「お前の夫の浮気調査費を“ボス”が立て替えている」福岡5歳児餓死 “虚言大女”が洗脳に使った女の名前 「文春オンライン」特集班 https://bunshun.jp/articles/-/43898?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink 福岡県篠栗(ささぐり)町で5歳児が餓死した事件。3月2日に福岡県警が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕したのは、ママ友同士だった2人の容疑者だった。
5歳児の母親である碇と、ママ友の赤堀。両容疑者は仲が良かった この記事の画像(8枚) https://bunshun.jp/articles/photo/43898 2020年4月18日に亡くなったのは、当時5歳だった碇翔士郎(しょうじろう)ちゃん。逮捕されたのは母親の碇利恵容疑者(39)と、ママ友の赤堀恵美子容疑者(48)だった。両容疑者は2019年8月頃から共謀して、翔士郎ちゃんの食事を減らすなど低栄養状態にして餓死させた疑いがある。
「ママ友らが悪口を言っている」「私は味方だ」 警察の取り調べでは、赤堀容疑者が碇容疑者を精神的に支配し、多額の金銭を巻き上げていたことがわかっている。 捜査関係者の証言。
「2人が知り合ったのは、2016年4月頃。同じ幼稚園のママ友同士としてだ。『ママ友らが悪口を言っている』『私は味方だ』などと赤堀が碇を疑心暗鬼にさせ、言葉巧みに洗脳し、周囲から孤立させていったと見られている。 「お前の夫が浮気している」で離婚にまで追い込んだ そして、2018年5月頃に赤堀が『他の保護者から碇の子供のトラブルのことで訴えられている。解決のためにはカネが必要。暴力団とつながりのある“ボス”がトラブルを解決する』などと架空のトラブルをでっちあげ、約50万円を碇から詐取した。
その次は『碇の夫が浮気をしている』と嘘をつき、『浮気相手のキャバ嬢が妊娠した。キャバ嬢のバックにいる暴力団と交渉しているので慰謝料が必要』『お前の夫の浮気調査費用を“ボス”が立て替えている』『夫との離婚裁判で書面代が必要』などとありもしない話を次々に碇に信じ込ませ、カネを引っ張った揚げ句、ついには2019年5月に離婚に追い込んだ」 https://bunshun.jp/articles/photo/43898?pn=3
そして赤堀は碇を精神的に追い詰め、食費を切り詰めさせた。 「『(裁判で)離婚の慰謝料を多く取るために生活が困窮していると見られた方が有利だ』などとして、2019年8月頃から3人の子供に対する食事制限を指示していました。死亡時の翔士郎ちゃんの体重は10キロ前後しかなく、体はやせ細り、あばら骨が浮き上がった状態でした。同年齢の平均体重の半分ほどだった」(社会部記者)
「監視カメラで“ボス”が見張っている」 赤堀が“ボス”と呼んで恐れさせていたのは、実在するママ友。実際には無関係のママ友を、まるで暴力団に近い人物であるかのように説明していたという。
「食事制限中、赤堀は碇に対し、『監視カメラで“ボス”が見張っている』などとも言っていた。騙し取った金額は起訴されているだけで約200万円だが、そのカネというのも元々は碇が受け取っていた生活保護費や児童扶養手当などの毎月約20万円の収入。 立件には至っていないが、県警は赤堀がそのほかにも碇の車を売却させたり、複数の消費者金融から借金させて、合計で1200万円ほど引っ張ったとみている。赤堀は碇から詐取したカネをパチンコなどの遊興費や家具や洋服の購入費にあてていたようだ」(前出・捜査関係者) 食事制限を強要するようになってから約9カ月、痩せ細っていく翔士郎ちゃんに周囲も気付いていた。不審に思った幼稚園の関係者がたびたび碇の自宅を家庭訪問している。 「対人恐怖症だ」と訪問を拒絶 「碇の自宅に家庭訪問すると、なぜか赤堀が家にいて抗議して追い返した。