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戦没者をどう追悼するか 遺骨収集など進む議論
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投稿者 あっしら 日時 2015 年 9 月 16 日 17:34:45: Mo7ApAlflbQ6s
 


[今を読み解く]戦没者をどう追悼するか 遺骨収集など進む議論 成田 龍一 日本女子大学教授

 戦時の軍歌「海行(ゆ)かば」に「海行かば水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば草生(む)す屍」という歌詞があった。海外の戦場での数々の遺体。その遺体は、日清戦争ころまでは現地で葬ったが、その後、火葬後の遺骨を国内に送ることとした。この軍歌がつくられた日中戦争のころには、日本に運ばれることが原則となったが、アジア・太平洋戦争での戦況が厳しさを増すにつれ、遺体・遺骨を遺族のもとに届けることが困難となった。代わりに、指の骨などをもちかえることもみられた。

 戦没者をめぐるこの事態は、家族や地域がおこなうはずの死者の祭祀(さいし)を国家が代位し、「慰霊」することに連なる。はやくから戦没兵士の扱われ方に関心を寄せる歴史家・原田敬一は、『兵士はどこへ行った』(有志舎・2013年)を著し、戦没者の埋葬と追悼・慰霊が国家の統制下にあり、兵士たちは死してもなお、国家によって管理されることを指摘した。

 こうした戦没者をめぐる状況は、日本における死者の悼み方にかかわり、文化人類学や歴史学で論じられる一方、戦争と記憶の問題やナショナリズムにもかかわる議論ともなっている。戦没者の身体と霊の追悼は、現実の政治にも、多くの問題が投げかけられるのである。


●民間人にも拡大

 戦後においても、アジア・太平洋戦争での戦没者をめぐる動きは複雑であった。海外での旧日本軍戦没者は210万人に及ぶというが、浜井和史『海外戦没者の戦後史』(吉川弘文館・14年)は、独立後の1950年代に始まった遺骨収集団による遺骨収容は、ごく一部の遺骨をその戦場での死者全体の象徴とする「印(しるし)的発掘」としてなされ、「現地慰霊」と碑の建立をおこなったことを紹介する。それが60年代末から70年代にかけては、発見された遺骨を送還する「条件付きの『内地還送』」に変わった。

 こうした戦没者をめぐる現状を報告したのが、栗原俊雄『遺骨』(岩波新書・15年)である。栗原は自ら遺骨発掘に参加しつつ、骨(遺骨)に関心を集中させる戦没者追悼のありようを検証する。とともに、栗原の著作は、「戦没者」という概念を拡大したことに特徴をもつ。これまで戦没者といったとき、もっぱら兵士であることが自明とされていたのに対し、栗原は、空襲や原爆、引き揚げなどで亡くなった民間の人びとにも視野を拡大していく。沖縄戦については(栗原の本にも登場する)具志堅隆松が『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』(合同出版・12年)を著し、遺骨発掘の現場からの声を伝える。

 戦没者をめぐる議論のいまひとつの焦点は、靖国神社である。靖国神社は、日本という国家のために犠牲になったとされた人びとを主な「祭神」としている。政治家の靖国神社への参拝など、しばしば議論を引き起こしてきたことは記憶に新しい。

 こうしたなか、『戦没者合祀(ごうし)と靖国神社』(吉川弘文館・15年)で、著者の赤澤史朗は「合祀基準」を検討し、靖国神社に誰が祀(まつ)られ、誰が祀られなかったかを考察した。ことばをかえれば、靖国神社に祀られる「公務死」の範囲をめぐる推移を検討し、戦没者の合祀基準の「対立と変遷」を論じた。赤澤もまた、民間人や「軍属」の合祀をめぐる議論に触れるが、さらに「日本人の戦争観」の緩やかな変化を指摘し、靖国神社への合祀という慰霊のありようを相対化していく。


