本海が望めた。この時ばかりは、チョット車を止めてすかさずワンショット。晴れていると海が真っ青なのになぁ。チョット残念だ。
さらに山奥へ進むと案内看板があった。親切なことに500mおきにこういった看板や標識がある。これなら暗い山道も安心だ。でもまだまだ悪路は続く・・・
おぉ!初めての対向車だ。 お互いライトを点灯して走っていた為か、こちらに気付いてくれていて道横に寄せて譲ってくれている。
「何ていい人だ!」と喜ぶさっちゃん。
「きっといい湯だったんだろうなぁ。」と、期待を膨らませてクラクションでご挨拶!
そうこう言って走っているうちに朝日温泉の入り口にあった物と同じデッカイ木の看板! やっと着いたか?と思いきや、右方向にまだあと500m。やはり、秘湯は簡単に姿を現さない! 今度は沢に向って下りの悪路が待っていた。
見よ!この建物。 いかにも山奥の秘湯ムードたっぷりというイデタチ!
もちろんここは、電気もない!ガスもない!電話もない!携帯も通じない!テレビは衛星放送しか映らない!
あるのは、良質な源泉(硫黄泉)の温泉だけなのだ!
5月〜10月末迄しか営業していない本当の秘湯、山奥の一軒宿だ!
木造の建物の玄関に掲げられた看板には開業1844年と書かれている歴史も古い温泉宿。 到着時刻は午後4時。
札幌から2時間30分(札幌〜小樽間高速道路利用)で来れる秘湯だ!
まずは、内風呂の紹介
女湯
さっちゃんも大満足!女湯の独占状態。湯は40度くらい。若干、白く濁った透明な湯。硫黄の臭いはそれほどきつくはないが、湯はとても滑らかだ!そして何と言ってもよく温まる温泉だ。
男湯
結構若い人達も来ているぞ!駐車場には車が7台くらいあっただろうか?先に地元の若い方を含めた3人が入浴していた。やはり初めて来た方はみんなスゴイとこにある温泉で話題が尽きない。
左の写真でもお解りの通り、敷居の向こう側が女湯の湯船(左上写真)です。ですから半混浴状態!簡単に両湯とも浴場内で行き来できるという訳。ここに来る方々は、湯欲を楽しみに来る訳だから、のぞいたり変な方はいないと朝日温泉のご主人は言う。
さあ!次は、野趣満天の露天風呂へ・・・ 源泉そのもの天然露天風呂
一旦、玄関からおもてに出て川を丸太橋でわたり、露天風呂へ・・・
おぉ!既に満員状態!いったいどうなってるんだ?とさらに2つ目の丸太橋を渡って露天風呂へ・・・
洞窟の中から湧く出湯!これが1844年から変わらない名湯、雷電湯元 朝日温泉なのだ。洞窟を背に岩で囲んだ湯船。目の前には清流が流れ、せせらぎを聞きながら大自然を存分に満喫できる露天風呂だ!
今日はもう満員状態、「写真撮ってもいいですか?」とお聞きしたところ、「どうぞ!どうぞ!」と喜ぶお客さん。やっぱり人間は自然に親しむと不思議に来訪者とのふれあいが生まれるものです。
施設の整った温泉もいいけれど、不便な温泉であればあるほど印象に残り、一緒に湯船に浸かった同士、優しくなれるものですねぇ。みなさんも秘湯へ出かけてみてはいかがでしょうか?
http://www.n43.net/report/raidenasahi/index.htm
岩内町中心部からR229を日本海に沿って南下して雷電温泉郷の山奥?にある一軒宿の温泉でしょ
事前情報で国道から温泉までのジャリけんど(未舗装路:津軽弁)はかな〜り荒れていて国道に看板がでてる道より雷電温泉からの道のほーが比較的楽とのことでそーしてみる
ほんで実際走ってみると営業を開始した直後だからか道路を補修したばっかって感じでフラットで走りやすかったじょ
ただアップダウンがキツいから雨が降った時とかは2駆の車だと走りたくない道だったでしょ
(・_・)......ン?
宿への道は通行止になってるがこの道を通らないと宿に行けないよーな・・・・・
5年前にきた時に山深さに感動し次回は是非でかぶ( ̄●● ̄)を連れて再訪したいっと思った温泉でしょ
内湯はシャワーが1で真湯使用桶は4と椅子が2ある 浴室には浴槽が3つあり今回一番手前の浴槽には入らなかった
真ん中にある大浴槽は7人くらい入れる大きさで白と黒の湯花でちょい白濁
一番奥にある小浴槽は底が男子浴槽と繋がっていてお湯の色は透明で浴槽の底には若干大きめの白い湯花が沈んでいる
以前はこの浴槽がなくて男湯とのしきりも途中までで男湯から廻りこれそうだった…
内湯からはあまり硫黄臭は感じない( ̄・・ ̄;)=3 くんくん
代わりに浴舎の柱に使用してる黒光りした木の電信柱からコールタールの臭いを強く感じた ちょうど今年度の営業を開始したばかりで改修したてだからかな( ̄▽ ̄;)
お湯は39℃とぬるく気持ちいい
天井の塩ビトタン越しに降り注ぐ日光をあびながらのび〜っと入浴したら身体がお湯にとけた感覚で気持ちよくて( ´−`) いつまでも入ってたかったでしょ
ちなみにかけ湯しても気持ちよかったでしょ
( ̄ー ̄(_ _
( ̄ー ̄(_ _うんうん
お次は一度着替えて露天へお宿裏の橋を渡ってすぐのとこに露天風呂があるでしょ
露天の脇には登山道があるけど衝立や簡易脱衣小屋もあり人目は気にならないでしょ
脱衣小屋には屋根もかかってて2人くらい一緒に着替えられてきちんと戸もついている
いよいよ湯船に入る
一段目の段差がものすごくて入るのにとても苦労したでしょ
お湯は湯花はなく白濁していて内湯よりも強く硫黄臭を感じれる
露天はお宿の休憩室等から入浴状況を確認できるから混んでいてもお客さんどうしみんな譲り合って露天に入りにきてる
この山道をたどり着いただけで入りにきた価値を感じられる温泉
葉っぱがない時期は宿まで来る途中に見える海や海岸線の景色もすばらしいから是非来てみてでしょ
http://www9.plala.or.jp/nebutan/index.html
朝日温泉 2008/10/20
先日、岩内町にある秘湯を訪ねてきました。 三國連太郎主演の映画「飢餓海峡」にも登場します。 北海道内の温泉では歴史が深く弘化元年(1844)の開湯です。我が家が最初に訪ねたのは北海道全湯巡りを始めた比較的当初の1988年8月です。 当時は老夫婦の方が経営されていました。
岩内町にあるとお知らせしましたが、国道229号から狭いダート道を山中へ3km程入ったところに存在します。国道からわずか3kmしか離れていませんが電気も電話も引かれていません。電気は自家発電、電話は衛星電話です。もちろん通常の携帯電話は常時圏外です。
先ずは岩内町中心部から国道229号を寿都町方面へ南下します。
↑【朝日温泉】
岩内町市街から海岸線を約10km走行します。
ここ弁慶トンネルを抜けるとすぐ温泉への入口があります。
国道左手に温泉入口を示す標識があります。
ここから約3km山中へ入ります。
入口付近から急な登り坂となります。
入口付近は舗装されていますが、その後すぐダート道になります。
周りの木々はすっかり良い色に色付いています。
国道から3kmほど入ってくると右手に朝日温泉を示す標識があります。
ここから300mほど急な下り坂となります。
ここが朝日温泉です。
玄関に近づいてみます。
玄関を入った様子です。
ここ朝日温泉には建物内に内風呂があり、建物の裏手に露天風呂(混浴)があります。
先ずは内湯に入る事にします。
男湯入口です。
脱衣室の様子です。
内湯全景です。
手前に少し大きめの浴槽、奥にやや小さい浴槽があります。
源泉口の温度を測ってみます。
47.7度あります。
こちらが手前の大きい浴槽です。
大きい浴槽の温度は42.8度です。
こちらは奥の小さめの浴槽です。
こちらは温めで39.2度しかありません。
さて私も入らせていただきます。
先日この方からいただいたタオルを早速使わせていただきます。
内湯から外の露天風呂へ行って見ることにします。
露天風呂へは一旦玄関を出て建物横を抜け裏へ行きます。
建物裏にある橋を渡ります。
塀の横にも橋があります。
さらの塀の横にある橋を渡ります。
ちょうど私と行き違いに東京からお越しになったご夫婦とすれ違いました。遠くからわざわざこの朝日温泉迄お越しになられたのですね。 それだけ名湯という事です!
「とてもいい湯でしたよ!!」
の言葉を残されお帰りになられました。
ここが朝日温泉名物の露天風呂です。
露天風呂の前を清流が流れています。
新たに更衣室がありました。
更衣室の中はこんな感じです。
露天風呂の浴槽温度は38.4度と温めです。
じっくりと入らせていただきます。
川のせせらぎを聞きながらの露天は何とも言えませんね。
参考までに我が家が最初に訪れた1988年8月の様子です。
↑【朝日温泉 1988年8月】
昔も今もこの露天は変わっていませんね。かなりゆっくりと入らせていただきました。
湯から上がり、建物に戻りご主人にお声掛けさせていただき玄関で写真を撮らせていただきました。
現在(2008/10/20)宿のご主人である畠山さんです。この度はお世話になりました。どうぞ末永くこの湯をお守り下さいますようお願いいたします。次回またお会いできる日を楽しみにしています。
■温泉から国道229号迄の様子を動画でどうぞ!
(13分15秒あります)
札幌から車で約2時間の距離です。ここも来年開催予定の「建設ブロガーの会in北海道Part2」のオプショナルツアー候補なのですが、きっとここを気に入っていただけるのはこの方だけかも知れません。
でもここの露天風呂に大分のあのおしどりご夫婦に是非お入りいただきたいと思っています。
(※どうぞ空いているスペースを利用しタンゴをどうぞ!!・・・)
住所は
岩内郡岩内町字敷島内117番3
日帰り入浴 9:00〜19:00 (5月上旬〜11月中旬 ※冬期間は閉鎖)
宿泊は素泊まりor1泊朝食付のどちらかです。
※夕食付プランはありませんのでご注意下さい。
・夕食はお客様で食材をお持込いただき、自炊となります。
・食べ物・飲み物のお持込は可能です。ご希望があれば厨房設備をお貸しいたします。(ガス代別途100円/1名様)
TEL 080−1870−1867(直通)
※電話は衛星電話のため通話にタイムラグがあります。
コメント(10件)
朝日温泉、いいですよね。6月に行きました。露天の泉質はすごくいいですよね!その時は露天だけでしたが、ご主人の話では内風呂男女と露天の3つで源泉も異なるとのこと。他に客がいなければ、全部入らせてもらえるとのことでした。時間があれば、今月中に是非行きたいです(^^)。
ジェベリスト777 2008/10/20 10:58
この度、縁あって朝日温泉を前管理人さんから引き継いで私達夫婦でやる事になりましたので、HPの温泉日記ブログも担当することになりました〜
そのブログより詳しい朝日温泉の記載に大変感謝申し上げます〜
さて、貴方様の写真、記事をHPのブログに使用させて頂きたく、メ−ルした次第です・・・
何卒、ご了承の程・・また是非、私達夫婦の新しい朝日温泉にお越し頂き、素晴しいブログ記事を更新してください。
朝日温泉 管理人の山親爺2010/03/21 08:52
●朝日温泉 管理人の山親爺さん
今年から朝日温泉の管理人をされるのでしょうか。
朝日温泉は我が家温泉巡りにおいて大変思いで深く心惹かれる名湯であり秘湯の一つです。 道外からも多くのファン来られているのが理解できます。
今年のオープンはいつ頃の予定でしょうか?
朝日温泉へはここ最近は毎年1回程度訪問していますが、そういう事であれば今年はなるべく早く訪問させていただき新しい朝日温泉を皆さんにご紹介させていただこうと思います。
多くの皆様が訪れていただける事を心より願っております。 そしてお会いできます日を楽しみにしたいと思います。
温泉マン 2010/03/21 09:13
http://makiken.at.webry.info/200810/article_17.html
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2. 朝日温泉 _ 感動の2005年の営業再開から運命の 2010年7月29日 まで
朝日温泉史
寛文6年(1666) 円空 雷電岳薬師堂に観音堂を置く。
天保4〜8年
東北地方連年の大飢餓で死する者続出 少しでも余力のある者は家族を連れエゾに進入、当時 正徳年代(1711)より積丹のカムイ岬は女人が通行するときは海が荒れるという伝説があり松前藩は政令により婦女子の通行を禁止したので家族連れは雷電峠を通行した。この時温泉を発見した、と言われている。
弘化元年(1844)
中江差徳二郎は熊が傷を負い湯に入るを見て笹小屋を建て開湯せり。雪中まで浴客来たる。
安政3年(1856)
又兵衛が湯守りとなり山にこもり、大履を作り逆旅をかね、浴槽は上下行を判ち貴賤を分かつとあり。
4/26 松浦武四郎スイド・サケノカロ・常吉・松前富次郎4人を従い磯谷より右に入りカモンナイ小川(現在の精進川)を登る途中薬師堂の上に出たり 円空作の観音というは恐らくこれなるべし。厨子錠ありて拝しえず。土人の話にこの堂 100年前より此処に在りと。
さて、板階5、60下りてユウナイ川に幅3間の橋と止宿小屋一軒在り(現在の朝日温泉)そばに温泉沸沸と沸き上がり水八分を加えて浴す。この家は岩内の半兵衛と言うもの建てしと、宿するに鍋を持たず来たりし故困りしが、スイド自分アッシに米を包み温泉壺にしばらく入れ置き、上てその上に筵をかぶせしが、ほどよき飯になりたり。
しかし その米に土人の息き移りしは甚だ恐れおおし也。翌朝は未明より米をかごに包みて温泉に漬け置きしがこれ又良くできたり。このところ辰年は難渋せしところも、翌巳年安政四年(1857)通りしが 人も住みて従来の者の宿るように成りしも有難きことなり。
* 前の川はユーナイ川と呼ばれていたので、 昔はユーナイの温泉、又、茶屋と云われていた。
http://dns.d-science.jp/asahionsenrekisi.html
「携帯電話や固定電話がつながらず、テレビもない後志館内岩内町敷島の秘湯「朝日温泉」がこのほど、4年ぶりに営業を再開した。
160年余の歴史を持ち、故水上勉さんの社会派小説「飢餓海峡」にも登場する温泉で、全国の秘湯ファンを喜ばせている。」
北海道新聞2005年9月24日より〜
「同町敷島内の雷電温泉近くの国道から山道を約4キロ入った山あいの一軒宿。 創業は江戸時代末期の弘化元年(1844年)。電気は自家発電、固定電話の回線はなく、携帯電話や地上波テレビの電話も届かない。
全国から客が集まっていたが、主人の岡田睦さんが腰を痛めたため、2001年11月から休業していた。
営業を開始したのは、札幌市の元会社員畠山彰吉さん。登山好きで、8年前、雷電山に登るために泊まった同温泉で岡田さん夫婦のもてなしに感激。一昨年、休業中と知り、「自分でやりたい」と岡田さんを通じて所有者と交渉、今年1月に話が決まった。
その後代わった新しい所有者の協力を得て、畠山さんは5月から現地に住み込んで改修工事を始め、雪でつぶれた内風呂や7室ある木造旅館の痛んだ部分を修復した。 湯内川沿いの露天岩風呂は以前のままで、乳白色の源泉が流れ込んでいる。
16日に日帰り入浴と素泊まり客を受け入れ始め、札幌や東京などから「人里離れた風情がたまらない」と愛好家が訪れている。畠山さんは「ゆっくり自然に接してもらえれば」と話す。
営業は10月末までで、冬季休業。来季からは食事も提供する予定。
何年前かな・・・?ここに行ったことがあります。その当時は「前から車が来たらどうするの?」っていう道路をこれまた「この先に本当に温泉があるの?」って不安に感じながらたどり着いたのを思い出します。
建物や『朝日温泉』っていう看板が時代を感じさせる秘湯にふさわしいたたずまいでした。 お風呂も当時は奥の方で男女がつながる半混浴で子供が小さかったことと、人が入っていなかったので家族風呂みたいにのんびり入れました。
露天風呂は屋外にあって細い橋を渡って行くと(ちょっと怖い)3人も入るといっぱいになりそうな小さなお風呂があります!
川の流れる音を聞きながらマイナスイオンたっぷりのお風呂でした。 もちろん混浴ですが、お湯自体は白濁としていたので入ってしまえば問題なし!かもです(笑)
残念ながら、私達が行った時は10月に入っていてその上少し、みぞれ模様だったので露天風呂の温度が上がっていなくて入る事が出来ませんでした。
女性で入る方は脱衣所も(その当時は)1つだったとおもうので、大きなバスタオル(ゴムなどが入ってテルテルボウズ風になるもの)があると便利かもしれませんね!