2019年11月、翔士郎ちゃんが通う幼稚園や兄2人が通う学校からも、行政サイドへ問い合わせがあった。『子供たちの体重減少が気になるが、母親と連絡が取りにくくなっている』との情報を受け、町や児相などが碇の家庭を“見守り対象”にした。それでも(関係機関の)担当者が碇宅を訪ねると、赤堀が碇の代わりに対応し、『母親(碇)は対人恐怖症だ』などと言って、面会を拒否することもあった。 週に数回パンなど食事を与えていたが、翔士郎ちゃんが亡くなる直前には碇本人も『食べるものがなく醤油を薄めて飲んだり味噌をなめていた』と供述している」(同前) こうした行政の動きに対し、2020年1月、赤堀は碇に指示し、翔士郎ちゃんを幼稚園から退園させた。 福岡県篠栗町と福岡児童相談所が開いた記者会見(3月3日)©共同通信社 福岡県篠栗町と福岡児童相談所が開いた記者会見(3月3日)©共同通信社 「その頃、地域住民から『虐待の疑いがある』との情報を得た福岡県警粕屋署が碇宅を訪問したが、子供らに虐待の形跡は認められなかった。一方で、2020年3月5日には児童相談所に『子供を残して外出するなど心理的虐待や育児放棄の疑いがある』と通告していた」(同前)
20年3月には碇容疑者の親族が2度、児童相談所を訪れ、「子供と会えておらず、心配だ」として、安否確認を求めていた。だが、危険度が高いとは判断せず、家庭訪問をするなどの対応は取らなかったという。 《20代はスナックの名物ママ》福岡5歳児餓死 赤堀恵美子容疑者の夜逃げ人生「えーしゃんは“盛り上げ隊長”だった」 3/7(日) 13:12配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/af55eeb375608d1661fd57eaeb0031e9feb62e1f
「お前の夫の浮気調査費を“ボス”が立て替えている」福岡5歳児餓死 “虚言大女”が洗脳に使った女の名前 から続く 【画像】「えーしゃん」と呼ばれていた小学生時代の赤堀容疑者 https://bunshun.jp/articles/photo/43899?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=partnerLink&pn=4 《私の将来の夢は、保母さんになることです。なられたらいいなーっと思っています。私は小さい子供と遊んだり、何かを教えたりするのが好きなので、保母さんになりたいと思いました》 小学校の卒業文集でこう綴っていたのは、赤堀恵美子容疑者(48)だ。福岡県篠栗(ささぐり)町で当時5歳だった碇翔士郎(しょうじろう)ちゃんを餓死させたとして、保護責任者遺棄致死容疑で福岡県警に逮捕された。翔士郎ちゃんの母親で、同じく逮捕された碇利恵容疑者(39)とはママ友同士だった。 両容疑者は2019年8月頃から共謀して、翔士郎ちゃんの食事を減らすなど低栄養状態にして餓死させた疑いがある。取り調べで赤堀が碇を精神的に支配し、多額の金銭を巻き上げていたことがわかっている。 地元・大川でも「数百万円の借金」 赤堀は、佐賀県との県境で、事件のあった篠栗町から約50キロ離れた福岡県大川市内で生まれ育った。 恵美子は兄と姉がいる3人きょうだいの5人家族。「あの一家をよく思っている人は少ないですよ」と顔を曇らせるのは恵美子の生家の近隣住民。近所で知らない人はいないというほど、有名な家族だったという。 「20年ほど前に、恵美子の両親が近隣住民と金銭トラブルを起こした。両親が近所の人たちに『お金を貸してくれないか?』と電話で頼み、何人もの近隣住民から全部で数百万円ほどを借りていた。 ですが、ほとんどの人に返済することなく、恵美子の母方の祖父母だけ残して、一家で夜逃げしてしまったんです。泣き寝入りしている人はたくさんいますよ。小さい頃からそんな環境で育ってきた恵美子が今回事件を起こしたと聞いても、正直驚きはありませんでした」(近隣住民) 地元の小中学校に通っていた恵美子は当時からかなり目立った存在だったという。篠栗のママ友らには「赤堀ユウナです」と偽名を名乗っていたが、当時は別のニックネームがあった。小中の同級生がこう明かす。 「コマネチ」を披露するひょうきんな女の子だった 「小学校の時から大柄な女の子でした。明るい性格で、人気者で“お笑い担当”という印象です。あだ名は『えーしゃん』。誰が呼び始めたか分からないですが、たぶん『恵美子ちゃん』から『えーしゃん』になったのだと思います。みんなから慕われていました。