●目的も問われる

 戦没者は、50年を過ぎても死者儀礼が営まれるように、通常の死者とは異なる扱いがなされる。このことは、戦没者をめぐっては、誰が、誰を、どのような目的で慰霊・追悼するのかが問われることでもある。

 すでに触れたように、戦没者の追悼は、遺骨収容をめぐり、占領直後と70年前後に動きと変化が見られた。また、95年に沖縄に設立された「平和の礎」は国籍、民族、民間・軍人の境界を越え、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前を刻み、問題提起をおこなった。

 これらの時期は、いずれも政治的、経済的な戦後史の曲がり角であったが、いままた、具志堅の営みにみられるような、あらたな動きや議論が出されている。戦没者が、父母の世代から、祖父母の世代にあたるものが多数をしめる時代になってきていることがその背後にあろう。加えて、時代の大きな曲がり角であることが察知されてもいよう。戦没者の追悼といったとき、あらたな戦没者を出さないことが、なにより肝要であることを強調しておきたい。

[日経新聞9月13日朝刊P.21]

 

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コメント
 
1. 2016年1月18日 01:38:59 : CxZ13oGq4s : JKIFJ70Q2D0[8]
希典のひとりごとのブログ

政府は遺骨収集に本腰を入れよ

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http://hiroaki1959.at.webry.info/201509/article_23.html

全文


「政府は遺骨収集に本腰を入れよ」

 22日付産経新聞にガダルカナルで行われている英霊の遺骨収集の様子を特集した以下の記事が出ていた。

 「戦死者を外国に置き去りにしない
 米、遺骨収集は『国の責務』  日本は民間頼み、ガ島で見た現実
 第二次大戦の激戦地、ガダルカナル島(ソロモン諸島)で日米双方が戦死者の遺骨収集に取り組んでいる。今月、米国の収集現場に足を踏み入れると、軍の兵站基地のような拠点を築き、機材を投入した大規模な活動を展開していた。志願制の軍隊を持ち、派兵を続ける米国にとって遺骨収集は国の責務。作業にあたる米兵も『仲間を置き去りにしない』と断言した。対照的に日本側は民間団体頼みの活動を細々と続けており、戦死者に向き合う姿勢に温度差が表れていた。   (池田祥子)」。


 「米兵指揮で大規模に
 日米両軍が激突したガ島西部のギフ高地。密林は跡形もなく伐採され、丸太で作った階段が深さ約100bの谷底まで続く。ブランコのように動いて、土砂と遺骨、遺留品を仕分ける大型のふるいが設置され、頑丈な小屋がいくつも完備されていた。米兵の指揮下で現地住民たちが作業に取り組む光景に、遺骨収集への米国の強い決意を感じた。

 『ここまでとは・・・』。今月11日、ガ島で日本軍戦没者の遺骨収集を行う民間団体の隊長、崎津寛光さん(43)とともに米国の収集現場を初めて見学。崎津さんはそのスケールの大きさに絶句していた。
 国防総省統括の専門機関『Defense POW/MIA Accounting Agency(DPAA)』がこの地で収集活動を実施するのは昨年6月以降すでに4回目だ。

 今回は8月から2カ月間の予定で、陸海空軍と海兵隊の現役将兵、考古学者ら米国人計17人が、現地で雇用した住民60人と活動している。現地で使う資材はくぎ1本まですべて本国から専用機で運び込む。
 DPAAの手法は大がかりだ。人海戦術で密林を切り開いて土砂をすべてさらい、ふるいで選別。見つかった遺骨や遺留品を洗浄してハワイに送り、DNA型鑑定など科学的な調査・分析を行う。

 一方、日本政府はガ島での遺骨収集に積極的とはいえない。遺骨が見つかった段階で政府派遣団を送って持ち帰るとしているが、その前段である捜索、収集活動は崎津さんら民間団体任せ。民間団体は寄付金を募っているがまかなえず、今夏の収集活動に参加したメンバーはそれぞれ約35万円の私費を投じて参加した。