入るときにも、太ももまでかくれるくらいのバスタオル巻いて入ると抵抗ないかも・・・・。(バスタオル巻いて入浴するのは違反ですか・・・ね?)
http://dns.d-science.jp/asahionsen.html
最近、秘湯行ってないので・・・又行きたいなぁぁ〜。
http://ch.kitaguni.tv/u/7660/%CB%CC%A4%CE%B2%B9%C0%F4/0000270280.html
絶望視していた「朝日温泉」が営業再開!
とあるメルマガでそのことを知り、しかも今年の営業が残りわずかであったため、直後の休日に迷わず行ってきました。道中のダート道は思っていたほど荒れておらず、所々で眼下に望む日本海も絶景。ただし、車1台がやっとの崖上の林道が続くため、路上駐車は×。脇見運転には最大の注意が必要。
上り続けた林道から一気に谷底に下りていくと、川の流れとともに一軒の鄙びた木造建築が現れる。 160年の歴史をしっかりと感じられる、北海道では滅多にお目にかかれない温泉宿だ。宿の周囲に平地はない。わずかながらの駐車場は10台停められるかどうかといった手狭さ。宿に入ると新しい宿主らしき方が迎えてくれた。 平日とはいえ営業再開直後なので、それなりの人出を覚悟していたが、向かった内湯には誰も人はいない。
「これが朝日温泉か・・・」
うっすらと白濁した酸性硫化水素泉が掛け流されている。内湯の外壁は(呼称がわからないが)波打った半透明の樹脂製のもので、仮設っぽい雰囲気だが、その分明るい雰囲気。この内湯は相当の修復が必要だったようで、ここまでにしてくださったことには感謝しなければならない。
内湯から続く露天に向かうが、素っ裸では行けないことをどこかで聞いたことがある。一旦着衣し、再度内湯から扉を開けるが履物がない・・・。今さら表に回るのも億劫で、素足のまま露天へと進む。丸太橋を二本渡った先にある露天風呂を見て息を呑んだ。川べりにへばり付くように存在する小さな露天風呂には白濁したお湯が満たされ、足元から湧出したお湯はすぐ脇を流れる川に流れ去っていく。 しばし、至福の時を一人で過ごした・・・。
http://mori-o.blogzine.jp/hokkaido/2005/10/post_1aa3.html
雷電湯元 朝日温泉 復活 イメージそのまま 岩内町
開湯は一八四四年(弘化元年)という歴史を持つ湯宿。国道229号から車一台分の狭い急こう配が続くダート道を四・五キロ上った、雷電山の登山口にある。昨年九月、四年ぶりに復活オープンした。
電気は自家発電、テレビは映らず、雪のない季節だけ営業する秘境の宿。だが、水上勉の代表作「飢餓海峡」に登場し、一九八○年代に起こった秘湯ブームで脚光を浴びるなど、全国の温泉ファンあこがれの温泉宿として絶大な人気を誇る。半混浴の内湯、小川を渡った先の混浴露天風呂とも源泉かけ流しで湯質がよく、原生林に包まれた野趣あふれる雰囲気が際立つからだ。
それが二○○一年のシーズン終了後、突如として休業する。その後四年も閉鎖され、全国の朝日温泉ファンをやきもきさせた。湯守が持病の腰痛を悪化させ、営業継続が不可能になったのが閉鎖の理由だ。
その後、ある男が「ファンとして何とか宿を再開させたい」と奔走する。苦労の末ようやく持ち主を探し出し、再開を働きかけたのだ。結果、その熱い思いが伝わり、宿は男の友人が経営する会社に譲渡された。男は勤務していた大手企業を中途退社し、宿を管理することになる。それが現管理人の畠山彰吉さん(59)だ。
四年間の閉鎖で、建物はかなり傷んでいた。もちろん修理は必要だが、畠山さんは、できるだけ以前の宿のイメージを壊さぬように努めた。異なるのは、内湯が完全に男女別になったくらい。湯船自体は以前のままの岩風呂仕様で、小川に架かる小橋を渡った混浴露天風呂もそのままだ。
昨年の営業期間は、オープンからわずか一カ月半。「今年は雪が多くて大変でしたが、早く開けてほしいというお客さんの要望に応えて、五月四日から営業を開始しました」と畠山さん。
今回、衛星電話が設備され直接連絡が取れるようになった。だが携帯電話はいまだに圏外。相変わらずテレビもない。そんな秘境気分に浸れるのも、ここの魅力なのだ。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/onsen/serial/kibun/kibun20060511_01.php
登山者ら再建 白濁の秘湯 (2009/07/26)
白濁の湯があふれる朝日温泉
有名な秘湯−なんて出来の悪いジョークみたいだが、朝日温泉はまさにそれ。「開湯弘化元年(1844年)」の看板通り、江戸末期から続く、愛好家垂ぜんの一湯である。
車で国道229号から雷電山の山腹に分け入る。小さな看板を頼りに、車がすれ違うのもやっとの狭い未舗装道をたどった先に、うっそうとした木立が開け、歳月を重ねて黒ずむ板張りの建物が視界に現れる。初めて訪ねるなら、別の時代に迷い込んだような錯覚をするかもしれない。
玄関先で出迎えてくれるのは、湯守りの畠山彰吉さんだ。管理人を引き受ける前は民間企業に勤め、山を愛する岳人だった。
「退職後は山小屋の管理人に…とあこがれてはいたものの、まさか『秘湯を守る』ことになるとは」
と笑う。 朝日温泉は雷電山の登山基地にもあたる。畠山さんもかつて、よく利用した。
「いい宿でした。下山したら気兼ねなく寄って、汗を流していってくださいね、と…」
その管理人夫妻が体調を崩し、8年前に宿は閉鎖。放っておけない、と感じた。雨風にさらされ、豪雪に埋もれ、朽ちつつあった古宿を、山仲間とともに私財も投じて修理を重ね、4年前に再開にこぎつけた。朗報に、5室きりの宿が全国の温泉ファンでいっぱいになった。
「その皆さんに教わったんです。すごい温泉だ、と」
電気は自家発電、電話線も通らぬ「秘境」で、男手ひとつで宿を切り盛り。そんな事情を常連たちもよく承知しており、買い出しなどで畠山さんが不在の際は、風呂代を置いて、皆さっさと湯殿に向かう。宿泊は素泊まりか朝食付きのみ。夕食は持ち込みか自炊だ。
風呂は素朴で貫禄十分。内湯は石組みで、あつ湯とぬる湯の2槽があり、白濁の柔らかな源泉が、間断なくあふれ続けている。
源泉がわく河畔には、混浴の野天風呂も。一度玄関を出て、裏手の丸木橋を渡った先に脱衣小屋がある。支度を整え、岩風呂にそっと体を預けた。湯が優しく肌を慰ぶする。目を閉じれば瀬音は高く、清冽(せいれつ)な森の息吹に全身が包まれた。(小野寺淳子・旅行ジャーナリスト)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/yukemuri/117384.html
わざわざニセコから岩内にとんだのは訳があった。
どうしても伝説の温泉で昨年から再開した 朝日温泉に入りたい!のだ。
こちらはなんと電話は通ってなく、衛星電話。電気も自家発電!
国道226号線、雷電温泉の手前から看板を目印に上がっていく。
険しい山道を登って…(これが新見以上に上り坂です)。ころう、ためしに少し上ってみた。カタクリやエゾエンゴサクの花を見ながら登山、うまそうなウドも沢山 しかしすぐ車に乗り込んだのでした。後続車が居ると困るからね。 もう中腹くらいは来たかなってところで落石の恐れがあります!!って看板とバリケードがあったしかし半分あけてあるので行ってみます!
むむ、全然平気。宿の支配人さんにも確認しましたが、普通にのぼってこれますのでよろしくです ここからもう少しで到着でっす!横をながれるゴウゴウと流れの良い川、花の香りか甘い空気、そして木造りのどこか懐かしい建物の佇まい。本当にここに来て良かった。感動的でした。
500円を払って、いざ温泉へ!
「男湯と女湯は泉質が違うから、誰も居ない時はどちらも入っていいよ」
との支配人さんのすごい嬉しい計らいも嬉しい。
プラ製の波途端と木を組んで作られた内装は手作り感があるが光が差し込み明るい。 女湯は男湯より熱め(それでも適温〜低め)で透明に白っぽい湯ノ花。さっぱりとした、ホンモノの温泉。層雲峡を彷彿とさせる(ここも透明に湯ノ花、茶色のだけどね)
男湯にも入ってみたが確かにこちらの方がぬるめ。そして湯ノ花がこっち多い!! 白っぽいのと黒っぽいのが入っている。ぬるめなのでいつまでも居られる感じです(男湯だからさっと入りましたが)
しかぁし!外にもう一つ違う泉質の温泉があるの!
一本目の丸太を越え、ここでも怖いのに
怖っ!川がゴウゴウ流れています
もう温泉が見えているぞ!頑張れ!
頑張った。泉質が全然違う!
岩間温泉に似た、硫黄がプンプン香り、水色のうつくすい温泉!
中のお湯もいいけど、外のお湯!
これが伝説だね。
二人入れる程度で、下から泡がプクプク!
温泉が生まれる瞬間を初めて見ましたよ。生ビールのように新鮮で効能たっぷりの湯です。
http://plaza.rakuten.co.jp/zoururipao0/diary/200606120000/
ココは岩内町にある雷電海岸です。これから向かおうとしているのはこの雷電の山奥にある秘湯「朝日温泉」です。再開したという話を聞いてからぜひ行ってみたいと思っていたのですが、その願いがようやく実現しようとしています。
国道229号線の朝日温泉入口から急勾配な砂利道を3キロメートルほど登ってくると写真のような看板がありました。なかなか凄い道で驚きましたが、朝日温泉まではもう少しのようです。この先の道も凄い下り坂になっているので注意して進みましょう。
ようやく朝日温泉へ到着しました。木造の建物と入口の看板、どれを取っても秘湯ムード満点ですね。この辺りは電気の通っていない地域なので、すべて自家発電でまかなっているそうです。建物横に発電設備の置かれた小屋がありました。
さっそく中へ入りました。建物内の照明や横に設置してある自動販売機も発電機を使って稼動しているようです。内部は予想していたよりも普通な感じですね。しかし、肝心の管理人さんが居ません・・・ と、思ったら休憩室で宿泊客の方々と宴会中でした(笑)
すぐに管理人さんが来てくれたので料金を支払い、内湯と露天風呂の説明を受けて、さっそく内湯へと向かいました。以前は半混浴だったようですが、改築に合わせて壁が造られました。女性に配慮してのコトでしょう。
江戸時代末期の1844年に開湯した歴史のある温泉で、飢餓海峡という小説の舞台にもなったところです。この浴室は数年前に大雪で崩壊してしまったものを修繕したとのコトです。泉質は硫化水素石膏泉で細かい湯の花が見られました。
建物の裏手にある混浴露天風呂へ行ってみました。ユーナイ川という小川が流れていて丸太橋が渡してあります。その先の木塀の奥に露天風呂があるようです。塀を過ぎると更に橋があります。その向こうに露天風呂が見えました。横には簡易な脱衣所があります。こうやって細い橋を渡っているとワクワクします♪
こちらが露天風呂の湯船です。露天風呂のお湯は内湯よりも白濁していて、湯船の底からポコポコと湧き出してきています。横にある脱衣所で服を脱いでから入浴してみました。こういう景色を見ながら入る露天風呂は最高ですね。朝日温泉は以前から来てみたいと思っていた山奥の秘湯だったので感動しました。また、閉鎖されていた温泉宿が復活したというコトで沢山の人が訪れ賑わっていました。宿泊も可能なので今度は泊まりで来てみたいです。
朝日温泉へ向かう途中の雷電海岸(国道229号線)には、奇岩・怪岩が沢山あって景色も良いところです。冬に「みうらや温泉旅館」へ立ち寄った時には暗くて気づかなかったのですが、写真のような奇岩を見つけました。これってちょっとグラっときたら道路側に倒れそうですが、近くには泊原子力発電所もあるので、そう簡単にグラっとくる場所ではないのでしょうね。
Comment
雷電朝日温泉は夏に北海道へ行った時に訪問しましたが、確かにすごい道でしたね。岩間温泉に匹敵するかも。
露天風呂は気持ちよかったですが、アブが多かったのであんまりのんびりとはできませんでした。今くらいのシーズンの方がいいでしょうね。
温泉美味しんぼ | 2006/09/26 22:56
道の勾配がスゴいですよね
対向車とスレ違うのも大変です
露天風呂にはアブも居なくて快適でした
湯温もちょうど良くて、ずっと浸かっていたい感じでした
春か秋が良いようですね
じゅん☆ | 2006/09/26 23:51
(*♥д♥*) オヒョッッ!!
ここも、札幌から近いから伸ばし伸ばしになっている温泉じゃーないですか。
しばらく閉まってましたよね。
これは行かないとだめですねぇー
今週末でも行って来ます。
情報どうも。Σ(||゚Д゚)ヒィィィィ〜〜〜〜!!
温泉爆走族 | 2006/09/27 11:45
★温泉爆走族さん
前経営者の方が健康上の理由で閉鎖してから廃業したのかと心配されていた温泉宿ですね
経営者が変わっても大きく雰囲気が変わらずに再開されたので良かったと思います
今週末というと雨降りの後になると思うので気を付けて行ってくださいね
じゅん☆ | 2006/09/27 19:01
じゅんさん〜凄い〜ここも行かれたんですね。
昨年、道路が手直し中の時に、行きたいなぁ〜と思っていたんですよね。今年、そちらの国道入り口の所で、看板を見かけたら すっかり新しいものに変わってました。
地元の人の話でも道路が凄いって聞いていたので、私は行けないでいました。やっぱり全てダート道ですよね^^;;
いいなぁ〜じゅんさんは、運転も上手だし行動力もあって。ここのブログをみて入浴した気分になるよぉ〜
かりん | 2006/09/27 16:36
★かりんさん
ホントは函館の恵山へ再訪しようと思っていたのですが途中で挫折して西にルート変更しました
道は全てダートです
ところどころ薫別温泉の最終下り坂を思わせるような場所もありますが ゆっくり走ればそれほどでもないと思います
ただ、対向車とのスレ違いは大変な場所もありますね
あんな場所に道があるコト自体が驚きです(笑)
行くなら10月中頃が一番イイのではないかと思います
じゅん☆ | 2006/09/27 19:10
おぉ やっぱり浜の湯が心残りでしたか。
(¬ー¬) フフフ
温泉爆走族 | 2006/09/27 20:01
★温泉爆走族さん
そうですねぇ〜、湯船の写真を撮ってこないと行った気がしません
そして、入浴シーンを撮ってこないと入った気がしません(笑)
フンベみたいなところであっさり写真撮れたりしますから やっぱりタイミングが重要なんですね
アヨロ温泉なんて3回行ってますが全滅ですから・・・
じゅん☆ | 2006/09/27 23:30
あ、朝日温泉みっけ〜!(笑)
話には聞いてて、行ってみたいと思っていたんですよ
φ( . . )フムフム ナルホド
お湯の色、水色掛かってるんですね。 雰囲気もいい感じ
・・ますます行きたくなってきた〜^^ 写真がまた魅力的なので w
でも、問題は 道 かなぁ
車高低いから、ちょっと無理かも(~_~;)
ミケ | 2006/09/29 16:05
★ミケさん
朝日温泉、行ってきましたよぉ〜
温泉好きな人達の集まる宿です
冬は雪のために閉鎖されてしまうのですが露天風呂には冬でも温泉が湧き出ているらしく雪の中を歩いて向かう人もいるようです
道は良くはないですね
それがまたオモシロかったりしますけど
じゅん☆ | 2006/09/29 21:16
千と千尋の神隠しみたいなところですね
温泉いいなー ゆったりとした気分です。
・.
●・
足跡 | 2006/09/30 07:34
★足跡さん
辿り着くまでが大変なのですけどとても良い感じな温泉宿でしたよ
現実からちょっと離れてゆったりするのもイイですね
じゅん☆ | 2006/09/30 21:10
知人から「朝日温泉が載っているよ」ということを聞き見にきました。
朝日温泉においでいただきまして、ありがとうございます。綺麗に写真を撮って載せていただき嬉しく思います。
ぜひまた近くに来た際にお立ち寄りください!