えーしゃんの好きなテレビ番組は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系、1981〜89年)。放送があった次の日には学校でその話題を持ち出してクラスで笑いを取っているムードメーカーでした。女の子だけど、当時、流行っていたビートたけしさんの『コマネチ』のギャグも照れることなく披露していた。 えーしゃんとは外で遊ぶというよりもそういったテレビを見て、そのモノマネをしたりして、家で一緒に遊ぶことが多かったですね。自分でボケて自分で『ひゃひゃひゃ』という特徴的な笑い方をしていたのを覚えています」 中学ではソフトテニス部に所属し、部活と勉強に真面目に取り組んでいた。一方で今回の事件につながるような“虚言癖”も垣間見えたという。 「『○○を買ってもらうんだー』と高価な物を買ってもらうということをしきりに周囲に自慢していましたね。本当に買ってもらっていたかどうかは確かじゃない。とにかく、そうやって注目を浴びて、クラスの中で上位になる、マウントを取るのが好きだったんだと思います。 えーしゃんの中で、自分の価値を高めることは、ある種の“自己防衛”だったのかもしれません。“長いものには巻かれる”性格で、相手をみて態度を変えていた。イケイケな子たちには媚びている感じがありましたし、一方で、自分より立場が低いと思っている子を『パンを買ってこい』とパシリにしていたこともあった。 突然、地元スナックのママに 『高校は私立に行きたい』と言って、中学の同級生があまり進学しない(大川)市外の高校へ進学しました。高校入学とともに連絡も一切なくなってしまった。ですが、“悪い噂”は頻繁に入ってきました。 たとえば、えーしゃんの高校はバイト禁止だったのにもかかわらず、飲食店でバイトをしていた。それが高校の友人にバレてしまい学校にチクられてしまったとか。それを逆恨みしてその生徒をいじめていたということもあったそうです」(同前) 高校進学と同時に地元とは疎遠になった恵美子だが、20代で突然地元でスナックのママを始め、同級生のあいだで話題になったこともあったという。 店の名前は「AシャンAシャン」 「24歳くらいの時に、えーしゃんは地元でスナックで雇われママをやっていました。『AシャンAシャン』という自身のあだ名を入れた店名でした。えーしゃんの“盛り上げ隊長”のような明るいキャラクターが好評で、『名物ママ』として盛況だったそうです。 ですが、2、3年すると急にスナックを辞めて音信不通になったんです。後々聞いた話だと、どうやら祖父母を残して夜逃げしたそうです。15年前くらいにえーしゃんがふと(地元に)帰ってきたことがあった。大分で結婚して子供も産んでいたんですが、借金を作って逃げてすぐに離婚してしまったそうです」(同前) 取材班は現在も赤堀の生家に住んでいる母方の祖母に声をかけたが、「15年くらい会ってないから私は何も分からない。何も話せません」と言葉少なに去っていった。 「どんなママに……?」 《やさしいお母さんで子供になんでも相談にのってやりたい。えみこ》 小学校の卒業アルバムの「将来どんなママに……?」というコーナーでは、こう綴っていた赤堀容疑者。どこで人の道を踏み外してしまったのか。
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