 メンバーたちは現地住民の情報を頼りに道なき密林に分け入り探し回る。『圧倒的な物量の米軍に対し、こっちはゲリラ戦のようなもの。戦時中と同じような構図なんです』。現地で暮らしながら遺骨を捜す民間団体の駐在員、西富謙太郎さん(36)はため息をついた。


 問われる日本の姿勢

 DPAAによると、第二次大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争などで行方不明になった米国人は計約8万3114人。DPAAの活動範囲も各地に広がっている。
 ガ島捜索チームリーダーのスティーブ・テイラー陸軍大尉(37)は、『行方不明者の捜索は私の任務だが、それ以上に人としての義務だ』と語る。大尉自身、イラクやアフガニスタンの戦場を経験し、DPAAでの任務が終われば再び戦地に派遣される可能性もある。『自分が戦死したら親や兄弟は遺骨であっても帰還を望むだろう』

 サブリーダーのカール・アカナ陸軍軍曹(37)は昨年、カンボジアでの遺骨収集活動に従事し、この活動で見つかった遺骨のうち3人の身元が判明した。軍曹は『われわれは、戦死者を外国に絶対に置き去りにはしない』と断言する。
 『戦地に兵士を送るということは戦地で亡くなった兵士の亡がらを自国へ送り届けることも含めて国の責務なんだと思う。米国は今もそれを実践しているにすぎない』。民間団体の一員としてDPAAの活動を見学した三重大学准教授、深田淳太郎さん(38)がつぶやいた。

 終戦70年の今も日本人113万人分の遺骨が国外に取り残されている。ようやく遺骨収集を『国の責務』として強化する法案が衆院を通過し、参院に送られた。これからの日本の姿勢が問われている」。

 「(行方不明者の捜索は)人としての義務だ」とのテイラー大尉の言葉が胸に沁みる。敗戦直後は致し方なかったとしても、ある程度日本国内が落ち着いて、財政的にも余裕が出てきた昭和30年代から、政府は専門組織を創設し、本格的な遺骨収集に乗り出すべきだった。当時の政府は人としての義務を感じなかったのだろうか。

● 情けないことに、英霊の遺骨を放置しているのは国外に限ったことではない。●東京都硫黄島には未だに1万柱以上の遺骨が未収集で眠っている。同島の海上自衛隊航空基地の滑走路の下に眠る多数の遺骨を収集するため、仮設の滑走路を建設したうえで、現滑走路を剥がすとの話があるが、着手されるのはいつのことになるのだろう。

● 遠い異国の地、劣悪な環境の下、手弁当で遺骨収集に当たられている方々には感謝しかない。
●行きたくても諸事情で行けない納税者に代り、政府はDPAAのような組織を創り、遺骨収集に本腰を入れるべきだ。

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元記事
 ↓
産経WEST

米国「組織戦」に絶句した日本側 戦没者遺骨収集、大戦と酷似した明暗=@「海外に『戦友』置き去りにしない」  

(1/4ページ)【戦後70年】
http://www.sankei.com/west/news/151008/wst1510080006-n1.html

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未来に残す 戦争の記憶

〜100年後に伝える、あなたの思い〜

シベリア還らぬ遺骨の今
http://wararchive.yahoo.co.jp/specialissue/

一部抜粋


1945年8月15日、太平洋戦争の集結から今年70年の節目を迎える。本土以外の戦没者は約240万人。そのうち、半数近い113万柱の遺骨が海外で眠ったままとなっている。
70年経ってなお本土に帰還できていない遺骨の現状について、ロシアの収容作業の様子、収容事業に取り組んでいる東京の遺族や若者の声を取材した。

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JYMA 日本青年遺骨収集団46年の歩み
http://jyma.org/history

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日本政府は本気出して遺骨収集を国家事業としてやるべきなんじゃないの?
コンクリ滑走路で英霊を踏みつけにしてクールジャパンもないもんだ。


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