朝日温泉@管理人 | 2007/05/11 17:53
★朝日温泉@管理人さん
わざわざコメントありがとうです♪
とても素晴らしい温泉を復興していただき感謝しております
雷電の山奥にあんな素晴らしい温泉があったとは驚きでした
また立ち寄らせていただきますので その際はよろしくお願いいたします♪
じゅん☆ | 2007/05/11 21:15
今年のオープン早々行かれたのですね。私も今年また訪ねたいと思っています。
相変わらず綺麗な写真で朝日温泉のすばらしさが十分伝わってきましたよ。
過去の訪問はすべて日帰りでの利用だったので、今度は宿泊しご主人の畠山さんとも温泉談義ができればと思っています。
温泉マン | 2007/05/12 01:40
改めてまた見ると。。行きたい行きたい!
でも、σ(・・*)の運転じゃ無理そう。反対側から車が来たらかわせないよ〜。
重くなろうが、じゅんさんレポートを楽しみにしています^^
かりん | 2007/05/12 12:39
どうもです
朝日温泉は露天風呂が頭にインプットされています
印象が強かったですからねぇ〜
施設があるうえ、露天風呂が野湯風とはここぐらいじゃないですかねぇ〜
また内風呂も野趣溢れる雰囲気で、、、とにかく大好きな温泉です
また訪問したいですね
温泉旅がらす | 2007/05/12 14:38
★温泉旅がらすさん
あの露天風呂は野湯風というか野湯ですよね(笑)
内風呂は半混浴ではなくなったので少し残念な気もしますが
雰囲気は損なわれていないので良いでしょう
今度は宿泊してみたい温泉宿ですね
じゅん☆ | 2007/05/13 20:23
きれいな写真がさらに増えていてとても嬉しかったです。本当にお上手ですね。
またお立ち寄りくださることを楽しみに待っております!
朝日温泉@管理人 | 2007/05/16 09:42
★朝日温泉@管理人さん
またまたコメントをいただき感激です♪
またいつか訪問できる日を楽しみにしております
じゅん☆ | 2007/05/16 19:11
今日こちらの温泉がTVに出ていました!もう昨日ですね!
不景気の中での温泉廃業などの話を聞く今日、管理人さんの畠山さんの前の管理人さんとの秘話や温泉管理のお話が聞けて歴史ある素晴らしい温泉を復活して戴いたことに感謝したいと思いました。
また私もぜひ一度こちらに訪問したいと思いました☆
露天風呂、気持ち良さそうにTVでは女性の方が入っていました〜羨ましぃー♪
はっく | 2009/05/16 00:15
★はっくさん
ほぉー、朝日温泉がテレビに出ていたのですか
畠山さんって凄い温泉好きなのだそうです
冬にあの露天風呂へ行きたいと思っていたのですが実現しませんでした・・・
いつか行きたいなぁ〜冬に
じゅん☆ | 2009/05/17 22:23
今年は朝日温泉行こうかなと思ってたんですが・・・
なんだか大雨の影響で土石流が流れこみ相当な被害を受けたようですね
しばらく休業らしいです
残念!
かなり歴史ある温泉のようですね
水上勉の「飢餓海峡」の舞台にもなったトコなんですよね
写真で見ると白濁した露天風呂が野趣溢れた感じで とってもいいなぁ〜と思ってました
ここを愛する秘湯ファンはけっこういるようですし かなり大変なコトなんでしょうけど早く再開してくれればと思います
北海道でも今年は集中豪雨が多いんですか?
和友 | 2010/08/02 12:48
大変なコトになってしまいましたね〜
あの辺はちょうど川の流れが湾曲している場所なので被害も大きくなってしまったのでしょう
じゅん☆ | 2010/08/03 22:52
朝日温泉昨年と一昨年前と行きました道東根釧からなのでなかなか行けません
道東の温泉とは一味違った雰囲気を味わえますね
こちらは鄙びたおんせんよりワイルドな方が多いですから 明日の夜勤明けは川北温泉と尾袋沼の温泉に行っ
てみたいと思います。
渡りからす | 2011/07/15 17:56
★渡りからすさん
あぁ、朝日温泉ですね
あれから進展の話を聞いていませんがどうなってしまうのでしょうね?
いつかまた再開していただけると良いのですが・・・
川北温泉もしばらく行ってないなぁ〜
お湯のニオイ嗅ぎたくなってきた・・・(笑)
じゅん☆ | 2011/07/15 20:06
本日山小屋作成用の材料を買出しに帯広のジョイフルAKへ行って来ました
帰りに浦幌町のリニューアルされた留真温泉へ寄って来ました
前から行きたいと思っていたのですが行く前に廃舘に成ってしまい旧温泉旅館には行った事が有りませんでした
この度町営の日帰り入浴施設としてオープンしたそうでとにかく行ってみました
あと 菅野温泉はどうやら破産の様ですね
負債総額7000万円だそうです
再開の目途は立っていない様です 非常に残念です
また友人に聞いた話ですとヌプントムラウシ温泉は湯船に穴が開いてお湯がないそうです。
渡りからす | 2011/07/17 21:41
かんの温泉は鹿追町などが なんとかしようと動いているようですが今のところどうにもならないような・・・
http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-458.html
ヌプントムラウシ温泉はしばらく行っていませんがあの辺はそこらじゅうで温泉が湧いていますから湯船にお湯が無くても遊べそうですね♪
久しぶりに過去記事見ていたら行きたくなってきたかも!?
http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-541.html
じゅん☆ | 2011/07/17 23:16
はい実は自己紹介が遅れまして大変失礼致しました
私くし今を去ること17年前本州東北福島県より此処北海道東部の根釧原野移って来ました
昨年要約養老牛温泉の近くで念願の土地を購入出来ましたので現在山小屋と言うより自宅作成中で御座います
離農跡地の為古い住宅が在った為それを修復中です材料を買いに良くジョイフルAKに行くんです
よその帰りに十勝の温泉の行って来たりします
自宅温泉直ぐ近くなんですが 実は北海道へ渡って来たのも温泉が沢山在るからでして特に根釧原野付近が好きでして 此処が購入出来て非常に良かったです
此処も掘ったら温泉出るかも
道東へ来る機会が在りましたらお立ち寄り下さい
多分秘境とか秘湯とか廃墟とか同じ事をしていると思います(最近していませんが)明々後日は本州よりお客さんが来るのでオンネトウ温泉の景福へお泊りに行って来ます休みを取ったので道央付近の温泉あちこち行って来ようかと思います。
渡りからす | 2011/07/18 06:46
明々後日は本州よりお客様が来るので雌阿寒温泉にお泊りで行って来ますその後移動ハウスキャラバンで道央付近を久しぶりに当ても無くさまよって来ようかと思います何処か鄙びた温泉在りませんでしょうか
あと 廃墟とかも実は好きだったりして。
渡りからす | 2011/07/18 07:06
養老牛温泉の近くですかー
昔、よくからまつの湯へ通っていました
オンネトー景福は良いですよねー
ボクも一度泊まりたいなぁと思っています
あっ、もう、5年くらい行ってないんだなぁ・・・
じゅん☆ | 2011/07/18 23:03
http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-270.html
雷電温泉郷 朝日温泉
(2010年6月27日 1人泊 @5,000円+夕食代1,500円+朝食代1,000円)
北海道、小樽から日本海側の海沿い、積丹半島からそれ以南の土地は、 車以外の交通の便がとても悪い。
唯一札幌から出ているバスが小樽、余市を通って岩内のバスターミナルに。その後岩内のバスターミナルからまたバスで各地に向かうことになる。私は朝7時前に家を出て、まず羽田から新千歳空港。
そして地下のエアポートライナーの指定席を緑の窓口で
「海側、右のサイドお願いします」
と言って買い…
座席に収まったところで、 さっきキオスクで買った、 値段は120円だが東京の1.5倍の重さがあるずっしりとした鮭入りのお握りを1個食べ…
昨夜の天気予報の 「曇りのち雨」という言葉を信じて、 UVカットに手を抜き、帽子も持って来なかった自分に腹を立てながらも…
次々と変化していく窓の外の風景に気持ちが弾んでいた。北海道で鉄道に乗るのはとても楽しい。 ずっと続いていた林や広い畑がふいに途切れると、あっという間に目の前に海が広がるのだ。
海岸線ギリギリを走ることが多いから、 潮騒が聞こえるような近さの波打ち際を眺めることができる。
小樽までの海辺はおおむねゴロゴロとした石のある岩場が多いけれど、 ところどころ小さな砂浜があって…
その小さな砂浜に見合った人数、 つまり10人しかいられないところには10人、 20人くらいいられるところには20人くらいの人が…
近くに車を止めて傘を広げ、ビニールシートに座り、…そして中には必ず泳いでいるのがいるのよ…
6月末、関東の湘南なんかで泳いでる人って、 見たことないわよ〜!
いくら暑いからってさ〜 水、そうとう冷たいんではないの?
短い夏を謳歌したいんでしょうね。 北海道の人は。
本日えらく暑く、気持ちは分かる!
小樽駅は風があり、いくぶん涼しかったが、新千歳は東京並みに暑かった。
1時に出発のバスには幾分時間があり、駅前のスーパーに入って地下の食料品、とくに野菜・果物売り場を眺める。地方のスーパーに入るの好きなのよね。 お土産じゃなくて、そこの土地の生活に密着した全然知らないものや珍しいものがあったりするから。
小樽のナガサキヤには、とくに注目するようなものはなかった。 道産の瓜のようなメロンを売っていて、見たことなかったのでちょっと惹かれたが大きいので諦める。 道産のサクランボとかあったら買いたかったのだが、山形のしかなかったのね。
さて本日日曜なので、遊びに行くおばさんのグループとか、携帯握りしめたギャルとかで割と席が埋まったバスが動き出す。およそ1時間半のバス旅行。 切り立った岩場が連なり、急激に海となる海岸線を走る。これも楽しい。
途中から海岸線を離れて、余市、そして果物の里、仁木へ。
あ〜〜〜 サクランボ1パック300円とか書いてある!
バスの窓、すぐそばを、赤く輝く実がびっしり付いた木々が目の前を通り過ぎて行くの〜〜〜
降りたい〜〜〜! あれを食べてみたい〜〜〜!
ビニールシートに覆われて大事に育てられた果樹園が続いているのだった。
あ… これを見るだけで… 食べられず…
悶々としているうちに果樹園は去っていき、そうこうするうち岩内バスターミナルに到着。ここからまたバスを乗り継いで、雷電温泉へと向かうのである。なんとなく、岩内というところはもっと内陸だと思っていたのだが、予想外に海に近く、 再び山がせり出したような海岸線を通っていくのである。
おばあちゃんたちが3人ほど乗ったバスは、トンネルと海岸沿いとを交互に走る。
宿から車で迎えに来てくれるのだが、バス停名に<雷電温泉入り口>と<雷電温泉郷>とがあり、 宿に電話したら「2時47分に着く停留所です」とのことで、バスの運転手さんに
「2時47分に着くのはどちら?」と聞いたら
「どこに行くの?」というので
「朝日温泉です」
「朝日温泉なら<雷電温泉入り口>だよ」
<雷電温泉入り口>までは490円、 <雷電温泉郷>までだと530円。 とにかく490円のチケットを買ってバスに乗る。
<雷電温泉入り口>で降りようとしたら、迎えの車が来ていない。おかしい…
「ここ47分着のバス停? 迎えの車が来てるはずなんだけど… 次じゃない?」
バスの運ちゃんは確信を持って
「朝日温泉は、ここ!」
ほんとか? なんか半強制的に降ろされるハメとなる。
確かに看板はあるが、ここから3kmと書いてある。 そして迎えの車は見当たらない。
やっぱりここじゃないんじゃないの?
仕方ない、また宿に電話する。 宿の管理人さんの奥さんが「もうしばらく前に迎えに行きましたが…」
えー …
そしたらすごいスピードで来た車が目の前でUターンして
「お待たせしましたねー! バスの運転手が手前の停留所で降ろしちゃうんだよねー!」
よかった〜! 1つ先の<雷電温泉郷>に行く道のほうが途中から舗装されているので、 宿の送迎はそちらを使いたいのに、バスの運転手が手前で降ろすことが多々あるらしい。
みなさん!バスで行かれる場合、降りる停留所は運ちゃんが何と言おうと断固無視して<雷電温泉郷>、
岩内から530円のほうですからね〜!
曲がりくねった細いダートの道を15分ほど、 そして、着いたわ〜着いたわ〜やっと着いたわ〜
おとなしいビーグルちゃんが出迎えてくれた。
新しい管理人さんになり、5月に再開した宿は網戸が張られて夏仕様。
本日のお部屋は、明るい日差しの2階、いちばん手前の窓が2面ある部屋だったが、 管理人さんの奥さんに
「自家発電の音が気になるかもしれません。奥の部屋のほうが音がしませんが、ここでいいですか?」
と聞かれ…
うーん… 奥の部屋のほうがいいかも… というわけで奥の部屋に移動。
日帰り入浴客がけっこう車で来ている。車が来る音や、去っていく音がする。こちらは窓が1カ所、でもいずれも網戸が張られ、それにここからの景色を楽しむ、という宿じゃないので、ここでいいのだ。
部屋はお布団が片隅に置いてあり、とてもシンプル。 あれ?お茶セットなし?
ああ、そうか。目の前の川は豊富に水が流れているが、多分飲料水が貴重なところなのだ。
はやる気持ちを抑え、持っていたペットボトルのお茶を飲み、身支度して(一応混浴用湯浴み着装着ののち、浴衣をはおるスタイル)
いざ〜 出発! 混浴の露天は、男湯からは直接ドアを開けて行けるんですと。
女湯からは行けないので、建物のサイドをめぐって宿の裏手に。
まず細い手作り感に溢れた橋を渡る。
ちょっと先の塀を左に曲がる。
そしてもう1本の橋を渡り、あっ!あそこに見えてる! だれもいない!
ここだわ、ここだわ! 硫黄の香りがする!
あーーー! 着いたよ〜 やっと入れる〜
感無量。
家を出てから8時間半かかったの。長かったよ〜 でもとっても楽しい旅の、なんて素敵なお風呂…
ぬるめ、ふっと硫黄の香りが鼻をかすめ、お湯は岩壁から自噴している。泡がプクプクッと上がってくる。
あ〜
あ〜
ダブルブイサイン!
