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対華二十一カ条要求とは何だったのか 奈良岡聰智著 外交の教訓に満ちた歴史叙述
国内外の文書館史料を含む膨大な文献のリストは、著者がどれほど長い時間を実証と分析の作業に傾けたかを示している。重厚長大な研究書だからといって、難解ではない。論旨は明快である。透徹した論理に基づく緻密な歴史叙述が読み手を惹きつける。
今から100年前、第1次世界大戦下の1915年1月に、日本は中国に21カ条の権益拡大を要求した。対華21カ条要求は東アジア国際関係に変動をもたらす。21カ条要求とは何だったのか。著者の歴史探索が始まる。
欧米諸国が欧州大戦に釘(くぎ)づけになっている隙に、権益の拡張を求めて強硬な外交を展開する。その結果、日本は対中関係を悪化させるとともに米英の不信を招く。なぜ対華21カ条要求外交は失敗したのか。
第1は日本の国内政治である。メディアは国内世論を対中強硬論に誘導する。政治的な野心を抱く加藤高明外相は国内の強硬論に迎合して、21カ条のなかに「希望条項」として中国政府に日本人の顧問を置くなどの第5号を付け加えた。加藤自身が要求は無理そうだから「希望」とした第5号をめぐって、21カ条要求交渉は紛糾した。
第2は加藤外相の外交指導である。第1次世界大戦に参戦してドイツから獲得した膠州湾の還付と引き換えに、加藤外相は満州権益の租借期限の延長を手にしようとした。大急ぎで交渉を開始したものの、途中で総選挙があり、国内の強硬論に拘束されて、加藤は困難な状況に陥った。第5号をどうするか。扱いかねた加藤外交は徒(いたずら)に米英の不信を招いた。
第3は外交の情報戦である。中国の袁世凱政権は巧妙な対抗手段によって、日本との情報戦を戦う。交渉の遷延と反日の国内・国際世論の醸成、欧米諸国の干渉の招来、これらによって対抗する中国との外交交渉は難航した。
対華21カ条要求交渉は日本側が第5号を撤回して成立する。権益拡大の代償は大きかった。対中関係はもとより対米英関係を悪化させたからである。
その後の日本は24年に加藤が首相に就任した内閣の下で、国際協調外交を展開し、対中関係の修復に努める。「世紀の失政」21カ条要求への「痛切な反省」が活(い)かされたからである。
100年前も今も日中対立と国際関係悪化の原理は変わらない。日本外交はどうすべきか。本書が示唆するのは、外交優位の国内体制の確立とパブリック・ディプロマシーの重要性である。21カ条要求外交の歴史は教訓に満ちている。
(名古屋大学出版会・5500円)
ならおか・そうち 75年青森県生まれ。京大教授。専門は日本政治外交史。
《評》学習院大学学長
井上 寿一
[日経新聞6月21日朝刊P.23]
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