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2014年08月12日
乗員乗客520名が犠牲になられた日本航空123便の墜落事故から、本日(8月12日)でちょうど29年が経過しました。
1985年8月12日の18時12分に羽田空港を飛び立った日本航空・伊丹空港行きジャンボジェット機は、18時24分に相模湾上空で突然に垂直尾翼が吹き飛び、その衝撃ですべての油圧系統が破損して操縦不可能となりました。機長らの必死の努力も実らず123便は18時54分に群馬県の御巣鷹山に激突し、生存者はわずか4名でした。
改めて考えても「絶対におかしい」と思うところがいくつかあります。
まず運輸省航空事故調査委員会は、機体後部にある圧力隔壁が金属疲労による亀裂で強度が低下し、機内の圧力に耐え切れなくなって損壊したため機内の空気が機体後部に急激に流れ、その衝撃で垂直尾翼を損壊させたと結論づけています。
さらに事故機が1987年に「しりもち事故」を起こした際に、ボーイング社の圧力隔壁の修理が不十分だったとも付け加えています。
つまり事故機の機内がまるで高圧ボンベのように機体後部を破壊し(つまり穴をあけて)垂直尾翼を吹き飛ばしたことになります。いくら圧力隔壁に亀裂が入っていたとしても「大変に不自然」です。
だいたいその時点で事故機は24000フィート(7200メートル)まで上昇しており、機体後部に穴があけば機内は急激な減圧と酸素不足に見舞われます。しかし生存者(スチュワーデス)の証言では機内で普通に呼吸ができたそうです。
つまり垂直尾翼は、機内の圧力ではなく、機外からの何かしらの作用によって吹き飛んだことになります。一般的には「何かがぶつかった」とか「何かに攻撃された」といいます。
この運輸省事故調査委員会は、2000年8月に一部の(たぶん重要な)調査資料を廃棄していたことが明らかになりますが、同じ頃に事故機のコクピット・ボイスレコーダーがマスコミに流出し、一斉にテレビ放映されました。
記憶にある方も多いと思いますが、これは事故調査員会が「情報開示」したものではありません。「隠し損なった」ものですが、改竄あるいは重要な部分が抜き取られている可能性もあります。
このボイスレコーダーを新たに最新技術で分析し、特に(圧力隔壁が機体後部に穴をあけて垂直尾翼を吹き飛ばしたとされる)爆発音の謎に迫る特別番組が、本日(8月12日)18時30分〜20時54分にフジテレビでオンエアされます。
すんなりとオンエアされるようなので「衝撃の事実」は出てこないと思いますが、真剣にみるつもりです。
さて事故機が墜落したのが8月12日の18時54分ですが、その墜落機体が「発見」されたのは何と翌13日の4時30分、救助隊が事故現場に到着して救助活動が開始されたのが8時半とされています。
もしそうだとすれば墜落機体の「発見」まで9時間半、救助活動の開始まで13時間半もかかっています。いくら事故現場が険しい山中だったとしても信じられない鷹揚さで、少なくとも「生存者の発見・救出が最優先ではなかった」と考えざるを得ません。
しかし実際には墜落からわずか20分後の19時15分に、米空軍の輸送機が山中で大きな火災を発見したと航空自衛隊に通報しており、20時42分には航空自衛隊・百里基地から飛び立ったヘリコプターが現場上空に到着していました。
生存者も、夜間に何機ものヘリコプターが上空を飛びまわっており、墜落直後は「かなりの生存者」が救助を待っていたと証言しています。当時の装備でも隊員が夜間に降下することは十分可能だったはずで、じゃあ「人命救助そっちのけで何をしていた?」となります。
この辺りは情報が錯綜しており数多くの陰謀論が出てくるのですが、そこは控えます。
しかし考えれば考えるほど「腑に落ちないところ」が出てくるので、改めて記録を丹念に読み返してみようと思います。また書く機会があると思います。
遅ればせながらですが、犠牲となられた520名の方々のご冥福をお祈りいたします。
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