来られてよかった〜〜〜 しみじみ幸せ。
もう1人の宿泊客は男性で素泊まり、食事は私1人で。 「あまり食べないので少しでいいです」と言っておいたんですが、いろいろおかずを揃えてくれています。
お刺身もたっぷり。おなかもすいていておいしくいただきました。
日が長くなったので、7時はまだ明るい。
内湯へ。
スッキリした脱衣所。浴槽が2カ所あって、源泉が違う。
肌触りのいい、黒い湯の花が舞う熱めの浴槽と、白い湯の花が舞う、ぬるめのお湯の浴槽とがある。
硫黄の香り漂う露天も含めて、いずれも肌に負担のない気持ちいいお湯である。
とっても嬉しいことに、ふかふかの敷布団2枚、羽毛の掛け布団でした。
朝はコーヒーを淹れてくれました。
男湯の内湯。
素泊まりの男性客が早々と出発したので、湯浴み着なしで露天に向かう。
激しい川音と、朝日に染まる木々の緑、時々なく鳥の声…
自然のただ中で、その光と空気とに渾然一体となって、呼吸する。
今日のお湯は透明感があり、底までよく見える。
そしてお湯とも同化して、この小さなお風呂に入った私は、そのまま風景の一部となる。
朝ご飯。おいしいタラコだけでご飯がすすみます。
男湯の内湯も入らせてもらいました。今日は内湯のお湯も、透明度が高い。
あのドアを開けて行くと、露天が近い。
今回は、本日が宿のお休みの日で、2泊できなかった。 でもとてもとても満足感のあるお湯とお風呂だった。
この若いビーグルちゃんは<大将>っていう名前なんですって。名前に似合わず、とってもおとなしくて控えめ。
「また来る?」
「うん、今度は2泊しにまた来る」
本数の少ないバスに乗るために、9時20分に管理人さんに送ってもらう。
宿のオーナーは別の人で、この宿は管理人さんが数年ごとに入れ替わって維持されてきたらしい。
今年から管理人になったご夫婦は、客としてこの宿に泊まり、以前の管理人さんとお酒を飲みながらお話しているうちに、以前の山男の管理人さんがそろそろ山に登りたいから代わりの人間を探しているのだが、という話になって、引き受けることにしたんですって。
「人生、どうなるかわかりませんね。こんなことやるとは思ってもみなかった」
と、 新米の管理人さん。
宿は冬は急峻な山道の除雪がされないので休業、春先にやって来たときには、雪の重みで建物がいたんだり潰れたりしているらしい。何年か前には別棟が崩壊したという。オーナーは
「冬の間に建物が潰れたら、もう修理しないで廃業」
と言っているらしいが、 歴史のあるいい温泉を持つ宿なのだから、 長く続けてほしいと願う。
辺鄙な山の一軒宿を細々と、しかしここまで続けてこられたのは、オーナーだけでなく代々の管理人さんの苦労と努力のたまもので、 そこには名を売ろうとか儲けようとかという発想とは無縁の宿と自然に対するひたすらの愛情が流れていて、それゆえにこの宿が輝くのである。
雷電海岸は穏やかに晴れわたり、湿気のない海風が気持ちよかった。
いい宿だった。いいお湯だった。いい管理人ご夫婦だった。 去っていく車に手を振りながら、充実感と幸福感が込み上げてきた。
★★★★★★★★★★★★
私がこの宿に泊まって1カ月余、北海道はかつてないような豪雨に見舞われました。 宿は川の氾濫のために半倒壊、岩と汚泥で埋まり、現在休業を余儀なくされています。管理人ご夫婦がご無事だったのが不幸中の幸いでした。
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朝日温泉日記
休業中の作業の様子です。内風呂工事をはじめ、その他の修繕作業など、主に札幌市の「伊藤工務店」さんが工事してくれました。
休業中に朝日温泉に来たときは、雪の重みで内風呂が崩壊していて、館内にも誰かが入った跡などもあり、かなり荒廃していました。まだ修繕する箇所などはありますが、こうしてまずはメインの温泉を直し、館内を整備し、無事営業を再開することができました。
休業中にもかかわらず、どこからか噂をききつけて、たくさんの人がオーナーや主人、作業しているみんなに励ましの声をかけてくださいました。
http://dns.d-science.jp/asahionsensagyou.html
2005年05月31日(火)
5月に入り雪も溶け、朝日温泉の営業再開に向けて作業が始まっています。 長い間休業していたにもかかわらず、様子を見に来てくれる方々がいるのは、本当に有難い事です。
険しい山道を入り、ここまで来てくださったお客様のために露天風呂の清掃をし、開放しています。 まだ柵のようなものを着けていないので、開放感抜群(苦笑)ですが、入浴できる状態になっていますので、源泉100%のお湯を楽しんでください。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200505.html
2005年06月29日(水)
ついに内風呂が完成しました。 長い期間の休業、大雪や風の影響でほぼ崩壊しておりました。復旧前は露天状態の荒れた場所に貴重な温泉がぽとぽとと落ち湯船にたまっているという寂しい状態でした。
元々の岩のつくりは一切変えず、建物を直し、清掃し、新たにお湯をはった内風呂はまたたくさんの温泉好きの皆さんに楽しんでもらえるような状態になりました。
この画像は女湯です。 以前は男女のしきりが半分までしかなく、半混浴でしたが、男女別になりました。源泉を引いたパイプからは熱いお湯が出てきています。 写真のお湯は白色っぽいですが、奥にもう1つある浴槽は透明のお湯です。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200506.html
2005年06月19日(日)
遅くなりましたがこのブログの管理人の紹介をしたいと思います。と、その前に・・・朝日温泉の新しい主人について。
休業中だった朝日温泉を新たなオーナーのもと、再営業に向けて出発することになりました。このご主人も以前客として朝日温泉に宿泊したことがあり、前ご主人、旅館従業員の人の温かさ、そしてこの源泉の温泉のすばらしさを感じていた朝日温泉のファンの一人でした。そして、何かの縁でこの朝日温泉の再営業をすることになりました。
以前の朝日温泉は電話が通じていたみたいですが、現在は電話が引けないような状態だそうです。だからもちろんインターネットも使えません。なので、朝日温泉にずっといる主人はホームページやブログの更新はもちろんできません。そこでちょこちょこお手伝いに行っている私が、ご主人の代わりに朝日温泉の様子をお伝えしようと思いこのブログをはじめることになりました。
これからもたくさんの温泉好きの方々、現主人のような昔からの朝日温泉のファンの方々に訪れてほしいものです。そして貴重な温泉を守っていってほしいと思っています。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200506.html
朝日温泉:オープン初日2005年09月16日(金)
本日より正式にオープンいたしました朝日温泉。今日は朝から朝ビタTVの取材でした。
今日からオープンと発表したのは昨日なのに、もう今日飛び込みで宿泊のご予約がきたそうです。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200509.html
朝日温泉 連休2005年09月26日(月)
朝日温泉が正式にオープンしてから、1度も行っていなかったので、9/23-25の連休に行ってきました。
24日の午前中に到着。すでにお客様がいらっしゃいました。
話を聞くと今日の北海道新聞に載ったらしい・・・朝早くてチェックしてなかった><朝日温泉に到着してしまっていたので買いに岩内の街まで行くのも時間がかかる。当然館主の畠山さんも記事を読んでいませんでした。そして見てみると・・・思っていたよりもはるかに大きな記事が!びっくりしましたよ。
その効果もあってたくさんのお客様がいらっしゃってくれました。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200509.html
久々の更新2006年03月01日(水)
まだまだ北海道は寒い日が続いています。朝日温泉もすっかり雪につつまれている状態です。
遅くなってしまいましたが今年に入って館主・畠山が様子を見にいった写真です。
この雪は・・・
すっかり埋もれています
2m以上積もっていたそうです
朝日温泉に来たことのある方は分かると思いますが、ここまで辿りつくのも大変でした・・・
(山道は除雪されていないのです><)
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200603.html
朝日温泉 オープン準備2006年04月24日(月)
4/23(日)今日は天気も良く雪が溶けてくれるといいなーといった1日でした。
先週くらいから、オープンの準備をしています。緑もところどころに見えてきましたが、まだまだ写真のように 雪がどっさりです・・・
主に除雪。と施設のチェック。ところどころ、雪の影響で破損している箇所があったりしました。初めての冬でしたので、次はどうしておかなければいけない等いろいろと勉強になりました。
これからオープンに向けて大忙しです。
露天風呂に通じる橋です。 雪がたくさん積もっていて露天風呂にたどり着くには要除雪です><
5/4までには道の確保はしますのでご安心を。
***お知らせ****
ゴールデンウィークの予約状況
おかげさまで、5/4(オープン初日)は満室となっております。
その他の日は若干の空室がございます。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200604.html
朝日温泉 2006年10月03日(火)
今期の営業も残すところ1ヶ月をきりました。10月31日までの営業になっております。よろしくお願い申し上げます。
10月の予約状況です(10/3現在)
10月7日(土)満室
10月8日(日)空きあり(1室)
10月14日(土)満室
10月15日(日)満室
10月17日(火)空きあり(3室)
10月21日(土)満室
10月22日(日)空きあり(3室)
10月24日(火)満室
10月28日(土)空きあり(3室)
他の日にちは空室です。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200610.html
朝日温泉(*お盆の予約状況) 2007年08月08日(水)
お問い合せの多いお盆期間のご予約状況についてです。
8月10日(金)・・・・・空室わずか
8月11日(土)・・・・・空室わずか
8月12日(日)・・・・・空室わずか
8月13日(月)・・・・・満室
8月14日(火)・・・・・満室
8月15日(水)・・・・・空室わずか
8月16日(木)・・・・・空室あり
8月17日(金)・・・・・空室あり
北海道はもちろん、朝日温泉も気候ともに良い時期です。露天風呂もとても気持ち良いです。
日帰り入浴も休みなく営業しておりますので、ぜひお越しくださいませ。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-200708.html
☆皆さま、こんにちわ〜 2010年01月21日(木)
管理人について
始めまして、小畑孝吉(オバタ コウキチ)と申します〜
この度、縁あって前任者、畠山彰吉様より朝日温泉を引き継ぎ管理営業をする事になりました。湯宿の営業などまったくの素人ですが、ご存知の通り山奥の秘湯宿、前経営者は男手一つで切り盛りして居ましたが、幸い私は家内の協力も得られ夫婦で管理営業をする事になりました。
ご存知の通りのあばら家ですが、映画「飢餓海峡」の舞台にもなった歴史ある湯宿、電気(自家発電)、テレビ、携帯電話も通じない野趣溢れる秘湯宿の趣をそのままに館内、客室、浴室は清潔を心掛け、お越しの皆様には日頃の喧騒を忘れ、ゆっくりくつるいで頂けるよう努力して参ります〜
また、当宿は「雷電山」の登山口にもなって居ります。どうか一度お起こし頂いて源泉掛け流しの真の温泉を堪能ください。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201001.html
☆今回の経緯 2010年01月21日(木)
今回、朝日温泉を引き継ぎ営業する事になった経緯など報告して於きまましょう〜
昨年10月、私は朝日温泉を知りませんでしたが、家内と何処かひなびた温泉に行こうかとの話から、家内が北海道新聞の切り抜きを出して来て「お父さん、ここに行ってみよう〜」と言うので見ると確かにひなびた山奥の温泉宿だった〜
早速電話で空き室を確認したらOKとの事、一泊朝食付を13日に予約して当日出発した〜
途中岩内に寄り以前見に行った「温泉付別荘地」や高台の温泉などを見て「道の駅」や近くのス−パ−に寄って夕食と酒の肴を仕入れ、ちょっと早かったが3時前に宿に到着しました〜
管理人の畠山さんに気持ちよく迎えられ、まずは部屋に落ち着きましたが、私は早速空くのを待って露天風呂へ〜
思った通り野趣溢れるこじまりした露天風呂はちょっとぬるめで、その分ゆっくり浸かって居られる〜
周りの風景など見回し渓流の流れの音など聞きながらの入浴は至福のひと時である・・・
部屋に戻ると家内は昼寝の最中〜私もドライブの疲れで、うとうとしてたら、外は夕暮れになったいた〜
家内を起こし「明るい内に露天風呂へ行って来い」と言うと「ちょっと怖いから一緒に来て〜」との事・・・
「たまには家内孝行で一緒に入るのもよかべ」と思いまた露天へ〜
記念に入浴写真など撮り合って、次は内風呂へ〜こちらは男女別です・・・残念(笑)
さて、夕食の時間になったが家内と二人の夕食も退屈なので畠山さんに「一緒に飲みませんか?」と声を掛けたら、もうすでに始めて居て逆にこちらが管理人室に呼ばれた〜
家内と仕入れた酒の肴と夕食の「生ちらし」弁当とビ−ル、酒、ワインを持参して管理人室へ・・・
すっかりお互い意気投合して酒も進んで話しに花が咲いた頃、私が「処で畠山さん、何か用事で休む事が有ったらバイトに来るよ」と言うと
「実は私、今年でここを辞める事になっている」との事〜
私もバイトのマンション管理人の仕事を5月で辞めて仕事を探して居たので、てっきり給与制の管理人かと思い、「じゃ〜私にやらしてよ」と言うとなんと家賃を払って自分で経営しているとの事・・・
まぁ〜その先の話は酔ってよく覚えていないが、どうも私も乗り気で話をしたらしい・・・
翌朝朝食が終わったら再度畠山さんが「小畑さん、本当にやる気があるならオ−ナ−に聞いて於くよ」と言うので、「なら条件など聞いて於いてください」と話は終わった。
それからは経営となると、いろいろ考える事も有ったが家内の後押しも有って話は進んだ〜
「もしやる気があるならもう一度来て僕の遣り方など勉強に来たら〜」と言うので、10/26日に再度、朝日温泉に出向いた〜
夜はまた、酒を酌み交わしての畠山さんの営業話などに花が咲いたが酒に弱い私は家内を置いて先に寝ることにした〜
家内と畠山さんは、すっかり話が合って夜中まで飲んで居たらしい〜
翌日、朝風呂に入ってから、いよいよ畠山さんに就いて露天風呂の清掃や発電機、給水口、源泉の点検と日常の仕事の段取りを教えてもらった〜
その間、かみさんは館内の清掃などをして畠山さんは午後から休むと言うので昼頃一緒に温泉をあとにした〜
10月31日で休館した後、札幌で2回お会いして過去の営業収支なども教えて頂きオ−ナ−にも2回会って、今日最終賃貸契約が成立しました〜
私も近くの山に山小屋のログハウスを自分で建てたり、冬はスキ−、夏はカヌ−と温泉巡りが大好きなアウトドア人間で趣味と実益を兼ねた仕事が出来て夢は膨らむばかり・・・
温泉経営もお客様の立場に立っての取り組みで、年金で生活費は出るので利益度外視でサ−ビスを心掛けるつもりです〜
その第一弾が宿泊代の値下げ、軽食の提供、夕食のオプション設定、設備の充実なども行いますので、どうか新しい経営者での朝日温泉に是非一度起こしください。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201001.html
☆近況報告☆2010年02月07日(日)
管理人について
とは言っても遠い札幌の空の下・・・
この処の雪で宿の屋根の積雪が心配な毎日です〜〜
毎年、前管理人さんは3月末に雪下ろしへ行ってたとの事ですが、今年は私がやらねばならぬ雪下ろしだが、オ−ナ−からはオ−プンの確認が出来てからの正式賃貸契約との事・・・
その為とも思えぬが今年も畠山さんにはお世話になり、私も同行する予定です〜
それはともかく、話が決まった以上、無事オ-プン出来るかが心配な毎日です。そんな訳で今月はスノ−モビルを頼んでも一度宿の状況を見に行こうと思っています。
さて、そんな毎日ですから当然オ-プン後の運営に付いても考える毎日です〜
PCから「朝日温泉」関連のサイトを検索し「口コミ」などでお客様の評価や要望を勉強し、オ-プン後の参考になればと思いました。勿論、私なりに客として訪れた時感じた、ハ−ド面やソフト面の計画もありますが、やはり来たお客様の多くの意見が参考になります〜
ハ−ド面の施設や設備はコストとオ−ナ−の考えもある事から、どこまで出来るかは判りませんが、自分で出来る範囲では最大限実施して行こうと思う〜
例えば宿、駐車場周りの整理や整備・・・秘境・渓谷を活かした環境造りと造園など・・・
また、自分で出来る建物のメンテナンスや屋内施設の改善などです。
露天風呂も夏場の「虫」対策なども考えて、ゆっくり入浴して頂ける様工夫します〜
ソフト面ではご希望が多かった夕食の提供、ただこれも何分素人の夫婦ゆえ、スタ−トではオプションにて対応しお客様の感想や評価を参考にして、宿泊に設定して参りたいと存じます〜
また、日帰り入浴のお客様には軽食の提供も予定してますが、今、どこの食材が美味しいか日夜試食の毎日です〜
そのほか、娘の希望で浴室のシャンプ−類やドライヤ−の常設、お部屋のタオル掛けや、冷水、お茶のサ−ビスなども計画してますが、浴室のシャンプ−に付いては、ここの再開時の写真を見ると常設していたみたいです〜
たぶん余りの消費量から廃止したと思われるが、確かにコストの掛かる事、入浴料から入湯税を払って残りで採算取れるかですね・・・
私達夫婦は共に年金が支給されてる生活状況〜
私の場合は趣味と実益を兼ねての今度の仕事ですが、当然、宿運営に対する労力の対価は頂戴いたします。ですが出来るだけお客様に喜んで頂ける食事やおもてなしを心掛け、「また来るね〜」って言って頂ける湯宿を目指して参りますので、オ-プンしましたら何卒宜しくおねがい致します。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201002.html
☆温泉の雪降ろし〜 2010年02月25日(木)
天気にも恵まれ、温泉の雪降ろしに行って来ました〜
途中、海岸線の雪の少ないのに驚いたが、山道を入るに従って見る見る積雪が多くなるのが判る〜
先に入った前管理人さん達のスキ−跡を辿ってスノ−モビルで登る事10分くらい・・・
もう、発電機小屋の雪降ろしを初めていました〜
私も休む暇もなく、脱衣所の雪降ろしに掛かったが2m近い積雪〜
モビルの親子も手伝ってくれて思いのほかはかどったが、私の作業量は半人前〜
やっぱり、重労働の作業は息が切れ、腰が痛くて続きません・・・
作業より休む時間が長い始末です・・・嫌!と言うほど歳を思い知らされました(。>0<。)
浴室の屋根に作業が進むと上の方にポッカリと穴が!!!
5年間無事に持った波板プラスチック板が経年の劣化で弱ったのか、上からの落雪で穴が空いたのだろう〜
女風呂には雪が入っていたが、春までには融けるだろう・・・水場でよかった〜
それにしても初めて行く温泉の雪には驚いた〜
写真では見ていたが実際に見る雪の凄さに圧倒される〜
玄関前は吹き溜まりのせいか完全に軒の看板まで積もっていた。
今回の雪降ろしで建物本体のダメ−ジは無かった様に思われるが、無事オ-プンを願うばかりです。
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201002.html
☆「北海道じゃらん」の取材 2010年04月19日(月)
昨日、宿の除雪から帰ると「北海道じゃらん」からの取材メ−ルが来ていた〜
道内の日帰り温泉特集の企画らしく泉質・秘湯・ロケ−ションの3点から12箇所厳選し朝日温泉を載せて頂けるとの事、秘湯温泉としては嬉しい事ですね・・・
先日、温泉道路の除雪に行った際、下の「三浦屋旅館」へ寄りましたが、最盛期十数軒在った雷電の温泉も昨年「加藤旅館」が閉められ、今や、雷電温泉は朝日温泉と三浦屋旅館の2軒のみとなりました・・・
我が朝日温泉は雷電と言っても海岸線から山深く入り、他と一線を臥して居ました。 経営者の都合で一時閉鎖時期も在ったが、5年前に現オ−ナ−と前管理人さんのご努力で再開され引継ぎました〜
私も元気な内はこの「秘湯の宿」を守って行きたいと引継ぎましたが、母屋を始め設備は老朽化し私が倒れるか、母屋が倒れるか心配しながら、今シ−ズンを迎えました〜
私もまだまだ行けると思っても連日の準備での宿通いで足腰が痛み、宿の建物と同じであちこち傷んで居ります(;´▽`A``
「飢餓海峡」のロケにも使われた趣在る建物はそのままに、いつまで続けられるか判りませんが、まずは今シ−ズン皆様に喜んで頂ける、秘湯温泉宿として頑張りますので、どうぞ皆様も宿も私も健在な内にお越しください(≡^∇^≡)
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201004.html
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そして運命の 2010年 7月29日
朝日温泉手前の土石流災害
あの災害を知らず、北海道岩内町雷電地区にある朝日温泉に行こうと思い向かったのですが、朝日温泉手前数十メートルの所で土石流が発生していました、林道は決壊しあとかたもありません自然の驚異を見せられた感じでした。
http://www.youtube.com/watch?v=_HdOwij8QCQ
2011/07/24
北海道では唯一ここしか残されていない、創業は江戸末期の弘化元年(1844年)開湯、日本百名湯、雷電湯元朝日温泉。
横に流れるユウナイ川は硫黄の臭いでいっぱい。
2010年7月の集中豪雨による土砂災害で施設が被害を受け、残念ながら未だ休業中。
http://www.youtube.com/watch?v=ClaEO_L6g3o
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★皆様、こんばんわ〜 2010年07月30日(金)
今回は「朝日温泉」と秘湯のファンの方には悲しいお知らせをしなければなりません〜
28日夜半からの大雨で温泉横のユ−ナイ川が氾濫し露天風呂や館内に大きなダメ−ジを受け、その上、看板から下る温泉までの道路も約200mに亘り崩壊し河川状態と化していました・・・・
29日早朝、内風呂の清掃を済ませ一風呂浴びてると増水した川の流れの音が異常に聞え、すぐに着替えて外の様子を見ると、露天風呂へ行く一つ目の橋の下流から増水した川水が溢れ旅館横に流れ出していました・・・
咄嗟に危険を感じ女将に避難する指示をして、身の回りの物だけ持って愛犬「大将」を乗せて出発しましたが、すでに登りの道路は川状態と化して居たが何とか4駆と冬タイヤが功を奏し国道まで下りる事が出来ました〜
役場に連絡をして町の会館に避難場所を確保してもらって休憩〜
役場も町内の避難勧告や対応に大忙し、取り合えず一晩様子を見て明日、晴れ間を見て旅館に戻る事にしたが、天候はますます悪化・・・
今朝、役場と連絡を取り旅館に戻る事にしたが、朝一番に温泉までの道路整備に出動しているので状況が判るまで待ってくれとの事〜
現地オペレ−タ−からの連絡では何ヵ所か道路が崩れ修復に時間が掛るとの事、まずは、開通するのを待った〜
昼過ぎ、役場の部長さんが現地オペレ−タ−からの連絡と写真を持って来てくれたが、変わり果てた旅館の周囲と崩壊した道路の画像を見て唖然とした・・・・
まずは自分の目で確認し必要な物だけでも運び出す為に旅館に向った〜
旅館上の看板の在る町道までは綺麗に整備が終って居たが、その下の道は3〜40m先まで行けたが、後は完全に道路が崩壊し河川と化していました・・・
女将と空にした大型バッグを背負い長靴で泥流を避けながらやっと旅館に辿り着いたが、その変わり果てた様子に驚いた・・・・
ユ−ナイ川の流れは完全に様子を変え構内は土石流であちこち石だらけ〜
露天風呂と登山口への丸太橋も流され内風呂へ源泉を引いている電柱橋とホ−スも姿を消していた・・・
男女脱衣所とトイレが土石流で押し潰され館内一階は全面土砂が堆積していた・・・
取り合えず写真を撮り必要品を運びでして札幌の自宅へ戻りました〜〜
そんな訳で今後の営業は来週、オ−ナ−との現地視察と話し合いに依りますが、当面休業を余儀なくされました・・・・
激流にえぐられた駐車場
泥流に埋まった男風呂
泥流にえぐられた玄関前
橋と屋根が崩壊した露天風呂
土石流に押し潰された脱衣所
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201007.html
★お詫び・・・ 2010年08月05日(木)
余りにも被害が大きく、除雪、源泉温度(49.5度)の関係から夏場半年間の営業では、到底資本投下、採算性からしても、オ−ナ−と私たちでは再開も困難な現状です・・・
旅館の修復にも多大な費用を要し、併せて温泉設備の修復、道路、構内の修復となると到底関係官庁の災害復旧などの助けもお願いしないと再開が無理な現状です・・・
土石流で破損した旅館迄の道路
河川と化した温泉への道
土石流に流された破損した源泉パイプ
土砂で埋まった館内
http://ameblo.jp/asahionsen/archive1-201008.html
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::;;;;;;;;:.:.!`ン `ヽ / ヽ うーん…元の世界に戻りたいけど、帰り道が分からない。
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;;;;;;:;;;::.:.! /゙``'ーヘ l,. -ァ'7 どうやったら人間界に戻れるんだろう…
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3. 飢餓海峡の世界
石川さゆり 飢餓海峡
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13376171
http://www.youtube.com/watch?v=AmJ4Y2247iY
http://www.youtube.com/watch?v=DQzh2YYZeyU
飢餓海峡 (1965・東映東京)
監督 : 内田吐夢
原作 : 水上勉
音楽 : 富田勲
■キャスト
三國連太郎(犬飼多吉/樽見京一郎)
左幸子(杉戸八重)
伴淳三郎(弓坂吉太郎)
高倉健(味村時雄)
加藤嘉(杉戸長左衛門)
オンラインで動画を見る Veoh.com
http://www.veoh.com/watch/yapi-AFk-zMwSJAY
http://www.veoh.com/watch/yapi-HsnzgladAoA
飢餓海峡
昭和29年9月26日タイタニック号に次ぐ規模の海難事故が函館沖で発生した。青函連絡船5隻−洞爺丸、第二青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸−が台風15号マリー(後に洞爺丸台風と命名)の日本海側通過により沈没し、多くの人命(計1420名)が失われた。その大半は洞爺丸の乗客である。洞爺丸は防波堤外1.5kmの地点で投錨したが効果なく機関は浸水停止、台風に引きずられ浜まで700mのところで転覆した。夜11時前であった。この台風通過に合わせて岩内で火事が発生し、たちまち全町を焼き尽くす大火となった。
水上勉原作内田吐夢監督の東映映画「飢餓海峡」は、質屋一家皆殺し事件をこの2つの事件に絡めたスケールの大きい社会派推理劇である。昭和40年に製作された3時間に余る大作である。皆殺し事件の方は作家の虚構らしい。
遭難連絡船は層雲丸それから事件の時代設定を実際より7年遡って昭和22年としている。敗戦間もない時期に変えたことで物語をより劇的なものにしている。
質屋と犯人が出会った場所は雷電朝日温泉である。ニセコ積丹小樽海岸国定公園の雷電山麓日本海海岸から川に沿って2kmほど登った位置で、今でも山道しか通わない湯治場のようだ。
質屋殺しの現場岩内町はニシン漁盛時は賑やかだった町だが、今は次第に人口が減少しつつあるという。映画に出てくる国鉄駅は岩内線廃線で無くなっていた。小沢と結んでいた短い支線であった。犯人達は層雲丸遭難の騒ぎに紛れて小舟を盗み下北半島の仏ヶ浦に漕ぎ渡る。途中仲間割れから務所出所組の2人は第3の男に消される。
仏ヶ浦は観光ガイドブックにも出てくる岸壁岩礁の名所である。恐山から森林鉄道に便乗し、バス経由で大湊に到着する。大湊には花街に女郎屋が80軒あるという台詞が話される。海軍軍港時代を引きずっているのである。
男は森林鉄道で知り合った女を訪ねてその1軒に行く。その女は娼婦であった。刑事は男が娼婦を訪れたところまで突き止め、その女を出身地に近いという湯野川温泉に訪ねて行く。
恐山信仰がこの映画の雰囲気を盛り上げている。プロローグ、エピローグの両方で流れるご詠歌風の霊媒讃歌。男が恐山で垣間見るイタコの口寄せシーン。そのときの霊が乗り移った最後のあたりはハレーションを効かせた撮影で迫力満点である。楼の一間で恐山の雷鳴稲光に恐怖を覚える男に娼婦がイタコを真似て戯ける一コマもいい。彼女も亡母の法要でイタコを呼んだが、口寄せなど迷信だと切り捨てる。
娼婦を左幸子が演じた。律儀で純な気持ちを持ち続ける娼婦を見事に演じた。素人に戻りたい願望を父に漏らす湯野川温泉のシーンは哀れである。小学校を出て働きに出たところが女郎屋で、神経痛持ちで稼ぎが少ない樵の父親と幼い家族のために、借金で足が抜けない生活を送っている。
男は盗んだ80万円の内3.4万円を女に恵む。泊まり無しの娼婦の値段が50円と云ったから大金だ。彼女は借金を清算して東京へ出るが、すさんだ町で堅気に生きるのは難しい。ヤクザやちんぴらの出入り、警察の手入れ、路上の浮浪児の生態など雇われた飲み屋の客引きとしての目から怖かった当時の世相が物語られる。よく撮れている。結局赤線に逆戻りして10年目に売春防止法施行前となり偶然新聞に男の記事を発見する。舞鶴で過去を隠そうとする男と礼を述べようとする彼女の間で悲劇が起こる。絞め殺すまでの経過がちょっと長々しすぎた。もうちょっとテンポよく描かれていたらもっと良かった。
男は三国連太郎が演じた。6尺の髭面の大男は怪力でもある。この体力は漂着した仏ヶ浦で小舟を小割りして岸に持ち上げるためと彼女の殺害に利用される。あくの強い本式の関西弁を使う。左幸子の津軽弁と掛け合うときは方言がもたらすコミュニケーション技術への効用を思ってしまう。白黒映画だが、言葉はカラーフルなのである。彼の演技の真価は東舞鶴警察署に参考人として出頭してから容疑者として留置され、最後は刑事と共に連絡船で津軽海峡を渡るときに海に身を投げる後半で発揮される。犯人の善良に生きようとしながら殺ってしまった心の闇をちょっとした所作と言葉の抑揚声量などで三国は観客に伝えてくる。
遭難と救助現場の緊迫感もよく伝わる撮影であった。近頃は雑で素人っぽく独りよがりな演技が多くなったせいか「飢餓海峡」には大いに満足した。今年のカンヌ映画祭には日本からの応募が多数あったが1つも賞が取れなかった。演技力の低下が目の肥えた審査員達に映らぬはずはない。名作から学んで欲しいものである。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG478.HTM
『飢餓海峡』の素晴らしいところは、もっとも人殺しをする可能性の少ない登場人物に、連続殺人をおこさせた点にある=B生まれながらの貧困、流浪の人生の果てに、犯罪に巻き込まれ、大金を手にする誘惑に直面し、それを手に取り善行を施すが、連続殺人を起してしまい、自ら死を選ぶこの善良な男・樽見京一郎。人は境遇の中で、殺人者に成り得る。そんな姿を描いたからこそこの作品は、今も人間の二面性を隔てる海峡となり、観る人々を善悪の彼岸に立たせてくれるのである。
まず始めに1970年代生まれの私でも純粋に感じるこの作品と現在の邦画の、かけ離れた距離感について語ろう。最近の映画は、ここ20年くらいそうなんだが、製作発表とかいった場所で、着飾った俳優(そう呼ぶに値するのかさえも疑問だが)と監督(以下同じ)がステージに立ち、へらへら笑いながら「これは力作です」なんて言ってる(のか言わされてる)・・・
既に多くの人が、その緊張感のないステージショーにうんざりしている。つまらんバラエティ番組に出演して、宣伝活動に励むその姿の緊張感のなさ(=自信のなさ)が、そのもの映画の出来具合に反映している現在の日本映画に対して、『飢餓海峡』は、全く違う国の、違う人々が作ったかのような錯覚さえも覚えさせる程に、堂々としている。
この作品には、ストーリー、役者の芝居、演出、音楽そういったものを含める全てにおいて、本気で何らかのものを生み出そうとしている熱情が感じられる。本気で、人様に観てもらうに値する何かを生み出そうとする姿勢。そして、顧みて今。中途半端な粗大ゴミのような映画を輩出し、気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべてる役者・監督諸君。夜遊びや、くだらん恋愛をする前にまずこういった作品を一つでも多く観て映画に対する感性を磨くべきではないか?
今、映画というフィールドに立っている映画人、俳優達よ。もっと映画を観よ!本を読め!芸術に触れよ!そして、感性を磨け!夜遊びに羊の群れのように繰り出して、好きでもない商品の販売員に成り下がって、知名度が上がったとはしゃいでる場合じゃないぞ?売れたい志願の女優(男優)の卵と安っぽい恋愛を繰り返してる場合じゃないぞ?映画をなめてるヤツラが映画に関わっている所に、今の邦画がつまらない元凶がある。
昭和20年、太平洋戦争に敗北し、国土は焦土と化した。ほとんどの人たちは、ゼロもしくはマイナスから生活を立て直していかなければならなかった。空襲で家屋を破壊されたり、夫、息子を戦地で失ったり・・・。そして、多くの女性は、唯一売れるもの≠使い進駐軍相手の売春婦となり、多くの中高年は闇市で市場を出し、農村に買出しに行った多くの主婦は、身体と引き換えに僅かな食物を手にし、多くの若者は暴力に明け暮れていった。そう道徳観念もまたゼロからのスタートになったのである。
昭和22年はそんな時代だった。そんな時代にこの作品の主人公・多吉は、大金を手にした。いかに悪にまみれた金であろうとも、この金を手放したら彼の元に大金が転がってくる可能性は、二度と来ないかもしれなかった。
彼は幼少期を極貧の状態で過ごした(彼の両親は、蓑一枚位しかない畑と川底にある沼のような田圃を耕して生きていた。重労働と反比例するかのような収穫率の悪さ)。彼は衣食住に餓えているだけでなく、心の交流にも餓え続けて生きてきた。彼はそんな飢餓生活の中で、人間の尊厳さえも失っていった。そんな彼にとってその大金は、失われた自分に対する尊厳を取り戻す唯一の糧だった。
彼はこの糧=大金を生かし、多くの善行を行なった。現代人から見れば、それは彼の貪欲さ、名誉欲に過ぎないと感じるだろうが、実際はそうではない。彼は失われた尊厳を長年かけて取り戻そうとしていただけであった。故郷の貧村に多額の寄付をしたのも、前科者の社会復帰に対する支援も、自分の境遇がいかに悲惨であり、ただ純粋に同じような境遇の人々が、一人でも減り、人間としての尊厳を取り戻すきっかけを作ってあげたかったからに他ならない。
この行為は、彼にとっての贖罪行為でもあった。彼は、自分の中の心の飢餓を人々の喜ぶ表情で満たそうとした。しかし、そんな時に八重という存在が現れる。人生で初めて主人公が助けられ、助けた女が、その感謝の想いの丈を打ち明けに来た瞬間に、主人公は運命の皮肉に翻弄されてしまうのである。
■ギリシア悲劇のように運命に翻弄される多吉の姿
飢餓というものが実感できない今、一つの点においてこの作品は誤解を受けている。それは飢餓が貪欲さを生み出す≠ニいう観点である。
例えば、究極の飢餓状態でもあるアウシュヴィッツ収容所に収容された経験を持つ心理学者ヴィクトール・フランクルはその著書『夜と霧』にてこう書き記している。
「多年収容所で過ごし、一つの収容所から他の収容所へと、結局は一ダースもの収容所を廻ってきた囚人の中には、この生存のための苦しい闘いにおいて、良心なく、暴力、窃盗、その他不正な手段を平気で用い、それどころか同僚を売ることさえひるまなかった人々がいたのである。
全く幾多の幸福な偶然。あるいは―そう呼びたいならば―神の奇蹟によって、生命を全うして帰って来た我々全ては、その事を知っており、次のように案じて言いうるのである。すなわち最も善き人々は帰ってこなかった」
つまり、飢餓が貪欲さを生み出す一方で、人間としての崇高さも生み出している事実である。多吉にも八重にも弓坂にも、そういった飢餓が生み出す貪欲さは存在しない。煙草を売らずに、老婆に与える多吉(大金を八重に与える多吉)。握り飯を与える八重。自費で舞鶴まで行き捜査に協力する弓坂。
多吉、八重、弓坂という人間が、飢餓が生み出した善良な部分であるならば、本作において飢餓が生み出した悪徳の部分は、津軽海峡で死んだ二人の殺人犯だろう。独り占めを目論み共食いし合った2人だが、これこそ飢餓が生み出す人間不信である。そして、手に入るものなら何でも手に入れろ!という姿勢である。
この作品の素晴らしいところは、そういった飢餓の中でさえも善良な意思=「優しさ」を持った主人公でさえも殺人を犯してしまうという怖さを描ききった所にあるのである。
■人生における運命的な出会い
「飢餓海峡 それは日本のどこにも見られる海峡である。その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろした愛と憎しみの執念を見る事が出来る」
このナレーションからこの物語は始まる。前半の多吉が本州の土を踏むまでの過程が、今見てもダイナミズムな展開で素晴らしい。津軽海峡の荒海、膨大なエキストラによる遭難救出の描写。最初の10分間の描写だけで、この監督の演出力の凄まじさが見るものを圧倒してしまう。
そして、本州上陸後、多吉はイタコの声が響く一軒のほったて小屋を覗き込む。そこには小屋の住人と一人の不気味なイタコの姿があった。
戻る道ないぞ〜〜地獄の道七筋あれど、われ戻る道わ一筋もない〜〜
という声にぎょっとして逃げていく多吉。実はこの小屋にいるのは、八重だった。2人は知らず知らずのうちに運命的な遭遇を果たしていたのである。
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■左幸子という女優の怪物ぶり
「ねぇ何て名?うそこかないでよ〜。ここ来る人みんなうそこくんだからぁ」
八重を演じるのは左幸子(1930−2001)である。丁度二年前の『にっぽん昆虫記』でベルリン国際映画祭女優賞を獲得したばかりで最も油の乗った時期だった。富山県出身の女優だが、その東北弁の話しっぷりの素晴らしさは圧巻としか表現しようがない。
この人の驚異的な熱演があったからこそ、この作品は、異様な輝きに包まれたのである。役者の力量が分かる時とはこういう時である。並みの女優が演じることが出来ないほどの人間離れした役柄を演じる。この八重には明らかに並大抵の人間を凌駕した強烈な存在感があった。そして、映画の中にそんな怪物のような役柄が存在したからこそ、この作品は芸術作品へと昇華していったのである。
握り飯を頬張る三國。それを眺める左。「戻る道ないぞ〜」と怯えさせる左。それから逃れようとする三國。
この作品には緊迫感がある。それはどこから生まれているか?
上記のシーンを始めとするほとんどのシーンが、極めて少ないカット割りで撮影されているからである。カットの少ない映像は、その物語に真実味を生み出す。
■今の女優は左幸子の爪を煎じて飲め
「これから真面目に働いたお金をこの上に段々と積み上げていきます」
八重は多吉から貰った金の一部で借金を返済し、東京に出て堅気に生きようとする。しかし、それも叶わず再び娼妓として生きていくのだった(沢村貞子の一言でむせび泣く姿の哀れさ・・・この泣き様一つで如何に彼女が優しさとは無縁の世界で生きてきたかが良く分かる)。
東京という孤独の飢餓都市≠ナ生きる彼女にとって、多吉が残してくれた二つのモノが心の支えだった。
お金と爪。
この二つがどんなに汚かろうとも八重にとっては決して手放せない大切なものだった。そして、爪を自分の頬に当て恍惚とする八重。小学校を出て直ぐに娼妓として花家に売られ、まともな恋愛を一つもしていなかった彼女にとって、外出先で知り合い、心の交流が出来たこの多吉という男は特別な存在だった。
ココに八重という女性の悲しさが漂ってくる。そして、そんな彼女の優しさがまたその悲しさを一層引き立たせるのである。彼女は一つの恋を大切にしないと生きていけないほど、喜びにも無縁な世界で生きていたのである。ココに多吉と八重の決定的な違いが浮き上がってくるのである。
自分の幸せと他人の幸せを両立する多吉と、自己犠牲の中で幸せを放棄して、ただひたすら多吉の事を思いながら生き続ける八重との違い。そう2人の間には、もはや渡り様のない海峡が存在していた。一方は、それを知っており、一方はそれを知らなかった。ココから悲劇は起こるのである。
■深い想いと深い情けが、かみ合わずに起こる殺人もある
「ちがぅぅ〜〜この人犬飼さんだわ!」(このセリフの前後の声音の変わりようが凄いです)
「今のあなたに嫌われるような女かもしれません。身体を売ってる娼妓ですもんね。でもその分私はオトコさを身体で知る術を知っています。私が夢中になった人のことははよ〜く覚えてます」
新聞記事を見た八重は、樽見京一郎と名乗る今は裕福になった多吉が住む舞鶴を訪れる。彼女はただ10年前に言えなかった感謝の言葉を樽見に伝えたいだけだった。そして、再会し込み上げてくる10年来溜め続けてきたさまざまな想い。そんな込み上げてくる想いを一切自重せずにぶつけてくる八重に圧倒され、引いてしまう樽見。
そして、シラを切る樽見の表情に八重は「10年の歳月が流れたこと」を実感するのだった。多吉への想いが、如何に独りよがりなものであったか・・・
そんな独りよがりの気持ちに気づきつつ自重しようとするが、10年来の想いはなかなか断ち切れるものではない。一方、当初は困惑げな樽見もそんな八重の姿に、ふとあの10年前の出来事を思い出し、温かい情愛が込み上げてくる。お互いの想いがすれ違う本当に悲しい瞬間である。
「やっぱり犬飼さんだ!」
そこに突如あの日の夕方と同じような豪雨が振り出し、雷が窓の外で鳴り響く。樽見は八重に情のこもった言葉を投げかける。
「あんたはほんとに心の綺麗なお方や、あたしはあんたの心に打たれましたよ」
と・・・。
この作品の伝えたかった事がこのセリフに込められている。お互いに心の飢えを癒しあうその気持ちが、溢れんばかりに暴発した事が、樽見の殺人へとつながっていくのだった。
深い想いと、深い情け・・・それが向かい合った時に起こる悲劇。殺人が決して憎しみや自己保身からだけで生み出されるわけではないという真実。言葉で説明できない心情による殺人も起こりえるという真実。それを描いたところにこの作品が、ただのサスペンス劇に留まらない芸術品としての価値があるのである。
それにしてもあの絶命寸前の八重の断末魔の叫び声。どこからどう搾り出せばこの声が出るのだろうか?
そして、微笑みながら死に絶える八重・・・。
■灰と爪・・・そして、一筋の涙
2人の登場人物がいる。伴淳三郎(1908−1981)と高倉健(1931− )である。この作品は非常にユニークな作品である。それは高倉健のこれほど重みに欠ける姿はなかなか見れないという点においてである(高倉健は1時間45分後に初めて登場する)。
権威をかさに取り、人間としての優しさの欠けらも見えてこない味村刑事と、10年の年月の中で、人間的に酸いも甘いも知り尽くしたかのような弓坂元刑事の対比。この作品は、高倉健の役柄が意識的にとことん浅はかである。そして、その分だけこれまた驚異的なまでに伴淳の魅力が搾り出されている。
小さな身体をこれでもかと恐縮して小さくなって座るその姿。人生の荒波に打たれすぎ妻子からも貶される不器用な生き方しか出来ない男。この男も実は八重と同じように多吉の残したもの(灰)を持ち続けていた。但し八重の愛情とは違い、弓坂は憎悪の感情を抱きながら。
「誠に悲しいことです。お互いに人間と人間が信頼し合えないなんて・・・あんたは八重さんさえも信じなかった」
「樽見さん。あんたが歩んできた道には草も木も生えんのですか?」
爪と灰。爪がその人の生を象徴するなら、灰はその人の死を象徴する。この二つの残留物が愛と憎しみを結びつけた。そして、下北へ向う電車の中で目をつぶり涙を流す多吉。素晴らしいシーンの多いこの作品において、もっとも涙腺を緩ませるシーンはこのシーンではないだろうか?
多吉と八重の間に、誰も窺い知れない心の結びつきがあったように、昨今の50代の男性を女盛りの綺麗な女性が殺害したやら、東北で子供を殺害したあの女性にも、私たちが窺い知れない物語がいっぱいあったはずである。昔からそうだが、ワイドショーなどといったものが、人間の浅ましさを助長している。僅か数分でその人物の全てを決め付ける単細胞が生み出されるのもこういったものの存在によってである。
殺人者にも被害者との関係において、第三者には窺い知れぬ、心の結びつきがあったのかもしれない。そんな優しい気持ちを忘れ、一つの側面だけを見て、一人の人間をこうだと決め付ける行為こそ、私は、人間として失格者の行なう行為であると認識する。そんな正義を振りかざし、人間の尊厳を上から踏み潰す役柄を本作において高倉健は見事に演じ上げていた。
それにしてもこの作品において、三國連太郎(1923− )という役者の、存在そのものの偉大さを改めて再認識させられる。この役者は、本当に日本にとって至宝の役者であると。
ちなみにこの作品において、喜劇俳優の伴淳三郎は初めてシリアスな芝居をする事になった。撮影現場において、伴淳はこれでもかというほど内田監督に演技指導され、すっかり自信喪失したという。しかし、内田はその自信喪失した伴淳の姿を待っていたのである。その姿があったからこそあの隠れた名シーンである息子がオヤジに小遣いをあげるシーンも生きたのである。
青函連絡船に乗り、津軽海峡上で恐山を前にして、般若心経を唱える弓坂。そして、樽見は花を海に投げるフリをして、投身自殺するのだった。漆黒の海原が波打ち大きな帯となり、樽見の殺人の罪をも呑み込んでいく。この余韻が鑑賞者にさまざまな思いを去来させる。
ちなみにこのラストシーンにおいて、内田吐夢は、三國に「ほんとに飛び込んでくれるかな?」とリクエストしたと言う。
■内田吐夢の執念
水上勉による同名の原作は1962年に一年間「週刊朝日」にて連載された。そして、その後約半年かけて530枚の原稿を加筆し出版された。その内容は、1954年9月26日に起きた洞爺丸転覆事故(1337人の乗員乗客のうち1155人が死亡)と岩内大火(死者33人)に着想を得ている。
当初本作は、192分で公開される予定だったが、大幅にカットされた。この事に対して、内田監督は反発し、自分の名前をクレジットから削除して欲しいと申し出たという。結局約10分のカットで済んだという。
本作の映画化の他に1968年にNHKにて中村玉緒の八重と高橋幸治の樽見、宇野重吉の弓坂でテレビドラマ化、1978年にフジテレビで山崎努の樽見、藤真利子の八重、若山富三郎の弓坂でテレビドラマ化されている。
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こんな作品も日本にはあった , 2006/6/21 By はな (Japan 北国 )
久々に見て圧倒されました。
八重が犬飼に感じた気持ちは、およそ女が男に持ちうるもっとも強い感情でしょう。
その感情には大金をもらって苦界から一時的とはいえ救ってもらった感謝と、男という性を持つ犬飼への動物的な執着と、そしてこの男の身を案じる姉のような愛がある。この三種類の感情は10年の間、彼女を一時も去ることはなかったと思います。そしてそれはいつの間にか彼女の生きる証しのようなものになっていったと察せられます。
おそらく八重はたとえ自分が地獄の業火で焼かれることになっても、犬飼を「売る」などということは金輪際なかったに違いない。悲しいかな、犬飼にはたった一度の関係で女というものがそこまでの気持ちを持つことができるなど想像だに出来ないことだったのでしょう。彼女が「犬飼さん」といって現れたとき、犬飼の目にはこの無垢な女の顔が地獄からの使者のように見えたことでしょう。
この作品は「人間の業」を描いた名作として名高いですが、私が今回感じたのは強烈な女の性です。そしてそれを描ききった水上氏、内田氏、そして左幸子には畏敬の念すら覚えました。 それにしても本物の人間が登場する邦画を見るには、昔の作品をチェックしなければならないことが多い現状。寂しいかぎりです。
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水上勉の「飢餓海峡」を歩く 函館編
今週から水上勉作品の中で長編小説である「飢餓海峡」を歩いてみたいとおもいます。北海道の函館、岩内から東京、そして舞鶴まで事件は続きます。
【水上勉】
1919年、福井県に生まれる。立命館大学国文科中退。60年、「海の牙」で探偵作家クラブ賞、62年、「雁の寺」で直木賞、71年、「宇野浩二伝」で菊池寛賞、73年、「兵卒の鬚」他により吉川英治賞、75年、「一休」で谷崎潤一郎賞、77年、「寺泊」で川端康成賞、84年、「良寛」で毎日芸術賞をそれぞれ受賞。著書として他に「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「越前竹人形」「金閣炎上」「父と子」「地の乳房」など多数。2004年9月死去されました。
【内田吐夢(うちだとむ、本名:常次郎)】
明治31年(1898)岡山市で菓子屋の息子として生まれる。中学校を2年で中退し横浜に創立されたばかりの大正活映に入社。大正11年(1922)牧野映画に移り『噫小西巡査』を衣笠貞之助と共同監督し監督デビューする。その後、日活多摩川撮影所に移り『限りなき前進』『土』などを監督する。戦前は満州映画協会に在籍する。昭和29年(1954)に日本に戻り翌年監督業に復帰。『大菩薩峠』『宮本武蔵』『飢餓海峡』などを監督する。昭和45年(1970)『真剣勝負』のロケ中に倒れ死去。享年72歳
<飢餓海峡>
水上勉の「飢餓海峡」は昭和37年1月から約一年間週刊朝日に連載された小説です。その後加筆されて出版され、映画化、TV化も行われています。本人は、
「「飢餓海峡」は、昭和三十七年一月から十二月にかけて「週刊朝日」誌上に連載された一千枚の掲載分に、作者が五百三十枚加筆完結したものである。処女作以来、一千五百三十枚の長編は最初でないかと思う。
この作品は、推理小説であるか普通の小説であるか、作者にもわからない。推理小説とすれば犯人あての楽しさから程遠いし、普通の小説とすれば殺人事件に話が片寄りすぎているかもしれない。しかし、何小説であろうと、作者は作者の意図したことを最後まで貫きたかった。連載終了後、約二分の一の書き足しを病気を押してまで敢行した理由は、作家的責任と衝動から、なされたものである。」、
と書いています。昭和20年代の戦後間もなくの社会情勢がよく表されており、又、実際に同じ日に起こった洞爺丸事故と岩内大火を題材にしているため、今読んでも、わくわくする推理小説となっています。この頃が、水上勉の最も脂ののりきった時ではなかったのかなとおもいます。
「飢餓海峡」の最初の映像化は昭和40年(1965)1月東映で、監督:内田吐夢、三国連太郎、高倉健、、左幸子、伴淳三郎という錚々たるメンバーでした。当初は昭和39年秋上映予定だった様ですが、三国連太郎の病のため翌年に伸びています。
「…大久保は一冊の原作を東京撮影所企画部長、吉野誠一を通して岡田に提出した。水上勉の「飢餓海峡」である。いわゆる「刑事もの」に相当する原作ではないが、弓坂吉太郎という函館の警部補がよく書かれており、重要な位置を占める原作だった。岡田は一読して直ちにこれを吐夢の次回作と決めた。吐夢もまた、この原作に十分料理し得る要素をみてふるいたった。 脚本完成後、吐夢は東京撮影所作品の第三作目「飢餓海峡」の準備を五月から始めた。…」。
内田吐夢監督67歳の時の作品です。昭和39年といえば吉永小百合の「愛と死をみつめて」ですね。日活と東映の違いでしょうか。お金の掛け方がかなり違うようです。
当初「飢餓海峡」の映画の長さを内田吐夢監督は1万7282フィート(3時間12分)と考えていたのを、会社からは”1万5千フィートに切れ”といわれて、結局1万5028フィート(2時間47分)に落ち着いた。この事件が新聞種になり、この陰で「飢餓海峡」もかなり有名になったことも事実で、半分はやらせでは無かったのかと思っています。その後、昭和50年に再編集(3時間)された「飢餓海峡」が再上映されています(内田吐夢監督死後5年目でした)。
東映映画「飢餓海峡」のカットされた部分
主人公・犬飼多吉の出生地が被差別部落で、母と二人劣悪な条件の畑を耕しながら人間以下の生活をして生きてきた時代のシーンがカットされ、犬飼の過去については刑事がさらりと述べているだけにとどまっていた。
http://okwave.jp/qa/q3759576.html
●水上勉の「飢餓海峡」を歩く 岩内編
水上勉作品「飢餓海峡」の事件の発端になる岩内から義経伝説のある雷電海岸を歩いてみます。
<岩幌線(岩内線跡)>
「飢餓海峡」の事件の発端はこの小沢駅で函館本線から分かれた岩幌線(岩内線を岩幌線と名前を変えて書いている)の終点、岩幌(此方も岩内を岩幌と変えている)で起こります。
「…国鉄函館本線が、尻別川の上流に沿うて、東に羊蹄山の端麗な容姿を眺めながら、倶知安町に向って北上するあたりは、ところどころに火山灰地が灰いろの地肌を露出している。かなりな高原地帯である。この倶知安を出た本線が、北に迂回して、積丹半島を縦断する地点に小沢という小駅がある。ここから岩幌線が岐れていた。
小沢は、町というよりは、小さな淋しい集落にすぎなかった。南方のニセコ連峰といわれる火山群の山々と、積丹山系との中間にある細長い盆地の中心をなしており、平野はここから西にむかって、山かいを流れる岩幌川に沿うて日本海へ扇面を半すぼみにしたように末広がりにぬけてゆく。
岩幌腺──。一日に三回しか汽車の通らない、まるで忘れられたようなローカル線であった。もとより乗車客は海辺の漁師か近在の農夫以外にはなく、国鉄の帳簿でも最も赤字線の代表とされる、貨車人車同時連結の単線である。この線の終着駅に、事件の発端となった岩幌漁港がある。…」。
函館本線の小沢駅はそのままの名前で使っています。場所を特定できないように変えているとおもうのですが、よく分かりません。
★左上の写真が函館本線小沢駅です(写真をクリックすると小沢駅ホームの写真に拡大します。岩内線のホーム跡がありました)。岩内線は大正元年(1912)に小沢−岩内全線が開業しています。もともと岩内はニシン漁で栄えた港で、沿線に銅を産出する鉱山も出来て海産物や鉱石の輸送で活況を呈していました。しかし戦後は岩内線の輸送量が減少し昭和60年(1985)に廃止されています。下記の地図に岩内線跡を赤色の破線で示しておきます。
<岩幌大火(岩内大火)>
水上勉の「飢餓海峡」では、岩幌大火(実際は岩内大火)は下記のように書かれています。
「…昭和二十二年。津軽海峡の海上で、あっというまに多数の人命を呑みこんだ層雲丸沈没の大事故を起した十号台風は、九月二十日の朝、函館から約百二十キロほどしかはなれていないこの岩幌の町で、ポヤですんだはずの小さな火事から、全町三分の二までが焼失するという悲惨な大火事を惹き起している。…… もっとも、この新聞記事も、全国紙ではほんのわずか三面の下の隅の方に二段組で報じられたにすぎなかった。……
質屋を営む佐々田伝助という家の台所から出ている。九月二十日午前八時十分のことである。まだ道南には、その時刻は強風注意報は出ていなかった。しかし、すでに、風は嵐の前兆をみせていて裏日本の海もかなり荒れていた。佐々田質店から火を噴いたボヤは、付近の建てこんだ家々に延焼した。…」。
佐々田質店に押し入った男たちは家族を殺害後、朝8時ごろに店に火をつけて逃げます。
★左上の写真が昭和29年9月27日の夕刊です。実際の岩内大火は昭和29年26日20時15分ころ、台風15号(洞爺丸台風)が北海道渡島半島(寿都と長万部を結ぶ線以南の地域)沖合、わずか100Km余りのところにさしかかった時に発生しています。
台風15号(洞爺丸台風)の接近で避難し留守宅となったアパートの火鉢から出火。町の80%が焼失し死者33人,負傷者551人。焼損3,299棟の大火でした。
<岩幌駅(岩内駅跡)>
岩内線の終点、岩内駅です(「飢餓海峡」では岩幌駅です)。昭和60年に岩内線が廃止され、現在はバスターミナルと駅の道「いわない」になっていました。「飢餓海峡」では佐々田質店に押し入った男たちは9月20日の朝早くこの岩幌駅から鉄道で逃げます。この後、この男たちは翌日の正午ごろに函館に近い木古内に表れるわけです。
★右の写真の正面が道の駅「いわない」、左奥に見えているのかバスターミナルです。このあたりが岩内駅構内だったようです。写真には写っていませんが、左側に岩内駅の記念碑が建てられています。坂の上から撮影した岩内町の写真も掲載しておきます。
<雷電海岸>
三人の男たちが事件を起こす前日に岩内町へ向うために歩いた道です。刑事は三人の足どりを掴むために岩内から雷電海岸に向います。
「…岩幌町から野束、敷島内を通って雷電海岸に出る道は険しかった。海に沿うて堅い岩層が屏風のように切りたっている所もあり、道は岩石につき当ると、その巨大な岩を通り過ごすために山へ入りこんで迂回せねばならない。田島清之助と、小樽署の荒川刑事が、火山岩の吃立した雷電の鼻に到着したのはその日の午ちかい頃である。…………
雷電を越えると、北尻別、歌棄、寿都と瞼しい道は渡島半島の北部を通って槍山に出る。
「真偽のほどはわかりませんがね、源九郎義経が、ここを通ったというんですよ」
田島は歩きながら、荒川に話しかけた。
「雷電に刀掛岬、向うの鼻に弁慶岬というのがあります。義経が蝦夷へきていたという史実はないとかあるとか、学者の中でもいろいろという人があるそうです。どうして、こんな北の果てに、弁慶だとか、刀掛とかいう名が生じたのか不思議ですねェ…」。
この雷電海岸には義経伝説があります。写真のやや右に写っている岩を「弁慶の刀掛け岩」と言うそうです。この写真の左側に雷電温泉が有ります。
★左上の写真が雷電海岸です。現在は雷電トンネルも出来て走りやすい道になっていますが、昭和30年代は大変な道だったようです。「飢餓海峡」のDVDを見ると、舗装されていない細い道をジープが走っています。
<朝日温泉>
岩内で襲われた佐々田質店の家族と三人の男たちが出会ったのがこの朝日温泉でした。
「…朝日温泉は雷電山のふもとにあった。田島と荒川の両警官は午後二時に村へ入った。宿は石ころ道と川をはさんでとびとびに建っていた。岩幌を出る時に、佐々田夫婦と嫁が泊った宿の名をきいたが不明だった。
弥助も含めて、一家四人が死んでいるのであるから、温泉へ出かけたらしいということだけ隣人にわかっていたのである。田島は村のかかり口から順番に宿をたずねて、三軒目にこの村で一ばん大きいといわれる朝日館と看板のかかった宿へ入った。年に一どか二どしか遠出をしなかったというしまり屋の佐々田伝助が、新婚間もない若嫁をつれての湯治だから、朝日でも一ばん設備のいい宿をとったのではないか、とふと思われたのだ。
この田島の予想は当った。夫婦はここにきていた。 朝日館は二階建ではあるが、ひどく古びた宿であった。木目の出た玄関の柱や戸板が、昔のにぎわった頃の名残りをとどめているような気がした。…」。
大変なところにある温泉でした。
★右上の写真は朝日温泉へあと2Kmの標識です。朝日温泉を訪ねたのは昨年の5月だったのですが、この標識の少し先で雪のため進めなくなり朝日温泉までたどり着けませんでした。当然舗装されてなくて、ここまで車でたどり着くのも大変でした。今年(2006年)は5月から朝日温泉は営業されているようです。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-kiga3.htm
http://www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-kiga4.htm
今週は本に沿って昭和22年9月20日の函館を歩きます。
「 海峡は荒れていた。 いつもなら、南に津軽の遠い山波がかすんで見え、汐首の岬のはなから沖にかけて、いか釣舟の姿が、点々と炭切れでもうかべたようにみえるはずなのだが、今朝は一艘の舟も出ていなかった。……
倉庫やクレーンの静止した港湾は横なぐりにふきつける豪雨にぬれ、山の中腹に向って、段状にひろがっている町の屋根屋根はトタンや看板が激しい音をたてた。昭和二十二年九月二十日、函館港は、台風直前の風浪の中にあった。……」。
飢餓海峡の書き出しです。この激しい台風の中で、なんとも事件の起こりそうな予感がしますね。
<洞爺丸事故>
昭和29年(1954)9月26日午後2時頃鹿児島上陸した台風15号は九州東部を縦断後、中国地方を時速100kmで横断、08時頃山陰沖から日本海に進んで、さらに発達しながら北海道に接近し、21時には北海道寿都町沖を通過、27日00時過ぎには稚内市付近に達しています。台風15号が津軽海峡にもっとも接近する時刻は17時ごろと予想されていました。函館の洞爺丸は14時40分出航の予定で、台風接近前に陸奥湾に入り、青森に到着する見通しを立てていました。しかし出港を取りやめた第十一青函丸からの乗客・車両の移送に時間がかかったことと停電などで洞爺丸も15時10分に台風接近を恐れて運航を中止します。台風15号の通過予定の17時頃になると函館では土砂降りのあとに、風が収まり晴れ間ものぞき、台風の目が通過したことを思わせました。
その結果、18時39分、洞爺丸は青森に向けて出航。乗員乗客は合わせて1,337人。出航してまもなく、南南西からの風が著しく強くなり、19時01分、天候が収まるのを待つために函館港外に仮泊します。しかし、暴風と猛烈な波浪のために車輌甲板から機関室への浸水が始まり、蒸気機関が停止、洞爺丸は沈没を避けるため、遠浅の砂浜である七重浜への座礁を決意します。
22時26分、七重浜沖で触底。22時39分にSOSを発信。22時43分ごろ、乗組員の奮闘のかいなく海岸まであと数百メートルの地点で横倒しとなり、転覆。最後は船体がほぼ裏返しの状態になり、乗員乗客あわせて1139人が死亡または行方不明となっています。洞爺丸の他にも、僚船第十一青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の4隻でも同じような状況が発生して函館港外で相次いで転覆・沈没しています。当時は今のように人工衛星も無くて気象情報も正確では無かったようです。
<洞爺丸慰霊碑(台風海難者慰霊碑)>
上記に書かれているのが洞爺丸事故の実際の内容ですが、水上勉は推理小説として次のように書いています。
「午後三時に港を出るはずの青函連絡船層雲丸は、大きな波をかぶって棒を倒したようにみえる桟橋に巨大な船腹をつけて待機していた。時間どおりに出航するかどうかについて考慮がなされた模様であった。しかし、船は定刻より約五分おくれて出航合図のドラを鳴らした。にぷい短い警笛は、低い雲と波浪の荒れる沖へ物悲しいひびきをこめて吸われた。ちょっと見たところ悠長な船出に思われた。三十分後に、おそるべき大惨事が起きようなどと誰も考えなかったのである。……
いったん、沖へ出ようとしたものの、船長は俄に出航中止を指令した。そうして、そのまま港湾待避に移ろうと、船首をわずかに向きかえようとした瞬間、船尾から大浪がおいかぶさった。一瞬にして危機が訪れた。全乗客に救命具の用意が指令され、SOSが打たれたのは午後三時三十分のことである。…」。
水上勉の「飢餓海峡」では戦後の混乱期を表すために遭難が起こった日時を昭和22年9月20日とし、遭難時間を岩内大火との時間を調整するため7時間ほど早くしています。
<函館警察署跡(推定)>
乗船名簿の人数と引き上げられた遭難者の人数が合わない事から小説が始まります。
「…函館警察署に置かれた対策本部は、遭難者の収容と、死体を引取人に手渡すことであけくれていた。沈没船を桟橋にひきよせて、中からさらに死体をひきあげたときは、市内の仮収容所では狭くなり、七重浜に特別の死体収容所が設置されるに至った。警察はいちいち死体と遺家族を面通しさせ、乗船名簿と照合して、てきぱきと処理していったが、市内新川町の合同慰霊堂では朝から焼香の煙がもうもうと立ちこめて空をこがしていた。……
おかしなことに、乗船者数よりも死体の数が二体多いという数字が出て困っております。小松さんは、名簿以外の乗船客は船長の命令で厳密に取締ったといっておられますし……、この二死体はよけいだったことになります。密航者がいたか、それとも ー この死体に引取人がない理由を考えねばなりませんが、私はちょっと変に思うんです」
弓坂警部補の発言は、西陽のさしこむむし暑い警察の部屋を奇妙な気分におとし込んだ。なるほど不審なことといわねばならなかった。二つだけ死体が多かったのである。…」。
この二つだけ多かった死体は誰なのでしょうか。小説は疑惑を含んで進んでいきます。
<茂辺地踏切>
函館市内が遭難事故で大騒ぎになっていたころ、市内から西に少し離れた矢不来で三人の男たちが函館を目指して歩いていました。
「…この二十一日の正午ごろであった。混乱の函館市から、約十五キロほど離れた矢不来という海辺の村から、遠く茂別の山へ入り込む国道を、東に向って歩いてくる三人の若者があった。
男たちはいずれも復員服を着ていた。三人とも、同じような雑嚢を下げており、編上靴も、陸軍の払下げであることが一目瞭然だったし、持ちものといっては袋一つしかない手ぶらの姿まで三人は一しょだった。 …… 矢不来の浜に出るまでの道は国道だった。かなり広かった。道の両側は畑になっていて、市ノ渡という村を出て、一時間もすると、木古内に至る鉄道線路につき当った。三人は線路ぞいに函館の方角に向って黙々と歩いた。…」。
岩内から函館に向うのに無理をしてなぜ江差方面から回ってくるのか分かりません。朝一番で岩内を出て、午後一時には矢不来ですから時間的にも少し無理が有るようです。
<茂辺地(矢不来)>
三人の男たちは江差線の茂辺地駅近くの茂辺地踏切を9月21日昼過ぎに渡り、茂辺地の町(矢不来)に入ります。
「…矢不来の村へ入った三人は、村口の「きぬた」という看板のかかったとうもろこしを売る店の前へくると立止った。互いに顔を見合せ、この店の埃だらけのガラス戸をあけて入った。午後一時ごろのことである。。…… 三人はまだ顔を見合せている。沈没事故について異常な関心をもったことは眼の色に出ている。しかし、三人には急ぎの用事があるらしく、 「おっさん、なんばや」 ひょろりとした小男が値段をきいて立ちあがると、つづいてあとの二人も立ち上がった。平島兼吉は、三人がポケットから裸の金をかぞえて六円ずつ出してくれるのを、合計で十八円受けとっている。三人は、店を出ると、陽ざしのはげしい矢不来の村の衆のかげにかくれた。…」。
この後、三人の男たちは函館に向かいますがその後、消息を絶ちます。
★左上の写真は茂辺地の町です。殆ど商店はありませんでした。昭和20年代は商店もたくさん在ったのではないでしょうか。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-kiga2.htm
●水上勉の「飢餓海峡」を歩く 下北半島編
犯人の足どりを辿って北海道から本州に渡り下北半島を歩きます。
<湯野川温泉(青森県下北半島)>
http://www.aptinet.jp/onsen/detail/yunokawa.html
http://www.geocities.jp/gauss0jp/hitou35.htm
http://kenbun55.web.infoseek.co.jp/yunokawa.htm
http://kumaken.3.pro.tok2.com/onsen/aomori/yunogawa_jojo.html
http://www.geocities.jp/oyu_web/t356.html
http://www.geocities.jp/oyu_web/t1010.html
下北半島の中心部、湯野川温泉がロケ地に選ばれますがこの撮影現場でスタップ間の喧嘩が起きます。
「…湯の川とは、旅行案内からも見捨てられている湯治場で、旅籠屋とよぶにふさわしい古い旅館が一軒あるだけだが、その代わり、大きな油石を床に敷きつめた露天風呂には透明な湯があふれている。湯に浸って、きらめく星を仰げる幸福がここにはあった。東京とは異なる宇宙があった。
映画の中では、杉戸八重が年老いた父を伴い、父娘いっしょに湯につかるくだりが、ここで演ぜられることになる。貧しい父娘のささやかな幸せの一駒である。……
鄙びた湯の川に宿泊した夜のことである。たった一軒しかない小さな旅館に一般スタッフは泊り、メインスタッフと演技者は営林事務所の寮に泊った。湯殿からは眼下に渓谷が見え、あたりの樹木はすでに紅に染まっていた。夕食を終え、私は翌日の打合せを他の助監督とするため、下駄ばきで旅館に出向いた。歩いて百メートルとはないのだが、近づくにつれ、小さな旅館がばかに騒々しい。着いてみて驚いたことには、酒もはいっているとはいえ、スタッフが乱闘の真最中である。中には鰐を足成りにしたり、銚子をたたき割ったりするのもいる。……
夜半、私は外へ出て、床に池石を敷きつめた露天風呂に独りはいった。ロケハンの時、私はここで磨いたように美しい星を仰ぎ見たものである。美しい星はその夜もあった。だが天に散らばる美しい星と比べ、「飢餓海峡」の前途にはいったい何が約束されているのか。この作品は成功するのだろうか。いや、この作品は果たしてできあがるのだろうか? 何もかも駄目になってパンクしてしまうのではあるまいか - 真面目に私はそこまで考えた。……」。
この喧嘩の原因はせっかく作った看板が写っていないという単純な事なんです。スタッフは本当に熱心に映画を創っていたのだとおもいます。旅籠屋と呼ばれた旅館の写真も掲載しておきます。
★左上の写真が湯野川温泉の露天風呂跡です。上から見た写真も掲載しておきます。現在は風呂はなく右側に源泉があるのみです。旅館は写真左側(上記の旅籠屋)と正面の橋を越えた辺りに数軒有ります(当時は一軒しかなかった)。直ぐに入れる温泉としては川内町立の湯野川温泉 濃々園(じょうじょうえん)という温泉が有ります。350円です。
<仏ヶ浦-1-(青森県下北半島)>
水上勉の「飢餓海峡」では、犯人は函館の七重浜から船を漕ぎだし、青森県下北半島の仏ヶ浦にたどり着きます。函館警察署の弓坂警部補は犯人を追跡して下北半島に向います。
「…牛滝から舟を出してもらった弓坂警部補が、戸波刑事と駐在所巡査の寺田を同乗させた丸木舟で、仏ヶ浦の北方にある樹海の下に到着したのは、翌日の午前十一時である。曇り日だった昨日とくらべて、朝からからりと晴れた日だった。空は海の色よりも青かった。戸渡の説明を聞きながら、現場に来てみると、火のみえた個所は、ずいぶん瞼しい山の中腹である。海から眺めただけでは、深い常緑樹の混成林としかみえない。場所もはっきり見当がつかない。
藤のまきついた巨木が枝をさしのべているうす暗い淵へ寄った。そこからじかに山へのぼることは不可能である。だが、仏ヶ浦の奇岩怪石のならんでいる下には、舟をつける岩場がいくつかある。おそらく、焚火の主も、舟泊りのあたりから岩壁をよじのぼって山へ入ったものであろうか。
弓坂は想像した以上の瞼しさに驚いた。しかし、火の焚かれた場所へ行ってみなければならない。舟が陸奥湾ぞいのどこの岸にもなかったとすれば、痕跡をくらますため、破砕して焼減させるという方法もあるわけであった。この弓坂の推理には、戸波刑事と寺田は半信半疑の眼であった。…」。
犯人はこの仏ヶ浦にたどり着き、漕いできた船を焼いたようです。それにしても仏ヶ浦は凄い風景です。
★左上の写真が青森県下北半島の仏ヶ浦です。私は下北半島を右側から周り、大間から佐井を通り仏ヶ浦にたどり着きました。道は舗装されていましたが大変でした。冬は殆ど走れないでしょう。
仏ヶ浦を海から見るには佐井から観光船に乗るだけだとおもっていたのですが、仏ヶ浦で観光船が出ていました。
「…大間から、岬を西へ迂回して、海岸ぞいに平館海峡にのぞんだ瞼路をゆくと、山地は急に海に向って突きたてたように断層崖がつづいてゆく。その中でも、仏ヶ浦といわれる断崖は見事な景勝を誇っていた。詳述しておくと、この浦は、下北郡佐井村牛滝という部落と、福浦という部落との中間にあって、湯ヶ岳という背後の山が海へ落ちこむために、そこだけ切落されたように、数百メートルの崖をつくっているのだった。
古くから「仏が宇陀」と近在の人びとによって崇拝されているこの断崖は、グリンタフの海蝕台地の上に、純白とも見まがうばかりの石や、淡緑色の石やで、巨大な仏像に似た裔岩怪石を抱いていた。もとより、この岩壁の突出た姿を陸路から遠望することはできない。海から眺めるしかないわけだ。…」。
山側の道から見ても殆ど見えませんでした。
<牛滝(青森県下北半島)>
函館警察署の弓坂警部補は犯人の足どりを掴むために大湊から川内、野平経由、牛滝に向っています。犯人とは逆に辿っています。
「…野平の開拓村で軌道車を捨てた弓坂警部補は、暮色の落ちかかる山道を牛滝の方へ向って歩きだした。軌道車を一しよに降りた村人たちが四、五人うしろから尾いてきたが、まもなく開拓村の方へ消えてしまうと、警部補はひとりきりになった。警部補の足どりは重かった。朝から、大湊へ出て、畑の部落にゆき、そこから湯野川まで急行して、杉戸八重を問いつめてみたけれど、徒労に終ったのである。警部補は歩きながら考えた。……
開拓地を出ると、下り坂になる。ふたたび、山道は暗いヒバ林に入ったが、林をぬけると急に視界がひらけた。牛滝漁村のみえるえぐれた海が暮色に燻っている。警部補は村口についたとき、掲示板のある四辻のところで手を振って待っている戸波牛松刑事の小柄な躯をみとめた。疲れていた足が急に元気づいた。…」。
昭和30年代までは道なき道だったのでしょうね。下北半島は森林軌道が非常に多かったわけが分かります。
★左上の写真が現在の牛滝の町です。よくある田舎の漁村という感じでした。
<大間(青森県下北半島)>
大間といえば現在はマグロで有名ですね。「飢餓海峡」では犯人は大間には立ち寄っていませんが、映画の撮影時に内田吐夢監督が函館に向うときに大間から船を使っています。
「…青森県の下北半島は本州の最北端に位置していた。マサカリをつきたてたような半島の突端に、大間という町があった。人口わずかに五千。南東の大畑の町から海岸にそうてここへくるまでの道は険しい山岳で遮断されていて、まったく忘れられたようなうら淋しい漁師町だ。町の東から百メートルほどはなれた海中に弁天島という小さな島がある。そこには古い灯台が立っている。灯台のあたりから、海峡の対岸にある北をのぞむと、すぐ函館港の段丘と、なだらかな汐首岬の山々かかなりはっきり浮いてみえた。南の方は黒い山であった。…」。
今の大間はマグロと本州最北端の観光地になっていました。
下北半島の恐山と犯人が辿った牛滝から野平、川内、大湊を歩きます。
<三途の川(恐山)>
太田浩児の「夢を吐く 人間内田吐夢」では内田吐夢監督が撮影準備のため恐山を訪れたときのことを書いています。
「…こうして故人の霊を呼び小声で対話する巫女は、昼食後訪れた恐山に多い。恐山は日本三大霊山のひとつであり、大湊から車で三、四十分、北西に向かった地点にある。……
山麓の緑の草の中に赤や黄の花が点々とあるかと思えば、その先は一木一草の生存すら許されず、灰色の荒涼とした地肌がむき出しになっていて、無常感を漂わす。そのあたり、地獄からの音信のように、ゴポリゴポリと地底から不気味な音をたてて熱湯が湧き出し、土そのものが靴底の皮を通してぬくみを足に伝える。
修羅王地獄、女郎地獄といった恐ろしい名前の史跡があるが、他にも重罪地獄、血の池地獄、賽ノ河原と続く。傍に神秘的な円形の髄、宇曽利山湖があり、ここに注ぐ細い川を三途ノ川という念の入れようである。三途ノ川に太鼓橋がかかり、一組のアベックが、じっと動かずにいた。「心中じゃあるまいな」 誰かがポッリと言った。…」。
本物の小説「飢餓海峡」では恐山は登場しません。
★左上の写真が恐山の三途の川に架かる太鼓橋です。恐山菩提寺の少し手前に有ります。特に三途の川に架かる太鼓橋の雰囲気はありません。
<恐山菩提寺(青森県下北半島)>
恐山菩提寺も昭和30年代と比べると立派になっています。中にある山門も当時は無かったようです。
「…風に反る卒塔婆、そして、積まれた小石の山の小さい一粒、二粒がとはされる。それを黙然と見守る苔むした石地蔵。漂白された寺の山門は、数百千年の時の流れに耐えた骸骨の仔立を思わせ、その異様な風景は暫く一行のロを閉ざした。
寺の周辺に、数人の巫女が聞き手とともにしゃがみこんでいるのが、遠く見える。巫女はすべて木綿の和服をまとった老女である。こうした場の中で、私の耳には、さきほど大湊の巫女がぶつぶつ呟いた祈藤の声が復活した。おそらく誰の耳にも、わけても吐夢の耳にそうだったに違いない。後日、この作品のダビングの時に、吐夢は音楽の富田勲と計り、御詠歌のアレンジを主題曲の基調とした。…」。
御詠歌をアレンジしたとは思いませんでした。御詠歌というと今の若い人はわかるかな!賛美歌みたいなものですね。
★右上の写真が恐山菩提寺の山門です。左側の赤い屋根の建物が本堂です。この左側奥に”賽の河原”があります。劇場版「飢餓海峡」でもこの”賽の河原”が使われています(犯人がこの”賽の河原”を歩く場面)。TV版は多くの場面でこの恐山菩提寺が使われていました。まず最初は弓坂刑事が歩く”賽の河原”の場面、次は温泉場の場面です(この恐山菩提寺の中にある温泉場が使われています)。
恐山温泉
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/osorezan/osorezan.htm
http://www.geocities.jp/oyu_web/t348.html
http://onsen.nifty.com/cs/catalog/onsen_255/catalog_onsen006619_1.htm?area=02&pref=02&sflg=01
http://www.food-travel.jp/aomori/osorezan.html
http://yaplog.jp/gomagoma/archive/921
http://kumaken.3.pro.tok2.com/onsen/aomori/osorezan.html
http://kumaken.3.pro.tok2.com/onsen/aomori/osorezan_yakusi.html
<恐山菩提寺 宿坊 吉祥閣>
この恐山菩提寺には宿坊がありましたので泊まってきました。禅宗のお寺ですのでお勤めがありますが、私の時は朝だけでしたので30分ほどですみました。宿坊も大変良くなっていて鉄筋コンクリートのホテル並の設備でした。昔は木造の建物で大部屋たったのではないでしょうか。8月末だったのですがガラガラで一泊12千円でした。
温泉は中にもあるのですが、この恐山菩提寺の参道の両側に木造の小屋風の男女別々の風呂場があります。夜の暗い中を入りにいきます。だれも入っていないと自分で電気をつけます。風呂場の中の写真も掲載しておきます。
★左の写真が夕食です(皆で一緒に食べるのですが、お坊さんと一緒に……をしないと食べられません)。精進料理ですがなかなか美味しかったです(すこし味は濃かった)。献立は時期によって変わるとおもいます。
<川内(青森県下北半島)>
犯人達は函館七重浜から小舟で漕ぎだし、下北半島の仏ヶ浦に上陸します。その後、犯人は牛滝に表れます。
「…牛滝の部落が、ビバ林の樹間にとびとびに見えはじめた時、角ぼった男の顔に、かすかな安堵の色がただよいはじめた。…… 野平には、四十分ほどで着いた。山の中腹にひらけた開拓部落だった。…… 道はこの部落を斜めに通りすぎると、材木のならんだ森林軌道の出発地点へきた。そこには、トロッコとも汽車とも名のつけようのない鉄鎖のついた枠だけの車輪と屋根のない箱をつないだ軌道車が停っていた。……
軌道車は四十分ほど走ると、緩行しはじめた。山が割れ、畑の部落が前方にみえはじめたからである。この部落も、すべて石置き屋根だった。杉皮のひしゃげたような小舎がとびとびに傾斜面にみえはじめると1みなはやがて、がやがや動き出した1下り仕度にかかるのだ。 畑の部落で、この軌道車はいったん停車して、湯野川温泉と安部城をつなぐ新しい森林軌道に連絡していた。……
湯野川はただ近在の百姓や木樵が、傷めた足をいやしたり、リューマチや神経痛をなおしに湯治にくる以外には、客とてない小さな温泉村だった。その湯の村へ入りこむ起点にあるこの畑部落は、今しがた到着し たばかりの森林軌道の機関車の音が静止すると、しばらく乗客たちのはなし声でにぎやかにざわめいていたが、このとき、安部城へ下る軌道車の乗口へ、ひょっこり現われた二十二、三の和服姿の女がいた。……
女は、軌道車がはげ山をみせた鉱山村の安部城を出て、やがて、本線の川内駅についた時、この男が逃げるようにして、材木置場の方に消えるのをみた。男のどこかうれいげだった眼もとと、痛々しい傷跡が女の頭にのこった。…」。
複数だった犯人は何時の間にか一人になっていました。仏ヶ浦から牛滝、野平(現在はダムの底です)まで犯人は歩きます。野平でやっと森林軌道に乗ることが出来ます。そしてこの森林軌道で畑、川内まで向います。森林軌道とは線路の幅の狭い鉄道です。スピードは出ませんが便利なので木材の運送などに戦後活用されたようです。
【森林軌道について(宮本常一「私の日本地図 下北半島」より)】
「…山がふかくしかも奥地にほとんど村がないから、森林軌道を敷いて、奥地の伐採を便利にした。下北には現在むつ、川内、脇野沢、大畑、佐井に営林署があり、それぞれ直営事業を盛んにおこなって来たのであるが、その中でも川内の営林署はもっとも広い山をもち、したがって森林軌道の延長も長い。そして住民たちも奥地へはいるにはこの軌道のお世話にならなければすまなかった。最近川内から畑にいたる一般車道も開通し、ゆくゆくは佐井へぬける車道も完成するであろうが、下北の山中は長い間この軌道にたよって奥地と連絡した。
車は朝九時に川内を出る。川内の貯木場はこの軌道車に便をかりる人たちでにぎわう。奥へはいる物資もこの車ではこぼれる。この奥には畑、湯ノ川、野平(たい)などの村がある。車はさらにその村の奥の沢まで入っていく。そして材木を積んだ車は午后三時すぎには川内へかえって来る。奥に材木の多いときは二回も三回も便があるが、荷の少ないときは一回きりである。
川内を出た車は畑までは一本の軌道をはしってゆくが、畑で野平へいくものと湯ノ川の谷へはいるもの、片貝の奥へはいるものとに別れる(軌道車は実にゆっくりはしる。客車も一輌ずつついているけれども、材木を積む無蓋車へ乗る者も多い。この方は四方がすべて見わたされるので快適である。湯ノ川の奥へはいる車にのれば、その終点から湯ノ川越をこえて川目に下り佐井へ出ることもできる。…」。
★右上の写真が現在の川内川と川内橋です。この辺に森林軌道が走っていたはずなのですがなにもありません。劇場版では伴淳扮する弓坂刑事がこの橋の右側でバスを待つ場面になるのです。橋も掛け替えられ、道幅も変わっていますので昔の面影は全くありません。ただ、伴淳三郎が撮影のときに泊まった旅館(川内館)が当時のまま残っていました。
<大湊駅(むつ市)>
犯人は森林鉄道で出会った女と川内で別れます。
「…十分間のちに女は本線に乗りかえていた。本線の中は森林軌道とちがって客は混んでいた。男が乗ったものかどうかを見きわめることが出来なかった。女 ─ 杉戸八重は大湊に夕刻五時二十分についている…」。
川内から大湊までも鉄道があるように小説には書かれていますが、私が調べた限りではバス路線しかありませんでした。
★左の写真が大湊線の終点、大湊駅です。駅舎は少し変わってはいるようですが基本的には当時のままのようです。劇場版やTV版ではこの駅前から釜臥山を映した映像が撮られていました。釜臥山山頂のレーダードームの向きでどちら側から撮影したかわかります。
<花家跡(劇場版) 推定>
川内までの森林鉄道で出会った女は大湊の歓楽街「花屋」に勤める杉戸八重でした。
「…杉戸八重というのは本名であって、女は大湊の歓楽街、喜楽町にあるあいまい宿「花家」で千鶴という名で酌婦に出ている。この年、杉戸八重は二十四だった。畑の部落で零細な農業をしている杉戸長左衛門の長女に生れた。部落の娘たちの誰もがそうであったように、高等小学校を出ると八重も大湊へ出た。……
しかし、杉戸八重はその男と再会できた。「花家」という商売がその役目を果してくれたのだ。男がひょっこり、店の敷居をまたいだのは、畑から帰って四日目の夕刻であった。杉戸八重は、復員服をきた大男が、髭面を呆然とさせて階下の夕タキに突立ったのをみてあッと声をあげた。…」。
劇場版の「飢餓海峡」では大湊に実在する建物で撮影されいます。大湊で遊廓が在った地区は遊廓大湊新町地区、駅から北西、川沿いの地区でした。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-kiga4.htm
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